31 タコの足
それは誰が見ても異常であり、異様とも言える光景だった。
部屋そのものは広い。円形の、天井の高い部屋だ。石造りではなく、真っ白な継ぎ目の無い金属らしき物が、床に、壁に、天井に使われているらしい。
部屋にはいくつもの扉があり、その扉から床にかけて、不規則に青い光のラインが走る。それが何を意味しているのかは不明だが、とにもかくにも白い部屋の中央には、未だかつて見た事の無い、大きく、それでいて不気味な物体が鎮座していた。
それは、タコの足に見えた。
その足は青紫色のヌルヌルとした、8本の太い触手によって構築されている。大きさの揃った吸盤のついた足は、動く度にぐちゃぐちゃと粘着質な音が響かせた。
その目は8つに増え、瞳の全てが全く別の方を向き、ぎょろぎょろと蠢いている。元からあったであろう中央の2つの目は黒いが、それ以外は全て色がバラバラだ。
彼女本体の大きさはそのまま。
白衣を身に纏い、黒髪は無造作に跳ねている。
彼女……ウルルは、ククッ、と笑みを零した。
太く気色の悪いタコのような触手が、妙な圧迫感を生み出す。部屋はそれなりの広さがあるのだが、視覚的にタコの足が大部分を占めるのだ。
その上においが一段とキツイ。
圧迫感も緊張感も増して、息苦しい。
と、ふと一本の触手を観察し始めた時だった。
……偶然にも、触手に絡めとられたかのような、セルクの姿があったのだ。
「っ、セルク!」
呼びかけるが、反応は無い。
セルクに意識は無く、身体は青ざめ、ただ重力に従って手足をだらんとさせていた。
今すぐにでも助けたい……。
だが、うねうねと蠢く触手に阻まれて、そもそも進めない!
「くっそ!」
俺は腰に提げていた剣を抜き、それと同時に触手へ切り込んだ。
意外とすばしこいため、同一の箇所に剣を入れられず、その上対象が太すぎてどうしても傷が浅くなってしまう。
巨大ダコの足は切ると僅かに青い液体が溢れ出すばかりで、歩を進められている感覚も、タコの足を切り進めている感触も無い。
「スイト君! タコの触手は再生速度が速い上に、触手を入れ替わり立ち代わりで繰り出しているみたいだよ! あと、肝心の本体へのダメージがほとんど無いみたい。物理攻撃は効かないのかも!」
見ると、他の触手が俺以外の奴を襲っていた。
セルクを捕まえている触手を抜きにしても、俺達が6人に対して触手は7本。敵の数の方が多い上、こちらは必ずしも攻撃役というわけではない。防御に徹する者もいるのだ。
触手に対し、俺達の人数が少ない分、1人の負担が大きい!
「ふむ。良い調子ね。神経接続はタコ足の筋肉とだけしか成功しなかったのだけれど、この場合痛覚が無い分成功かしら」
ウルルは一塊になって動く俺達を上から見下ろすと、余裕綽々といった様子で肩を回した。タコ足1本を動かす度に目をぎょろりと蠢かす。
普通、視界が8つになれば脳への情報量が多すぎて混乱しそうだが、何かしらの対策をしているらしい。実際、7本の足を自在に動かしつつ、8つの目をも自在に動かしているのだから。
「種作ウルル! お前は何をしたい?! 何故彼等を誘拐し、あのような凄惨な姿にした!!」
「凄惨? あぁ、たしかに、大多数の人間にとっては凄惨かもしれないわね。腕や耳が切り落とされているのだから、そう思うのも無理無いわ」
意外な事に、彼女は『何が凄惨なのか』を理解していた。
うんうんと頷く彼女は、しかし悪びれる事も無く淡々と語る。
「2つある物……主に耳、目、腕、足、内臓に至るまで、初めて見た種族に関しては拝借した。私達の世界には無い物だから。ただ、ほとんどヒトの遺伝子と変わらなかったて点はつまらなかったわね」
ウルルは小さく溜め息をついた。
とてもつまらなそうな表情で。
