46 メルシーパニック!
― ??? ―
誰もいない校舎の屋上で、ただただ夕日色の空を眺めるだけ。
ほぼ毎日繰り返すその行為は、彼女がその場所に住み始めた当初から始まったものだ。
誰にも止められない行動力とは裏腹に、彼女はただ静かに空の向こうを眺めている。
とはいえ、いつだってそうしているわけではない。実際、賢者一行が転校した時、機密扱いであったその情報を真っ先に手に入れたのは彼女だった。
本当なら転校してきたその日に、教室で会おうとしていたのだが……。幸か不幸か学園長に見つかってしまったのだ。彼女は、学園長にだけはある程度従っている。だからこそ、ほぼ無抵抗で賢者達に紹介されていた。
加えて、賢者一行は彼女の興味を引いてしまった。
彼女は常にハイテンションであるがゆえに、何にでも興味を持ち、しかしすぐ飽きる。子供っぽい性格と思われるのも仕方無い性質だ。
彼女が飽きずにいられるような事は、ほとんど無い。
しかし興味を引いてしまえる者が現れてしまったのだ。
長らく呆然とした様子で空を眺めていた彼女は、やがてハッと目を見開く。
そして、勢い良く屋上の手すりへ詰め寄り、身を乗り出した。
「―― ξ《クシー》?」
彼女の目線の先には、魔王城が存在する。魔王城のある場所は学園よりも上空で、自然と、彼女は下から目線になっていた。
普段の彼女らしからぬ小声は、その場に誰もいない事や、彼女自身が油断していたから出てしまったのだろう。
焦燥を抱えた彼女は、逃げるようにその場を去っていった。
さて、場所は変わって魔王城内。
異世界から召喚された賢者と勇者が、無事に召喚の儀を終えて帰ってきたところだ。異世界人総出で迎えたためか、城の広い玄関は華やかな空気で満ちている。
今回の召喚は、些か人が多い。華やかかつ賑やかな空気がそれを物語っていた。
「紹介するね。私の召喚獣、ドルチェちゃんです!」
「俺のはドラゴン! ラムっていう名前にしてみた!」
賢者と勇者ははしゃぎながら自身の召喚獣を前に出す。召喚獣は、必要な時に呼び出せるものではなく、召喚の儀で呼び出した後は、特殊な手続きでもしない限り手元にいるのだ。
対して召喚魔法は、契約した魔物を遠方で呼び出し、使役するもの。召喚の儀で呼び出された召喚獣とは違い、召喚生物と呼ばれたり、召喚主と比較的仲が良くなかったりする。
召喚の儀で呼び出されるのは、召喚主の心をそのまま体現した生物なのだ。心が通じ合わなければおかしいのである。
とはいえ、深層心理が反映される事で、表面ではぼっち生活を楽しんでいるような奴でも、超絶フレンドリーな召喚獣が出てくる事もあるのだが。
まあ、それは召喚獣あるあるなので、一旦横に置いておこう。
それよりも、スイトが眉間にシワを寄せつつ、魔王陛下に近付いた。陛下はスイトの様子に首をかしげながらも、その顔に笑みを浮かべている。
「何でしょうか、スイト様」
「……客人がいる。いつまでいるのかは不明で、おそらく大体1週間くらい、かも。勝手に連れてきておいてアレだが、良いか?」
「あら、まあ。皆様の世界の方ではないのですね。もちろん、大丈夫です! マロン、頼みますね」
「承知いたしました」
結い上げた綺麗な栗色の髪をした、メイドのマロン。彼女はにっこりと微笑んで、城の奥へと消えていった。彼女は魔王城で働く中で、唯一の人族だ。
寿命も力も弱い人族では、かなり珍しい。
彼女はメイドとしての能力が高いから、種族の差を越えてしまっている。それが違和感の払拭に繋がったようだが、考えてみれば、人族が魔王の傍仕えであることは非常に珍しいのだ。
「一応、明日には嫌でもあいつと会うと思うけど。どうする、テレク?」
「どうするとは?」
「お前があいつの知り合いだったら、今夜会いに……いや、あっちから来そうだわ」
スイトは薄ら笑いを浮かべると、ふらつきながら自室へ向かって歩き始めていた。テレクは意味が分からないといったような、何ともいえない表情を浮かべていたが、スイトはお構い無しである。
