77 2人のシエル


 ― スイト inアスター ―



 目覚めると、ふわりと良い香りが漂った。


 二度寝したい感情が消えるほど、美味しそうな香りだ。

 一気に目が覚め、空腹が音を立てて主張してくる。


「朝ごはんは何かな、何かな」

「ハルカっち、もう少し静かになー」

「でも、こんなに良い香りだから、美味しいといいよね」


 メンバーはまばらに集まっており、中には寝巻きの人物もいる。

 うきうきと出てきたハルカは、きっちりと旅装に着替えていた。が、その横にいるマキナは眠そうで、目が半分も開いていない。そして服装はふわもこのパジャマ。口調ははっきりしているが、それ以外は完全に未だ夢の中だ。


 頭を上下に大きく揺らしながら、近くにあったイスに腰掛ける。

 いつもどおり、イスの上で膝を抱えるが、そのまま寝息が聞こえてきた……ベッドに運んだ方が良いのだろうか?


 ちなみに、起きてきた者の大半の理由は、お腹が空いた、である。

 まぁ、この香りは暴力的なまでに空腹を刺激するので仕方無い。


 この香りは、と。……ふむ、ベーコンの香りが強い事は分かった。


 それほどメンバーが集まっていない午前8時。

 コンコン、木製のドアが、2回ノックされる。


 俺が出ると、良い香りはよりいっそう強くなった。


「「おはようございます、サービスの朝食をお持ちいたしました」」


 にっこりと笑って、左右対称に並んだ2人が声を合わせてお辞儀した。

 どちらも、淡い瑠璃色の髪。

 顔を上げると、見分けが付かないほどに瓜二つの顔があった。


 ……ただ。


「わぁ、双子? どっちがお兄ちゃん? それとも、お姉ちゃん?」


 服装から、2人の性別が違うのだと分かった。


 女の子の方は、水色のドレスシャツに、太腿丈の紺色のスカート。黒いタイツに、鮮やかな水色のローファーをはいている。

 男の子の方は、水色のワイシャツに紺色の燕尾ベストを着用し、黒いスラックスを合わせている。こちらも水色のローファーをはいている。


 頭を上げた2人は、どちらも艶のある髪を後ろで纏めており、どちらの瞳も美しい海色である。


 その両目には、魔女族の証とも言える魔法陣が浮き上がっていた。

 魔法陣は2人とも別物のように見えたが、女の子の右目、男の子の左目は魔法陣までもが瓜二つだ。


「初めまして、私は― シエラ=シエル ―! ここの従業員だよ!」

「同じく、― シェル=シエル ―。シエラの双子の、弟です。朝食をお運びしてもよろしいでしょうか?」


 どうやら、竹を割ったように性格が違うらしい。


 最初の挨拶は落ち着いていたのに、それが終わると、シエラはピョンピョン飛び跳ねて一向に落ち着かない。逆に、シェルは挨拶の時より感情の起伏が乏しくなり、淡々と朝食の入ったトレーを運び入れた。


「もー、挨拶は大事だよ、シェル! あ、挨拶はちゃんとしたか。ううん、お客様に失礼があっちゃダメだから、挨拶の後も笑顔! ねー、聞いてる?!」

「聞いてはいる。けど、次の仕事があるし、早く終わらせて寝たい」


 最後に本音が出たな。

 面倒くさがりなのか? シェルは溜め息をつきつつ、しかし慣れた手つきでテキパキと朝食をテーブルに並べていった。


 銀色のクロッシュを、人数分。

 網のかかった焼き立てパンのバスケットを置いて、さっさと部屋を出てしまう。


 熟練の執事のような静かさと正確さのある動きだった……。


「あー! 私の仕事取ったー!」

「賃金の取り分は同じだろ。シエラがさっさとやらないから俺がやる羽目になる」

「何だとー!」

「シエラはサボっていてもお金が入るし、むしろ手を出さないでくれる? 邪魔」

「な、ん、だ、とー!」


 口喧嘩を繰り広げつつも、2人はさっさと別の部屋に行ってしまった。


「あ、嵐が通り過ぎたみたいな」

「騒がしい2人だったぞー」

「ふぁあ……良い香りだな。朝食は何だ?」

「あ、お兄ちゃん! 今来たから、まだ見ていないよ。何だろう?」


 そうだった。今持ってきてくれたのは朝食だ。この美味しそうな香り、期待させてくれる。

 とはいえ、普段冒険者に出すような食事だし、過度な期待は命取り。


 安い、多い、美味いの三拍子の法則は、どの世界でも通じるからな。冒険者にとってはありがたいだろう価格設定に、重労働前の多めの食事が美味いとなれば、安くとも儲かるだろうし。


 う、冷静に色々考えてみたが、もう我慢が出来そうにない……!

