33 拝啓現在様
暗い。黒いとかではなく、ただただ単純に暗い。
錆びた鉄のにおいと、カビ独特のにおいが入り混じる。
床に幾つか、オレンジ色の弱い光を放つライトが埋め込まれている。しかし天井が見えない程度の明かりで、かろうじて、ライトからそれほど離れていない床が見えるだけ。
部屋である事は確かだ。遠くに明かりが見えるから、そこも床なのだと分かる。
問題は、壁が見当たらない事。この場所がどれだけ広いのか把握できない。
「ここどこー?」
「さぁ、ね」
身体中が軋むように痛む。動かなければ別段痛みも無いのだが、何せ今は急がなければならない。
重く感じる身体を持ち上げて、進むしかないのだ。
加えて思考力が落ちているためか、魔法が上手く発動しない。寝起きだからというもあるかもな。
更に。
「怖いか?」
「こわくないもん。くらいの、へいきだもん」
俺の腕にずっとしがみついているこの子を、どうするか。俺はそれを決めあぐねている。
「まだ歩けるか、エフ」
「うん。わたしはだいじょうぶだよ。でも、おにいちゃんが」
不安そうな表情のままで俺にしがみつく彼女は、大きな瞳を潤ませながら見上げてくる。
彼女の服装は、即席でサイズ調整した下着類の上に、ぶかぶかのブラウスと白衣のみ。靴は履けたが、やはり大人用は大きすぎた。それもヒールがかなり高く、今も引き摺ってしまっている。
スカートは、この子の腰が細すぎてすぐ落ちてしまうので、とりあえず持たせておくに留めた。
俺のベルトを貸すわけにも行かないし、傍にベルトの代わりになるものが無かったのだ。
無事に帰ったら、イユに新しい服でも作ってもらおう。
「俺も大丈夫だよ。それより、暗すぎて見えないな……」
暗すぎて不便だな。というわけで、使い慣れてはいないが、スペル式の魔法でも使うか。あれならイメージが多少弱くても大丈夫だろう。
呪文は何でも良かったよな。
「なら、何でもいいか。
【 部屋を照らせる程度の光をここに 】 」
パァッと辺りに光が当たる。光源は俺の目の前にある、水晶球みたいな物体だろう。魔法名を省略しても出てくるのな、魔法。
さてと、これで部屋を見渡せそうだ。
お、天井は見える。どうやら、ここも一応白い金属製の床と天井があるみたいだ。という事は、壁も材質は同じかな。
所々に、葉っぱの無い10メートルの木っぽい柱が生えている。触れば冷たく、生木ではなかった。
ただ、奇妙な事に壁は見えない。
天井は目分量で10メートルくらいの高さがあるが、見える。しかし、俺のいる地点から、前、後ろ、右も左も壁が見えなかった。
おいおい。ここ、相当広いぞ。
「とにかく、現在位置の把握ができればなぁ」
こういう時こそ魔法:エネミーサーチを使いたいのだが、頭がまだフラフラするし、身体の痛みがさっきより増してきた気がする。
これ、もしかしてまずい状況なのでは?
ああ、仲間とはぐれた時点でまずいのか。なら、早く合流しなきゃいけないな。とはいえ、どうする?