「皆様、かの地には劣るかもしれませんが、お風呂の準備が整っていますよ」
「あ、入る! 温泉も良いけど、こっちのお風呂の方が、リラックスできるような気がするよ~」
「ふふっ、ありがとうございます、ハルカ様。今日はお風呂の香りを変えてみたのですよ。カリベリーなのですが……」
真っ黒なドレスに身を包むフィオルは、空色の瞳を伏せて話す。身長差のせいでどうしても下から目線になる彼女は、おずおずもじもじしていた。
見た目10歳程度で、容姿は整っている。このかわいらしい顔でお願いされれば、何でも聞いてあげたくなってしまうのだ。
彼女が言おうとしているのはつまり、一緒に入りませんか、であった。
「……良いね! 行くしか無いね!」
「僕もご一緒するぞー。久々にみんなで入ろうかー?」
マキナが目配せすると、その場にいた女性全員が目を輝かせる。マキナは若干怪しい所もあるが、やはり女性が綺麗好きなところは全世界共通だよね。
女性陣は全員で大風呂の方へ向かった。
残った男性陣も、それぞれの目的地へと向かって散らばっていく。
そんな中、やけに早く戻ってきたマロンに連れられて、テレクはほんの数日お世話になるだろう部屋へと向かって行った。
ちなみに、マロンに案内された部屋は広かった。
広いと言っても、スイト達の使っている部屋と全く同じ間取りなのだが。
スイトは青、ハルカがピンクといったようにそれぞれの部屋にはベースとなる色がある。その部屋はどうやら、黄土色をベースとしているようだ。
光の加減で金色にも見える。
「お手洗いなどの場合はあちらの扉、ベッドは間仕切りの向こう側です。他に御用がおありでしたら、部屋の前に騎士がおりますので、そちらへ」
「ありがとうございます」
「では、御夕食の準備が整いましたら伺います」
マロンは最後に一礼すると、静かにその場を去って行った。
テレク以外誰もいなくなった事で、部屋がしん、と静まり返る。彼が持ってきた荷物について、何も言及されていなかったので、テレクは少ない荷物を適当に置いた。
旅人にしては荷物が少なすぎるのは、魔法の鞄によって重い荷物を背負う必要が無いからである。なのでクローゼットにも簡単にしまっておけるだろう。ただ、そこまで気が回らないのは、テレクが妙にそわそわして、落ち着いていなかったからだった。
夕暮れの日の光が差し込む部屋は、元の色を無視して真っ赤に染まる。
テレクは広すぎるとも思える部屋に置かれた、一応10人が囲める長細いテーブルについた。テラスへと通じる窓側とは反対の、テーブル中央にあるイスに腰を下ろす。
ふぅ、と一息ついた青年は、目を伏せ、対角に位置する席を見据えた。
「やあ、μ《ミュー》。いや、メルシーか」
それまで無かった影が、テーブルに落ちる。
それと同時に、テレクが口を開いた。
白地に差し色の赤が使われたダブルブレザーの制服。ふわふわしたセミロングの黒髪。前髪の一部は綺麗な宝石付きのピンで留められ、燃えるように赤い瞳が青年を射抜く。
いつの間にテレクの対面に座っていた少女は、つまらなそうな表情で彼を睨みつけた。
「気付いていたのね」
「そりゃあ、君が近くにいるのに、気付かない方がどうかしていると思うけど」
「その割には時間がかかっていたと思うの。あれから何年だったかしら……まあ、いくら年数を数えても、意味なんて無いけどね」
少女、メルシーは、今度は頬を膨らませた。
つまらない、思ったようにいかない。そう大きな瞳で訴えれば、テレクは苦笑を浮かべるしか無くなってしまう。
何せ、彼の知る『メルシー』と、今目の前にいるメルシーの様子は、まるっきり違っているのだ。
スイトとの取引の際、スイトが彼女について話そうとした時、スイトが何かしら言いよどんだ事。更には無言で袋入りのお菓子を手渡してきた事に、おのずと合点がいった。