 俺は期待半分興味半分で、クロッシュを開く。


 ふわり、白い湯気が立ち上り、更に香りが強まった。


 そこには、大きめの目玉焼きと、その下に敷かれた焼きベーコンが3枚。別皿でシーザーサラダに似た、粉チーズのかかっている新鮮野菜のサラダが添えられている。

 スープは琥珀色のコンソメみたいなやつだ。透き通ったスープには具が入っておらず、彩としてパセリが散らされているのみ。


 飲み物は氷の入った冷たいレモン水。

 デザートは、ミルクプリンにオレンジのコンポートのような物が乗せられたスイーツ。


 最初はベーコンだけだった香りからは想像も出来ないほど、品数が多い。

 どれも朝の定番である。


 目玉焼きの味付けはベーコンのみでいけそうだが、調味料セットが一緒に置かれていた。

 焼きたてのパンは温かく、皮がパリッと焼かれ、中身はふっくらしている。


 香りと見た目が、既に美味しい事を物語っていた。


「ふわぁ、美味しそう」

「半熟目玉に程好い焦げ目のベーコンか! シンプルながら、技術のいる料理を選んできたな」


 兄妹は同じように前のめりになって、目の前の朝食を眺めている。


「全員揃うまで待っていられないだろうし、食うか」

「あ、うん! スイト君も一緒に食べよ!」

「おー」

「僕も食べるぞー」


 先程の2人の騒ぎで、マキナの目は覚めたらしい。既にパンを取って準備万端である。

 銀色のナイフとフォークが一緒に入っていたので、これを使えって事だな。


「「「いただきます」」」


 この香気に起きてこない連中より、先に食べるという罪悪感が、半端無い。


 だが、焼いたベーコンの匂いは、食欲をこの上なく刺激してくる。

 時間としては朝なのに、深夜のような空模様のせいで、夜にポテチへと手を出す罪悪感が相乗効果を発揮していた。視覚、嗅覚、更に精神的に追い詰められる。


 恐る恐る黄身へナイフを触れさせると、トロリと溶け出して、あっと言う間に皿の上へ流れ出してしまった。プルプルの白身と共にやや分厚いベーコンを一口サイズに切り分け、黄身をたっぷり付けて……。

 一気に、頬張る!


