28 星の小物とネームプレート
入学6日目。
お守り代わりのMPポーションをマキナに作ってもらった後、俺はそれを小瓶に移してペンダントのようにぶら下げておく事にした。
今日も警戒態勢のまま、授業担当の教師以外でもう1人、教師が付く事になった。
何でも、学外も含めて潜在魔力の高い者、特に子供が多く誘拐されていた事が判明したのだ。魔法の扱いはともかく、潜在魔力量の多い子供が多く集まっているこの場所が危険である事は火を見るより明らかだったのだ。
攫われた者の多くがスラム街の人間であり、事態を把握するのが遅れたらしい。事件が起きたのは俺達が召喚された日の翌日。つまり、ツル達を助けた日だ。
同日。スラム街に住む孤児が誘拐された。その子は孤児院に寝泊りしていたため、誘拐された事は周囲に知られていた。しかしスラム街に住む貧乏人には冒険者に依頼を出す際に出せる報酬が用意できなかった。これらの状況から、誘拐事件が表沙汰になる事が無かったようだ。
しかし、学園の生徒が狙われてからお触れを出し、犯人をけん制しようとしたところ。スラム街の孤児院から情報提供があり、連続誘拐事件であることが判明したのである。
加えて被害者の1人が見つかっている事から、事件が大きく動いた。
俺達が治してしまったが、休憩室を空けてくれた教師陣は彼女の悲惨な姿を目撃している。他の被害者も彼女と同じような状態だとしたら……。
その上、彼女の証言が、な。
ミールさんは誘拐される時、犯人の顔をハッキリと見ていた。更に彼女は犯人と会話したらしい。その時に他にも誘拐された者がいる事、また少なくとも死亡者がいる可能性が高い事を示唆した。
学外での誘拐は続いていたらしく、中には貴族も含まれているそうな。なるべく早急に犯人及び被害者を見つけ出さなければならない。
貴族が誘拐された事で、スラムの人間がどれだけ誘拐されても動かなかった貴族連中が重い腰を上げた。これまであまり機能しなかったはずの警察的な組織から冒険者に至るまで、捜査に協力してくれる事になったらしい。
見張りの目として冒険者が多く学園内をうろついているが、さすがに人柄を選別しているらしく、強面でも優しい性格の人ばかりである。
中にはエルフもいるようだ。
まあ、それはいい。良いのだが。
「この通りです」
「……」
俺の目の前に、学園長がいる。
学園長が、腰を直角に折って俺に懇願していた。
それも、俺がこの6日間で作った友人やハルカさん達と登校し、昨日ミリーに殺されかけた広場で。
「えっとぉ……」
彼が懇願してきた内容。
それは、俺に教師の真似事をしてくれないか、という内容だった。
これまでEランクの生徒にしか指導していなかったが、それを全ランクの生徒にして欲しいとの事。俺も学生のはずなのだが。
「学生に頼む事でしょうか」
「学生でも。我々より貴方の方が優れているのです」
そりゃ、教師の何人かが俺の個人的な魔法講習に参加していたような。放課後の、完全な個人練習とか。あれを隠れるようにして覗き見ていた大人がいたのだ。
あれを、ちゃんと見やすいように、授業時間でやってくれと。
Eランクの生徒は少なかったから良かったが、ランクによってはかなりの人数になるはず。それも、本当に講習を受けるべきは魔法を学び始めたばかりの初等部生で、それを優先させるだろう。今学園に通っている生徒は全員受けさせると仮定すると、授業の多くをそちらに取られるわけだ。
俺とハルカさんで手分けするか。ああいや、それは今関係無いや。
どうシミュレーションをしても、面倒くさいよね、それ。
「か、考えさせてください」
「はい」
朝から学園長に会う機会がこれからも増えそうである。
「えっと、それは、その依頼を受けたくないという事でしょうか」
場所は変わって教室内。ホームルーム前の、まだ生徒が全員集まっていない教室だ。生徒がまばらに登校してくる中、セルクに俺の登校時の事を話していた。
セルクは魔法の天才だ。それを思い知らされる日々である。だが魔法以外は性格が大人びているだけで、知識量も背丈も歳相応である。
俺が作って差し入れたお菓子がマイブームとなったようだ。
「正直、一気にまとめて出来ない分面倒くさいとは思っている。中には俺にしか、魔法の改善を促せない奴がいるからさ」
「あっ。そうですね! 僕もその1人ですし」
ここには前途有望な魔法使いの卵が大量にいる。星の性質を保つ魔力を持つ者が彼だけとは限らない。
セルクは真面目に、基本に忠実に魔法を使おうとしていた。そのため魔法を1つずつ使っていたがために上手く扱えなかっただけで、初めから複数の魔法を使おうとしていればすんなり出せていたはず。
子供らしくしていれば、自然と解決法が見出せる性質だったのだ。一度に2つも魔法を発動させるなんて格好いいだろ?