かつての人物像で捜しても、見つからないわけである。それに彼が覚えているメルシーの特徴は、びっくりするほど赤い瞳以外、人族にはありそうなものなのだ。加えて今の彼女の性格は、瞳が珍しい色である事を感じさせないインパクトを持っている。
すなわち、ちょっと子供っぽいのであった。
「まさかξが……テレクがここに来るとは思わなかったわ」
「そうだね。僕も『何で僕が』とは思ったよ。ただ同時に、僕が最適だとも思ったけど」
「最適……には見えないけどね」
「そりゃそうさ。厳密には、僕が最適だと考える、彼等の心情が分かるって事だもの」
クスクスと笑うテレクに対して、メルシーもまた妙に納得した。
何せ、メルシーはテレクがとんでもない猫かぶりであるという事を知っているのだ。巧妙な大人が簡単に騙されてくれる、嫌な特技の持ち主なのである。
「それで? 私を連れ戻しに来たって事?」
「いやいや、そんな事しないよ。ただ、生きているかどうかを『先生』が知りたがっていただけで。ついでに、君が今どんな生活を送っているのか、とか。聞け出せるだけ聞いて来いとは言われたね」
「ちょっと待って。それって、未だにばれていないって事なの?」
「そうなるねぇ」
声に出さずとも、彼女が「間抜けじゃない?」と言っているような気がした。
今の会話から察せる通り、メルシーは「どこか」から脱走してきた。今回は、その行方を追う形でテレクが魔族領に来ていたのだ。
それがどこで、誰からの指示かは『僕』には分からないけども。
「まあ、さすがに当事者は知っているけど、未だに君以上の者は現れていない。だというのに、肝心の君が例の脱走事件で、よりにもよって魔族領にいる。それをあのプライドの塊達が上に報告すると思う? いいや、しないね! まあつまり、そういう事さ」
ケタケタとお腹を押さえて笑うテレク。
一方、メルシーは笑うどころか、呆れかえっていた。
彼女はてっきり、既に総出で捜索されていると勘違いしていたのだ。それらから感知されないよう、念には念をとあらゆる手を尽くしていた。
それが、数年経ってようやく、敵のふりをした、彼女の味方がたった1人で会いに来のである。
それも、緊張感が無い状態で。
「私の今までの苦痛は一体……!」
「苦痛って。苦労の間違いでしょ?」
テレクは苦笑混じりに言い返すが、一瞬だけ目を光らせる。
「メルシー、まさかと思って今までスルーしていたけどさ。そのピンって」
「念には念を。それが答えよ……」
「マジすか」
メルシー=μ=マーチ。テーブルに突っ伏し、見るからに落ち込んでしまった彼女は、いわゆるテンサイであった。それも、天賦の才という方の天才ではない。天による災い、天災である。
しかし彼女の言動から分かるとおり、彼女は彼女を天災たらしめた場所から逃げてきた。追っ手をかけられてもおかしくない立場で、逃げおおせたのだ。
しかし天災とは、大きすぎる力ゆえに何もしなければ大勢に認知されてしまう。
当然、学校という狭い空間内だけに、彼女の才能が収まるはずも無かった。
メルシーはそれを、ちょっと目立つ台風程度まで抑えていたのだ。
まあ、台風でも目立つと言えば目立つのだが。
メルシーの前髪を留めるヘアピン。それこそが、彼女が「ああ、目立つ子だな」程度でいられるようにするアイテムである。
「メルシーって、たしか僕達の中でずば抜けてMP値が高かったような……。それをムリヤリ押さえ込んだら、そりゃ、身体も悲鳴を上げるわけだ」
「まあね。身体的なステータスも、総合的に言えば軒並み降下したわ。まあ、それでも普通より上なのだけれど」
「はは、凄まじいね、まったく。そこは相変わらずなようで安心したよ」
拗ねてふくれっ面になってしまったメルシーであるが、少しだけ、安堵していた。おもむろにヘアピンを外し、手の平で弄ぶ。
ほんの僅かな間、手の中でくるくると踊っていたそれは、やがて虚空へと放り出され―― 砕ける。