「ただ、種族によってDNAを構成する塩基配列に、それぞれ別の、それもその全て見た事も無い物質があったわ。いくつも調べたから間違いないわよ」
今度はくつくつと笑い、これまた悪びれる事も無く、まるで教え子に教鞭をとるように。ただしその態度はひどく邪悪に見えた。
いや、邪悪と言って正しいのかどうか……。
邪悪な無邪気。
まるで、それが悪い事だと知らない無邪気な子供の、邪悪な遊び。
それがどのように、どのくらい悪い事なのか。そもそも人道から外れた行いであるという認識が無いから性質が悪い。
きっと彼女の笑みは、無邪気なものなのだ。ただ、俺が邪悪だと感じているだけで。
「マウスはいないから、手近な『これ』を使おうと思ったけど……。まさか、こんなに早くここまで来る子がいるなんて思わなかったわね。おかげでちょっと、急いじゃったじゃない」
彼女は白衣のポケットから、緑色の液体が入れられた注射器を取り出す。
どことなく発光しているようにも見える、透明で緑色の液体だ。舐めたらメロン味がする―― なんて、あるわけないか。
容器から分かるとおり、飲むための物じゃない。
あろう事か、彼女はそれを白衣の袖をまくった自身の腕に差し込む。
そして、謎の緑色の液体を流し込んだ。
「……?!」
突如として、ウルルの足と化しているタコの足から、ビキリ、と不吉な音が聞こえた。
ウルル本体に近い部分から徐々に、遠目でも分かるほどに隆起した青筋が浮かび上がる。
あの液体は、ドーピングみたいな物だったのかもしれない。そういう物は負けかけた時に使うものじゃなかろうか?
最初から激強モードって事ですかぃ。
「さぁ、始めましょうか。今日は――」
ウルルの額には汗が大量に流れ、その目は不気味な紫色の閃光を纏う。
見開かれた全ての瞳が、こちらを見据えた。
「 ―― 良い実験ができそうだわ 」
薄ら笑いを浮かべるウルル。足はタコだが、目の数や足の本数からして蜘蛛にも見えなくは無い。筋肉質になったタコ足は、むしろ蜘蛛っぽさを強調していた。
俺はまず、ハルカさんに結界を張ってもらう。
ハルカさんはここ最近、魔法を複数同時に発動する練習をしていた。魔力が星の性質であれば魔法の複数同時使用もそれほど難しくは無い。しかしそれ以外の、いわゆる普通の性質であれば、手と足でそれぞれ別の事をするくらいに難しいのだ。
彼女が主に使う多重結界は、元々結界魔法:シールドという、結界魔法の中でも壊れやすい魔法を何十にも重ねただけの魔法。
一箇所に同じような魔法を発動させるだけなら問題無い。だがこの結界を複数箇所に張るとなれば難易度は一気に跳ね上がる。
その大きさ、強度。止まっている相手ならいざ知らず、動き続けているアタッカーには、そもそも設置型が基本となる結界魔法を動かし続けるという一工程が入ってくる。
移動型の結界は、まぁ、俺達の想像力ならどうとでもなるだろうが。
ともかく、ハルカさんの結界魔法は、俺達全員にかけられた。
後衛に回ったマキナとハルカさん、それと魔法攻撃を主に担当するルディは大き目の結界。アタッカーである俺とひぃ先輩、更にタツキには、移動型の人1人がおさまる結界だ。
一度に4つ、か。1つは設置型だが、それでも3つは移動型。
結界の多くが設置型であるのは、魔法維持のための魔力供給を効率化するためだ。長く結界を維持するために発動位置を固定し、定期的に魔力を補充する事で長期間の維持を可能としている。
移動していると動くだけで魔法維持用の魔力を消耗してしまい、結果短時間で結界は消えてしまう。この維持の問題を解決するには、動き続ける結界に魔力を補充し続ける必要があった。
3つ同時に、それも動き続けている相手に、定期的に魔力を補充する。これは相当難しいのだ。
ハルカさんは回復役でもあるので、あまり負担をかけたくない。
出来るなら、短期決戦と行きたいところだな!
