70 明日を迎えて
クロヴェイツ王国、東の国境門前。
空はまだ薄く紫に色付き、端の方では夜の色が残っている。
太陽が昇りかけの今日この時、俺達は吸血族の住む結界へと旅立つ事となった。
賢者が来たと知らせていないので、国民総出で送り出す、とは行かないが。王国に滞在している王族や、ナフィカ、フレディといった知り合い達が来ていた。
「短い間でしたが、お世話になりました」
「いいえ。救っていただいた恩に比べれば、全く返せていない事に溜め息が出るほどです」
俺が礼を告げると、お忍び用の簡素な服を纏った女王が返す。
女王として来れば、目立ってしまうこと必至だ。だからこそ豪奢な服は避けたらしい。
用意された馬車はそれほど派手じゃない。むしろ地味だ。これを女王やその他王族が総出で送りだすとなると、女王の顔に泥を塗りかねない。
そういうわけで、女王は町をお忍びで探検すると称し、商人用の服で来ていた。
さすがに、平民服は許可されなかったらしい。
王族みんなも、貴族層向けの商人が着る服を纏っている。
「本当は、勇者様もお送りしたかったのですが」
「そうでしょうね……タツキも、見送りくらいはされたかったかもしれません」
予想はしていたが、タツキは俺達に何も言う事無く、俺が目を覚ますより前に消えてしまった。今頃は、もう勇者一行メンバーと合流しているだろう。
ハルカさんによれば、タツキが急に帰ると言い出した事で、一部揉めたらしい。
情報収集はそれなりの成果をあげており、直接聞かせたいと考える者と、別に書面とかで良いじゃん。と言うグループで軽く喧嘩になったとか。
揉めに揉めての結論が、メンバーの1人を置いていく、というもの。
その1人は、まぁ、あの人だろう。
「……女王陛下。セルクは」
「自室で眠りについているそうですわ。死んだように眠ってしまっているそうです」
やはり、ラセファンに取り付かれたことが原因だろうか。
回復魔法では治せない事は、ハルカさんに確認済みだ。何も出来ないのが悔しいな……。
せめて、すぐ帰って来られると良いのだが。
「ビードで向かうのですか?」
「ええ。ただ、直接乗ってではなく、商人用の馬車を使って」
今回、シャンテ達に俺達のビードを貸しているため、ルディ達のビードしかいない。それでも俺達が乗る馬車を引けるくらいには力が強いから、問題は無い。
あまりスピードが出せないのは難点だ。馬に5人も6人も乗る事は出来ないだろ?
足が2本のビードが乗せられる最高人数は大人2人まで。
それ以上は、馬車に乗せてゆっくり走れば、10人だろうが乗る事が出来るという。
馬車は1台。ビード2匹で引く形となる。木造に布を張った造りで、日光を遮ってくれるだろう。車輪にはゴムに似た伸縮性のある素材が使われ、馬車自体にもバネを使ったサスペンション機能が付いている。これで、道中無駄に揺れる心配は無いわけだ。
魔王城で密かに作らせた物を持って来させた。
荷物は、ルディが全部収納しているので最低限。野宿をするなら女子が馬車の中で、男子が外に張ったテントの中で寝る事になる。
ちなみに、馬車の中にはふかふかのマットレスが敷かれているので、よほど大きく揺れなければサスペンションが無くても尻は痛まないぞ。
「そういえば、テレクが見当たらないな」
ふと思い出した事を、ポツリと呟いてみる。今回、あいつがいたからナフィカやフレディに会えたのだ。今回も付いてくるのかと思って見回したが、いない。
いつもぬるっと現れるのに。
「ああ、たしか、タツキ君に付いていったよ。人族領に戻るなら、一番手っ取り早いからって」
「人族領のど真ん中に転移するからな……そりゃ手っ取り早いわ」
そうだった。あまり覚えていないが、テレクは元々人族領に帰る所を、俺達に付いてくる事にしていたのだった。
情報屋ではないにせよ、情報通ではあったから、少し期待していたのだが……。
「あ、テレク君から伝言があったね」
「何だって?」
何と。テレクは俺達に、何かを伝えたかったようだ。何故俺ではなくハルカさんに伝言を渡したのか分からないが、まぁいい。
ハルカさんは、伝言が書かれているらしいメモを取り出した。
「えっと。……吸血族の城周辺には、幾つか町がある」
「それくらいは分かるけど?」
「まだ続きがあるの。……その町の中でも、永血族という種族が暮らす町に行くと良い。彼等なら、吸血族の現状を逐一把握できるはずだから。―― だって」
「……永血族」
耳慣れない単語だ。字面からして、血に関する種族なのだろうが、それ以上はよく分からないな。
「永血族は、常に一定の血を保つといわれる種族ですね」
俺達の会話に入ってきたのは、フィオルだった。あ、そうか。普通にこっちの者に聞けば分かるよな。
「と、言うと?」
「その昔、吸血族が生み出したとされる、特殊な一族です。一族のルーツには幾つか説がありますが、有力なのは、幾ら吸っても血が枯渇しない家畜を作りたかったとか。吸血族のなりそこないとか、ですね」
「永血族か。たしかに、血が枯渇しない種族なら吸血族の良い餌だな……吸血族の情報を逐一得られるというのも、間違いじゃ無さそうだ」
「常闇の結界は、吸血城をやや中心に展開されています。永血族の町があるのは、吸血族の領域近くですから。吸血城に近くなれば、自然と辿り着きましょう」
「じゃ、とりあえずそこを目指す方向で」
俺がそう言えば、全員が頷く。
「じゃ、そろそろ」
「ちょっといいかい、ボウヤ」
行こうか、と言おうとして、遮られる。
「フレディ?」
「アンタ達には助けられた。かあ……いや、女王サマも無事だしねぇ。感謝しか無いよ」
褐色の頬を搔いて、笑ってみせるフレディ。何かを言いかけたようだが……?
