バレンタイン・チョコより甘い物もある
城の調理場は、全部で5つ存在する。
その内の1つは古い機材ばかりが置かれ、一種の倉庫と化しているらしい。
とはいえ、その辺りは今話す事でもないだろう。
これは、魔王であるフィオルやその傍仕え、また俺達賢者一行の食事を作る調理場。いわゆる第一調理室と呼ばれる場所で起こった話である。
「「「というわけで、お願いしまぁす!」」」
賢者一行の女性諸君+フィオルが、エプロン姿でそこにいた。
何がというわけで、なのかと言うと、要するに……バレンタインであった。
「なるほどねぇ。聖クレシュリー様の日に、チョコレート菓子を、か」
フィオルを含む少女達が師事を受けようとしているのは、この調理場でもパティシエールとして働いている― マーレル=ジェルアトーレ ―さん。
彼女の言う聖クレシュリーの日とは、俺達の世界で言うところのバレンタイン。こちらではお菓子、花、日用品などを、普段お世話になっている人へ贈るという内容らしい。
日付が2月14日と、バレンタインと全く同じなので、どうせならチョコレートでも作りましょう、という事だった。
聖クレシュリーとは、大昔に存在した、公爵家の女性だったらしい。彼女は身分違いの男性に恋心を抱いてしまい、連日思い悩んだそうだ。
そんな彼女は、愛しの彼の誕生日にプレゼントをあげたかった。しかし、特定の者にあげるのでは恋心が周囲にばれてしまう。
そこで思いついたのが、多くの男性にプレゼントをばら撒き、自然な感じで本命のプレゼントを愛しの彼に渡すという方法であった。結果、この方法は大成功。同時に女性にも配った事で人徳を得た上、将来的に伴侶となる男性へきちんとプレゼントを渡せたわけである。
この、愛しの君とのエピソードを聖クレシュリーが晩年に告白した際、世の中の女性は、それはもう色めき立った。それはもう、憧れに憧れた。
身分違いの恋。内緒の逢瀬などは、今も昔も年頃の女の子達が好むようだ。
それはともかく。
そんなイベントが起こってから、その日は聖クレシュリーの日と呼ばれ、主に女の子が好意を寄せる相手へプレゼントを渡す習慣が出来たそうな。
友チョコ義理チョコも有りの日である所は、俺達の世界と変わらない。
そしてそんな女の子の日に、男性である俺が、甘い香りの漂う厨房へ呼ばれていた。
「何で、俺?」
「えっとね。さすがにマーレルさんに全員の監督は無理かな、と思ったので」
「それとじっけ……味見役をお願いするぞー」
「言い間違えそうになるくらいなら、せめて実験台とハッキリ言ってくれ」
要するに、ハルカ、マキナ、イユ、ツルといった召喚組には俺が。
フィオル、ミールさん、エフ、などの異世界組が、マーレルさんの従姉弟である― クロッチェ=ジェルアトーレ ―さんが味見役を引き受けたらしい。
もっとも、俺はお願いされた覚えが全く無いけどな。
「よし、作っていこうか!」
「「「おー!!!」」」
とにもかくにも、チョコ作り開始である。
チョコレートそのものはもう出来ているようなので、あとは『溶かして』から加工すればいいだけ。型に『流し込んで』冷やし固めるのが一番簡単だな。あとはケーキに『混ぜ込む』とか?
