吸血姫の愛する咎人 編

71 旅の一幕


 魔王城が慌しい事など露知らず。


 俺達賢者の一行は、そこそこの速さで常闇の結界へと向かっていた。

 馬車に結界を張って、空気抵抗を減らしての全力疾走……も、考えたが、やめた。


 とても早いのだろうが、道中戦闘訓練を行わなければならないのだ。主に、マキナとマキアのために。


 マキアはその戦力が全くの未知数。

 マキナは体力の底が浅い事はわかるが、実際に戦っている場面を見た事が無いのでこれまた未知数。


 ミリーは……多分、殺しても死なない程度には強いだろう。むしろ返り討ちになって襲撃者側が死ぬ未来しか見えないほどには、強いだろう。


 適当な場所で馬車を止めてもらい、マキナ達の実力を測ろうと思う。

 そして、降りた地点で、モンスター用の餌をまく。


 おぞましいほどの血のにおいを発する、見た目ドッグフードだ。これを粉状にし、風に乗せて振りまくとあら不思議。

 次から次へとモンスターが集まってくるのである。


 効果が絶大なので、水に薄めた物をスプレーにして持ち歩くのが基本である。そして、そのスプレーを、少量地面に吹き付けるのが常識である。


 そう。

 基本で、常識なのだ。


 まぁ? 基本や常識と言っても、教わらなければ身につかない。

 とはいえ。


 とはいえ、だ。


「こうなる事を何で予想しなかったんだマキナぁああぁああぁ?!」

「ごめんだぞー! 今回ばかりは本当、ごめんだぞー?!」


 あろう事か、強烈なにおいを発する物質を、そのまま地面にまいた挙句。

 それを水で薄めた物を使うのだと聞けば、スプレーを自分に、大量に噴きかける始末!


 結果。


 狼やら鶏やら、中にはかのイノシシを髣髴とさせる姿のモンスターまで。

 種族の垣根を越えて、みんなが協力して……マキナを狙っていた。


 地鳴りが凄い。走っている足が覚束ないと錯覚する。

 多分ヌーの群れとかが来たら、こんな感じなのだろう。


 今日は風が強かったらしい。のどかだった野原が、モンスターで埋め尽くされていた。その全てが、マキナ一人を狙っているのだ。


 俺? マキナを運ぶ係です。

 こいつが20分耐久マラソンで、いつリタイアしたと思う?


 1分もしない内に保健室に運ばれたわ。

 誰かが運んでやらなければ、死ぬ。マジで死ぬ。

 そして、マキナに触れてにおいの移った俺も、死ぬ。


「あぅ、爆薬の補充が間に合わないぞー!」

「焼け石に水だからやめとけ! 少数を倒してもその数十倍の軍勢が相手だぞ?!」


 〝薬品がかかったモンスターを〟爆弾にする。

 などというえげつない仕様の爆薬を、マキナが持っていた。最初はそれを使っていたのだが、偶然出来てしまった失敗作のため、すぐ品切れになった。


 いやまぁ。処分に困っていたらしいから、それは良い。

 問題は、解決策が見出せない事だ。


 においはすぐ消えるものではない。元々はモンスターから気を逸らす目的でも作られたためか、1日ほど効果が持続する仕様なのだ。


 これまで、自分に噴きかけるような奴がいなかった。女の子から強烈な鉄臭いにおいがするなんて、いらぬ誤解を招くような事を、誰もしなかったのだ。

 好奇心の塊であるマキナといえども、今回ばかりは注意をよく聞く事を覚えたらしい。


 覚えるなら、こんな事態になる前に覚えてほしかった……!


「スイト、はい、あーん、だぞー」

「ああ!」


 マキナが差し出して来たのは、セルク謹製の体力回復ポーション。

 お、何か飲みやすいな、これ。美味しい。


「えっと、あと何か使えるポーションは……うわっぷ!」

「おい、どうし……ぎゃー?!」


 身体強化を使った俺は、凄まじい速さで移動していた。

 当然、風圧も凄まじいわけで……。


 ポーション液を閉じ込めていた試験管の蓋が、風で飛ばされる。

 中身が、俺達に振りかかる。


 途端、頭皮がむず痒くなった?!