いや、詮索はよそう。彼女も俺も、冒険者、だからな。
「逆にアタシは何も出来なかった。だから、連れて行ってほしい」
「……は?」
きらりと、彼女の瞳が輝いた。
……は? いや、冗談、だよな? フレディが、乗るのか? この馬車に?!
まぁ、席は空いているけども。席とか無いし、空間拡張によりかなり広くなっているけども。え? 乗るの? 唯一の大人枠で?!
フィオルは長生きしているけど、見た目小さいし。ルディは俺より年下だし。
……本当に?
「あっはっは! 冗談だよ! アタシはこの国専門で働く冒険者でね。そこだけは曲げたくないのさ。たとえ恩人のためでもねぇ。その代わりと言っちゃ何だが」
「……私を、連れて行ってほしい」
何だ、冗談か。
そこはかとないショックは横に追いやって、と。
はぁ。
フレディの後ろから、ひょっこりと、ナフィカが顔を出す。
「……スイト、面白い。ハルカ、もっと知りたい。一緒に行く」
「えっ、ナフィカちゃん乗るの? やったー。女の子枠が増えたよー」
「だぞー」
おっと、女子勢は賛成のようだ。
うーん。まぁ、物理攻撃が得意なタツキが抜けたわけだし? ナフィカが一緒に来てくれるならこれほど心強い仲間はいない。
「……常闇の結界。行った事、ある。ちょっとは案内。出来る」
「よろしくお願いします」
地図があるか分からない中で、ちょっとは土地勘があるメンバーはありがたい。俺は頭を下げた。
「あと、もう1人」
「まだいるのか? というか、これ以上誰が……」
「ててーん」
……。
…………。
………………。
陶器を思わせる、白くて滑らかな肌。
肌を際立たせる、漆黒のドレス。
光が浮き出るような艶を持つ銀髪を、後ろで纏めた美少女。
ミュリエル=アンジェッツが、そこにいた。
……。
え。何で、ここに?
って、そういえば。ハルカさんが「いる」と言っていたような。
「――……マジか」
「? あんまり、驚かない。やり直すね」
「いやいやいやいや! 驚きすぎて逆に冷静になっただけだから! いつからそこにいたのかとか、気になる事が大量にあるけども!」
「さっきからいた。上に」
「空に?!」
空中歩行とか、出来る奴だからな。普通に歩いてきたのだろう。
うん、そうに違いない。
「んー……スイト君が現実逃避を始めちゃったけど、良いよね。食料は余分にあるから、良いよ! 乗っちゃって!」
「ん」
「わーい」
……ちょっと待って。
無表情で口調も似ていて、おまけに声が似ていないかこの2人?!
いや、そこは良いのだが。
いやいや、よくないぞ、俺?!
この2人、メチャクチャ強い奴じゃん。ふとした時に名前を呼び間違えたら怖いんだが。
う、聖徳太子ゲーム得意だけど、出来るのか、この2人の聞き分け!
「スイト君、乗るよ」
「……ハイ」
現実逃避をしていた俺を、ハルカさんが笑顔で呼び戻す。
はぁ。なるようになる、か……?
