72 常闇を前にして


 ― ??? ―



 眼前で、青年が苦しんでいる。

 それに手を出す事を、妾は許されていない。


 手を伸ばし、伸ばし続けて、払いのけられる。

 彼に、狼のような獰猛な瞳で、睨みつけられて。

 転げまわった彼の傷が、その血が、誰も彼もを拒絶する。


 ああ、やはりそうなのだと、諦めた。


 目が熱い。

 喉が渇く。

 手が痛い。

 牙が疼く。



 ……ああ、いっそ。



 ―― いっそ、吸い殺してやれたなら。





 ― スイト ―



「見えてきたなー」

「ああ。案外早かった。マキナ騒動の時、随分先に進んだし」

「ご、ごめんだぞー」


 マキナは申し訳無さそうに肩を落とす。

 珍しくしょんぼりしているマキナを、珍しく影の濃いマキアが撫でている光景は、何やらほっこりした。だがまぁ、ここからはそうも言っていられないだろうが。


 太陽が昇りきった正午。ドーム状の『常闇の結界』を見つけて、1日。

 常闇の結界は大きすぎて、近付いている気がしなかった。遠近感の狂うそれを見つけて、1日経ってしまったのだ。そうしてようやく、結界の出入口までやってくる事が出来たのである。


 吸血族の騒動がきっかけで、結界の出入りは制限されていた。

 出てきた門番達はビード達の前で槍を交差させ、馬車の歩みを止める。それから御者であるルディを睨み付け、言葉ではなく視線で用件を尋ねてきた。


「ごきげんよう、門番殿。魔王、フィオル様をお連れしたのですが、通していただきたい」


 そんな殺気立つ門番達に、ルディは好意的な態度をとる。場慣れしている感を出し、それでいて簡潔に、用件を伝えていった。


「……確認しても?」

「陛下、よろしいですか?」

「ええ。何をすればよろしいのかしら」


 馬車の後尾からふわりと降りたフィオルは、正装を纏っている。

 漆黒に赤の差し色が使われた、あのドレスだ。


 正装のドレスは、何着も異空間に収納され、いざという時に魔法で一瞬にして着替える事が可能らしい。俺も替えの服があればやろうかな。

 青っぽく浅黒い肌をした門番2人が、怪訝な表情でフィオルを観察し始めた。


「……ステータスを」

「どうぞ」


 本来、自身のステータスを見せるのはとても親しい者のみだ。それを見せろというのは、よほど信用されていない者への差別発言である。

 現状仕方無い面はあるが、相手はあの魔王だ。身分差を言ってしまうと不敬罪を適用させるほどの物言いなのだが、ここで揉めても後の行動に差し支えるだけ。


 というか、戦うだけ無駄な時間が過ぎるので、成り行きに任せるしかない。


 フィオルに戸惑いは無い。躊躇いも無い。

 堂々とした物言いと、工作不可能なステータス表示。


 これが決め手になったのか、門番達はビシッと敬礼を決めた。


「失礼いたしました! 我等は魔王陛下のご来訪を、心より歓迎申し上げます!」


 元々青かった顔を、更に青くしながら、兵士達は姿勢を正す。まぁ、魔王相手に不敬罪クラスの対応をしたわけだしな。

 そんな彼等に、フィオルは笑いかけた。


「ふふ、ありがとう」

「状況が状況ですので、大したもてなしは出来ない事をご承知願いたく」

「ええ。大丈夫よ。お仕事ご苦労様」


 フィオルは最後にもう一度天使の微笑を浮かべた。


 ちなみに、シャンテ達は物理的に実力を見せ付けて、むりやり通ったらしい。


 ……手っ取り早いとは思うけどさぁ。

 もう少し穏便に出来なかったのかね? おかげで後から通る俺達は、ここまで警戒されたのだから。


「じゃ、行くか」

「ええ。ルディ、お願いね」

「承知いたしました」


 再びフィオルを乗せて、馬車は結界内へと入っていく。

 昼だった外の景色は、結界へ入ると同時に暗くなった。


 予想はしていたが、急な変化にハルカさんやマキナも、馬車から顔を出す。


「わぁ!」


 煌く星、輝く満月、不規則に揺らめくオーロラ。

 人間のいない、極寒の地でしか見られないような光景が、そこに広がっていた。


 満月は大きく、青白い光で地面を照らしている。おかげで道がよく見え、近くに街があるのも分かった。地上では青白い光が蛍のように舞っており、それが時折、俺達の肌を小さく照らした。