「ここに留まるよりは、良いか」
エフを置いていくわけにも行かないから、移動速度が速まる事は無い。ならどうするか? とりあえず壁に当たるまで、もしくは出口が見えるまで歩くだけだよな。
俺はエフの頭をそっと撫でると、とりあえず12時の方向へ歩く。
そうして数分進んだところで、明かりがようやく壁を照らしてくれた。
壁はやはり白い金属製らしい。運良く古い地図も壁に打ち付けられていた。魔法ガラス製らしい地図は、施設の構造を描いたインクを内部に閉じ込めており、作られた当初と同等の品質が保たれている。
どうやらこの大広間は、食堂だったようだ。それも、当時で言う地下9階に位置するらしい。
いつの物なのかは不明だが、この施設はどうやら、大人数が利用していたようだ。
「どこに行くの?」
「そうだな。とりあえず、この地図に描かれている出口に向かってみるか。一番近いのは……こっちだな」
地図は黒板ほどの大きさがあり、かなり重たい。持ち運びが出来ないのは惜しいが、大体の構造は把握した。見る限り複雑な構造ではないし、問題ないだろう。
俺は地図の隣にあった、開いたまま動作が停止したと思われる扉をくぐった。
この施設は、どう考えても放棄されてかなりの時間が経っている。劣化は見られないが、埃は大量にあるのだ。数年という単位では表せないほどの量である。
俺とエフが……元ウルルであるこの子が一緒にいる事を考えると、俺はどうやら、あの戦闘の最中に拉致されたらしい。ウルルはもちろん、その『転生体』であるエフも、空間移動系アビリティ:ポートゲートの使い手だから、連れ去る事は可能なのだ。
俺は雷のせいで気を失っていたし、そこから何故かこんな場所にいたのだ。うん、拉致されたのだろう。多分。きっと、そうに違いない。
おかげでタツキ達を探しに動く必要に迫られた。
まったく。俺がここに来てからどのくらいの時間が経ったのやら。場合によってはタツキ達が俺の捜索でへとへとになっているはずだ。
「おにいちゃん」
「何だ」
「わたしのなまえ、エフっていうの?」
「ん? ああ、まぁな」
そういえば、ウルルの転生体だから、そのままウルルのほうが良かったのだろうか。でも、事件の犯人と同一なようで違う存在だからなぁ……。
ウルルは死ぬ度に子供へ転生する、不死鳥。エフとは、ウルルが自身をウルルと名乗る前の名前だ。ならエフでも良いだろう。
エフは、言動が子供っぽい。
しっかりとした人格と知性を感じるのだが、喋り方などはまるきり幼い子供である。
そして、背が小さい。
鑑定してみると、肉体年齢は10歳らしかった。これが成長すると、あのナイスバディになるというのだから不思議だ。今の所、全く成長しそうな要素がないのだから。
エフが不安がる度に頭を撫でてやると、その度に「えへへ」と頬を緩ませる。
そういえば、転生と言うからには、転生前であるウルルは死んだのだろうか。記憶を取り戻したエフから最後に聞いた台詞に関係していると思われる。
たしか、弓がどうのって。
俺達の中で弓を使うのはひぃ先輩だけだ。ひぃ先輩が致命傷を与えたという事なのだろうか。
でもエフの話を鵜呑みにするなら、ウルルって回復能力の高い、化け物じみた体質の持ち主だろ? 何せ不死鳥だもの。
ああでも、待てよ。
ひぃ先輩って、純度がかなり高い水の魔力を持っていたような。
不死鳥、フェニックス。その身体は炎で出来ているらしい。という事は、炎の弱点属性に当たる水属性の攻撃を受けて、それが致命傷になたという事だろうか。
うーん。
推測だらけで真実味が薄いな。これはもう少し材料が揃ってから考えよう。
「と、もうすぐ階段だな」
「かいだん……」
「それを4階分上がる。今はちょっとキツイかもしれないけど」
「……がんばる!」
ふんす、と鼻息を荒くして、エフは腕を振り上げた。
にしても、念話が使えたらどんなに良かったか……。居場所は伝えられなくても、無事である事を伝える事は出来ただろうに。
念話は、使用禁止になっているのだ。
この施設全体でそうなっているらしいな。
時々白い金属の床や天井、壁に光の円が走っているし、何かしらの機能が働いているのだろう。
「少し寄り道をするぞ」
「うん!」
先程までいたのは、地下9階の最奥にあたる部屋だった。そこから地上6階まである大型施設だったらしいな。それらしい施設は地上に無かったから、地上6階すらも今となっては地下になっているのだろう。俺達がウルルと戦闘したのは、一体、どの階になるのやら。
戻るまでに相当時間がかかるな、これは。
今向かっているのは地下5階にあるらしい機関室と動力室だ。そこに行けば、魔法使用禁止をどうにかできるかもしれないからな。
目覚めてからずっと晴れない頭も、どうにかなってほしい。
使える魔法もマトモに使えないのだ。正に、歩くのがやっと、という状態である。
「ついたよー」
「ああ」
