閑話04 特別依頼・魔王を連れ出して!
これは、スイトがクロヴェイツ来訪について、フィオルに詳細を報告しようとした時の話である。
スイトは何気無く、城の王族執務室へ向かっていた。
魔族領の統治者、いわゆる魔王であるフィオルは、大抵4箇所にしかいないのだ。
1つ、執務室。
2つ、王座の間。
3つ、第一庭園。
4つ、王族居住区にある自室。
例外として、スイト達が集まっていると「面白そう」と近付いてくる。だが、それ以外は本当に、この4箇所だけにしかいない。
もちろん移動している途中という事は多々ある。だがしかし、彼女はお忍びや視察という名目の下、外に出た事が無いのだ。
城下町でさえ、彼女はちゃんと見た事は無い。
貴族の子供でさえ、平民に変装してお忍びを満喫しているというのに、だ。
魔王本人であるという事から、1日のほぼ全てを執務室で過ごしているのである。
スイト達との会話は、良い息抜きになっている事だろう。
いつもは彼女の方から自然と現れていたのだが、スイトはその日、1人で執務室へと向かっていた。
そういえば、フィオルの魔王としての働きっぷりを見ていないなぁ。
そんな安易な考えで、護衛の岸も立っていない執務室の扉を、静かに開けたのだ。
がっ。
「うおぉおおお?!」
扉の向こうで待ち受けていたのは、嗅ぎ慣れない羊皮紙とインクのニオイ。そして、信じられないほどの圧力であった。
大量の紙、紙、紙、インク壷、紙、インク壷、紙、紙……と、それはもう大量の紙が、大仰な扉の向こう側から溢れてきたのである。
何事かと身を起こそうとしても、持ち上がらないほど大量の紙。一枚は軽く、脆くとも、数百枚が重なっているのだ。スコップが使えない分、ある意味で雪崩や土砂崩れより性質の悪い大災害だ。
もっとも、幸いと言えるのは、ここが魔法の存在する世界という事だろうか。
「―― 風、と、水……ッ!」
押しつぶされそうになりながら、思考力が低下しながらも、スイトは精霊に命令する。
いわく、風を起こして紙をどかし、インク臭くなったから綺麗にしてくれ、であった。
魔法を形作る精霊は、スイトのイメージに沿って動き出す。紙、というか書類をまとめあげ、姿を現したスイトの前に水球を生み出した。
水球は霧散し、すぐにまた水球へと戻る。
透明だった水の中に、黒い渦が出来ている。それは正に、何処かでこぼれてしまったのであろうインク壷1つ分のインクであった。
それらを1つにまとめると、スイトは書類の山から出てきたインク壷に戻す。
それから……。
「おーい、フィオル、いるかー?」
「――……ぃ…………ょ……」
中にフィオルがいることを確認して、盛大な溜め息を吐いた。
見る限り書類、書類、書類。書類だけで出来た瓦礫の山の向こうから、フィオルの声が聞こえたのだ。
スイトは風魔法で書類を崩しつつ整理して、部屋の中へ進み始める。
「あー、きりが無い」
時々愚痴を零しながら、それでもずんずんと突き進み。
ようやく部屋の中へ入り、更に愕然とした。
本棚があるらしい事は、スイトにも分かった。2メートルほどもある本棚が3個ほど積み重なって、それが壁と化している円柱状の部屋だ。しかし、その全てが書類の山に埋もれて見えず、部屋の中央に設置された机の上も書類だらけ。
書類に埋もれるように、フィオルが座っていた。
その手は鬼神の如き速度で動かされ、判子が押されていく。おびただしい数のインク瓶が置かれ、判子用だろう朱肉もストックが置かれている。
空になったインク瓶が近くの箱に捨てられ、放置されていた。
「ああ、スイト様でしたか。申し訳ありません。一段落いたしましたら、すぐにでもご用件をお聞きいたしますね」
「あ、いや。ちょっと待て。……どれくらいで一段落になる?」
「そうですね。お昼には」
「……」
フィオルはいつもどおりの微笑みを、スイトに向けた。しかし滲み出る疲労の色は濃く、あまり眠っていない事が窺える。
お昼ご飯で中断するから、それが一段落という認識になっているらしい。
それはつまり、昼までずっと机に向かっても、一段落にはならないということ。
よく見れば、書類の一部は黄ばんでいた。随分と昔のものも混じっているらしい。
「なぁ、これ、終わるのか?」
「どうでしょう。ここ100年ほどはずっと溜まる一方ですが」
「100?!」
人族ならギリギリ生きているかどうかという長い年月に、スイトは目を見開いた。
当然だ。
ここ100年ほど、書類が増える一方という事は。
この先も増え続ける可能性がある、という事で。