「――~~……ッ!」


 期待通りの旨みたっぷりな肉汁が溢れ、濃厚な黄身や柔らかな白身と混ざり合う。

 思ったとおり、調味料をかけなくともベーコンの味が強く、卵のまろやかさがパンを求めた。


 パンはふかふかでもっちりとしており、フランスパンのクッペに似た形だ。だが、米粉パンのような食感で、仄かな甘みがたまらない。


 スープは透明な見た目からは想像も出来ないほど複雑な味がした。

 やはりコンソメだったらしい。丁寧に濾された、野菜や肉の旨みの濃縮されたスープ。具が入っていないのに、舌は様々な野菜達の味を感じていた。


 一度落ち着くためにレモン水を飲むと、それまでの味がリセットされる。

 そうして再び、目の前のご馳走へ手が伸びて……。


 知らない間に、全て平らげてしまっていた。


「満足感が、凄い」


 つい出て来た言葉に、無言で頷いた者は多い。


「腹八分目の量でありつつ、この満足感は素晴らしいよ!」

「だぞー」

「でも、スイト君の方が美味しいよ!」

「だぞー!」


 謎の俺リスペクトに興奮するハルカさんとマキナ。だが、突っ込むくらいならもう少しあの朝食の余韻に浸っていようと決めたので、俺は無言を貫く。

 幸せをそのまま食べたような心地になって、俺達の朝食は終わった。




 後から起きてきた者達の反応を横目で見ながら、先に食べ終わったメンバーで今日の予定を決める。

 といっても、大まかな目標は既に決めていたし、特に決めるような事は無いのだが。


「今日は結界をどうにかして、それから拠点を決めてー……」

「結界内はどうやっても調べられなかったが、拠点に出来そうな村なんかはあった。……人がいないけど、拠点として使うだけなら十分のはず」


 常闇の結界内の地図を持ち出し、フユ先輩は幾つかの場所にピンを差していく。

 ナフィカも自身の記憶を頼りに、幾つかの場所にピンを差していった。


「赤いピンが、既に人のいない村や町。青がナフィカさんの知る村や町。その内状態がわからない場所は、緑のピンを打ってある」

「……がんばった」

「この白くて円い線が、吸血族を閉じ込めている結界?」

「そうだ。軽く掘って調べてみたが、結界は半球ではなく完全な球状。結界の強度は均一で、その頑丈さは暴走した吸血族が何人束になっても壊せないほど」


 要するに、途轍も無い硬度である。


 俺とハルカに限って言えば、ナユタが壊せないという時点でその硬度がとんでもない事になっているのは分かっている。


 破壊の力に特化した神である、ナユタが壊せないのだ。

 この世界の一生命体がどれだけ集ったとしても、壊せるわけが無い。

 それを理解しているからこそ、俺もハルカも驚かない。


 だが、周囲はそうも行かなかった。


「うぅ、吸血族が束になっても壊せないなんて……」

「陛下、お気を確かに!」

「想像を絶するぞー」

「たしかに、どのくらい硬いのか想像もつかないよね」


 各々がそれぞれ、フユ先輩の言葉に驚愕をあらわにする。

 中には、なまじ吸血族と言う種族の力を知っているからこそ、大げさなまでにふらつく者もいた。まぁ、この世界における吸血族は上位種族に当たるから、仕方無いことだろうけど。


「いっそ魔法ガラスで出来ている。と言われた方が、しっくりくる硬さだ」


 トドメといわんばかりのこの台詞に、フィオル辺りは完全に気を失った。


「とはいえ結界である限りは魔法なわけだし、中に入る方法も見つかるはず。予定通り、今日は結界に向かおうか。みんなから借りたビードを準備するから、少し待っていてくれ」

「あっ、私も手伝うよ、お兄ちゃん」


 フユ先輩とハルカが、部屋を後にする。

 だが、ハルカはすぐに戻ってきた。……1人でいいと追い返されたのか、その顔はやや落ち込んでいた。

 ハルカはともかく、フユ先輩は結界をどうにかする方法は無いだろう。それでも、爽やかな笑顔で希望を振りまいた。

 勇者の従者に相応しい心の持ち主である証拠だ。


 勇者とは絶望を抱く人々に希望を与え、自らが期待と希望を背負う者。


 その従者も、常に希望である事を強いられる。


 自覚があろうと無かろうと、自然と希望であろうとする姿勢は素晴らしい。

 この世界は、召喚する人選に過ちがある一方で、正しい選択もできている、というわけだ。どんな危機的状況に陥っているのかは分からないけど、捨て置くには惜しい世界である。


 世界の核に配置された番人には、必ず人に近い心を持たせている。

 彼等は時たま暴走し、個人的な理由で召喚を行う事もあるのだ。


「ビードに直接乗れば、結界まですぐだぞー?」


 思考に耽っていると、マキナが暇そうに自身の座るイスを揺らしながら、マキアと語り合っていた。

 マキアは、よく見るとすぐ横のイスに座っていた。


「そうじゃないかな。常闇の結界内はとても広いけど、地形は平らだし、森も比較的少ないから」

「なら、日帰りも出来そうだなー」

「え、でも、今日結界がどうにかなるかもしれないじゃないか。何かあったの、マキナ?」

「何でもないぞー。ただ、万が一食料が尽きても、戻れるかもなー?」

「……普通に大丈夫だと思うけど」


 マキアの視線が、ルディに刺さる。

 ああ、異次元ポシェットは中に入った物の時間経過を無効化するからな。

 出来たての料理を入れれば、たとえ一ヵ月後だろうが一年後だろうが出来たてが出てくる。それが異次元ポシェット!


 便利だよね。魔法で作り出した【アイテムボックス】の空間は、内容量に比例した魔力を食うし、非効率の塊なのだ。

 ルディも、珍しくマキアの視線に気付いたらしい。マキアににこりと微笑んだ。


 と、その時。ガチャリと扉が開く。

 ん? ハルカ達が帰ってきたのか?