まぁ、失敗はしないはず。
―― そう思っていた時期が俺にもありました。
「チョコが焦げたー?!」
「スイト、チョコがもそもそだぞー。何とかしろー」
「……美味しい」
「お兄ちゃん、チョコが、チョコが混ざんない……」
俺の妹であるツルは、料理が上手だ。だが、菓子作りとなると勝手が違うらしく、見事なまでに失敗していた。
ハルカはチョコレートをフライパンで焼いて溶かそうとしたらしい。
マキナは湯煎時に水が入ってしまったらしいのと、湯煎の温度が高すぎたようだ。
イユは何故か作ったチョコを食べている。
ツルはというと、用意されていた板チョコを、小麦粉まみれにしていた。チョコレートの生地を作って、ケーキでも作ろうとしていたらしいな。作り方が全く違うけど。
いつも魔法薬の実験で色々やらかしているマキナが、典型的な間違いを起こしている。
何故だ。
「なぁ、チョコレートの溶かし方、ちゃんと習ったよな?」
「「「うん」」」
本当に? と俺がもう一度聞くと、マキナ以外はさっと目をそらした。なるほど、よく聞いていなかったらしい。
ああもう。
「俺がやってみせるから、もう一度よく見ていろよ」
「「「……」」」
「返事!」
「「「はぁい……」」」
マキナはともかく、それ以外はちょっと落ち込んでいる。一度失敗したからといって落ち込む事はないと思うけどなぁ。
失敗は成功の母とも言うし、別に落ち込まなくてもいいぞ。
「やー。失敗した事は然程落ち込んでいないと思うなー」
マキナが何かを言っているのだが、こちらは放っておこう。
えっと、細かく刻んだチョコレートを耐熱ボウルに入れて。チョコレートに水気が入らないよう、沸騰したお湯ではなく、60度未満50度以上を維持したお湯にボウルをつける、と。あと、同時に生クリームも温めておいて、後で混ぜる。
卵白を混ぜて作ったメレンゲとか、四角くて高さがあまり無い型とか使って……。
完成!
「チョコレートをたっぷり使った、チョコロールケーキ!」
「「「おぉ~」」」
今回は、生地を巻く時にカリベリーを混ぜてみた。
食感が面白い上に、イチゴの味が嬉しい。
味わいが俺好みのビターテイストになっているので、あとは個々人にお任せだ。オレンジを混ぜても美味しいだろうし。
「あぁ、ハルカはオレンジ一択だからな」
「えっ! 何で?!」
「タツキの好物が柑橘系だから」
「えっ。えっ?!」
ハルカとタツキには、積極性が足りない。お互いにもじもじし合っているからか、周囲の人間が全員彼等の恋路を応援しても、全くその歩みが進まないのだ。
人の恋路には手を出さない方が良いのだろうが、今回はちょっと、酷いからなぁ。
これをきっかけに、周囲のヤキモキが消えてくれる事を祈る。
ちなみに、俺はいつまででも見守る派だが。
「マキアは何でも食べるぞー。でも今回は、生チョコレートを作ってみたいなー」
「え、生チョコ? いいけど」
……こっちに水あめってあったかな。
「……美味しい」
「イユはまず、作ったそばから食べるのをやめておけ」
未だに作っては食べるを繰り返しているイユは、謎である。
あれか。自分用のチョコしか作らないつもりなのか! イユの場合、体型はあまり気にしないだろうけども、いつか糖尿病になっても知らないぞ!
まあ、この世界だと、糖尿病ですらも治ってしまうのだが。
さて、あとはツルへのアドバイスだが。
「お兄ちゃん、ケーキ作りたい! ケーキ!」
「はいはい、何のケーキだ?」
ロールケーキは作って見せたから、それ以外って事だな。
「えっとねー。ザッハトルテ!」
「……また、難しいものを……!」
チョコレートケーキの中でも、難しい部類のケーキ。それがザッハトルテ。簡単に作る方法もあるにはあるが、いかんせんこっちの世界には道具が……。
……。
あるな。
以前来たという賢者達のおかげか、食に関する道具は不自由を感じる事が無い。お手軽な物から超本格的な調理器具が揃っている。しかもここは魔王城で、手に入らない物が無いのだ。
時短によく使われる電子レンジ(この場合は魔導レンジ)もあるし、炊飯ジャーもある。
簡単なレシピなら、作れるかな。
「よし、作るか」
「わぁーい! あっ、そうだ! お兄ちゃんも作ろうよ!」
「え、俺も? まあ、良いけど」
チョコレートか……。
俺もタツキとかに作ろうかな。
チョコばかりだと飽きるだろうから、別の奴でも作ろうかね。
「というわけで、ほい」
「……」
時は変わって深夜の24時。この世界は一日が26時間だから、まだ日は変わっていない。
とはいえ深夜である事に変わりは無いため、ちょっと眠い。
ケーキは好評だった。タツキの他にも、召喚された面々全員分を作って渡しておいたぞ。
何故か女子陣が渋々受け取っていた。たしかに、男子から女子にチョコを渡すのは、ホワイトデーの方が自然かもしれないけども。別に良いだろ?