とまあそういうわけで、Eランク以外にも星の性質を持った生徒がいる可能性は否めないのだ。
そういう生徒には、俺くらいしか指導できる人間がいない。魔力可視化はともかく性質を見抜くのは精霊可視化だということが分かったからな。
これまで同時に発動させていたから気付かなかったが、試しに魔力可視化だけを発動させると、魔力の色が白に統一され、全ての魔力が湯気のような形になったからな。
「僕もお手伝いします!」
「あー……じゃあ、うん。がんばろうかな。正直、助手も無しにやりきるのはしんどい」
「あ、もちろん私も手伝うよ。スイト君も回復魔法は使えると思うけど、私の方が得意だから」
「とか言って、回復魔法の布教が目的だろ。学生の間はチーム戦より個人戦を多く経験するから、回復魔法はともかく、回復術師のありがたみを理解出来ないからな」
「うわ、速攻でばれた。まあ良いけど。ね、良いでしょ?」
質問のように聞こえるが、別に断る理由は無く、断られないと分かっているからか、ハルカさんは返事を待たずに席に着いた。
既にこちらの話を聞いている素振りが無い。
報酬目当てというわけではないが、報酬が出るだろうし、本当に断る理由が無い。元々魔法に対する人々の意識を変えるためにこの学園へ来たわけだから、この申し出はとてもありがたいのだ。
受けた方が良いだろうな。
後で返事をしに行くか。
「そういえば、誘拐事件はどうなったのですか?」
「絶賛調査中、というか、未だ被害者が出ているぞ。ミールさんは運良く助けられたが、あの場所には他の被害者はいなかったらしい」
「え、そうなの?」
「おそらくだが、学園の生徒で初めて誘拐したミールさんがいなくなって、あの場所を放棄したのかもしれない。他の被害者は全員連れ出したのか、あるいは元は別の場所にアジトがあったのか。どちらにせよ犯人の身元は判明していないな」
ただ、俺は若干見当がついているけども。
誰なのか、は分からない。だが、少なくとも、俺達のような異世界から召喚された人間であるかもしれないという事は分かっている。
賢者の一行に含まれようと、誘拐事件が起き始めた時期が俺達の召喚された時期と重なりすぎている。
賢者が来たという情報は、少なくともツル達を助けた翌日以降、徐々に拡散するように細工した。だから賢者一行が来た所に合わせて事件を起こす事など不可能。
前回においてこの事件は起こらなかったはずなので、俺達があのイノシシを倒した事で助かった人物である事は予想できる。この世界の情報網はケータイのように一瞬で伝わるわけではないので、遠くからわざわざ事件を起こしに来る人がいるとは思えないのだ。
イノシシのインパクトは大きかった。駅近くの村が一ヶ月経っても賑わっていたし、その分交通整備要員やモンスター進入を防ぐ要員などが常に警戒していただろう。そのせいで事件を起こしづらかったのかもしれないが、それにしたって時期が合いすぎている。
徐々に、とは言ったが、城下町や駅近くの村は情報が広まるのが速かっただろうし、今はもう知らない奴がいる事の方がおかしいほど。
賢者が来たという情報は凄まじいもので、俺達が何をするでもなく魔族領の犯罪率が減ったらしい。犯罪の多い街に賢者が出向いて、悪を全て狩って行くという言い伝えがあるらしい。それを信じている者が多いという事だな。
この状態で、いかにも話題をさらう事件を起こす輩はいないはず。何せ人族領も含め、世界的にある意味で警戒が強まっているのだから。
相当な世間知らず、もしくは、俺達と同じ世界から召喚された人間である事が予想できるというわけだ。ここは魔王直轄の国で、俺達もいる。そこで誘拐事件を起こすなんて、無謀にも程がある。
俺達のレベルが低くてまだまだ弱いと考える者はいるだろうが、これでもレベルは25。この一週間近くは特に隠れもせずに、むしろ公開演習のようにイメージ法による魔法を周囲に見せつけてきた。