宝石の欠片は風も無いのに虚空へと吸い込まれ、消えていった。
欠片も残らず消えていったそれを眺め、メルシーは再び安堵する。
身体の内側から湧き出る、懐かしい感覚をかみ締めながら。
「それで、テレクはいつまでここにいるの? たとえ何があっても戻るつもりは無いけど、昔話に付き合うくらいなら手を貸すわよ」
「それはありがたいね。ここ最近は話し相手が不足していてさ。マトモに話したの、何年ぶりだろう。ああ、質問の答えだけど、スクトゥ教会に戻るって意味なら、まだ先の予定。それと先生への定期連絡をする場所は、どうやらスイト達が向かう所みたいだ。少なくとも、そこまでは彼等と一緒にいようと思ってね」
「……クロヴェイツ、ね?」
テレクは、メルシーの呟くような声に目を見開いた。
賢者一行が次の目的地として、クロヴェイツ王国を指定している。その話は、スイト達が秘密裏に決定したのみで止まっていた。フィオルだってその根回しをまだ行っていない。
テレクは彼等と同じ宿に泊まっていたわけで、情報が手に入るチャンスは極僅かにでも存在していた。しかしメルシーはというと、この5日間を学園で過ごしていたのだ。賢者が次に向かおうとしている場所を、一体いつ、どうやって知ったのか?
ただまあ、テレクはすぐに冷静になる。
メルシーに関して言えば、彼女の過去を知る彼でもまた、メルシーの友人共通の認識を持っていたのだ。そんな彼等だからこそ、どこででも使える『絶対の理由』が脳裏をよぎったのだ。
いわく、メルシーだから。である。
彼女も人間である以上、さすがに何かしら限界はあるだろう。だが、何の制限も無い彼女であれば、魔法で一国を消滅させる。言葉で神をもねじ伏せる。1人で世界を支配する、などという、一見荒唐無稽でしかない事柄でも、容易くこなしてしまいそうなのだ。
実際、学園長や生徒会長は、色々な意味で彼女に勝てないのだし。
「そう、クロヴェイツ王国だ。その服から分かるけど、メルシーは今在学中だろ? スイト達はまあ、元々の事情が事情だから、学校をお休みするのは簡単なはずだし。何でそんなに焦っているのかは―― まあ、分からないでもない、という所かな」
「ああ、それね。あれでしょ? 吸血族の」
「……やっぱり、知っていたか」
「まあね」
頬杖をついた彼女の瞳は、完全に明後日の方を向いていた。テレクもまた、遠くを見ている。
彼等が思い浮かべるのは、既に回避された『未来』の光景。
スイト達が『前回』と呼ぶ、崩壊してしまった世界のことであった。
……彼等もまた、スイトの能力によって、記憶のみが過去に飛ばされた者達だったのだ。
本来人は、時を越えても記憶を保持したままでいられない。肉体もその影響を受け、心身ともに移動した時間の分だけ変化してしまう。
時という、魔法体系における1つの属性に対し、耐性という名のスキルを得る。それであれば、時を超えても記憶を保つ事が出来る。つまりはメルシー、テレク共に、それの保持者であるという事なのだ。
「今の君なら、賢者なんていうものを見れば、飛びつくよねぇ」
「そうね。だからあの時、嫌な物を見てしまったわけだけれど」
メルシーが思い浮かべるのは、スイト達が聖剣と対峙していた時の事。マキアではないが、彼女もまた、異変を察知して魔王城へ侵入していたのだ。
居住区にもなっていたスペースなので、本来は厳罰モノの行動である。まあ、今となっては確認のしようが無いし、出来たとしても、そもそもが非常事態であったため、厳罰も何も無いのだが。
そこでの経験があるからこそ、余計に『勇者』を見て驚いたのだが……それはまた別の話である。
「彼等が次に解決しようとするなら、吸血族の騒動。けどこの2週間程度で仲良くなったセルク君が、ここ最近騒がしいクロヴェイツ王国の出身なの。クロヴェイツって、常闇の結界に最も近い転移魔法陣のある、正に都合の良い場所じゃない?
