34 星に願いを
高濃度の魔力の奔流。
月と太陽の輝きが入り混じる、俺以外でも色が分かるほどに濃縮した魔力。濃密過ぎて幾つも魔力の結晶が生まれている。
魔力の奔流に流されて、キラキラと輝きながら、小さな結晶達はどこかへと流れていく。
この濃密すぎる魔力の発生源は、部屋の中心にいる、たった1人の少年だ。
彼の名前はセルク。勝手に俺の弟子を名乗る、魔法の天才だ。
タツキとエフに支えられ、俺はやっと立っている状態だった。元々身体中が痛む上、多すぎる魔力に押し潰されてしまいそうになる。
タツキの転移魔法で元いた部屋まで戻ってきた俺達は、部屋に充満した魔力の濃度に驚いた。魔族よりも高濃度の魔力の中で耐えることが出来る俺達でさえ、その魔力に溺れるかのような感覚を覚えたからだ。
ハルカさんが結界を張ったおかげで、この階にいたウルルの被害者はこの魔力の被害を受けていない。
良かった。俺達でさえ呼吸がままならないのだ。この世界の住人達は既に魔力の中毒を起こしてもおかしくない。ハルカさん、グッジョブ!
俺は後ろにいたハルカさんを一瞥してから、部屋の中央に向き直る。
こんな大量の魔力を発している人物を、睨みつけた。
海で溺れているかのような感覚だ。呼吸がままならない。それでいて呼吸そのものは出来ている。酸素を肺が取り込むことは出来ている。
感覚的な問題だ。魔力は質量体ではあるが、そもそも人体に影響を与えるわけではない。人族が多すぎる魔力に中毒を起こすのは、未成年がいきなり大量の酒を飲んだ時のような状況である。この場合、急性魔力中毒という名称になる。
ゆっくり少しずつ摂取すれば問題無いのだ。
元々毒ではないものだとしても、イキナリ大量に摂取すればそれば毒となりうるのだ。
梅だって、生の実には毒がある。子供だと100個くらい食べれば効くような、極少量の毒だが。
ハルカさんが張っている結界の内と外では、魔力濃度がびっくりするくらい違うはず。魔法の扱いに長けたルディだって、濃すぎる魔力の中では体調が崩れてしまった。
俺達も、もう少し濃度が濃くなったら危ないかもしれない。それくらい、濃い。
エフは魔力の奔流に流されそうになっているだけのようだが。
「う、何か口の中が甘い」
「魔力水は甘いだろう。アレみたいな感じだ」
「マジか」
スライムの身体は、まんま魔力だからな。アレは直接吸うと、甘い。普通はスライムから直接吸う事など無いが、興味本位でやった事があるのだ。
「それ、やばくないか」
「むしろ、魔力の結晶化が起こっている時点で色々やばい」
水と同じで、魔力は気体、液体、固体になる事が出来る。水と違うのは、固体になると液体以前に戻れなくなるという事か。
その結晶が空気中に出来てしまっている。これは通常ありえない事だ。
想像してほしい。空気中に氷の結晶が浮かんでいる光景を。
……あ、これダイアモンドダストじゃん。
ああ、もう。そうじゃなくて!