とにもかくにも機関室に到着、だな。
ドアは壊れていて、手で開ける事が出来た。特定の人物のみを通す自動ドアだったようだ。認証そのものは作動していたが、肝心のドアは重厚そうな見た目に比べて簡単に押し開けられた。
俺達の世界で言う、顔認証とか静脈パターンとかを読み取るのだろう。俺達が近付くと同時に、機械音声が『こちらはお通しできません』と言ってきたのだ。
急に聞こえたから、驚いた。
エフも怖がって、俺の腕をいっそう強く握り締めている。
子供だから痛くはないのが救いか。
「ここが機関室、か」
部屋は球状になっていた。真横に取り付けられた扉からまっすぐ、部屋の中央まで道が続いている。ここもやはり視界に映るもの全てが謎の金属製だ。明かりらしき物は無くとも常に何処かしら光っているため、薄暗いが足元が見えないという事は無さそうだ。
光は上から下へと流れている。更に、光の粒子が部屋の中央から上に流れている。まるでこの部屋の中央から、施設全体へ光を送っているかのようだ。
部屋の中央にあるのはコンソール。ピアノを思わせる真っ白な基盤が、視力検査で使われるマークのようにぐるりと配置されている。黒い基盤も混じっているからか、本当にピアノみたいだ。
これを操作すれば、何かしら変化は起きるのだろうが……。
試しにキーを1つ押しても、ぽぉん、とピアノらしき音がするだけだった。
「これをどうしろと……」
メチャクチャに押してムリヤリ止めるという手もある。
が、それは最後の手段。思考力が落ちていても、それが危険であることは理解しているさ。
たとえば、どこからか俺達のような侵入者を排除しようとロボットが動きだすかもしれない。この施設ごと崩壊するかもしれないし、爆発で地上の学園ごと吹っ飛ぶかもしれない。
とりあえず、やけくそでテキトーに弾くのは、ダメだ。
ただ、ヒントとなりそうなものが目の前にある。
SFチックな景観の中に、何とも心が和む物があるのだ。
コンソールのキーを適当に押した時、宙に浮かんだ物。それは魔法ガラスで覆われた、まるで子供が描いたような5枚の絵だった。魔法ガラスには右からそれぞれ、STOP、START、DEREAT、CHECK、FOR ANOTHERと刻印されている。
絵はタイトルが無い。クレヨンで殴り書きされたような、いかにも子供が描いたらしい感じの絵だ。
右から、猫が踏まれている絵。茶色い何かが手を振り上げている絵。ただただ星が描かれている絵。そりを引くトナカイの絵。そして黒い点が黄色い丸を運んでいる……アリの絵だろうか。
ストップ、が、今俺がやろうとしている事でいいのか?
いや、待てよ。
何を止めるのかが分からない以上、別のを選んだ方が良いかな。
もっとも、どれを選ぶかは結局のところテキトーだ。あー、もー、頭がぐちゃぐちゃしてなきゃ無難なのを選んだだろうに。
よし、これに決めた! どうにでもなれ!
「わぁ、おにいちゃん、ピアノひけるんだ!」
「簡単な曲なら何とかな。今度教えてやろうか?」
「やったぁ!」
チェックはトナカイだったか。じゃああれだ。某クリスマスによく聞くあれ。こっちにそんな曲があるのかは知らないけども。
余所見をしながらでも弾ける程度には出来るから、エフにも今度教えてやろう。
それと、道が細い上に手すりなどが無いので、はしゃいで落ちないように見ておかなければ。
「まっかなおっはっなぁーのぉー」
知っているらしい。エフは俺の伴奏に合わせ、楽しそうにトナカイの歌を歌っている。その場でくるくる回ると、彼女の長い髪が一緒に舞った。
コンソールの光が、彼女の真っ白な髪を照らす。
よし、弾き終わったぞ。
「なんかでた!」
「おぉ」
俺がステータスモニターとよく似た、透明で薄い板がコンソールの上に出現した。縦に細長く、2メートルほどの高さがあるモニターだ。
文字は横書きで、言語翻訳のおかげか日本語で表記されている。チェックはどうやら、施設の状況を調べる事の出来る機能だったようだ。
あ、魔法制限の項目がある。今はONになっているみたいだ。
『ストップ』は何だったのやら。
と思ったけど、エネルギー供給の部分が『STOP』と暗い色の文字で表記されている。多分これがストップの正体だ。STOPの曲を弾けば、この文字は他と同じく白く光るのだろう。
さて、あの魔法制限の部分を解除するには、と。
ふむふむ。機能のオンオフは、鍵盤の特定のキーと連動しているらしい。
えっと、魔法制限の項目と連動しているのは……これか。
ポーン、と、ソの音がその場に響く。魔法制限の項目がOFFとなった。よし、これで普通に魔法が使えるようになったはず。
ついでに、頭が冴えてきた。この機能のせいで思考力が落ちていたというのか。まぁ、身体中が痛いのはこれのせいではないらしいけども。
一体ここは何なのか。何のための施設なのだろうな。
って、そうだ!