そうして、俺達は順に馬車へ乗り込み始めた。マキア辺りはマキナにおぶさっていたので、少々乗り込むのに時間がかかったようだが。
そもそも早めに出ているので、慌てる事はない。
「よぅし、出発、だね! ……セルク君、大丈夫かな?」
全員が乗り込んだのを確認すると、ハルカさんは元気よく叫んだ。
だが、次に呟いた言葉に、俺は僅かに目線を揺らす。
馬車は後ろがカーテンになっており、開けばすぐ外が見える構造だ。旅用の馬車なので、横に扉が付いているわけでも、窓があるわけでもないのである。
俺は閉じられていたカーテンを、僅かに開けた。
そこには、各々手を振る人達が。
「……出発だ、ルディ!」
「はい。お願いしますね」
「「くぇー!」」
ルディが足元にあるレバーを引くと、馬車に付けられた特殊な鐘が鳴る。馬に比べて首が弱いビードは、進めの時には鐘を鳴らして知らせるのだ。止める時は、軽く手綱を引っ張るが、設計ではその手綱もビードの首を絞めるようになっていない。
馬車との違いが色々分かるな。他にもあるのだろうか?
おっと。
「お気を付けて!」
「風邪引くなよー?」
「またねー!」
見送る人達の声が響いた。
俺達はカーテンから顔を出して、手を振り返す。
そして僅かに街から離れた所で……気付いた。
女王達に気付かれないよう、静かに、国境門に人が集まっていたのだ。
「見ている人は、見ているって事だね」
「……ああ」
胸の辺りが、温かくなった。
……。
結局、セルクに挨拶できなかったな。
まぁ? 数週間後には会える、と思うし。大丈夫だろう。
……書置きくらいは、した方が良かったかもしれない。
「――……師匠!」
「っ!」
耳に馴染む声が、後ろから聞こえてきた。
見ると、ルディが慌てており、俺は急いで御者席へと向かう。
外には、ふわふわと浮かぶ―― セルクが、いた。
「ちょ、セルク?!」
「黙って行くなんて酷いですよ、師匠! まぁ、随分深く眠っていた僕が言うのも、あれですけど」
寝巻き姿のまま出てきたらしい。セルクは少し肌寒そうにしながら、頬を膨らませた。
この時期、朝の外は肌寒い。白い息が出るほどではないにせよ、屋内で着るような服ではすぐ風邪を引いてしまうだろう。
小さな身体を滑り込ませ、セルクが俺に抱きついた。
どのくらい外にいたのだろう。小さな手は冷えてしまっていた。
「付いていかない事には、納得しました。けど、何も言わずに去るのはどうかと思います!」
「あ、あー。そうだな」
思わず視線を逸らす。
俺も書置きくらいは残した法が良いかも、ってさっき思ったくらいだからな。無言で去るのは善悪でいうところの悪である。
「というか、僅かな間とはいえ離れるのですから、お守りくらい渡させてください!」
「お守り?」
「はい!」
某ドレッシング風味の効果音と共に、セルクはそれを取り出した。セルクの瞳と同じ色合いの、袋状になった赤いガラス細工だ。
俺はそれを受け取り、まじまじと見つめた。
中身が透けて見え、そこに羽を模した銀色の金細工が入っている。
布ではないので感触は硬いが、白く濁りのあるガラスのリボンに彩られたそれはとても美しい。
「クロヴェイツ王国は、特殊な銀が採れる国なのです。それを使って、夜更かししてまで作ったのです。そのせいで寝坊してしまったので、後悔しきりです」
拗ねながらそう告げる彼は、顔を真っ赤にしていた。
……クロヴェイツ魔銀。ああ、たしかに、その道では有名だ。加工がしやすく、通常の銀より硬度が高いため、装飾品に用いられる事の多い金属である。
魔法を使えば、子供でもその加工は簡単だ。呪文による魔法ならともかく、イメージ法の魔法なら、形だって、色だって。
魔法ガラスも、原石からの加工はしやすい鉱石。
どちらも硬く、特に戦闘職へのお守りには最適なのだ。
……セルク……。
「ありがとう、セルク」
「はい。あ、それより! 師匠、無理は、しちゃダメですからね? あ、僕のポーションも幾つか持っていってください。事件の後、20本ほどしか作れませんでしたが」
「約3時間で20本は多い方だからな?」
ポーション作りって、もっと時間のかかる奴じゃなかったかな……。
うちのマキナは、変り種のポーションを作っている。そのマキナでも、一種類のポーションを、一日かけて10本作るのがやっとだ。
たとえ同じ効能のものを大量に作るといっても、魔法薬、特に飲み薬は、作る過程でどうしても鍋に入れた材料をかき混ぜる必要がある。それも、ずっと。
火にかけているため、傍を離れられないのだ。
その材料が、最初、上手く混ざらないのである。
草と聖水が主な材料だが、薬草の多いこと多いこと。
もさもさするため、非常にかき混ぜ難い。本当、かき混ぜ難い。
それを3時間煮詰めて、ようやくかき混ぜやすいどろどろの液体になるはず。
その、はずなのだが?