「練習用の剣でも、もうちょい刃を鋭くしてくれても良いと思うなぁ……」
「そんなタツキには、これが良いと思うぞー。魔法薬:強靭化&鋭利化ポーションだぞー!」
「そんなのあんの?!」
マキナが手に入れた職業は……薬剤師だったか錬金術師だったか。両方だったかな。ともかくその職業のおかげで、魔法薬の類はかなり豊富な種類を作成可能になったらしい。
今タツキに投げ渡された小瓶の中身は、剣や包丁など、刃のある物に対して有効となる。ボロボロになった刃は新品同様に、それも極限と言って差し支えない鋭利さと頑丈さを持つ。ただし、効果が切れると一気に老朽化が進むため、使用するのは使い物にならなくなった剣などがオススメだ。
なお、人が服用した場合。
特に何も起こらない。
「制限時間は5時間だなー。行けそうかー?」
「充分!」
小瓶の中身を剣に振り掛けると、タツキは剣を大きく振りかぶった。
「セイッ!!!」
たしか魔王城警備隊の兵士が使う、練習用の剣。練習用なので刃の潰れている物が多いが、そういった刃の場合でもあのポーションは有効となる。
どれだけナマクラだった剣だろうが包丁だろうが、その刃は本来の物より鋭利に、頑丈になる。少なくとも、5時間の間だけは。
タツキが振り下ろした刃から、一筋の閃光が真っ直ぐに走りぬける。
ウルル本体から左へ1メートルほど離れた場所を、閃光が抜けた。
「あら」
スパッ、と、小気味良い音が聞こえ、タコ足3本とセルクを捕まえていたタコ足1本が切れた。
見慣れた真っ白なタコ足の断面が見える。
「っ、やるならやるって言え!」
「俺は本体を狙ったんだよ!」
切られた先の足は、うねうね動くだけで襲ってこなかった。俺は今出せるトップスピードで、切られたタコ足と共に落ちてしまったセルクの元へと急ぐ。
タコ足は動きが遅く、ウルルも手出しができないらしい。回復力が高くとも、足の根元から足先まで再生するにはかなり時間を要するようだ。
弱点その一、ってところかな。
そんな事より、セルクだ。タコ足はまだくっついているが、このまま運ぶしかない。
俺は余分なタコ足を更に切り捨てて、ハルカさん達の元へと急いで戻った。
「頼む!」
「「了解!」」
相手は巨体で愚鈍。このままトンズラしたいところだが、したところで根本的な事件の解決とはならないだろう。他にも被害者がまだいるわけだから。
セルクは意識が無く、若干顔が青ざめているようだったが、傷の類は見受けられなかった。
早くセルクを医者に見せたいが、ウルルを無力化しない限り、どこも安全とは言えないのだ。強靭なタコ足、不気味すぎる八つの目。放っておいたらとんでもない事になるのは目に見えている。
今は私情より、目の前の脅威を『排除』する事を最優先しなければ。
「タコ足、今度は全部を根元から切っちまおうか!」
「あらあら。それは困るわね。……もっとも、それが出来る貴方をどうにかすればいい訳だけれど」
「そんなの出来っこないさ! うっし、もういっちょ――……」
「―― 神楽タツキ君、だったわね? 要するに『その攻撃をするな』! って事なのよ!」
大声で、ウルルが言い放つ。
途端、タツキが再び、剣を振り下ろした。
……しかし、その剣先から閃光が飛び出す事は無い。
「……? え? あれ?」
それから何度か振り上げ、振り下ろすを繰り返すが、閃光は飛び出さない。
タツキが困惑した隙に、太い筋肉質のタコ足が一本……タツキと、タツキを覆う結界に思い切り叩きつけられる。
メリメリ、バキバキッ!