味見はしたし、不味くは無いはず。ただ、その場で食べてくれたハルカさんが、眉間をシワを寄せていたのが気になるな。別に苦すぎたわけでもないはずなのだが……。
ともかく、それではここにいるのは誰なのか?
天井はガラス張りで、綺麗な三日月がよく見える。下から階段を使って来るため、ドーム状の小さな庭園は横に扉がない。
珍しい薬草、草花が、輝く魔力を帯びる。月の明かり以上に美しい光景がそこには広がっていた。
庭園の中央には広場がある。
そこには、真っ白なテーブルとイスが。
俺はそこに、温かい紅茶と作っておいたザッハトルテ、そしておまけにフルーツタルトも置いた。どちらも手の平に乗るくらいには小さめに作ったので、食べきれるはず。
それをじっと見つめるのは、相も変わらず無表情なお客様。
ミリーである。
「何で、ケーキ?」
「聖クレシュリーの日。もとい、バレンタインだから」
「……ああ、プレゼントを交換する日ね」
どうやら、ミリーはバレンタインを知らないようだった。まあ、元々のバレンタインはチョコを送る風習ではなかったし、細かい事は気にしないでおこう。
ちなみに、どうしてミリーがここにいるのか?
俺に会いに来た、という理由ではあるのだろう。来るのは毎回その理由だし。
……つまり、残念な事に、偶然である。
「食べて、良いの?」
「ああ。まさか当日に食べてもらえるとは思わなかったけど、どうぞ」
「ん」
俺は片方のイスを引く。そこに、ミリーが座る。
ふわり、と薄く香水の香りが漂った。
「ん、美味」
「それは良かった」
彼女にとって、味のある物はほぼ全てが『美味しい物』である。その中で、本当に美味しい物は『美味』と表現していた。
つまり、口に合ったらしい。良かった。
ミリーは銀色のフォークで小さく切り分けながら、パクパク、もぐもぐ。俺が作ったケーキを交互に食べ進めていく。
動作はゆっくりで、急いでいる感じはない。ケーキも本当に小さく、小さく切り分けていて、かなり味わって食べている。
……ただ、どことなく時間が早く進んでいるような気がした。
「紅茶は?」
「おかわり」
「了解」
コポポ、と、音を立てながら、ポットの注ぎ口から徐々に透き通った琥珀色の紅茶が流れていく。香りを多分に含んだ湯気はドーム中に広がった。
それをミリーに渡すと、彼女は小さく微笑む。
「ありがと」
無表情ではあるが、時々、気紛れにこういった表情も見せてくれる。何と無くだが、この珍しく見せてくれた笑顔を、ずっと見ていない気持ちになった。
ふんわりと、それでいて小さく笑うのだ。元の世界に比べても明るい月の明かりに照らされた、色白で、頬を赤らめたその表情を。
いつも無表情だが、その感情は実に豊かである。
好奇心旺盛で、食べる事が大好きで、幽霊が苦手。
俺と2人でいる事が多いからだろうか。ミリーの事を、知らない内に色々知ってしまう。
お菓子の好みは、甘さ控えめ、酸味があると良し。紅茶とセットならなお良し。とか、そういう事をいつの間にか覚えているのだ。
うーん。これって、親友みたいな関係なのかね。
たまにしか会えないし、言葉数も少ないけど。その代わり、無表情の割にミリーの考えている事は分かりやすい。ポーカーフェイスは出来ているのに、その行動が分かりやすい。
正に、頭隠して尻隠さず。
「ふぅ。ご馳走様」
「お粗末さまでした」
気が付くと、ミリーの元にあったケーキは欠片も残さず食べつくされていた。ミリーは相変わらず無表情ながら、満足そうにお腹辺りをさすっている。
……ん?