「セルク!」
広々とした部屋の中央。そこに、彼はちょこんと座っていた。とろんとした目は、眠いのか潤んでいる。そして目の焦点が微妙に合っていない。
その後何度か呼びかけるが、セルクはただただ虚空を眺めるばかり。
セルクに近付こうにも、セルクから放たれる魔力の奔流が俺達を拒み続けて進めない。
結局タツキが転移した位置から動けないでいると、やがてセルクは、ようやく口を開いてこう言った。
「ボクを、裏切るの?」
セルクは目を潤ませて、訊ねてくる。
「ボクが、嫌いになったの?」
白い肌に、静かに涙の跡が残る。
「ボクは、嫌われ者なの?」
滝のように触れる涙を拭こうともせず、セルクはゆらりと立ち上がる。
「ねぇ、スイトさん。隣の人は、だぁれ?」
「え……」
ゆったりとした動作で、セルクは立ち上がる。重力を無視したような、まるで操り人形のようなおかしな立ち方をするセルクの顔は、涙を流しているが……無表情だ。
その瞳に光は灯っておらず、しかし合っていなかった目の焦点だけは俺を捉え始めている。
「いいなぁ。いいなぁ。羨ましいなぁあ」
パキパキと、セルクの周囲に結晶が出来始める。ほんのり黄色い色と光を放つ結晶だ。十中八九、魔力の結晶だろう。
セルクは完全に立ち上がると、今度は俺を……いや、俺の隣にいるタツキを指差した。
「ねぇ、スイトさん。
その人達を殺したら―― スイトさんはボクだけの物になりますか?」
セルクは、幼い表情をにんまりと歪ませた。
無邪気、それでいて邪悪。矛盾しているのに、矛盾が成り立つ。
表情は無邪気で、成長しきっていないセルクの顔にベストマッチしている。だが、そのセルク自身からは本人のものとは思えない邪悪なオーラが揺らめいていた。
魔力云々の話じゃない。
ただ。
今、セルクを見るだけでも、それがおぞましい、恐ろしいと感じる自分がいた。
「くそ、ウルルは何を残して行ったんだよ!」
最悪の未来になるかどうか、その分岐点であるとウルルは言っていた。
セルクの中に何かがいるのは間違い無い。というか、セルクの本性が、こんな、見るだけで全身の毛が逆立つくらいの嫌悪感を抱かせるものであってほしくない。
タツキに賛同する。ウルル、アンタはセルクに何をしていった?!
「お前は何だ?!」
「嫌だなぁ。セルクですよ、スイトさん。ふふっ、忘れたふりをして、ボクが悲しむ姿を見たかったのですか? 困ったさんですねぇ」
セルクは恍惚とした表情に変わる。
……マジで誰だ、こいつ。
「んー……」
「どうした、エフ」
そこで、エフがもじもじしながら、自分の頭を指でつつく。
こんな状況でおトイレにでも行きたくなったのだろうか。
「しっと、かな」
「はい?」
こらこら、女の子がシットなんて言葉を使っちゃいけません! 海外では例の排泄物を意味する単語なのだから!
という冗談は置いといて。
シット。しっと。嫉妬。
嫉妬?
「ボクのスイトさんと話すなこの雌豚が!」
「やーん」
それまでどちらかと言えば穏やかだったセルクの表情が一変する。目は見開かれ、眉間にシワが寄り、口は限界まで開いて、未だ大量に溢れ出ている魔力のありったけを圧縮して……。
それを、俺の横にいたエフに向かい、ピストルも真っ青なスピードで射出した。
擬音語で表そうか。
キュゥン ← 魔力を集束する音
パキン ← 超高硬度の結晶が出来た音
ヒィン ← おそらくこれが射出時に出た音
ちゅどーん ← 俺の隣にぽっかりと穴が空いた音
……。
…………。
………………。
この間僅か1秒未満。
「あぶないぃ~!」
エフは、俺の後ろに引っ込んだため無事だった。
しかしだ。
今のが当たっていれば、おそらくエフはもう一度、転生をしていたのではないだろうか。
大声を上げて泣き喚くエフは、汚れ気味の俺の制服で涙を拭っている。
「……エフ、嫉妬って、あの七つの大罪に数えられる嫉妬か?」
「うー……たぶん、そう。めっ、なの」
小さな身体を小刻みに震えさせるエフ。
うーん。今のエフには、この状況は厳しいかな。
「ハルカさん、聞こえるか?」
「え、うん。って、スイト君?!」
結界を張るのに集中していたハルカさんが、俺の声にハッとなった。どうやら俺やタツキが戻ってきた事にすら気付いていなかったようだ。
「スイト君、無事だったんだね。良かった」
「無事っちゃ無事だが、とりあえず全身が痛いかな。それより、この子。エフを頼む」
「分かった」
ホッとしたのもつかの間。ハルカさんは1つ頷くと、再び結界に集中し始める。俺はエフをハルカさんの元へ送り出した。
それにしても、嫉妬、か。ウルルめ。セルクの感情を操作したというのか。
……お?