「何のポーションだよ?!」

「か、髪が伸びるポーションだぞー……。あ、これをあっちにまけば……」

「その前に俺の髪を切れ! モンスターに掴まれたら終わりだぞ!」

「お、おぅ。そうだったなー。よいしょ」


 大量に浴びた髪を伸ばすポーションのせいで、後ろ髪が、引かれた。文字通り。

 ……。


 マキナがばら撒いたそのポーションが、モンスターの毛を伸ばす。急激に伸びた毛は、長ければ10メートルを超え、周囲のモンスターの足に絡み付いていく。

 やがてモンスターは数を減らしていったが。


 結界でにおいを遮断した後に、におい消しの魔法を使う……。そんな簡単な解決方法を思いついたのは、モンスターから一旦逃げ切った後。ハルカさん達と合流した後だった。




「わ、わ。やっぱり、髪綺麗だよ、スイト君」

「頼むから早く切ってくれ」

「うぅー、もったいないなぁー」


 伸びた髪を乱暴に切ったため、鬱陶しくなっている。謎の悲壮感を漂わせるハルカさんに散髪をお願いして、かれこれ30分。ずっともったいないと言われていた。


 いや、左右不揃いな髪なんて、格好が付かないだろ。せめて人間っぽい髪型にしてくれ。


「ハルカっちぃー。イユから伝言だぞー。スイトの髪が手に入ったら、採っておいてほしいそうだぞー」

「え? あっ、分かった! カツラ用だね! じゃあ、ここの辺りをざっくり切っちゃって……あーもったいないぃ……」

「まだ言うか」


 においを完全に消し去って、しばらく経った。

 マキナのポーションが、凄い効果を持っている事を知れたのは収穫だったな。


 ただ、それ以上に常識の大切さを学ぶ事になった。


 常識を知らないって、怖い。


「んー……うん、こんなものかな?」

「サンキュ」


 はぁ、サッパリした。

 鏡を見れば、いつもどおりの髪型に戻っている。後ろも確認して、よし、バッチリ!


「今度、女装見せてね」

「劇でその役をやる事があったらな」

「みんなー。スイト君が女性役で出る劇を考えておいてー!」

「「了解!」」

「ヲイ」


 マキナとマキアが息ピッタリに賛同していた。

 そんなに俺の女装が見たいのか?! いや、常日頃から女装が女装に見えない、とか、褒められるけどもさ! 普通、女装って気持ち悪がられそうなものなのに。


 ……そうだろ?


 何度もそう思ったが、誰からも賛同を得られないんだよな。


「はぁ、話を戻すぞ。マキア」

「ん、僕?」

「お前しかいないだろ。……お前の武器は何だ?」

「ナイフだよ」


 そう言って、マキアはどこからかナイフを取り出した。

 厚みのない、やけに薄い刃だ。ガラスのように透き通って、いや、むしろガラス製じゃないか、これ。


「魔法ガラスで作られたナイフ。殺傷能力が高くて、鞘も同じく魔法ガラス製。魔力が通りやすいから精霊系モンスターにはあまり効かないね。だから、そういう時は普通のナイフを使うよ。あ、投げたり斬り付けたり、方法は様々だね」


 マキアはまたどこからか、銀色のナイフを取り出した。

 なるほど、魔法ガラス! 実体の無い精霊系モンスターや幽霊系のモンスターにはあまり効かないが、それ以外に対してはたしかに有効だ。


 硬い、曲がらない、刃こぼれしない。便利だよな。


「リーチ短いから、近接戦闘になるな」

「あー、うん。そうだね」

「ん、どうした?」


 何やらオレから目を逸らしたマキアを、俺は一瞥する。

 すると、マキアがすすっと俺に近寄ってきて、耳打ちする。


「僕の職業の話だけど。なぜかね、その。……暗殺者になっていたんだ」

「そりゃ、ピッタリだな。良かったじゃないか」

「物騒なのに良かったって。感想変じゃない?!」


 いやー。実際、影の薄さを利用して、敵の後ろへ回っての急所攻撃とか。似合うと思う。

 むしろこれ以上向いている人はいない。断言出来る。


「はぁ、もう。あ、はいこれ」


 膨れっ面になりながら、マキアが何かを差し出してきた。

 これは何、だ、ろ……?