床の崩れる音が、部屋中に響いた。
タコ足はそのまま、タツキを覆う結界ごと、金属で出来た床にめりこんでしまう。結界のおかげで、動く隙間も無い、なんて事にはなっていないのは救いか。
しかし。
「ガハッ……う、ぐ……っ」
結界が守るのは、あくまで魔法によるダメージや、直接的に受けたダメージだ。
それも、ダメージを遮断するのではなく、ある程度弱めるだけ。多重結界の場合、高性能で本体に通るダメージは少ないのだが……。
さすがに、思い切り地面に叩きつけられた際の衝撃は、貫通してしまったようだ。
タツキは僅かに血を吐き、身体を小刻みに震えさせた。
身体に、思うように力が入らないらしい。
血を吐くって、かなりのダメージじゃないか?
誰が見てもまともに動けそうに無いタツキに、容赦なく襲い掛かるタコ足。俺は見よう見真似でタツキの使った衝撃波的な技を使い、タコ足を切断して阻止する。
スキル:衝撃波、というらしいな。適当に魔力を飛ばしただけだったのだが、スキル入手のお知らせが入ったのでやり方は合っていたようだ。
その間に、ハルカさんに目配せしてタツキの治療をしてもらう。
「賢者より早く倒れる勇者って何だ?!」
「……げほっ、悪かったな……っ!」
これでアタッカーは、俺とひぃ先輩の2人だけ。ひぃ先輩は実質後衛職のシューター。タコ足は全て再生した。セルクがいない分、本数は多くなっている。その上、タコ足にどれだけダメージを入れても本体には痛みも何も無い。
これでは攻撃を捌ききれない。それに、タツキの様子を見るに、俺達がタコ足の攻撃を喰らってもそんなにダメージがないのって、ウルル自身が手加減しているからじゃないか?
ルディも応戦してくれているが、俺に配慮しているのか威力弱めの電撃を放つ程度の攻撃しかしていないのだ。これでは牽制にしか……。
ん?
ルディの電撃がタコ足に流れた時、タコ足が僅かに痙攣しているような気がする。それも、数秒だけ動きが止まっているように見えるぞ。
見たところ電撃が流れた部分から先に影響があって、根元付近には影響しないようだが……。
これ、攻略の糸口をつかんだっぽい?
「ふむ」
ウルルは戦闘の初めからずっと、俺達を観察している。
セルクを取り返したからか、今まで無かった余裕が戻ってきた。
だからこそ、分かる。
あいつは大して戦っていない。あいつ自身にダメージが入っていない。
戦闘の初めから今に至るまで観察を続け、そして……。
「ああ、こうだわね」
ニタリ、と笑って、手を前にかざした。
ふと、全身の毛穴が逆立つ。
「かみなり」
途端、視界がほんの少しだけ暗くなる。
俺は勘の赴くまま、思い切り勢いをつけて、一歩だけ下がった。戦闘経験からなる、スキル:攻撃感知の効力である。危険な攻撃が来ると予測した時、それを音で知らせてくれるのだ。
ガン、と後ろから聞こえた気がしなくも無いが、大して痛みは無いので無視だ。
音がしたからには壁にぶつかったのだろう。という事は、ウルルから多少離れてしまったかもしれない。このスキルは、予測であって確定じゃない。だから、攻撃がくるかもしれないというだけで、本当に来るのかはまた別問題なのだ。
だが、さっきから悪寒が背中を走り回っているので、今回は攻撃が来るというのは正解だと思う。
……というか、あれ?
これ、本当に冷たくなっているような。
「……え?」
恐る恐る振り向くと、そこには氷の壁があった。
おそろしく透明度の高い氷だ。歪みも曇りも無い。そこに何もないと錯覚するほどに、透き通っている。しかし触れた箇所は痛みを感じるほどに冷たく、硬い。
そして未だ、視界は若干の暗さを帯びている。
ウルルからの距離は、さほど離れていなかった。
「はい、残念」
ウルルが人差し指を下へ向けるのと、ほぼ同時だった。
聞こえないと錯覚するほどの凄まじい轟音に身体の力が一気に抜ける。
目の前は真っ白になり、思考も真っ白になって――
―― 『俺』は、意識をいとも容易く手放した。
― タツキ ―
小さな雷が落ちた。
部屋の中に、本当に小規模の雷が。
ただ、音はとんでもなくうるさかった。反射的に耳を塞いでしまったほどに。
ウルルが『魔法』を使ったのか? 魔法みたいな事はしても、ちゃんとした魔法は全く使ってこなかったのに? 今になって使ったというのか?