「あれ、いつもと服が違う?」
「む、やっと気付いた」
「ついでに髪型も?」
「ん」
どうだ、と言わんばかりに、ミリーは胸を張った。
彼女はいつもゴスロリ系の服なのだが、今回はやけにクラシックなテイストの服装である。
いつも背中を隠さないスタイルである事は知っている。それは今も変わらない。ただ、いつもはそこ以外の布地にたっぷりとフリルをあしらっているのに、今夜はやけにフリルが少なく、リボンも少なめだ。腰に巻くようにしている大きなリボンは、いつも黒なのに、今回は銀色、もとい白である。
加えて、膝まで届かないワンピースタイプのそのドレスは、いつものような完全な黒ではなく、金糸による細かな刺繍が施されている。月に照らされて、キラキラと輝いた。
露出の度合いと色味が似通っていたせいで、気付けなかったらしい。
明らかにいつもと異なるのだが、そういう事にしておきたい。
決して、緊張のせいで彼女を直視していなかったとか、そういう事は無いのだ。うん。
というか、むしろ今日の服装は、いつもより露出が多いかもしれない……?
「がんばった」
「何をだ……」
「何って、雰囲気?」
こてん、と小首をかしげたミリーは、いつもはきっちりと纏めている髪を弄り始めた。
団子状に纏め上げた髪を、みつあみにした一房の髪で結い上げる。それがいつもだ。
それが今回は、みつあみではなく、ハーフアップにしていた。
こうして見ると、彼女の髪には緩いパーマのかかった、柔らかそうな髪質である事がよく分かる。いつも前髪くらいしか見ていないのだ。
それに、銀色の髪がキラキラしていて、綺麗である。
「……似合わない?」
「いや、似合うと思う。いつもそれで良いと思うけど?」
「そう」
ミリーは、また、微笑んだ。
そこからはあまり会話がなかった。ただ、いつも以上に記憶に焼き付けられる濃い出来事だったのは間違い無いだろう。
「どうだった?」
「……ん」
ミリーはスイトとのバレンタインデーを楽しんだ後、真っ直ぐ帰る。
なんて事はしなかった。
むしろ、ハルカの部屋へと駆け込んだ。何せ、今日のおめかしはハルカに頼み込んだもので、そもそも、その日がバレンタインである事を知ったのは、彼女の口コミがあったからである。
偶然この日この時間に来たわけではなかったのだ。
スイトがタツキ達仲間の味の好みを知っているように、ハルカもまた、どことなくスイト達の好みを把握していたのである。
スイトは派手めの格好よりも、落ち着いた雰囲気の女性や夜の時間帯が好みである。と。
「凄く、見て、た……っ」
「そっかぁ」
いつもと違う格好だったから、と言うのもあるのだろうが、実際には、スイトの好みにばっちり合っていたのだろう。いつもより、そう、いつもよりじろじろと見られた事が、ミリーには恥ずかしかった。
スイトが観察するのは、相手がいつもと違う格好をしている時。もしくは……相手が好みのタイプだった時である。
ハルカは恋愛対象ではないだろうが、大人しいデザインのドレスを着た時に、いかにも観察されている、という、恥ずかしさの欠片も感じないような視線をスイトから向けられた事があった。
それを思い出して、ミリーにリークしたのである。
結果、好みであるという勘は当たっていた。しかもその相手がミリーだったからこそ、スイトも長く観察してしまったのだろう。
人間観察はスイトの悪い癖だが、ミリーにはちょっと嬉しい事だった。
ただ、いつもより長く見つめられた事で、気恥ずかしかっただけだ。
いつも無表情のミリーだが、同性しかいない空間では、顔から湯気が出そうなほど、顔を真っ赤に染めていた。
「そして、美味だった……」
「スイト君だもんねぇ」
その気恥ずかしさから逃げるように、ミリーはスイトから出されたケーキを思い出す。
あれは、美味だった。それはもう、美味だったのだ。思い出すだけで涎が出そうになるのを、必至に我慢しなければならない程には。
実の所、自身の料理スキルが他者に比べて異常に高性能である事を、スイトだけが知らない。
タツキに始まり、異世界召喚後1週間程度で、彼が気紛れに作ったお菓子の虜になった者は多い。