身体の痛みが引いていく。ああ、ハルカさんが治してくれたのかな。
「スイトさん、どうですか? 痛いの、治りましたか?」
セルクだった。
「ねぇそこのお兄さん。そろそろ離れてよ。スイトさんにくっつく理由はもう無いでしょ」
なるほど、タツキが俺を支えていたのが気に入らなかったらしい。
セルクは俺からタツキが離れると、それでも不機嫌そうに頬を膨らませる。
嫉妬しているのは確かだな。
「お前は、誰だ」
「やだなぁ。ボクはセルクですよ。……『今』は」
「!」
にんまりと、普段のセルクならしないような邪悪な笑みを浮かべる。
「ふふ、ふふふ。ボクの事が気になりますか? ボクの事が!」
彼から溢れ出している魔力の勢いが強まる。その濃度自体は変わらないため、何とか流れに逆らうような抵抗感で済んでいるが……。
タツキは勢いに負けて、ゴロゴロと転がっていってしまった。
ここに戻ってくるのは至難の業になるだろう。
「ボクの名は『嫉妬』ですよ、スイトさん」
「嫉妬……」
セルクはにんまりと笑った。
「この子……セルクが今最も執着している貴方だけに心酔し、それ以外を許さない。貴方に近付くボク以外のもの全てを。貴方と同じ空気を吸っている生物全てを!」
「げっ!」
セルクは、先程吹き飛ばされたタツキを睨みつける。その瞳は赤黒い光を纏い、いかにもそれが異常である事を言外に告げていた。
セルク。いや……『嫉妬』は、軽く床を蹴り、しかし目にも留まらぬ速さでタツキとの間を詰める。
音も動作も軽い。
それでいて、一瞬視界から消えるほどの速度でタツキの目の前に現れるのだから恐ろしい。
「ぅやっ!」
それに驚きつつも、タツキが変な声を発してなぎ払う。
「ぅあぐっ!」
明らかに目の色がおかしいセルクを、本能で反応してなぎ払ったタツキ。
って、おい!
未だ切れ味抜群の剣を使っているタツキは、今更剣の切れ味を思い出したらしい。一気に顔が青ざめて、セルクを吹っ飛ばした先へ視線を向ける。
ただ、真っ二つになるのではなく吹っ飛んだのは気になる。
こういう時はアレだ。困った時の鑑定頼みである。
人に使えば、ステータスが読み取れるからな。敵と遭遇したときは便利だ。
鑑定!
【 嫉妬 : 大罪たる七柱が1つ。 愛を知る者全てに起こりうる可能性。誰もが持ちながら誰もが発症するわけではない。あらゆる心に潜む「嫉妬」を暴走させる。この存在に悪意は存在しない。ただし、存在そのものが邪悪。破壊不可能。そこに在るだけで精神汚染を周囲にもたらす。 】
何だこれ。セルクのステータスを調べるつもりが、何故か『嫉妬』の方を鑑定している。
そうじゃない。セルク自身のステータスだって。HPが0になったらいわゆる死亡なのだ。溢れ出す魔力の量は変わっていないが、セルクが気絶しているっぽい今がチャンスである。
【 嫉妬の化身(欠片) : 大罪:嫉妬の欠片によって変質した者。原典よりは劣る。
本体名称:セルク=アヴェンツ
HP:―― MP:――
以降の情報の読み取りは不可能です。
攻略方法 : 欠片所持者の殺害(実行可能) 】
……ッ?!