「コンコン、いますかー?」


 ……ノックの音を擬音化する人は久々に見たよ。しかも、既に扉を開けた後にノックするより、随分キテレツである。

 そこにいたのは、太陽のように輝く満面の笑みを浮かべたシエラ。


 そして、その後ろでこめかみを押さえるシェル。


「お昼ごはん要りますかー?」

「追加料金が要るけど、美味しいごはんである事は保障する」

「そうそう! 何ならお弁当でもいいよ! むしろ私達が付いて行って作ってもいいよ!」

「危険手当はもらうけどね」


 なるほど、冒険者向けのサービスを宣伝しに来たわけだ。

 常闇の結界内は、特殊な環境であるためか特殊なダンジョンが生まれやすい。

 冒険者はそこに挑むためにも、この町に留まる者は少なくないのだろう。


 ダンジョンに向かう冒険者向けのサービス、というわけだ。


「俺達はダンジョンに行くわけじゃない。むしろ、それより危険な場所へ行く途中だ。弁当で頼む」

「わぉ、お兄さん達、もしかしてあの内部結界に挑むの? やめといた方がいいよー。下手に刺激して吸血族に出られたら終わりだもん!」

「あれを張ったのは吸血族の女王。あれが張られている内は、女王の意識が正常だという事。そしてあれが張られているという事は、手出し無用という事」


 2人とも、態度は違うが俺達がしようとしている事には否定的である。


 シエラは頬を膨らませ、心配そうに怒るという器用な真似をして見せた。

 シェルはもっと直接的に、こちらを睨んでいる。


 態度は全く違う。


 だが―― その2人から迸らせる殺気は、肌が実際に痛み出すほどに、鋭く、熱い。


 他の奴より殺気に慣れている俺でさえ、身体の芯が凍りつくような錯覚を引き起こす。


 今現在、俺にのみ、それは向けられていた。

 重圧は感じない。

 その代わり、じわじわと「HP」が削られていく。


 なるほどな。これは彼等の固有魔法というわけだ。

 よくよく見れば、シェルの右目が僅かに金色の光を帯びている。その目が、文字通り視線だけで射殺そうとしているのだ。


 HP自動回復効果よりも、減るのが速い。

 俺は顎を引き、睨み返す。


「結界を壊そうとか、そんな事は考えていない。ただ、向こう側に行くだけだからな」

「ふぅん。あの結界の内部では、空間魔法が使えないよ。つまり、転移魔法が使えない。それでも?」

「ああ」


 俺は簡潔に答える。曖昧な回答よりも、ハッキリとした物言いの方が適性だと思ったのだ。

 と、ふと、痛みが消えていく。


「だってさ、シエラ」

「だってね、シェル」


 シェルは心底悔しそうに、俺を睨み続ける。その視線に、もう殺気は無い。

 それどころか、一瞬だけ視線だけで向き合ったシエラとシェルは、笑い出してさえいた。

 くすくす、と、2人して笑うのだ。


「くすくすくす。じゃあ、一緒に行ってあげるねっ!」

「え」

「脈絡が無さ過ぎるよ、シエラ。……君達があの結界をどうにか出来るとは思えないけれど、常闇の結界内で起こった問題は、僕達常闇の結界内の住人が解決すべきだから」

「もー、そんな難しい事を言わなくて良いじゃん!」

「……ふん。ま、ともかく」


 ……それまで無関心を貫いていた彼の瞳には、好奇心が映し出されていた。


「「ムリヤリにでも付いて行くから、そのつもりで」」


 営業スマイルとは違う、陰のある笑みを浮かべるシェル。反対に、いかにも楽しそうに満面の笑みを浮かべるシエラ。

 2人の不思議な瞳が、俺を映した。


「ああ、追加料金は要らないよ。自分の身は自分で守る」

「そうそう! 自分のビードもいるし! 準備してくるね~♪」

「あ、おい!」


 廊下を駆けていく2人を止めようとして、手が虚空を掴む。魔法を使ったのだろうか、その速さは尋常ではなく、あっと言う間に視界から消え去ってしまった。

 えっと、とりあえず、あいつらもついてくるって事でいいのか? マジか。


 案内役が増えた、っていう認識で良いのだろうか。それとも、戦力が増えたという認識の方が良いのだろうか。あいつらの情報が一切無い状況なのだが。


「……あの子達、どう思う?」


 扉を開いたまま呆然としていた俺に、ハルカが話しかけてくる。

 俺は心底疲れたように溜め息をついて、口を開いた。


「さぁ。まだ名前と性格しか知らない」

「そうじゃなくて。……アスターとして」