「綺麗、だぞー」


 マキナの瞳がキラキラと輝きを帯びる。まるで、新しい実験材料を見つけた時のような様子に、背筋がぞくぞくとした悪寒を覚える。

 この顔があの、毛を伸ばす薬を作る時と同じ顔である。


「何か、夜に見たら綺麗なものを、寄せ集めたみたいな空だねぇ」

「夜の美しさを集めたのが、常闇の結界ですから」

「え、そうなの?」

「初めは、ただの暗闇だったそうですけど」


 ルディが説明を続ける。

 太陽の苦手な者達が作り出した、常闇の結界。最初は太陽から逃れるためだけに作ったのだから、こんな月やオーロラも無かったという。


 しかし、太陽は苦手だが暗闇に慣れていない種族が増え、いつしか光を求めるようになったとか。


「太陽光を集めて光るものだと本末転倒。だからといって太陽が無いところで育つ草木は、当時はほぼ存在しなかったようです」

「だから、危険な外に出て薪を拾い集めることが主流だった。しかしいつしか更に安全性を考えて、結界内に害の無い光を生み出す事となった?」

「スイト様の仰るとおりです! 月、星、あるいは虫の光をも取り入れて、この結界内の『光』や『自然』は、独自の進化を遂げていきました」


 外に比べ、鮮やかさの無い草木。それらは噛むと、意外にも瑞々しく、しゃきしゃきとした食感なのだとか。それ以外にも見た目を裏切る効能を持つ物がたくさんあるらしい。


 万能薬とされる薬草、光を溜め込む虫、常に燃え盛る炎など。

 月の光や魔力で育つ植物が、この地で多く育っているのだ。


 中には年中夜であるこの結界内でないと育たない、とても希少な薬草や動物がいるという。

 何それ、見てみたい。


「お気持ちはお察ししますけど、乗り出すのはやめてください、スイト様」


 おっと、ルディに叱られてしまった。


 気が付くと外へ出ていた身体を引っ込めて、俺は大人しく座る事にする。そわそわと、落ち着かない手を握りこんで、外を眺め見た。

 ゆっくり出来る時間が出来たら、もう一度来て見たいものだ。


 ま、相当後になるだろうが。


「さて、スイト君の気を逸らすためにも、話題を出そうか」


 手を叩いたハルカさんへ、みんなの目線が集まる。しかし彼女が俺の名前を出した事で、俺にも視線が集まった。つい、手を覆い隠してしまう。

 俺はハルカさんを軽く睨み付けた。


「落ち着かない事は否定しないが、いらん気は遣うなよ?」

「必要経費だから大丈夫。ねぇミリーちゃん。……常闇の結界内から逃げ出した、吸血族の人。まだ、いるよね?」

「んっ」


 ミリーは僅かに頬を紅潮させて、ブイサインを見せた。


 え、ちょっと待って。

 本当、ちょっと待って。


「え、いるの?」

「ん、いる」

「吸血族が?」

「ん、吸血族が」

「……どこに?」

「私の、収納空間内に?」


 疑問系で締めくくり、彼女はこてん、と首をかしげた。

 その後、俺は揺れる馬車の中で同じ質問を何度か繰り返し……。ミリーにしつこいと怒られるまで、それは続いた。


 え、だって、そうだろ?

 吸血族が、クロヴェイツに現れた事までは知っている。それをミリーが何とかした事も。

 だが、それ以降の情報は全く無い。不気味なほど、全く無い。


 何で疑問に思わなかったんだ俺ぇえ?!