俺は懐に手を差し込み、取り出した物を一瞥した。
スマホ。何でこれの存在を忘れていたのか。
思えば、念話を使うよりスマホを使った方が便利だと言ったのは俺自身じゃないか。俺は大きな溜め息をつく。そしておもむろに、電源を入れたスマホの画面に指を滑らせた。
『……ふぉあ?! えっ、スイト?! スイトぉおお!』
「うるさい」
かけない方が良かったか。
タツキは俺の声がよく通るとか大きいとか言っていたが、タツキも大概だと思う。
うぅ、耳鳴りが酷い。
『だっ、大丈夫なのかっ! ウルルはどうした? 今どこだ?!』
「とりあえず落ち着け。俺はまぁ、無事……なのかな。うん。ウルルはちょっと、まぁあれだ。一応そっちも心配する事は無い。あと、俺がいるのは地下5階の機関室だよ。今、魔法制限を解除した。あ、そうだ。そっちが何階か分かるか?」
『さあ。あ、でも。俺達がウルルと戦った階は、最上階だったみたいだぜ。何たって、やっと見つけた階段が、上に行く方は屋上ってなっていたからな!』
「じゃあ、それが地上6階だ」
この施設は、地上は6階、地下は9階まである。何のための施設なのかは今後調べるとして、一応出口の位置が分かったな。
本格的な調査はきっと大人達がやるだろうが、俺だから分かるような事もあるかもしれないからな。今の内に調べられる事は調べておくか。
『って事は……。今俺がいるのは、地上2階部分だな。スイトがいると思って3階を探したけど、いたのは被害者の1人でさ。だから、更に下に行けばサーチにも引っ掛かるんじゃないかって』
「ああ、なるほど。さっきまで地下9階にいたから、そこが魔法の範囲外になっていたわけだ」
『それより! そこは安全なのか? ウルルは?!』
「あー……後で説明するよ。ともかく、地下5階まで降りてきてくれ。魔法で目印を置いておくから、合流しようぜ」
『お、おう』
エフの頭を撫でつつ、電話を切る。
「エフ、ちょっと静かにしてな」
「うん!」
「よし、良い子にはこれをやろう」
俺はポケットから飴玉を出した。リンゴ味の飴で、今朝何故かコックから手渡された物だ。何かあの人からは、必要以上に子供に見られているような気がする。
たしか茶色いウォンド族だったな。犬の獣人でもふもふな人だ。魔道具で容姿を人に近づけても、全体的に毛深くなってしまうが、超一流の料理人だ。
そして子供好き。
彼の言う子供の定義は、20歳未満である事。彼曰く良い子も悪い子も全部ひっくるめてかわいい子供だとの事。
いやぁ、俺は飴玉なんかで餌付けされるタイプじゃないのだが。
まあ? もらえるならもらいますけど。
何故かあの人の作る飴って、物凄く美味しいけど!
「そういえば、FOR ANOTHERがあったな。あれって何だろ」
飴玉から意識をそらすと、視線の先にアリ(?)の絵があった。
……これ、アリだよな。黒い点に黄色い丸だし。アリが巣に餌を持ち帰っている様子だよな。
その割に点の位置がまばらだけど、子供の絵だし、アリが一列になって歩くなんて知らなかった可能性もある。うん。
……別の絵かな。アリの歌ってあまり知らないし。童話なら知っているけど。
えっと、点に丸。点に、丸。
「ほたる!」
「ん?」
「ほたるだよ。ほたる。おしりがぴかぁーって」
ああ!
エフ、ナイス! ご褒美に飴玉をもう1つあげると、エフは跳んで喜んだ。
そうか、蛍! 蛍だったら、誰でも知っている曲があるぞ!
店が閉まるときに鳴る曲だ。悲しく切ないメロディーは、卒業式でも歌われる。ただ、歌詞を覚えている人は案外少ない。
その曲を弾き終えると、ピアノの音が反響する。俺とエフ以外誰もいないし、部屋は殺風景で余計な物は無い。障害物となるものが皆無なので、音が反響するのは分かる。
ただ。
音に呼応するように、湾曲した壁を流れているだけだった光の筋が、時折光を強め始める。いつまで経っても消えない音の余韻に、大量の光が呼応する。
綺麗だ……けど、何で俺達の世界の曲に反応するのかね。
以前来た賢者がこの施設を作ったとか?