「な、何が……」
くらくらする。当たり所が悪かったらしく、口の中に血の味が広がった。回復魔法はケガなら治せるし、大事無いと思いたいな。
そんな事より、スイトだ。
おそろしく透明で見づらいが、あれは……氷の壁だろうか。
氷の壁がスイトを取り囲み、閉じ込めた。その直後、氷の壁の内側に小さな雷が発生したのだ。
スイトにはハルカさんの配慮で、雷とか電気系の耐性をMAXにした結界が張られていた。だから、ダメージは無いと思いたい。
俺はデフォルトスキル:命魂可視化を発動させる。これは生命体とそうでないものを見分ける事の出来るスキルで、他にもバステになっているかどうかも分かる便利なスキルだ。
おそらく勇者特典だろう。
スキルを発動させた目には、景色が一段階ほど暗く映る。そこで赤く光るのが生きているもの。光らなかったり青く光ったりするものは死者だ。
スイトの身体が淡く、ぼぅ、と光る。
とりあえず、即死は免れたらしい。
たしか雷で死ぬ可能性は10%だったか。あれが魔法なら100%にもなるだろうけど、どうやらあれは魔法じゃないらしい。
この目は、魔法を緑色の光として捉えてくれる。魔力可視化とか精霊可視化とも違うが、魔法の痕跡なんかはこちらの方が見えやすいらしいな。
この目で見た限り、ウルルは魔法を使っていない。
ウルルの手があった場所に魔力が集中していたようだが、魔法自体は使われていないのだ。
つーか、そんな事よりこっちが先か。
「スイト! おい、聞こえるか、スイト!!」
スイトは雷が落ちた途端にふらついて、壁を背にズルズルと崩れてしまった。今は氷に支えられて座った状態である。
普通の雷だったら喋る程度には動けるのだが、今回は俺の呼びかけに応答しない……!
「何をしたんだ、ウルル!」
俺は返事など無いと思っても、ウルルを問いただす。
「何を? そうね、小規模の雷を作り出した、かしら」
「何だって?」
「雷は要するに、電気よ。電力を生み出す物質を組み合わせて――」
……。
ウルルが、目を輝かせて語り始めた。
明らかに隙っぽいが、ひぃ先輩が売った矢の全てをいなす。
ただ、攻撃の手が少しだけ緩んだ。
俺は透明すぎて見えない氷の壁を溶かすべく、炎の魔法を使う。剣に薄く炎を纏わせ、溶かし切るのだ。スイトの上を一閃。更に天井近くで一閃。あとは切り取った部分を動かして、翠兎を取り出せば完了。
良い作戦!
「あら、ダメよ」
しかし、剣を構えた段階で、ちょうど話し終えたらしいウルルに気付かれてしまう。
そして。
「ポートゲート」
ぐわん。と、ウルルの横に、円の形をした白い線が現れた。
円の先には、スイトの姿がある。
俺は嫌な予感の赴くままに、目の前でうなだれるスイトへと視線を移した。そこには、ウルルの横にあった物と同じ円がある。
そちらには、円を見つめる俺の姿が。
「……ッ!!」
アビリティによる、魔法ではない空間転移の手段。
それがあるかもしれないとは聞いていた。魔法攻撃などを、そっくりそのままこちらへ返すだとかも、ありえる話だと。
円の向こう側から、ウルルの手がにゅっと出てくる。
力の全く入っていないスイトの服をがっしりと掴むと、ウルルは一気に引き抜いた。視界をウルルに戻せば、そこにはスイトを抱えたウルルの姿が……。
「っ、スイトを返せぇえ!」
ありったけの魔力を込めて、剣に載せて飛ばす。焦ってしたから上へと振り上げるゆに剣を滑らせると、床の金属ごと引き裂いて、ウルル目掛けて剣閃が飛んでいった。
先程テキトーに放った衝撃波でも、ウルルのタコ足を半分切り落とせたのだ。この威力なら、まず止められないはず。
……『あいつ』の力も使っちまったが、事は一刻を争うのだ。なりふり構っていられるか!