「……ちょっと整理するか」
「よろしいのですか? 御用があったのでは」
「一段落したら、話すよ」
あえて「一段落」の部分を強調し、スイトは書類に向き直った。
まず、人を集める。
そして、内容ごとに分類する。
更に、内容のダブりが無いかを確認する。
そしてフィオルのサインが必要かどうかを審議する。
「以上。掃除は後回し。まずはこの書類の山を切り崩す! いいな!」
「「「おー!!!」」」
集まったメイド、執事の中でも、書類仕事が得意な者を中心に、ルディに集めさせる。そうして始まった大掛かりな書類整理は、1日ほどかかった。
それでも、膨大な量を前に1日で済んだのは、呆れるような事が起こったからだ。
「スイト様、ご報告、よろしいでしょうか」
「どうした、ルディ?」
「実は、5枚ほど重なって、重複した内容の書類が」
「内容の重複したものを、一箇所に集めていたという事か」
「いえ。内容どころか、書かれた日付、筆跡、文章の文字全て。完全に一致する書類が、5枚です」
「……はぁ?」
ルディの報告がきっかけで、とんでもない事が発覚したのだ。
内容の重複、ではなく、全く同じ書類が、5枚、10枚と発見されたのである。
それも、7割ほどの書類にコピーが存在した。
加えて、内容はとてもくだらない。
「トイレを広くして。水が美味しい。ハンバーグが不味い(嘘)辺りは、完全にふざけているな……」
「上司の解雇願い15枚は、おそらく怒りの表れでしょうね。あ、微妙に署名が違っています」
「お城の中に菓子屋を作ってほしい? 貴族からか。焼却処分」
「後でまとめていたしましょう。重要な書類まで燃えたら大変ですよ」
「それもそうか」
こんな感じで、既に見つけた内容のものは新しい一枚以外は全て処分が決まり、どんどんと外へ運び出されていく。
そうして――
「案外、早く終わったな」
「そうですね。こんなに綺麗な部屋だったのですね……」
執務室からは、書類のほとんどが消えていた。
あるのは、机に乗る程度のもの。
1日あれば終わるだろう。
「あら、まぁ」
「いや、あらまぁじゃなくて。内容の重複に気付かなかったのか?」
「似たものがあるなぁ、とは。いちいち確認しておりませんでした……。まぁ、内容の吟味はルーヴォルクに任せていましたし」
ルーヴァイスの養父である、執事長のルーヴォルク。昔は真っ黒だった毛並みが、今では白くなっているおじいさんだ。
フィオルよりも年上である。
「申し訳ありません。わたくしめは選別魔法にて選別しておりましたので、コピーの存在は……」
鼻の下にダンディなヒゲをはやしたルーヴォルクは、非常に申し訳無さそうに腰を折る。
「それにしても、あの山がこうなるとはな。今度からはちゃんと確認しろよ?」
「あうぅ」
「つきましては、書類を選別する部署を開設するのが手っ取り早いかと。後程書類にて奏上いたしますのでお読みください、フィオル様」
「ええ。ルーヴォルク。それから、皆さん、ありがとうございました」
黒インクで汚れた白いワンピースの端を持ち上げ、頭を下げるフィオル。今回手伝ってくれたメイド達へのねぎらいの一言である。
彼等には後で、スイト特製のお菓子を振舞うこととなった。
スイト自身の許可は取ってあるが、事後報告だったと言っておこう。
「それにしても目減りしたな」
「ええ。一部の貴族がやったのでしょう。そちらへの報復は追々、ゆっくりするとして」
机の上で手を動かすフィオルは、非常に焦った様子でスイトを見上げる。
「きょ、今日は、何をいたしましょう?」
今まで聞いた事の無い問いだった。思わず、メイド達の目が怖いほどに見開かれる程度には。見れば書類が既に片付いており、ルーヴォルクがその書類を持ち運び始めている。
今までのペースに比べると、どうやっても一瞬で終わってしまうのだろう。
空いた時間も書類仕事に回していた彼女は、何をすれば良いのか分からない。
趣味をする時間も無かったのだ。
そもそも趣味ってなぁに? 状態である。
「しばらく暇になりそうだな……」
「あう」
「あ、では、まずやってみたい事を考えるのはどうでしょう。それをしないと始まりませんから」
「そ、そうですね、ルディ。その通りです!」
こうして、忙しかった魔王様の休暇が始まる。
1時間後。
「スイト様! わたくしを旅に連れて行ってくださいませ!」
「マジで?!」
かみんぐすーん。
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