『今回』はぞろぞろとスイト君達が学園に来たから、てっきり吸血族騒動の情報収集の合間で通っているだけかって思ったけど。セルク君とは初対面だったみたいだし。何か妙な事件は起こるし。しかもそれを、身を挺して解決してくれたし。
スイト君は認めていないけど、セルク君って彼の弟子なのよ。本人が認めていなくても、これはセルク君の助けに入るかな、って思えるくらいには、仲が良いのよね~」
語る内に生温かい目線を交えながら、ニヤニヤし始めるメルシー。
たしかに、スイトは認めていないが、彼とセルクの仲はかなり深い。初めは「仕方なく」が理由で始めた魔法観念の改定から、何だかんだずっと一緒なのだ。
特に、セルクの方はスイトに命を救われている事もある。
セルクが一方的に慕っているだけのように見えて、スイトの方も満更ではないと来れば。それは仲が良いとしか言えないだろう。
「あの騒動の事は聞いたよ。メルシーは? 何かしたの?」
「私は何も。目立ちたくないもん。ま、心配ではあったけどね。クラスメイトの危機だったし、心配じゃない方がおかしいって。だから、真っ先に避難誘導なんかやっちゃったわけだけど」
むしろ罪悪感があったくらいだ、とまでは、メルシーも言わなかった。
スイトの事だ。セルクの精神状態が他のランクメイトよりも浮上している事が無かったとしても、現在の状況に差し障りは無かったはずである。
しかし、メルシーは思うのだ。
セルクの魔法の才能が群を抜いていた事。セルクの魔力の性質が珍しい物だった事。たとえそれがあっても、メルシーがセルクに、自身の魔法を披露していなければ。と。
スイト達がこの世界に召喚されるよりも前に、メルシーはセルクに魔法を披露していた。それはある種の勇気付けであり、自慢でも何でも無い。しかし沈んでいた心がそれで浮上してしまい、それをスイトがかったのならば。
数ヶ月前の自分の行動が、セルクを危険な目にあわせてしまったのではないか、と。
「うん、まあ、過ぎた事は何を言ってもしょうがないし。言ったところでそれがどうしたって、スイト君は言うだろうけどねー」
「人助け、か。何か、昔の君と比べると、随分感情的になったよ。だから悩むだろうし、その答えを君自身が見つけられていないのだろうね。けど、悩む事は無いと思う。スイト君もセルク君も、性格からしてメルシーが考えている事を把握できてそうにないしね」
「まあ、読まれないように動いているから、読まれていたら困るわけだけど」
元のふくれっ面に戻ったメルシーは、大きな溜め息を吐いた。
昔の彼女を知る者から見れば、彼女がそんな事をする事すら、仰天するような行動だ。
それは現在の彼女しか見ていない人も同様である。自由奔放、唯我独尊。それが今の彼女を表す際に使われる言葉であり、決して、人間関係に悩む姿など想像できないからだ。
そのどちらも見ているテレクだからこそ、受け入れられる素の姿。能力こそ超人並みであるが、多少ズレはあっても心は普通の女の子なのだ。
「ともあれ、僕は定期連絡が終わったら、一度向こうに戻ろうと思っている。目的は果たせるわけだしね。こちらにいられる理由は無いわけだ」
「目的って。私を探す事じゃなくて?」
「それも関係ある。本当の目的は、君にある事を伝えるためだったから」
「……伝える?」
「ああ。まあ君の事だから、絶対にしないと思うけど―― 今、こちらには戻ってくるな」
「……!」