ウルルには。
あいつにだけは。
『ドクター』にだけは、スイトを任せちゃいけないんだ!
「ふぅん」
彼女は驚愕を表情に浮かべると、にんまりと笑うと、本体をほんの少しだけ横へずらす。すると、剣閃は彼女の横を通り過ぎて、その向こう側にあった壁に大きな傷を付けた。
ちっ、今度は外さない! 俺はもう一度剣を構える。
「何かしら混ざり物があるようだけれど、素晴らしいわね。今まで『これ』に抗った者はほとんどいなかったというのに」
そして、再び円を生み出す。
くそ、逃げるつもりか?!
俺はもう一度、衝撃波を放った。
後ろからひぃ先輩達が「やめろ」とか「あたる」とか言っているような気がするけど、構うもんか!
「さすがとでも言うべきかしら? あの『狂った天才』から、どうしてこうまともな子が生まれたのか気になるわね」
ああもう、さっきの一撃に結構魔力を使いすぎて、ほとんど威力が出ない!
その上、何かひぃ先輩の矢が飛んできて途中で剣戟が仲裁されたぞ?!
「何で邪魔すんだよ?!」
「まずは落ち着いてくれ、タツキ少年!」
大弓を構える姿が絵になるひぃ先輩は、その凛々しい顔にたっぷりとシワを寄せていた。あろう事か、その弓の矢先を俺に向けている。
落ち着け? この状況で? どうやって?!
俺は、ひぃ先輩に言い返そうとした。
「スイト少年に当たりそうだった。ウルル女史がスイト少年と一緒に避けなければ、スイト少年も君の剣に巻き込まれていたかもしれないぞ」
「……っあ……」
………………。
…………。
……。
言われて、気が付いた。
スイト達の位置関係は、ウルルが後ろ、スイトが前。スイトはタコ足に巻き付かれるのではなく、乗せられて横たわっている。
俺の剣閃は床やその下の地面をえぐりながら進み、先程と同じくウルルのタコ足を半分以上切り落としたが、本体にはかすり傷1つ負わせられていない。
だがよく見てみれば、横たわっているスイトはどう考えてもウルルより剣閃が当たる確率は高い。立っているウルルが剣閃でダメージを負った場合、真横に横たわっているスイトも一緒にダメージを負う事になるのだ。そうなれば、スイトは俺の攻撃で真っ二つになる。
そこまで考えて、俺は一気に頭が冷えた。
俺、またスイトを傷付けようとして……ッ?!
「スイト少年に、何をするつもりだい?」
俺がその場で崩れそうになるのを、ひぃ先輩が支えてくれる。そのひぃ先輩は、俺を優しく抱きとめつつウルルを睨みつけた。
その横顔は凛々しくて、頼りがいがある。
こういう格好いい所があるから、ちょっと残念な所があってもモテるのだろう。
「あら怖い顔。私はただ『やくそく』を守るだけよ」
「約束? 誰との?」
「それは企業秘密だけれど……まぁ、そこで顔を真っ青にしている子なら知っていると思うわよ。それはともかく、邪魔はしないで欲しいわね」
くすくすと、俺を見下ろしながら微笑んだウルルは、再び『ゲート』を開いた。開いた先は、ここと同じような壁のある空間。おそらく、この地下のどこか。
その腕には未だにスイトがいる。
連れて、行かせるか!