「えっと、そうです。その秘密を教えてもらいたかったら、すぐに帰ってきてくださいね!」
「! ああ、それもそうだ。……すぐに帰ってくるし、今聞かなくても、大丈夫だよな」
「はい! 学園で。待っていますから」
「ああ」
俺は、セルクからもらったお守りを懐にしまいこむと、セルクの頭を撫でてやる。城のお風呂にでも入ったのだろうか。髪がいつも以上にツヤツヤで、撫で心地が良い。
しばらく撫でられないのは、少し残念だ。
「さて、そろそろ戻らないと気付かれるぞ」
「お母様達は気付いているように思いますが。そうですね。……では」
セルクは俺から1歩離れると、ふっ、と。アッサリ消えてしまう。
魔法を使う時に出るはずの魔力光も最低限に、目の前から消えてしまっていた。
ただ、最後に、一言だけ。
「―― どうかご無事で」
その呟きは、この場にいる全員が聞いていた。
俺だけに向けられた言葉ではないのだろう。
だがその声は間違い無く、俺の心に、最も強く響いていた。
……。よし。
「……ツルに、連絡するか」
「え、まだしていなかったの? 僕じゃなくても、それ、不味いって思うけど」
珍しく、マキアが反応する。ああ、うん。俺もさ、早めに連絡しようとは思ったぞ? こことは時間がずれているから、夜の早い内にかけようと思ったからな、一応。
俺は、微妙に目を逸らし始めたハルカさんに、優しげな笑みを向けた。
「昨日、何故か無性に眠くなってさ。……どういう事だろうな? ハルカさん」
「凄く疲れていたみたいだね。大丈夫? スイト君」
「ああ。おかげでぐっすり眠れたわけだが、そのせいでツルへ連絡するという俺の目的が、今の今まで果たせなかったわけだ。なぁ、どう思う、ハルカさん」
「ん? えっと、ナンノコトー?」
「俺ってさ、魔法が発動される兆候とか、普通に見えちゃうわけだが。知っているよな? なー、ハルカさん? というか、どう思うか聞いた事に対する返答じゃないよな、それ」
「……えぇっとぉー……」
俺から最大限離れた位置まで下がったハルカさんが、まるで油を差していないブリキ人形のように、顔をこちらへ向ける。
ハルカさんの顔は、やや引き攣っていた。
「――……えへ☆」
かわいらしいウィンクの後に、朝焼けが移る野原には絶叫が響いたのだった。
……何が起こったのかは、ご想像にお任せするよしよう。
一方―― 魔王城にて。
クロヴェイツから離れたこちらは、昼になる少し前の時間帯である。
ちょうど小腹の空く時間帯だ。
魔法学校は創立記念で休校日。穏やかな空気に満たされた中庭は、お昼寝にちょうどいい場所となっていた。もっとも、城内はこれから来るであろうクロヴェイツからの献上品を受け入れる準備で、一部騒然となっているが。
中庭の日傘付きのベンチに腰掛けたツルは、スマホ片手に楽しそうに足をぷらぷらさせていた。兄であるスイトからの電話に、思わず心が弾んでしまうのだ。
知らない内に口元が緩んでいる。
「―― うん、分かった! 予定通り帰ってこなかったら、お説教だからね!」
『分かってる。お手柔らかに、な』
「あー、約束破る気でしょー」
『そんな事無いって。上手く行けば、予定より早く帰れる……待っていてくれ』
「うん! ちゃんと待っていてあげるから、無事に帰ってこないとオ、シ、オ、キだからね?」
『ちょ、どこでそんな言葉遣いを――』
スマホに表示された赤いマークをタップ、スライドして、電話を切る。
久々に聞いた兄の声に、ツルは満面の笑みを浮かべた。
ご満悦なツルを見て、ハルカの弟達であるナツヤとアキヤも、問題は起きていないと判断したのだろう。近くで遊んでいたビードの上でリラックスしていた。
実は国を揺るがす大騒動が起きていたなど、知る由も無いだろう。
「おう、ツル。どうだって?」
明るく和やかな雰囲気に混ざってきたのは、サトリ。今日も角が綺麗に磨かれている。
髪は相変わらずボサボサだが……。
「お兄ちゃん達、元気みたいです」
「そいつぁ良かったな。何か変わった事とか、あったか?」
「変わった事……あっ。タツキさんが、一度人族領に帰るとか」
「ふぅん。いつ帰るって?」
「お兄ちゃんは、もう出て行ったって言っていましたけど」
「……何だって?」
サトリは目を見開いた。
そして、ツルが怯えて驚いた事に気付きもせず、無意識に覇気を放つ。
「―― あんっの野郎!」
ドゴン!