それまでに比べ、唐突に真剣な表情に変わったテレクが、声を潜めて呟いた。2人しかいない空間にそれは響き、メルシーが目を見開く。
「……そう」
「うん。そういう事だ。こっちもあっちも騒がしいって事だね。いやあ、忙しない」
「本当に」
ここで紅茶でもあれば、互いにすすって、その音で色々なものをごまかせたのに。メルシーもテレクも、言外にそう呟いた。
それからしばらくの静寂が続く。
「テレク」
沈黙を先に破ったのは、メルシーだった。
彼女は強い眼差しでもってテレクを射抜き、テレクは静かに、それを受け止める。
「……私、以外は?」
「……聞かれると思ったよ。それも、最後にだ。 ―― 死んだよ」
「っ、そう」
喉の奥からムリヤリに声を返し、と同時に立ち上がる。もう用は無いとばかりに、テラスへのガラス扉に手を掛けるが、それを阻止したのは……テレクであった。
メルシーは何も、1人で『スクトゥ教会』から逃げ出したのではない。
それこそ、大人数とも呼べる多くの仲間と共に、逃げ出した。最初メルシーは逃げるという感覚は無く、むしろ周囲も連れ出したという感覚であったが。
その全員が、今メルシーの周りにいない。
加えて、淀み無い彼の一言で、淡い期待も砕かれた。死んだ、という言葉が何を意味するのか。今の彼女には、重く理解出来る事であったから。
それが分かるからこそ、テレクもハッキリ言ったのだ。こういう事は、焦らして言うよりもすっぱり言った方が良い。それが、彼の実体験を基にした感覚なのだから。
だがしかし、その意味に気付いた彼女が、その事実に対してどのような反応になるのか、今の彼には予想も出来ない。彼が知っていたのは、あくまで昔のメルシーだから。
だからといって、そのまま出て行く事を許容できるかと言えば、それは全くの別問題である。
そのまま帰してしまえば、何が起こるのか分かってしまったから。
「強がらなくて良いのは、ここでだけだと思うけどなー」
「っ」
テレクはテーブルを飛び越えて、メルシーの元へ飛び込む。
世界の裏側まで来て、手がかりも無いままさまよった事に比べれば、笑えるほどに近い距離なのだ。テレクは一瞬で、メルシーの目前へと着地した。
わざとらしく腕を扉にかけ、邪魔をしているのは明白。
「意地悪」
「自覚はある」
メルシーの瞳を見れば、何が何でも帰してはならないと考えるのも無理は無い。
目を潤ませ、今にも大粒の涙が零れてしまいそうな彼女を放っておくなど、テレクは出来なかった。男が廃ると、そう感じてしまったものはしょうがない。
まあ、これがたった数ヶ月前であれば、彼女を引き止める事無く放っておいただろうが……。
「テレクも大概、変わったね」
「それも自覚はある」
にぃ、と、テレクはトドメとばかりに悪戯っぽい笑みを浮かべる。そうすればメルシーは外へ向けていた足を内側へと引っ込めて、僅かに口元を緩めた。
「ああ、もう。意地悪するから門限過ぎちゃったじゃない。泊まってくね」
「門限って、君の事だから、軽く門限破りの常習犯だろうに。それと、それは僕でなく、スイト君達に言うべきだと思うけどね。ま、必要無いか」
テレクは部屋の出口を一瞥し、すぐに視線を戻した。今更視線を向けたところで、意味は無い。
話し声や、足音なんかはもう聞こえない。だが、確かに数秒前まではそこにいたのだ。
(どのくらい聞かれたかな……? まぁ、きっと、彼の事だから。僕等の事情を察する事までは、出来てしまっているのだろうね)