「っ、バインド!」
基本光魔法:バインド。指定した位置の光を固定する魔法。簡単に説明すると、光の当たっている部分の動きを阻害し、止める魔法だ。
要するに対象の動きを抑制する魔法である。攻撃力は皆無で、停電時やろうそくの明かり程度ではほとんど意味を成さない。
ただ、こういう機械的な照明のある場所。一定の光量が常時存在する空間では、無類の強さを誇る。
この魔法を克服するには、腕力などの物理的な力は要らない。
自身に影を落とす何かを作り出すか、とんでもない魔力でもって魔法を遮断する結界的なものをつくるかしか無い。
このどちらも、ウルルは出来ないはず。彼女は魔法的な事は出来ても、肝心の魔法そのものの発動は出来ていないのだから。
俺達と同郷だから何だ! こういう奴は、さっさと排除しなければずっと害悪になる!
俺は、動けなくなって少し驚いた表情になったウルルの、首を一瞥した。
きちっと狙おう。元々コントロールは別段無かったけど、いつもどおりまともに当てられていない衝撃波をきちんと当てなければ。
光魔法は俺の得意分野だけど、実を言うと攻撃魔法と防御魔法以外は苦手なのだ。
拘束系は支援魔法に分類されるのだが……。
勇者の素質が関係しているのか、はたまた俺の気質の問題か。支援魔法や回復魔法などはかなり苦手で、基本でも結構集中力を使う。
ぶっちゃけると、もうすぐ魔法が切れる。
その前に片を付けて――
「ああ、光ね。そういうこと」
ぶわさ、と、ウルルの頭上に大きな布が広がって、ウルルに影が差す。
途端、彼女はゲートの向こう側へ。
ただ、布で覆えたのは自身だけ。布からはみ出し、俺の魔法が効いていたタコ足を切り離して、ウルルは逃亡を図った。
ずるり、と。まるでズボンを脱ぐようにして、ウルルはタコ足から本当の足を抜き取った。すると、うねうねと動いていたタコ足はピタリと止まる。
タコ足を切り離して身軽になったウルルは、スイトを脇に抱えたまま、ゲートに足をかけている。
「させるか!」
それが、俺の台詞だったらどれだけよかったか。
ぎりぎりっ、と、弓を限界まで引き絞るひぃ先輩。
限り無く透明で、しかし淡く青く輝く矢が、ひぃ先輩の指から弾かれる。限界まで引かれた弓の力を全て一点に集中させて、矢は真っ直ぐ、ゲートをくぐりかけたウルルへ……。
そのまま、トン、と軽い音を立てて、ウルルの背中のど真ん中を打ち抜いた。
タコ足の妨害が無いため、とてもスムーズに、そしてスマートに、矢が当たった。
「くぁ……っ!」
矢が当たった瞬間、ウルルは俺達に背を向けたままのけぞった。
白衣に血が滲む。数秒で真っ白だった白衣は真っ赤に染まる。
ああ、でも、どこかの誰かが言っていた。
眉間以外を打ち抜いても、それがどれだけ重傷だろうが十数秒は動き回れるのだ、と。
ウルルは身体を震えさせながら、まだ踏み出せていなかったもう片方の足を、ゲートの向こう側へとかけて這うように進んだ。
「っ、待て……ッ!」
タコ足はもう邪魔して来ない。
「……『わたし』は『やくそく』はまもる『こ』なの。ねぇ、そうよね『かまな』……」
ずるり、と、這うように移動しても、その身体は既に半分以上がゲートの向こう側にあったのだ。スイトも自身も向こう側へ渡るのに、それほど時間はかかっていなかった。
止まる前のタコ足は、活きの良いタコのように時折ぐねぐねと蠢いて、今にも閉まろうとしているゲートに向かう俺達を悉く邪魔してきた。
ああ、もう、このねちょねちょが鬱陶しい!
そうこうしている内に、きゅぅん、と、ゲートが閉じる。
まだスイトは目覚めていない。
ゲートの出口がどこに通じているのかが、分からない。
「……ごめん。逃がしたよ」
謝ってきたのはひぃ先輩だ。そりゃ、たしかに逃がしたけど、多分、ひぃ先輩がいなかったらもっと酷い事になっていた。
アタッカーは一人減り、俺はスイトごとウルルを切りつけて。
感謝こそすれ、謝罪を受ける理由なんてこれっぽっちも無い。
ともあれ、このままじっとしていても何も解決しないのは確か。スイトを見つけ出さないと!