 ハルカの瞳は、確かに、スイトに向けるものじゃない。

 この子はどうも、俺への敵対心を隠せていないのだ。いやまぁ、いきなり創造主です、なんて言われて、すぐに信じられるとも思っていないけどね。


 それにしても、アスターとして、か。

 スイトとしては彼等の事がほとんど分からない。


 けれども、神様的な存在である俺ならば、何か分かっているかもしれないと考えたわけだ。


「そうだね。良い子達だよ」

「実力の方を聞いたのだけど」

「うん。だから、良い子」

「……?」


 ハルカは眉間にシワを寄せて、首をかしげた。

 本当に彼等は良い子だ。


「良い子達だよ。自分の身を自分で守るなんて、朝飯前。むしろ、こっちからお願いしてでも一緒に行ってもらうくらいの気概じゃないと」

「……ッ!」


 ハルカの目が見開かれる。

 あの子達と、直接会った事は無い。むしろ間接的に会った事も無い。

 けれど彼等自身の事を、俺は知っている。


 はてさて、彼等に何が起こったのか、俺もよくは知らない。


「最近は古き者達が多いね、本当」

「それって……! もしかして、また以前の賢者とか、そういう事?」

「いや、賢者ではないよ」


 そう、賢者ではない。


 けれど、ハルカの推測は当たらずも遠からず、といった所だ。


 彼女はかつて、海の魔女と呼ばれた者。

 魔女であって、賢者ではない。


「さて。4代目賢者のかつての従者は、どうして2人に増えたのかな?」

「増え……えっ? ええっ?」


 戸惑うハルカに、俺は笑ってみせる。

 ネタ晴らしもほどほどに、結界へ行かなければいけないね。


「ハルカ、全員が食べ終わり次第、結界に行く。みんなにそう伝えてくれ」

「あ……う、うん」


 さてさて。

 俺も込み入った事情は、本当に知らない。

 誰がどのような役割を持って、この場にいるのか。それはスキル:鑑定で分かるからね。それのちょっと強化したような力で調べた事を、ただ口にしているに過ぎない。


 4代目賢者、か。

 アズサだっけ。あの子の言っていた5代目の賢者達もまぁ色々あったみたいだけど、その5代目を悲劇に陥れた4代目賢者にも、何やら深い事情がありそうだ。


 俺は多分、そこまで一緒には行けないのだろう。

 厳密には、創造主アスターとして一緒に行動できない、かな。


 うーん。スイトには早く戻ってきて欲しいけど、俺自身はまだここにいたい。

 軽いジレンマだね。重要度が高いのは、明らかにスイトの帰還の方だし、俺自身は結末が見られればそれで良いけれども。


「ふふ」

「今の話に、いい事、あった? アスター」

「ん? あ、何だ、ミュリエルじゃないか」


 ひょっこりと現れたミュリエルに、俺は軽く驚いてみせる。

 彼女は特別だからね。俺とスイトが入れ替わっている事くらい、すぐに気付いただろう。


 いやぁ、酷いよね! あんなに怖がらなくても良いと思う!

 って、あれ? そういえば、今は怖がっていないみたいだ。心境の変化でもあったのかな。


「アスター。後で、話せる?」

「念話は?」

「……ダメ。お父様に聞かれる、かも」

「はは、信頼されていないね、俺」


 彼女のお父様くらいなら、完璧に隠せる自信があるよ。


「今でもいいかい?」

「ん。いいよ」

「それじゃ」


 俺は、パチン、と指を鳴らした。

 それだけで―― 世界は、止まる。

 スイトが持っているアビリティ:一歩さがってやり直し。あれの、完全上位互換にあたるアビリティだ。レベル指定なんてしなくても、時を渡る事だって出来る。


 権能の説明は至ってシンプル。

 無償で時空を操作可能。

 これだけだ。


 今回は、その対象を俺と彼女以外に設定してある。

 たとえ彼女のお父様だろうと、たとえヘスカトレイナだろうと、たとえ時を司る神だろうと。この能力の前では動きを止めてしまう。


「それで、話は何かな」

「ん」


 彼女は、一通の手紙を差し出してきた。

 真っ白な手触りの良い紙に、金箔で縁取りした高級仕様の手紙だ。赤い蝋で封がされており、蝋に刻印された文様は見覚えが無い。


 薔薇と短剣、月と翼があしらわれた文様だ。


「……父上様から」

「何だって!」


 ミュリエルの言葉に、俺はすぐに封を解く。

 それが本当なら、この手紙は「あれ」を知らせるための物に違い無いからだ……!