今さっきまで扉の前にいたであろうスイトから目をそらし、ふと考える。
鑑定のスキルは、何度も使う事でスキルレベルが上がり、レベルが上がる毎にその性能も向上する。鑑定は使う機会が多い方なのだが、レベルアップはしづらいスキルで有名だった。
その鑑定を、テレクは鑑定Ⅴまで上げたのだから優秀な方である。それで見た限り、スイトの持つスキルの一部が、かろうじて参照できた。
その時に見たスキル:不完全知(鑑定Ⅹetc)が、どれだけの性能なのかは計り知れない。鑑定Ⅹなど死ぬ間際になってようやく到達できると言われるほどに希少なのに、その他の権能も統合されたスキルだったのだ。
おそらくそれであれば、備考欄もかなり文字数が増えていることだろうと。そのくらいは予想できてしまった。鑑定はそもそも、対象の情報を引き出すスキルなので、ステータス云々よりもむしろ、生い立ちなどが書かれた備考欄の方が重要である。
彼等が思わず呟いた『スクトゥ教会』の事も、既に知られているに違いない。
いや、ぶっちゃけそこは別にどうでも良いのだが。彼等にしてみれば、それ以外のことが最重要項目なのであるが、それは今この場では、関係無いだろう。
「ベッドダイブ~!」
「ちょっ、それ僕の寝る場所だけど?!」
「ふっふっふ、ここはもう、メルシーちゃんの物なのだ! ふぁ、ふわふわ、ぬくぬく、もふもふ!」
「ああ、もう。……はぁ、どこで寝よう」
妙に元気なメルシーが、勝手にベッドにダイブした上、そのさわり心地を全身で堪能している。そんな姿を見れば、たとえシーツなんかを全て入れ替えたとして、同じ場所で安眠できそうには思えなかった。
レディファーストの精神を持つテレクは、ベッドで寝る事をきっぱり諦めた。
では、どこで寝るのかと言う問題になるのだが。
旅のお供として使っていた寝袋はある。あるのだが、正直、浄化魔法で綺麗にしたところで、この豪華な部屋にはそぐわない。気にしなければ良いと言われても、ホテルならまだしも、そこは魔王城だ。気にしない方がどうかしている。
わざわざもう一部屋用意してくれ、などと、賢者一行でもない自分が言えるはずも無い。
とりあえずはソファに寝転んでみようか、などと考える。
が。
「一緒に寝れば?」
もぞもぞと、ベッドの中から顔だけ出したメルシーが、普通の声で爆弾を投下してくるではないか。
「……僕、男だよ?」
「……?」
それも、無意識に核爆弾を力任せにねじ込んできた。
ご飯の時間でようやく出てきてくれたが、この様子では寝る時もここに来るのだろう。
それは疑いようの無い事実だと、目の前でうっとりしているメルシーは物語っていた。
とはいえ、異性同士で「そういう話」をするのは、どうにもいただけない。
いただけない、と考えるからこそ、テレクは次の一手を講じる事ができずにいたのだ。
結果を言えば、メルシーはベッド、テレクはソファに寝る事になった。
だがしかし、メルシーという少女が来た時点で、複数人から部屋を分けますか? と問われていたのだ。……メルシーが。
それを「何で?」と突き返したのは、はてさて、友情からか、愛情からか。
メルシーが妙に嬉しそうだという事以外は、メルシー本人でさえ、よく分かっていなかった。
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