「……これは……鶏……なのか?」


 何と、ルディとは別に収納ポシェットを持っていたらしい。マキアはズルッと、鶏みたいなモンスターの死骸を取り出した。ウサギ3匹分くらいの大きさだ。

 血抜きは、済んでいるらしい。


「こんなもの、どこで」

「さっき、マキナがやらかしたでしょ? その時来たモンスターだよ。スイト君なら美味しい料理にしてくれるかと思って、何羽かとっておいたの。今日の夕飯にでも使ってね!」

「……えぇ」


 ズルッ、ズルッと、取り出される鶏っぽいモンスターは、全部首を一発で刎ねられていた。とさかではなく、身体の構造を見て判断していたけど、やっぱりこれ、鶏っぽいよな。

 あれか、妖精の唄宿で出た鶏肉。それと同じ系譜のモンスターだろ。


 にしてもデカイが……まぁ、何とかなる、のか?

 というか、あの混乱でよくもまぁ10羽も取れたな?!


「あ、鹿っぽいのとか、イノシシっぽいのもいたけど」

「そっちは無理」

「ちぇ」


 影が薄くてわからなかったが、こいつの才能って、もしかしてヤバイのでは。

 本人は毛嫌いしているようだが、マキアの影の薄さ。これは上手く利用すれば……!


 誰にも気付かれず敵の大将を。あるいは万の軍勢をも、マキアたった1人で攻略できてしまうのではなかろうか?!


 暗殺者か。物騒だが、ピッタリじゃないか。


 何が出来るのかはっきりしている分、自分の能力を伸ばしやすそうで良いと思う。

 賢者なんて、一言で表せば「万能」だからな。


 勇者のタツキでさえ、魔法は苦手だったのに。賢者は魔法系能力が伸びやすいだけで、基本万能なのだ。結局オレは、物理攻撃と魔法攻撃を近接戦闘に活かしてみたけど。


 うん。やっぱり、進路を悩まなくていいのは、羨ましい。

 いいな。わかりやすくて。


「はぁ」

「あれ、もしかして、捌けない?」

「いや、出来るけど」

(((……出来るんだ)))


 俺の事を、女子陣が目を見開いて見つめてきた。まぁ、鶏を捌くのって、普通は出来ないだろうからな。驚くのは当然か。

 ちなみに、鹿ならいけるがイノシシは無理だ。やった事ないし。


「じゃ、アンケート取るぞ。シチュー、カレー、照り焼き、トマト煮。パンオアライス。どれがいい」

「あ、じゃ、じゃあ。私は照り焼きでライスかな」

「ん。スイトと同じの」

「「シチューにはご飯派」」

「……カレー、食べたい」

「私はカレーが食べたいです。あ、辛さは控えめでお願いしますね」

「ぼ、僕は、うーん。スイト様と同じ物を」


 作るのは一品だぞ? ミリーとルディ。何でそんな答えになった。

 はぁ、仕方無い。多めにシチューを作って、余った分を一晩寝かすか。俺は寝かせた後の方が好きだし。あとはパンとライスだが、これは分けておこう。


 シチューにライスの組み合わせは、好みが分かれるからなー。

 あ、カレーも同時進行で作るか?

 ただ、それだと匂いにつられそうだ……。


 あー、うん。カレーにしよう。カレー。何かしら迷ったらカレーにしとく。これ、風羽家のルール。ツルの好物もカレーだし。

 辛さは後から調節出来るように、唐辛子とか用意しておこう。


 よし、作るものは決まったし、やるか!




 時は変わって、夜。


「美味しいです!」


 スパイスの芳醇な香りが、周囲に広がっている。

 目をキラキラと輝かせたフィオルを筆頭に、シチューとカレーを絶賛する声が上がる。


 結局シチューも作ったところ、マキナとマキア、それとナフィカがシチュー。それ以外がカレーを選び、フィオルとミリーに至ってはどちらも選んで食べていた。


 太るぞ、と言いたいところだが、どっちとも太りそうに無い。

 それに、失礼な言葉なので、声に出すのはやめた。

 この2人の場合、本人は軽く怒るが、周囲が怒りに燃え盛るのだ。


 ハルカさんを怒らせてはならない。

 ダメ、絶対!