現代魔法は呪文によるスペル法を主軸としているが故に、インパクト強めに見せられたはず。これを知って未だに暴れる輩がいるのなら、それは本当の世間知らずと俺達の同郷しかいない。あくまで、俺の頭脳で考えればの話だが。
この世界だろうが向こうの世界だろうが、聡い奴は存在する。きっと、不可解な構造の機械を見て、俺達を疑う奴が出るだろう。
ただ、俺達はあそこまできれいに傷を作る事なんてできない。
あくまで平和な日本で生きてきた俺達にとって、ミールさんのような手足の無い人間を見た事はあってもそれを自分で作りたいだとかは到底思えないのだ。その技術も無いし、その行為に対する意味も見出せないからな。少なくとも、俺は。
ハルカさんはむしろそういった傷を治すために回復魔法を覚えたほどだ。あれを治したのも彼女である。何より、アリバイがある上に被害者の証言で容疑者からは外されるだろう。
うーん。
ともかく、犯人探しは大人に任せよう。本当に魔法が使えない同郷人だったら、魔法の使えるこちらの人が有利なわけだし。
……。
ミリーの占いで、俺の運勢が『凶』だった。それが、不安だ。任せると言っておきながら、巻き込まれる事が目に見えているのだ。
「プラスチック製品が欲しい」
「えっ、何で」
「今日のラッキーアイテムだから」
「ラッキーアイテム? こっちにプラスチックってあったかな……」
ハッキリ言おう。
無い。
プラスチック、もといポリエステル製品は石油由来の化学製品だ。
魔法が発展し、科学の発展していないこの世界では、プラスチックのような製品は無い。はず。
料理にポリ袋を使った時短テクニックとかあるのだが、あれはもう魔法で代用できてしまうので、別に、もういらないという事になってしまう。
軽くて丈夫、潰せば他のゴミの邪魔にならない。そんなプラスチック製品がこの世界で作られないのは、ルディの持っているような異次元ポシェットが一般市民に普及しているからだ。
あれはずるい。収納事情を一気に解決してしまうのだから。
要するに、本当、この世界にプラスチックは存在しない。
エネルギーは魔力の方が効率は良い。だから電気エネルギーも使われていない。
魔法のある世界だからこそ、魔法の無い世界には当然のようにある物が無いのだ。
ペットボトルや魔法瓶片手にゲームや勉強をしていた俺に言わせれば、こちらの世界はある意味で不便である。
喉が渇いたら水魔法を直接口の中に出せば良いのだから。
「いや、それは加減を間違えると大変な事になるから」
また考えていた事が漏れたらしい。
「ペットボトルかぁ。持ち歩くのには良いよね。軽いし、熱い時に触るとひんやりしているし」
「周囲が暑いと、その分ぬるくなるけどな」
「あはは」
ただまあ、ガラス製品よりも軽かったから、便利だぞ。こっちでは最悪誰か1人が軽量のポシェットを身につけるだけで、あとは手ぶらで移動可能。軽さで言えばこちらの方が良い。
だが、個人的にガラスの瓶から直接、もしくは紙コップなどに移して飲むというのは、慣れていない分、ペットボトルが恋しいのだ。
ペットボトル、便利だからな。今度近い材質のものを探してみようかな。
魔法剣のあるこの世界において、プラスチック製品の防御力は皆無だろうが、まあ、軽いし。きっといつかの賢者達も探していたと思うのだ。
今の所プラスチック製品が腐ったとかの例は聞かないので、運が良ければ出土品とかで見つかるかもしれないな。
まあそれはそれとして。
ラッキーアイテムのプラスチック、どうしよう。所詮ラッキーアイテムだし、無くとも大丈夫かもしれないけどさ。
「うちの制服、ボタンが金属製だったよね」
「ついでに、こっちの世界は木製が主流だぞー」
「僕のメガネはガラス製ですので、貸せませんね」
「……ちょうど、切らした」
ぞろぞろと俺の周りに集まった仲間達が、プラスチックについて報告しだした。
うーん。やっぱりなさげだな。ミリーの占いが当たるのかはまだ分からないが、本当、用心するに越した事はないので、出来れば持っておきたかったのだが、無理らしい。