少なくない、とは言えない。とんでもなく多いのだ。それはもう、城中の人間が、一時的に中毒のように求める程度には美味なのである。
それを、作った本人だけが知らないのだ。作るタイミングは気紛れな上、その分量は仲間内で食べる分であるために少なく、故に希少価値がどんどん上がっている。
気紛れではなく、作ろうと思って作ったお菓子を食べた者は、一様に骨抜きにされてしまう。
一種の麻薬と化しつつあるお菓子の被害者は、今の所出ていないが。
「ね、ね。チョコ、渡せた?」
「……うぅ」
「そっかぁ、渡せなかったかぁ」
「……」
「だよねぇ。あんな本気で作った、それもメチャクチャ美味しいやつと比べるとね。最高品質の既製品だろうが、愛情溢れる手作り品だろうが、渡すのは気後れするよねぇ……」
明らかにしゅんとしているミリーが何も言わずとも、ハルカは察して話し続ける。いつもの無表情はなりを潜めて、少女の表情はコロコロ変わっていく。
そんなミリーを、ニヤニヤしながら見つめるハルカ。自分もタツキにチョコを渡す時、同じようにアワアワしていた事は秘密だ。
ミリーは、お菓子作りなどをした事は無い。むしろ、食べなくても平気な身体であるため、スイトに会うまで料理という物を知らなかった。
味のある全ての物が、ミリーにとってはご馳走だ。
中でも、スイトが作ったご飯やお菓子は、ご馳走よりもかなり上の物。最上と言っても過言ではない。彼の作る物の多くが、一応庶民的な題名の付いた食べ物なのだが、その全てが美味しい。
美味し過ぎるのだ。
料理の質を跳ね上げるスキルを持っているのではないか。そう思えるほどの腕前なのである。
そんな、無自覚プロのチョコスイーツと、初めて作った手作りチョコを見比べる。
どう見たって、むしろ見る前から、その人の前に出す事が恥ずかしくなる。
感覚としては、世界一の料理人に自慢にもならないヘタッピな料理を自慢するような。
恐れ多い。失礼にもほどがある。そんな感じだ。
「とはいえ、何も贈らないのも……あ、そうだ!」
ハルカはニマニマしながら、ミリーに耳打ちする。
「……ん。じゃあ、その時に」
「きっと大丈夫! 今度こそ、ね?」
涙目のミリーは、そっと涙を拭う。
そして、その日手渡すはずだった手作りのチョコレートを、静かにポケットの中へしまった。
初めて手作りしたチョコ。溶かしたチョコレートをドライフルーツに絡めただけの、美味しいかどうかが分からないチョコレートだ。
包装はそれなりに上手く行っただろう。だが、中身はたしかに、スイトの作ったスイーツに比べると見劣りする。
それの出番は―― 約、一ヵ月後になりそうだ。
だからそれまで、時間の止まった魔法鞄(ポケット版)で、大事に大事にしまっておくのだ。
ハルカとミリー。2人は顔をほんの少しだけ赤らめて、微笑みあう。
そうして……。
「ホワイトデー、がんばろう!」
「ん!」
ハルカもまた、ケーキを焦がすという失敗をしていた。それを一ヵ月後のホワイトデーでやり直そうと、そういう魂胆である。
ミリーは別に、スイトの部屋にそっと、チョコレートを置いてくるだけでも良かった。それでも巻き込んだのは、ひとえにハルカが、1人で特訓するのが寂しかっただけである。
お菓子の、もとい料理の特訓は、1人では段々舌が味に慣れてしまう。それでは美味しいのかどうか分からない。とはいえ、顔見知りの仲間に頼むのは、ちっちゃなプライドが許さない。
ミリーはハルカの親友だが、普段会わない事が多く、何と無く、大丈夫な気がしたのだ。
ハルカの『何と無く』は、絶対に当たってしまう。
ハルカ以外の女子は、全員普通のお菓子が作れていた。なのに、ハルカだけがちょっと失敗したのだ。クリームをたっぷり塗りつけて、ごまかしたが。その事を知らないミリーを巻き込んだのは、おそらく、その辺りの事情が関係しているのだろう。
とにもかくにも、2人は強く握手した。
……使われていなかったはずの、第五の厨房から甘い香りがしだしたのは、それからすぐの事である。
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