「もぐもぐもぐもぐ」

「ミリー、食べ過ぎるなよ? 寝かせる分がなくなるから」

「ん。寝かせる。美味しいの?」

「知らないのか。じゃ、教えてやるから、残せ」

「んっ」


 ミリーの食べたカレーライス。

 しめて、皿5枚分なり。


 多いわ! え、あのほっそい身体のどこに行っているわけ?!


「それから、ナフィカ。もっと食え」

「むり」


 ナフィカは、小柄な体躯なので、あまり食べないかもしれないとは思っていた。

 だが、俺の予想以上に小食だったのだ。


 コーヒーカップ半杯分しかよそった覚えが無い。

 加えてライスもパンも渡した覚えが無い!


「食いすぎも問題だが、食わなさすぎも問題だぞ?」

「う~……」

「ちなみに、今なら野菜多め、カロリー低め、糖分少なめを注いでやるが」

「む、り」


 心なしかしょんぼりとうなだれた?! あれ、本当に小食なのか、こいつ。悪い事したかな。

 今度小さめのケーキを差し入れてみよう。小さいし、種類多めに作ってやる。


「あ、スイト君。私にもそれちょうだい」

「どっちを?」

「ケーキ」


 シチュー、オア、カレーのどちらかが来ると思ったのに、変化球が飛んできた?!


「ちょっと待て。今、俺の心読んだな?!」

「いやぁ、私の勘って凄いなって。改めて思ったよ」


 あぁ、的中率100%の勘を発動させたのか。納得。


「私も」


 そろっと手を上げたのは、ミリーだった。それを皮切りに、結局全員分のプチケーキアラカルトを作る嵌めになりそうだ。

 そういえば、俺、まだご飯食べていないや。


 あー、カレーが冷めて……あれ?


「俺のカレー、どこだ?」


 皿は人数分あるのに、俺が自分用によそったカレーが無い。


 俺が驚いていると、横から食べ終わった皿を片付けに来たハルカさんが、ひょっこり顔を出した。驚愕の表情を浮かべる彼女は、俺と俺の分の皿を交互に見分けている。


「あれ、スイト君、まだ食べていなかったの?!」

「食べようと思ったら、すぐおかわりの声がして」

「あぁー……そういえば、そだったねぇ」


 ミリーがすぐおかわりしてきたからな。俺自身は一口食べただけで、それ以降は食べられていないのだ。味見で何度か食べているとはいえ、ちょっとショックだぞ、おい。


 場所が外なので、特に趣向は凝らしていない。

 だが、外で食べるカレーは特別不味くない限りは美味しいのだ。勝手に無くなられると、困る。


 何より、お腹空いた。


「カレーは明日に残す分くらいしか無いし、シチューにするか……」

「うっ、露骨にしゅんとされると、謎の罪悪感が……やめて!」

「……?」


 そんな分かりやすく落ち込んでいるかな、俺。一応演劇部のエースが職業に記載されるくらいには、演技が上手いのだが。


 ……。

 …………。

 ………………。


「カレー……」

「「「うっ!」」」


 俺がシチューをよそいながら小さく呟くと、後ろで全員分の呻き声が聞こえてきた。

 振り返ってみると、一部ががっくりとうなだれており、一部が失神していた。


 え、何が起こった?!


「ん、どうした? まさか腹壊したか?!」

「い、いえ。スイト様。違うのです。違うのですよ……!」


 ルディが瞳に涙を浮かべている?!


「あ、あれ。もしかして、カレー辛すぎた? いや、それなら食べた瞬間に」

「ですから、違うのです。ええ、違うのです! こ、今度、スイト様ほどのものではございませんが、カレーをお作りいたしますね」

「え、ルディのカレー? 食べたい!」

「「「うぅっ……!」」」


 ルディが約束してくれた事に、前のめりになってしまった。

 そんな俺を見て、再びみんなが呻く。


「……?」


 ルディの料理って、この中では一番美味しいからな。カレーも絶品で楽しみなのだが、みんなは楽しみではないのだろうか。


 終始、彼等が何故そんな行動をとったのか、俺は分からなかったのだった。


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