 手紙の中身は、確かに俺が求めていた内容だった。


「ミュリエル、よくやってくれた! そうか、そうか。これなら……!」


 俺は、頭の中で今後の方針を決め、すぐさま本体へと送った。この世界でいう念話とはまた違う、俺達、アスター特有の繋がりを利用した連絡方法だ。

 誰かに傍受できるものじゃない。


 これが本物なら。いや、本物だと信じるに足るからこそ、一瞬の間も空けずに返事が返ってくる。

 その声は、いつになく歓喜に溢れる物だった。


 そう、聞き取れないくらいに。


 ……いやいや、聞き取れないのはまずくない?!


『―― ああ、悪い悪い。けど、許せ』

「事情が事情だから、許す。で、どうするの?」

『決まっているだろう! 俺もそちらに注視する。とはいえ、ここはその世界から遠いからなー』


 すぐ返信したくせに、よく言うよ。


『まぁ、その世界に合うくらいの「器」は用意してやるから、それまで待て』

「それは数日中に出来ること?」

『出来るわけ無いだろ! アスターの身体だぞ? 本番一発勝負で試すわけには行かないから、何日か……何週間か……いや、うん。何とか3ヶ月中には送るよ』


 おっそい!


 本体はカラカラと笑いながら、一方的に通話を切った。

 はぁ、自問自答に似た会話だというのに、本体の考えている事が分からない。これは俺に対して、他人が抱く感想でもあるのだろう。


 ミステリアスと言えば聞こえは良いけれど、良い迷惑だよねー。

 って、自分に言ったら世話無いか。


「アスター」

「何かな、ミュリエル」


 ミュリエルの声に、反射的に反応する。彼女は無表情のまま、こちらをじっと見つめていた。


「口調、と、ミュリエルじゃなくて、ミリー」

「……あぁ、そうだったな。そろそろ出発するから、心の準備はしておけ、ミリー」

「ん」


 こくん、と頷いて、ミリーは外へ向かって歩き出した。


 この地方は、景色も夜なら気温も夜並。肌寒い感じである。

 彼女の服は背中が丸出しになるデザインの上、そうでない所も非常に通気性が良さそうだ。彼女の事だ、寒くはないのだろうが、思わず心配になる。


 スイトだったら、気付けばすぐに心配するのだろう。

 今の俺はスイトだ。彼の記憶も、性格がどのよなものかも、全部分かっている。


 どうせなら、成りきれたらよかったのに。アスターとしての記憶を一時的にでも封印していれば、誰からも違和感なく「スイト」になれたかもしれない。

 たらればを言っても仕方無いだろうけどね。


「スイト君、準備出来たよ!」


 フユ先輩の念話を受け取ったのだろう、ハルカが話しかけてくる。

 うっ、眩しい! 翠兎の記憶を見て知っていたけど、生で彼女の笑顔を直視するのは、創造したよりずっと至難の技だな……!


 ハルカはその笑顔のまま、周囲を窺い見た。


「みんなは? 食べ終わった?」

「大丈夫そうだぞー」

「じゃ、行こう! 早くねー」


 ハルカは、凄いね。俺をちゃんとスイトとして扱いつつ、いつもならスイトがやるような役割を、自分から進んでやろうとしている。


 俺の役割は、スイトが帰ってくるまで、スイトとしてこの場にいること。

 なら、それをきちんと、最後までやり通さないと。


 俺はスイトみたいに演技が達者ではない。けど、俺もスイトも根元は同じ。だから、ちょっと口調を変えれば、誰にも気付かれないはずだ。


 ハルカやナユタみたいな化け物は、例外として。


「行くか」


 にぃ、と気だるそうに笑って見せれば、全員がいつものように反応する。


 マキナであればニヤリと笑い返し、マキアであれば小さく手を振る。

 ルディはフィオルの手を取り、こちらに微笑み返す。


 「スイト」に向けられた表情に、俺は満足した。


 俺は足取り軽く、宿の外へと向かう。

 目指すは、例の結界だ!


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