まぁ、以前この世界に来た賢者や勇者の影響力は凄まじいからな。トイレとか、料理とか、もろに影響を受けているし、曲も伝わっている事は十分ありえるだろう。
こっちにトナカイに相当する動物か魔物がいるのかは知らないけど。
とはいえ、誰でも知っていそうな曲を鍵にするのはいただけない。
こっちの人間には分からない曲かもしれないが、俺みたいに知っている奴が来たらどうするつもりだったのだろうか。
それも含めて色々と調べて――
『―― これを見ている者へ、伝言を頼みたい』
ん?
『俺は、初代勇者の付き人をしていた者だ。……君がこれを見ているのが、この映像を記録した数年後なのか、はたまた数万年後なのか……正直、予想もつかないが、どうか、無視せずに聞いて欲しい』
新しく小さなモニターが現れ、そこにSOUND ONLYと表示されている。
これは、いわゆるボイスレターなのだろうか? 若い男性の声が響いた。
映像無しの、声だけを相手に届けるってやつ。留守電とかの応用だな。
というか今、勇者の、とか聞こえたぞ。
一体、誰――
『俺の名前はカグラ タツヒト。神が楽しいでカグラ。達人と書いてタツヒトだ』
……え?
― タツキ ―
俺に兄弟はいない。いるのは両親と、母方の叔父と叔母。祖父母は両親方共に、俺が物心付く前に亡くなってしまったらしい。
叔父は母の弟。叔母は母の妹で、叔父の姉にあたる。
叔母は同じ町の都心部に住んでいるが、叔父は同じ家に住んでいた。叔父と言っても、長女だった母とはかなり歳が離れている。俺が学園の初等部に上がる頃、叔父はまだ中等部へ上がっていなかった。
俺は当初、叔父が実の兄だと思い込んでいた時期もあって、よくお兄ちゃんと呼んだものだ。
ただ、彼は突如として姿を消してしまった。
俺が初等部の4年生だった時だ。
名前はタツヒト。俺の名前も、当時幼かった彼が付けてくれた。
正直、家族の中で一番好きだった人だ。俺の家庭は若干特殊だったからな。むしろ、叔父くらいとしか、一緒にいなかったと思う。
その叔父がいなくなった後だったな。スイトと会ったのは。
叔父は未だに行方不明で、生きているのか死んでいるのかも分からない。
それが、どうして。
『君のいる時代が、俺のいた時代である事を切に願うが……ああいや、そんな事を言いたいんじゃなくて。えっと、俺が君に頼みたい事は1つで』
『早く! 時間無くなる!』
『分かってるって! えっと、俺には甥っ子がいて、そいつの名前はタツキっていうんだ。そいつを知っていても知らなくてもいい。もしかしたら君は、俺がいた世界の人じゃないかもしれないけど……それでも、君が神楽 達樹を知っていたなら、あいつを頼む』
若干の音飛びがあるものの、記録、再生は上手く行ったらしい。
初代と言っていたな……。それって、この世界が出来たばかりの時に召喚されたっていう?
それってたしか、数百万年も前の事じゃ……て、そんなに昔ではないか。
「何で、兄さんが……」
「タツキ!」
階段をひたすら下り続けて、ようやく辿り着いた地下5階。
魔法で作られた光の珠が、開きかけのドアの前でふよふよと浮いていた。それがスイトのものだと思ったから部屋に入った。
スイトを無事に地上まで連れ帰る。それが俺の目的だったはずだ。
ウルルが生きていたら危険とかは視野に入れていない。とにかくスイトが無事ならいい。
それに、ひぃ先輩が良い一撃を食らわせていたからな。ウルルが使っていた力は、魔法じみてはいたけど魔法ではなかった。回復魔法は使えないといいな。
ともかく、急いでスイトと合流しなきゃいけない事に変わりは無い。
ウルルがまだ生きているなら尚更だったのだが、スイトが大丈夫と言うからには大丈夫なのだ。
たしかに大丈夫っぽかった。動きがぎこちない気がするけど、傷らしい傷は見えないし。見えたのは後ろ姿だけど、何かこう、しっかりとした意思を感じるというか。
それに比べて、俺自身は大丈夫じゃないかもしれない。
「なぁ、タツヒトって、タツキの叔父さんだったよな。会った事無いけど」
「あ、あぁ。多分……そうだ」
思い切り俺の名前を呼んでいた事を考えると、俺の叔父である可能性は高い。奇跡的に、俺と同じ名前の甥っ子がいる人っていう可能性もあるけど。
けど、6年経っても忘れない。
この声は、叔父の……兄さんの声だ!