エネミーサーチの条件は2つくらいまでが限界だからな……。これも一応支援魔法のグループに入るので苦手なのだ。
えぇと、年齢は16で、男。この条件だと……。
「げ、3箇所……」
「3箇所ならひぃ先輩と、タツキ君。それとルディ君で探そうか。私とマキナちゃんはここで救助活動をしてみるよ。身体の部位欠損は私だけじゃ治せないけど、誘拐された人を保護するくらいは出来るから」
「そうだなー。補助は任せろだぞー」
ハルカさんとマキナは、それぞれにっと笑う。
あのタコ足といい、布といい、ウルルが何の能力を持っているのかイマイチ分からない。この状況で散開し、戦力分散になるのは、正直好ましくない。
だが、セルクとやらの奪還および、誘拐犯の捕獲もしくは排除が第一の目標。ちょっと酷いけど、ここに誘拐されたかもしれない人達の保護が第二の目標である。
要するに、これ以上の被害を出さないようにしたい。
スイトが捕まっている時点で、ミイラ取りがミイラになっている感は否めないけどな。
「おおまかに区分けすると、ここより1つ下の階に2人。ここより、高さで言えば3つ下の階に1つの反応アリ。どこにする?」
「明らかに怪しいのは一番下の階でしょうね。この施設がどのような構造をしているのかが不鮮明ですが、追手から逃げるならなるべく遠くへ行くでしょうから」
「じゃ、接近戦が不利な俺は近いので」
ひぃ先輩は柔らかな笑みを浮かべ、挙手した。俺はおおまかな位置情報と方向を教える。
「僕もどちらかと言えば後衛ですが……。とりあえず、1つ下の階のもう一方を」
ルディもウサミミをピコピコ動かして挙手してくれる。俺は情報を渡した。
というか、探索魔法なら俺よりルディの方が上手く出来ると思う。何でやらないかなぁ。
「まぁ、そういうわけで。俺が一番怪しい下層に行くわけだが」
「下の階へ行く階段がどこか、ですよね」
「いざとなれば、こう、床をぶち破る事も可能なわけだが」
俺は結構魔力を使ってしまっているので、力加減が上手く行かないだろう。それに、万が一にも下に人がいたら、下手をすると死んでしまいかねない。
俺の『目』が使えるのは、視界に映ったものだけ。網目の向こうとか、僅かでも見えていたなら生体反応を捉える事も出来るけど。
床がどれほどの厚さなのか。それは、先程えぐった床を見れば分かる。
時々バチバチッ、とか、プシュウ、など。機械らしい音が聞こえてくる床は、金属の板の下にパイプや、いかにも複雑そうな機械が所狭しと並んでいるのだ。
明かりが届かないくらい奥に下の階の天井部分はあるのだろう。
さっきは大丈夫だったけど、電気の弾ける音もしているから、あちこちを破壊して回るのは危険と判断しておいた。
地道に階段を見つけるしかあるまい。魔力は温存できる。
「ハルカさん。何かあったらスマホに連絡。出来るよな?」
「分かった。……タツキ君も、無理しないでね?」
「おう!」
ああ、下から目線の破壊力がとんでもない。
泉校ハルカファンクラブの者達よ。これは眼福だぞ!
あああ、じゃない。そうじゃない。今はスイトの救出が最優先課題だ!
悪いが、羨望の眼差しは後で受け取る事になりそうだぜ!
冗談交じりの思考は、余裕がある証拠。この余裕が、まだ冷静さが残っている事を実感させてくれる。
頼むから、余裕がある内に見つかってくれよ。スイト。
俺は普段祈りもしない神様に祈った。
ふと、上の階にあった女神像が脳裏をよぎるが、焦りがそれを塗り潰していく。
ただ、記憶の中の彼女は、ほんの少しだけ微笑んだ気がした。
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