芝生の地面が、サトリを中心に凹む。
「さ、サトリ兄ちゃん?」
ナツヤは、怯えながらもサトリに語りかける。
何が起こったのか、と。疑問符を投げかけて、しかし、その答えは返って来ない。
ただ、サトリは異様に怒っていて、しかし妙に冷静だという事が分かるのみだ。
目に見えて怒っていることが、そのオーラで分かる。
対してその瞳は、いつもよりずっと鋭く、輝いていた。
「……ツル」
「は、はぃ」
「俺は、スイト達の元へ向かう。……一緒に来るか」
「……!」
「「え」」
予想外の台詞に、ツルは一瞬固まってしまった。
ナツヤとアキヤも、声と表情を揃えて驚くのみである。
だが、異常事態である事は火を見るより明らかで、何より、大好きなお兄ちゃん。スイトの元へ行けるというのだ。断る理由が無かった。
「……ルーヴェウス!」
「はぁ。聞いていましたけど、本気ですか? 陛下がいらっしゃらない今、転移魔法陣は使えませんよ」
ツルが叫ぶと、ルーヴェウスが中庭のどこからか現れた。
彼は酷く面倒くさそうに頭を搔くと、今サトリが言った事に対する難点を指摘する。
スイト達が冒険者ギルドの転移魔法陣を使えたのは、魔王の力によるところが大きい。それも事前に許可をギルドに申請した上での使用だったので、許可など下りるはずが無い。
そして、あのスイトやハルカが、ツル達を危険な場所へ連れて行きたいと思うわけが無い。
今現在スイト達と共に行動している魔王に事が知られれば、少なくともツル達は数週間、家族と会えないままになるだろう。その家族にしこたま怒られた上で、留守番を言い渡されてしまう。
ナツヤ達に限れば、もしかすると勇者一行である兄と再々会を果たせなくなるかもしれなかった。
そんな諸々の事情を鑑みて、サトリは言い放つ。
「走って行く」
「「「マジか」」」
黒い狼の耳がうなだれたルーヴェウスと、ナツヤ、アキヤの声が重なった。
森の中とはいえ、全速力のビードと互角の走りを見せたサトリだ。
走って行っても、すぐ目的地へ着くだろう。
さすがに何回か野宿などをするだろうが……不可能では、無い。
それを理解しているからこそ、何ともいえない微妙な表情になってしまうのは仕方の無い事だった。
「行く! つれてって!」
「ツル?! う、うぅ。俺も行くー!」
「ナツヤまで?! じゃ、じゃあ、僕も」
「置いていかれるのは寂しいので、僕も行きますね~」
どこからか、アキツグ君が現れて、既にビードにまたがっていた。
「準備、はやっ」
ルーヴェウスはそう呟くが、否定の色は無い。
彼等を諭す言葉が、見つからないためだった。
単純に面倒くさがったと言うのもある。
「……せめて馬車を用意させてください。スイト様監修の、試作品の幌馬車ならあったはずなんで」
「お兄ちゃんの? やった! あれ、揺れなさそうだよね」
「あー、あのふかふかの奴か。……強度が良いなら、大丈夫だろ。うん」
「ナツヤ、もうちょっと、止めようよ。ね? ねっ? うぅ、転校一ヶ月経つ前に不登校とか、やだー」
「なら1人で残るか?」
「そっちの方がやだー!」
彼等を止めようとする者は、いなかった。
むしろ、待機組のナクラとイユも、便乗してきたほどだ。
ナクラは、イユに服を新調してもらっていた。
シスコンがすっかりなりを潜めた彼の表情は、以前と打って変わって理知的である。
彼は、黒い瞳を空へと向ける。
ナクラが身に纏うのは、群青色の軍服をアレンジしたようなコスチューム。スイトの着ている、コートにも似たシルエットの服だ。
アキヤが結界を張り、空気抵抗が限り無くゼロになった馬車の中。
ナクラは、これまた新しく用意した大剣を眺める。
「……次にまた、会えたなら」
呟きは虚空をさまよい、ナクラ自身にしか届かない。
彼が本当に伝えたい相手に、その声が届くまで。
「待っていろよ」
瞳を一瞬だけ煌かせて、ナクラは遠くを見つめた。
彼が何をしようとしているのか……それを知るのは、本人と――
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