最早聞き慣れたアナウンス。女性の機械音声は、俺に告げる。
持っていたスキル:鑑定Ⅱが、鑑定Ⅲに進化した、と。
これまで『攻略方法』なんてものは表示されなかった。それが、今になって唐突に表示されるようになったのだ。
しかも、何だこの誰が見ても引くような攻略法は。
……あ。
これか、最悪未来への一手は。
セルクの死亡、というか、殺害。
これが、最悪の未来に至るために必要な行動なのだ。おそらく『最悪』の俺もこのタイミングでこの攻略方法を知ったのだろう。
セルクを殺す。それが、解決方法だというのか。
これは、誰が考えても絶望的な解決だね。第一にやりたくない。第二にしたくない。第三に再びやりたくないと来るようなやつだ。
何か他に解決法は……。
「うふ、うふふふ……」
未だ床に転がったままの『嫉妬』から、不気味な笑い声が聞こえてくる。やはり無事だったらしい。埃まみれにはなっているが、傷の類は一切見受けられないのだ。
HPもMPも表示が「――」になっていたからな。
一体、セルクの身に何が起こっているのやら。
「あははっははっはっははは!!!」
『嫉妬』は声高々に、叫ぶように笑い飛ばす。再びあや売り人形のように不自然な立ち方をして……その瞬間、笑い声がピタリと停止した。
それから『嫉妬』は、おもむろに姿勢を正す。
ゆったりとした動作だ。まるで、時間がゆっくりと動いているかのように錯覚してしまう。
顔に影が落とされ、その表情が読めなくなる。
ただ、緊張感だけが尋常ではない速度で高まっていく。
「 やってくれたね 」
『嫉妬』の声が、低くなった。
途端、背後から鈍い破裂音がこだまして、瓦礫の崩れる音、小石の落ちる音が聞こえてくる。ガスが漏れるような音や、火花が散る音も。
恐る恐る、振り返る。
「「………………っ」」
俺とタツキは、それぞれ声が喉で詰まってしまった。
俺は驚愕で。
タツキは……物理的に。
『嫉妬』は床から少し離れた部分に浮いていた。その手はタツキの首を掴み、何枚もの壁をぶち抜いた先で、タツキを壁にめり込ませている。
真っ白な金属製の壁は破壊され、所々真っ赤に光っている。つまり、それだけの摩擦熱が発生するほどの衝撃を受けた、という事なのだろう。
その光景に、前回にタツキが空けた大穴の光景がフラッシュバックする。
「……コロさない。コロせない。コロしたら、スイトさんが悲しむから。ボクは、悲しませたいわけじゃないから。悲しむスイトさんを見たいけど、やだ。やだ。ヤダ!!」
嫌だ、という言葉とは裏腹に『嫉妬』はその手の力を強めていく。メリメリと不穏な音を立てて『嫉妬』の指がタツキの首にめり込んでいく。
タツキも抵抗しようと首に手を掛けるが、上手く引っ掛からず……。
……やがて、タツキの身体から力が、抜けた。
「シんでいない。うん、良い感じ。ふふふ」
『嫉妬』が手を離すと、タツキは受身を取ることも無く硬い床にその身を落とした。顔面から崩れたように見える。
タツキが崩れ落ちた瞬間――
―― 俺の中で……『何か』が弾け、消えた。
気が付けば、俺は自身に移動速度、攻撃力、防御力など、考え付く限りの身体能力を底上げする支援魔法を発動していた。
右手にはいつの間にか抜刀していた剣。
自分でも驚くほど素早く、そして恐ろしく冷静に―― 『嫉妬』の喉元に、とてもよく研がれた剣の刃を押し当てていた。
「スイトさん、ボクをコロしたいの?」
かくん、と、セルクは首をかしげて訊ねてくる。
その動作だけで、刃が喉を撫でる。先程タツキの一撃を喰らって無傷だった。だがそうは思えないほど、簡単に柔肌は切れ、真っ赤な血がつぅ、と白い肌を流れる。
真っ赤な液体が、セルクの着ていた制服に滲む。
違う、傷つけたいわけじゃない。今だって、本当は剣を数ミリ離していた。
こいつ、わざと当ててきたな!