「出す?」

「今ここでって意味なら、却下」

「ん」


 ミリーの聞きわけがよくて助かった。不穏な光を放つ穴が空中に浮かんだ時は、もうダメかと思ったが、ミリーは大人しく閉じてくれた。

 キュゥン、と音を立てて、空間が消滅する。


「ただ」

「うん?」


 無表情のまま、雰囲気だけを暗く、重くするミリー。心なしか眼光が鋭くなり、変わらず無表情だというのに、睨まれているかのような錯覚に陥った。

 そして、彼女は一呼吸置いてから、言い放つ。


「―― もう、限界」


 やけに真剣な表情で。

 やけに真剣そうな声音で。


 いつもと違った様子に、何が、と問い返そうとした時。


 バキン、と、ガラスが割れるような音が、響く。

 途端。



 ―― 空に亀裂が入り、女性らしき腕が現れた。



「……は?!」


 空間の亀裂から姿を現した腕は、じたばたと暴れ、やがて腕から先も露出し始める。

 おい、おいおいおい!


 魔力量がヤバイ事になっているんだが?!


「まずい……っ! ミリー、外に!」

「んっ」


 ひとまず、あれが何かは分からないながら、完全に出てしまう前に、俺とミリーは空間の裂け目ごと外へ出る。馬車にはハルカさんに結界を張ってもらったので、大丈夫だと信じたい。


 それにしても、吸血族、なのか? これが?!

 予想していたよりも、随分危険そうだ。


 腕だけでも、真っ黒なオーラが誰の目にも明らかに見えていた。邪悪な闇属性の魔力が、可視化するほど密度が高いのである。

 普通の魔力は目に見えない。この事から考えて、ミリーが閉じ込めていた吸血族は、相当な魔力を持っている事になる。


 魔法を使える程度の知能はあるのだろうか。そうだったら、俺達の手に負えないだろう。猪突猛進の黒イノシシより、ハルカに危険な存在だ。

 【グレイミー】のせいで、自我が奪われているとかはあるだろうか……。


「にしても、何で空間が割れて……」


 ミリーの強さは、俺が身をもって体験した。だから、ミリーが作った異空間とか結界とか、破られるとは思えない。


 思えない、が、今こうして破られているのだ。

 そんなに強いのかよ?!


「ん、単純に、私が結界魔法、不得意だから」


 そんな俺の心の声が聞こえたかのように、ミリーはしゅんとしながら呟く。


「あと、心の声、じゃなくて、声、出てた」

「……マジデスカ」


 戦闘力はあるが守りは気にしないタイプなのか、この子。

 いやまぁ、見た目からして防御力は度外視するタイプに見えるけども。むしろ攻撃力があるかも見た目では図り知れないけれども。


 それと、また声が漏れていたらしい。クセなのだろうか? 演劇とかでは、よく心の声まで観客に聞かせなきゃならないけど、それがクセになっているのか?

 現実だと、恥ずかしいヤツじゃないか!


「ん、来る」


 無慈悲なまでに、ことは進んでいく。


 ばきり、ばきん。


 空間が割れ、顔が出る。次に胴体、そして脚。

 完全に出切った途端、それはどちゃり、と音を立てて落ちた。


 地面は特にぬかるんではいない。しかし水っぽい音を立てて落ちたそれは、何かの液体にまみれていた。その液体の正体は、嫌でもわかる。

 目を瞑っていても、このむせ返るようなにおいで……分かってしまうだろう。


「血、か」

「ん。それも、多分、自分の。それより、スイト」

「なん……あ」


 落ちた吸血族の少女……でいいのかな。少女の目が、ギラリと光った。

 反射的に身体を横にスライドさせると、後ろで爆発音が響き、爆風と熱に襲われる。見れば、美しい魔草の群生地の一部が、焼けてへこんでいた。


「あぶなっ!」

「スイト、スイト」

「いや、この状態で話しかけてくるか、普通!」


 とっとっと、と、軽い調子で歩み寄ってくるミリーに、俺は溜め息しか出ない。

 ミリーなら何かあっても大丈夫だろう。そう考えているからなのだろうが、怒る気にはなれなかった。


 ただ、こちらとしては、今は話しかけないでほしいのだが。


「スイト、あれ、食べた?」

「は? 何だあれって」

「むぅ……」


 ミリーは口を尖らせて、俺を睨み付けた。

 怒っているらしい。ただ正直かわいらしいので、迫力は皆無だ。


「あー……あっ、あの禍々しい飴玉か?」

「んっ」


 当たったらしい。だが、俺の反応からそれを食べていない事を悟ったらしい。俺が当てた一瞬のみ、瞳を輝かせ、ふっとその目から光が消え失せる。

 というか、あの飴玉をもらう時何か言われたな。


 たしか、吸血族がどうのって。

 ……吸血族?