『時間がない、か。仕方無いな。じゃあ、最後に1つ。今からとある物の封印に向かうが……決して「カタストリフィールの地」には近付かないでほしい。そこにあるのは、絶望だけだからな』
兄さんが最後に「じゃあな」と付け加えて、声の再生は終わった。
「カタストリフィール……知らない名前だな」
「あ、ああ」
「タツキ、動揺するのは分かるが、一旦落ち着け」
「えぁ、う、ん」
頭の中がぐちゃぐちゃになっている。兄さんが何故初代勇者の付き人と名乗ったのか。そもそもいつの間にこちらへ来ていたのか。それらの疑問に加えて、色々と、それはもう色々な記憶がフィードバックしてきて、思考をかき乱す。
頭痛にも似た感覚に襲われる。
「……一度話を変えよう。ほら、エフ。自己紹介」
「はぁい。わたしね、エフ。おにいさんはタツキさん?」
「あ、うん。って、あれ?」
思考を切り替えるという事には大賛成。今の頭じゃ、何も考えられそうに無かったからな。頭を整理するためにも、スイトの話に集中した。
スイトに紹介されたのは、何やら危なげな格好の少女。
真っ白な髪だ。プラチナブロンドじゃないよな? フィオルみたいな感じではなく、普通の白髪だ。瞳も赤いから、いわゆるアルビノってやつだろうか。
見た目年齢は10歳程度で、髪が異様に長い。ラプンツェルとまでは行かないが、腰よりも長い髪は初めて見たぞ。
その子は、スイトの横からひょっこりと姿を現すと、手を上げて元気いっぱいに自己紹介してくれた。
エフという名前らしい彼女の声だが……。何か、聞き覚えがあるような?
「えっと、俺がもう大丈夫だっていう根拠はエフだ。エフはその、何と言いますか……」
スイトがいやに歯切れが悪い。こいつがあからさまに何か隠そうとしている時は、隠しておきたい相手と隠さず話してしまいたい相手がどちらも同じ場所にいる時くらいだけど。
だが、スイトはほんの少し思案げにすると、覚悟を決めたらしく頷いた。
「エフは、ウルルの転生体だよ」
「……はい?」
スイトの口から、とんでもない爆弾発言が。
……え? この子が、ウルル、だと?
「ど、どういう」
「話すと長くなるし、手短に言うぞ。エフは死ぬ度に転生する存在で、転生の度に記憶を失くす。だから、エフはウルルの時の事を覚えていない」
「う、ウルルの記憶が戻る事は?」
「エフが死ぬまで戻らない。転生する時、生死の狭間では記憶が全て戻るようだが」
新たに生まれてしまえば、記憶はまた0からになってしまう、とスイトは呟いた。
記憶が戻る事はありえないのか。なら安心、なのか?
うーん、ウルルの事を知っていると、エフの無邪気な笑顔が何か企んでいそうで怖い。
けど、なるほど。エフの前世がウルルだという事はエフ本人も理解していて、でもウルルが何かおかしな奴だった事をエフは覚えていないのか。
それで、ウルルの事を極力話そうとしないわけね。
「とりあえずエフは保護する。見る限り生活力はないし……たとえ自力で生活出来たとしても、肝心の生活はここじゃ出来ないからな」
「そ、そうか。スイトがそれで良いなら、良いけど」
そもそもウルルは排除予定だったわけだし、ウルルとしての記憶が無いなら危険は無い。スイトも、万一に記憶が戻る可能性くらいは視野に入れているだろう。
「ただちょっと、な」
「ん? どした?」
「俺は『狭間』で、エフとウルルのオリジナルとも言うべき存在と会話した。そいつによると……ウルルはまだ、何かこっちに不吉なものを残しているらしい」
「え」
「俺が目覚めた直後に、何かが起きると言っていた。既に直後ではなくなっているが」
たしかに、スイトが元々いたという地下9階からこの階まで上がるのに、相当時間がかかっただろうな。更にここで魔法制限を解除した時間も考えると、20分くらい前には起きていただろう。
俺が電話を受けてからもちょっと時間が経っていたし。
「―― セルクは、どうなった?」
やけに神妙な面持ちで、スイトは俺に尋ねてきた。
「え、それならハルカさんが見ているけど。……って、まさか?」
「……」
スイトの表情が翳る。直後にぶつぶつと何かを呟き出した。
俺はスイトのような良い耳を持っているわけじゃないいから、内容は聞き取れない。
だが、スイトがこのタイミングでセルクの名前を出した事には意味があるはずだ。
スイトはもちろん、この謎の施設にはウルルによって心身共に傷付いた犠牲者がたくさんいる。その救助があるから、セルクが上に運ばれるのがいつになるのか想像もつかない。
とはいえ、犠牲者達も無限にいるわけじゃない。遅かれ早かれ安全な場所には運ばれるだろう。
ただ、何か引っ掛かる。
単純に、救助の進行具合を聞かれたのかもしれない。だが、そう、何かが心に引っ掛かる。
そういや、ウルルが何かやらかしたとか何とか。
……ウルル?