それに気付いた瞬間、剣の柄に込める力が一瞬だけ途切れる。その隙を見逃さず、目の前から消えてしまった『嫉妬』は、俺の肩に手を掛け、囁くような音量で呟いた。
曰く。
「……良いですよ。スイトさんにコロされるなら、ボクは、シアワセだから……」
うっとりとした表情で、セルクの声音で、そう囁いてきた。
殺す? セルクを? 俺が? この手で?
ああ、頭がくらくらする。
分かっている攻略方法は、セルクの息を止める事。今この瞬間にそれができるのは俺だけで、そもそもその攻略法自体、俺しか知らないだろう。
セルクは、殺したくない。その身を若干傷つけてしまった事すら、かなり後悔しているのだ。
だが、目の前にいるのは『嫉妬』である。
一度、そう、たった一度、この剣で……。
俺は剣を握る手に、再び力を込めて――
【 熟練度が一定に達しました
スキル:洗脳耐性 を獲得しました 】
……洗脳?!
俺は反射的に、剣を杖に変化させ、後ろにいた『嫉妬』を振り払う。
杖は『嫉妬』に当たる事無く、宙を舞った。
『嫉妬』は変わらない笑顔を浮かべるだけで、既に首の傷も消えている。血の筋が残っているし、幻覚ではないと思いたい。
洗脳、か。何がどこまで洗脳だったのか教えて欲しいね。ただ、どことなくセルクを殺す方に意識が傾いていた事は洗脳のせいなのだろうが。
いつ、洗脳なんて事をされたのだろう。
「コロしてくれないの、スイトさん? じゃあ遊びましょうよ。ボクも剣を持ちますから、これでおそろいですね♪」
俺が黙ってしまった後で『嫉妬』はそう言うと、タツキが持っていた剣を拾った。未だ薬品の効果が残っている剣は『嫉妬』が持った途端に薄く赤く発光し始めた。
絶対『嫉妬』の何らかの力が作用しただろ。
剣とか杖とかを通してでも、あまり触れたくない。邪悪なオーラがだだ漏れなのである。そのくせ殺気は感じない。
種類は違うが、例の聖剣に操られていたタツキに似たものは感じる。あれは無差別に殺気を振りまいていたが、邪悪なオーラが出ていた点は同じなのだ。
あの時も今も、明確な解決法が無い事まで同じ。
せめて、殺害以外の方法が見出せるまで時間を稼ぐか……? 幸いな事に、俺は『嫉妬』に気に入られているようだし。
「じゃ、行きますよ」
出し惜しみは無しだ!
後遺症が残ってもいい。動体視力、反射神経、筋力、思考力を強制上昇! 限界を超えて上昇させると、反動が起きかねない支援魔法だ。
もっとも、普通の支援魔法にムリヤリ大量の魔力を注入しただけだけど。
実は危険なので、良い子は真似しないように! 出来ないと思うけど。
キィン、と、金属同士が衝突する音が響く。こっちはセルクを即死させないよう、剣ではなく杖を使っているけど、この杖は下手すると魔法ガラス並みに硬い。防御にも使えるのだ。
これで思い切り殴れば、最凶の鈍器にもなりうる。扱いに注意しながら、俺は『嫉妬』の放つ剣戟を捌いていった。
俺の動体視力や思考力は、元々高い方だと自負している。それを強制的に能力上昇させているから、今の俺はピストルの弾だって取れてしまう自信があった。
しかし、それでも『嫉妬』の放つ剣筋を見極める事は出来ない。
いわゆる、あらゆる物の動作がゆっくりになった世界で、俺は普通に動けている。そして『嫉妬』は更に速く動けていた。
『嫉妬』がうさぎなら、俺は亀。あ、この場合の亀は周囲の奴等か。
まあ、それはいい。