『―― 吸血族のところに行く時に、食べて』



 脳裏に、ミリーの声が響く。

 ああ、そういえば。セルク誘拐事件の解決祝いの夜、厨房で料理だかお菓子高を作っている時に……言われた。


 飴玉が何の役に立つというのか。

 だがミリーの言う事だから、そうなのだろう。


 そう、思っていたはずなのに。


 あれが何なのか、俺は知らない。けど、ミリーが言った事なのだ。守るべきである。

 赤黒く、妙に禍々しいオーラを放つそれを、俺は――


「スイト!」

「……っ」


 ……まずい。

 突如として思い出した記憶に、油断が生まれた。


 気が付くと―― それはもう、俺の目と鼻の先まで、来ていた。


 むせ返る血のにおい。

 息が出来なくなる。

 首が折れそうなほど強く握り締められ、背中に衝撃が走った。


 見ると、大量の土埃と共に、何本もの木が倒れている。俺はその内の一本に、打ち付けられてしまったらしい。折れた木が何本も重ねられ、俺の後ろで絡み合っていた。

 ハルカさんほどではないが、結界を張っておいたのだ。……衝撃だけですでに結界は破壊されたし、胃が飛び出そうなくらいにダメージを負っているけども。


 いや、それは、今はいい。


 目の前に、暗くてよく見えないが、吸血族の女性がいた。よく見れば俺と同じくらいの背丈で、黒い髪と猫っぽい耳を持つ女の子だ。

 しかし、そのその表情は、かわいらしい女の子のものではない。


 見開かれた目の、縦に瞳孔の伸びる瞳が、真っ赤に光っている。

 異常に発達した犬歯が、薄く発光している。

 彼女から発せられる唸り声が、威嚇する狼のものと間違えるような獰猛さを帯びている。


 焦点の合わない瞳が、俺を睨み付けた。


 ぐっ、息が出来ないのと、さっきの衝撃で、結界が張れない……。


 感覚だけで言えば、ここは馬車から遠く離れた場所らしい。

 増援は、期待できそうに、無い。


「……っ、かは、ぁ……っ」


 首を掴まれるの、これで何度目だろう。ラセファンといいこの子といい、敵の首を掴むのがブームなのかね? いや、そんな冗談を言っている場合ではないけれども。


 う、まずい。視界がぼやけてきた。

 多分、酸素不足とかだと思う。


「……っ!」


 手が、動かない。

 足も、それ以外も。


 目の前の少女が、唸りながら俺に顔を近づけている。

 何をするつもり……って、ああ、そうか。そうだよな。


 吸血族なのだ。狂人化されて本能のままに動けば、そりゃ、こうなる。


 つぷっ。

 耳の傍で、皮膚を破る音が聞こえる。


 不思議な事に、痛みは無い。


 じゅる、じゅくっ。血が吸われる音と共に、体温が奪われる。足や手の先から、凍ったように冷たくなっていく。


 やがて感覚が無くなり、身体の芯から温度という概念が消えた。

 声はおろか、身体さえマトモに動かない。

 視界純白に覆われる。


 やがて、近くで聞こえているはずの吸血音が消え、視界も白から黒へと成り代わる。

 音も、色も、感覚さえも無くなって。


 ぼんやりと、それでいて確実に迫っている『死』の足音だけが、響いた気がした。




 目の前に、ふわりと誰かが舞い降りる……ように、見えた。


 誰、だろうか。


 しっているきが、する。


 おれ、は。


 この ひとを


 ……



 …………




 ………………





「―― 生死の境に来るには、まだ、早いよ?」





 ……子供の声が、聞こえた気がした。


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