俺達が駆けつけた時、既にセルクはウルルの奴に……。
……。
ま、さか。
「まさか、奴がセルクに何か……ッ?!」
施設全体が揺れだしたのは、俺が最悪の状況を察した、その瞬間だった。
金属製の施設は、溜まった埃が舞い上がるだけで、瓦礫の類は落ちてこない。
これは地震じゃない。それは俺もスイトもすぐ理解する。少なくとも大きな魔力の反応を感知できた時点で、これはただの地震じゃない。
魔力は質量体だ。何の前触れも無く強大な魔力が現れると、周囲の精霊から始まり、空気などが揺れる。出現した魔力が強大であればあるほど、その規模は大きくなっていく。
魔力の出現地点までは分からない。
だが、確信してしまった。
この魔力は……。
「セルクの、魔力だ」
「やっぱり?」
「ああ」
スイトは一瞬だけふらついて、片足を引き摺るように出口へ向かって歩き始めた。
「お、おい」
俺達は魔力濃度に左右されない身体と精神を持っている。だから、この強大な魔力の発生地点に行っても普通に動く事は出来るだろう。
ただ。
「止めるなよ。いくら危険でも、セルクは俺の弟子だ。助けないでどうする」
小さく「師匠呼びは非公認だけど」と呟いた。
あぁ、もう。どうしてこう、肝心な時に頼ってくれないかね。
俺は笑顔を浮かべながら、バランスを崩しかけたスイトの身体を支える。
「俺も行くって。お前、どう見てもフラフラじゃん。エフちゃんも、手伝いたいってさ」
出口に向かう俺とスイトの後ろで、エフはぴゃっと飛び跳ねる。どうやら隠れていたつもりらしく、絶妙に俺の死角となるスイトの後ろへと顔を隠してしまった。
「わたしもおてつだいする!」
「だってさ」
「……サンキュ」
「良いって事よ」
「こっとよぉー!」
エフちゃんが俺の言葉を元気に復唱する。ただ、スイトを背負って走る方が速いのだが、そんな事をすればエフちゃんが1人になってしまう。俺もスイトも、エフを置いて行きたくない。
そういえば、魔法制限が解除されたなら、転移魔法も使えるのでは?
俺は残っている魔力量を確認する。
……よし、行ける!
「スイト、今なら転移魔法が使える。どうする?」
「……頼む。ハルカさん達が心配だ」
「了解」
俺は長ったらしい転移魔法の詠唱を簡易に略して、発動させる。
指定した場所は、ハルカさん達のいる部屋。膨大な魔力が渦巻いてはいるが、空間が歪んではいないらしい。問題なく指定する事が出来た。
そして――
「セルク!」
スイトが、必至の形相で叫んだ。
一瞬で切り替わる景色。
全身が受ける熱。
思わず目を瞑りたくなるほどに眩しい光。
ウルルが脱ぎ捨てたタコの足は部屋の隅に追いやられて、空き部屋に押し込められていた。だから、かなりスペースが空いたのではなかろうか。
しかしそれでも、もしかするとウルルがタコ足を出していた時よりも、肌で感じる圧迫感は上かもしれない。そう、俺達は思った。
キラキラした粒子。
黄金色の魔力の奔流。
傍目から見れば、それはとても美しい光景なのだろう。
ただし。
光る粒子、大量の魔力。それを生み出す張本人が、部屋の中央にいなければ。
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