『嫉妬』の剣は、剣道や剣術の基本を完全に無視した、完全なアドリブだった。両手で柄を握って放つ、重い一撃と、片手のみで剣を振り下ろす軽い一撃が混ざっている。
時々全く力が入っていないために弾かれ、バランスを崩していた。
「ははっ、やりますねぇ、スイトさん!」
こっちが殺す気だったら、その隙を突いていただろう。
だが、それだけはやっちゃいけない。セルクの死は何事においても敗北でしかないのだ。
セルクを『嫉妬』から無事に取り戻し、尚且つ『嫉妬』をどうにかする。これが絶対の勝利条件。
それに、まだ希望はある。……マキナの薬は、そろそろ効果が切れるはずだ。
『嫉妬』が持つ剣の赤いオーラは消えないが、発光は薄れ、そして、消える。それと同時に、刃に無数の亀裂が入った。
それから数秒もしない内に、剣は音を立てて跡形も無く崩れ去る。
「あ、あーあ、砕けちゃった。まあいいや。スイトさん、凄いですねぇ。じゃあ、次に行きましょう!」
『嫉妬』はにっこりと笑い、予備動作無しで鎌鼬を放つ。あちらも俺を殺す気が無いのか、頬のかすり傷と髪を数本切られただけで済んだ。
……今度は魔法戦ですか。
ここからは筋力云々じゃなく、勘と冷静さがものを言いそうだ。
『嫉妬』が炎の雨を降らせる。これは水属性の壁を作って防ぐ。
今度は尖った岩を飛ばしてきた! これは暴風を巻き起こして吹き飛ばす。
「あははは! 楽しいなぁ。タノしいなぁ!」
「そうかい!」
かなり丈夫に作った結界は一瞬で破壊される。だからと言って脆い結界を張っても、こちらがダメージを負うだけだ。
俺の魔力は無限じゃない。魔法に使う魔力は極端に少ないし、回復速度も速い。それでも魔力は有限だ。まだ大丈夫なのだが……このまま攻防戦が長引いても、俺の魔力が枯渇するだけである。
くそっ!
何か他に手は無いのか?!
エフ経由で、最悪の未来の俺が、現時点の俺に力をくれた。けど、意味無いじゃないか。そもそもあの力だって、使い方をよく知らない。
それに『消去』がどうとか言っていたが、要するに『何か』を消去しなきゃいけないって事だろ?
それが分からなきゃ話にならない!
何か、無いのか。本当に。
セルクを殺す以外の方法は……っ!
【 ……ジ……ジジ…… 】
ん? 今、何か……。
頭の中に、何かノイズが聞こえたような。
【 ……ジジッ! ―― ……ぇ……か? 】
「?」
今度は、人の声が聞こえた。
何か、このシチュエーションには覚えがあるぞ。俺が窮地の時に、俺の知らない誰かが声を掛けてくるやつ。前回は俺が死に掛けていた時、コリアが話しかけてきたな。
だが、今回はコリアじゃない。
声は高い方だが、それでも若い男性だと分かるくらいには低い。
そしてこれは妙な話だが……聞き覚えのある声のような気がする。
【 ……ぃ……け……ジジッ! も……ぃ……だけ……で…… 】
ノイズだらけの音声が、段々とクリアになっていく。
誰だ?
誰が、どうやって、俺に話しかけて――
【 ……ザザッ!! ―― もう一度だけで良いのです。もう一度―― 鑑定を! 】
鑑定?
今更そんな事をしたって、意味なんか……。
【 上位存在より干渉申請を受領……申請を許可します
上位存在の申請により 風羽翠兎 のスキル再構成を開始……完了
スキル:不完全知を獲得しました
スキル:鑑定Ⅲが スキル:不完全知に統合されます
以上でスキル再構成を終了いたします 】
おぉう、意味あったよ。
何だ不完全知って。不完全な全知って。
まぁいい。今のスキル獲得に意味があるなら、それを証明してくれよ! 鑑定!
【 攻略方法 :
欠片所持者の殺害(可能) 『嫉妬』の欠片消去(可能)
上位存在召喚(不可) 魂魄再構成(不可) ……―― 】
ズキリ、と頭に痛みが走る。言葉による情報が、俺の脳内に押し寄せたからだ。
セルクのステータス詳細。
『嫉妬』とは何なのか。
『嫉妬』の攻略方法、etc……。
情報量が多すぎて、大半の事は聞き流しておいた。一瞬で覚えておける量じゃない。情報が記憶に刻まれるのではなく、一瞬で情報が光のように流れていった感じだ。
それでいて、必要な情報を掴み取る事は容易。ここは助かる。
曰く、攻略方法の一部参照。一部、参照である。
今の俺で実行可能なものだけでなく、俺、もしくは全人類が力を合わせても実行不可能な方法まで、ありとあらゆる『嫉妬』の攻略法が開示された。
いや、今ので完全に理解した。
あれは『嫉妬の欠片』なのだ。これが『嫉妬』そのものであれば、そもそも攻略は不可能だっただろう。だがあれは欠片で、だからこそ多くの攻略方法がある。
もっとも、その攻略も一筋縄ではいかない。だからと言って諦める選択肢は無い。
俺自身、セルクを助けたいというのはもちろんの事。それ以外にも、あれを放っておくと、いずれ今のセルクのような者が繁殖してしまうのである。
『嫉妬』は七大罪の1つ。人が持つ代表的な負の感情の1つであり、それ故にその力は人の心を侵食していく。今のセルクのように、その人が最も執着しているモノに対する感情が暴走してしまうのだ。
簡単に言うと、こいつを放っておくとヤバイ。
だから、ここで止める。
未来の俺が、今の俺に託した『消去』の力。
鑑定の力は、その効力で言うと鑑定Ⅹに相当する。
曰く、セルクの首の裏に『嫉妬』の欠片本体がある。
それを消す事ができれば―― 俺達の勝利となる!
「……気付いちゃいました?」
「ああ。お前を消す。そして、セルクを取り戻す」
「……そっか。…………そっかぁ」
『嫉妬』はへらへらと笑う。少しだけ寂しそうにして、それでも、なおにっこりと微笑んだ。
「もう終わり、かぁ」
「そうなるな」
「ああ、やだなぁ。せめてスイトさん以外の人間を全員消したかった……」
そりゃあご大層なお望みで。
それにしても、何か静かだな。
やけにアッサリしているというか、妙にご都合展開的な、というか。
「……何故逃げない?」
いくら俺に執着しているからといって、こいつにとって俺がやろうとしている事を阻止する事は、赤子をひねるよりも容易なはずである。
それこそ、俺がやろうとしている事……『嫉妬の欠片』を消去しようとするのを、全力で阻む事は出来るはずなのだ。
「理由はもう言ったよ。ボクは、貴方になら、コロされても良いの」
『嫉妬』はにんまりと微笑みながら、魔力の放出量を抑えて俺に触れてきた。
何かを惜しむように、俺の胸に触れる。何の力も感じないし、抵抗するつもりは無いようだ。
セルクの首筋には、赤みを帯びた真っ黒な金片がくっ付いていた。
生温かさの移った金片に触れると、セルクがピクリと反応する。と同時に、歯車が輝く。
歯車に宿る『消去』の力は、対象に直接触れる事で発動するのだ。歯車の鑑定結果も情報過多で驚いた。全部説明すると時間がかかるので、省略しておく。
つまり、件の物質に直接触る事が発動条件。それが分かれば後は無視してもさほど問題は無い。
パキン、という音と共に、金片が崩れるように空気へ溶けていく。
金片が消える間際、セルクの口が開いた。
「……あぁ、でも」
『嫉妬』はその瞬間、にんまりと微笑む。
「 ―― コウカイしても、シらないヨ 」
「っ!」
セルクの首筋から金片が完全に消えてなくなった途端。
俺は―― 溺れた。
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