俺達が誰も持っていなかったら、この世界にプラスチックがある可能性は皆無なのだから。
スマホにプラスチックが使われていたら楽だったのだが、残念ながら全員、ガラスと金属で作られた物だったのだ。カバーがプラスチックで出来ているものも多いというのに。
よし、諦めよう。
「そろそろチャイムが鳴るし、席に着いた方が良いぞ」
「あ、本当だ。じゃあ、また後でね」
今日はたしか、一時間目から実習だったはず。移動時間がいつもより短いから、そこは注意だな。
そうだ。まだ受けると決めたわけじゃないが、とりあえずEランクとAランク以外の生徒も見てみるか。Aランクの生徒は、まあ、ハルカさんのおかげで色々と上手く行きそうだし、放っておいても勝手に魔法が上達すると思うけども。
EランクとAランク以外の授業は、未だ見に行っていないのだ。
最底辺と頂点だけしか見ていない。その間の部分もきっちり見ておかなくてはならない。たとえ学園長の申し出を受けないと俺が言っても、結局押し切られると思うのだ。
だったら、見ておかなければならないだろう。
「というわけで、それぞれのランクの生徒が使う場所を教えてください」
「あ、はい。良いですよ。ちょっと待ってくださいね」
アッサリと許可が出た。
先生の肌が、心なしかツヤツヤしている。
「実はですね。この度、Eランクの実習担当代理を任されました!」
「えっ」
「元Eランク実習担当の教師が『警備強化のために』教師側から派遣する強化要員に選ばれまして。そこで僕が、その穴埋め要員に選ばれたのです」
実はこの先生、新任とはいえ教師育成所の成績は良い方で、潜在的な魔力量も人より多い。人族である事や童顔が災いして色々と下に見られがちだが、その実あのムカつく教師より実力はずっと上である。
そこに俺達が使うイメージ法を導入したのだ。スペル法が染み付きまくったベテラン連中よりよっぽど腕が立つはず。あのムカつく教師は、実質の左遷だろうな。見方を変えれば、あの教師は野蛮とされる冒険者と同じように見られているわけだから。
誇り高い魔法学園の教師という立場から、一時的とはいえ離れさせられているのだから。
これが本当に一時的になるかどうかは、彼次第となるだろう。
「じゃ、任せても大丈夫ですね」
「ええ。もっとも、僕もイメージ法は初心者ですので、期待されても応えられるのかは不安ですが」
「Eランクの生徒には、既に全員魔法が使えるようにしてあります。初心者同士、勉強し合ったらどうでしょうか」
「それもそうですね! あ、また今度、君の講習を受けますから、そのつもりでいてください」
ピンと伸ばした人差し指が、俺に向けられる。笑顔でウィンクすると中性的な顔立ちがいっそうかわいらしいのだが、きっと、これは禁句なので口に出さないよう注意しよう。
食べ物の恨みは恐ろしいが、禁句を放った時の恐ろしさもまた、恐ろしいのだ。
さて、と。
早速、Dランクに来ている。……さすがに数が多いな。
いちいちアドバイスすると、日が暮れても教えきれないぞ、これは。
Dランクは元々魔法は使えるが、その威力が弱かったり、制御が甘すぎたりする生徒が多い、と。
Cランクは可もなく不可もなく、ってところか? 原石がそこら中にちらほらと見えるが、発動法の問題で実力が発揮できていない生徒が多数。
Bランクはバランスが良い。得意な属性の魔法もさることながら、不得意な属性を練習している生徒もいて好感が持てる。ただ、中には自慢したがりも混じっているようだ。
BランクはAランクを薄めたような場所だな。貴族の数こそ少ないが、雰囲気は完全に下位互換である。ちょっとでも上手く出来ると、すぐに自慢して練習をサボる。これはいけない。
ふむ、どのランクも一長一短……いや、一長はともかく二短三短はある。
直し甲斐がありそうだ。
「お兄ちゃん、顔」
「あ、ごめん」
昼休み、ざっと全てのランクを見終えた俺は、これからしようとする事を思い浮かべる。それがどうやら悪い企みをしているかのような笑みになっていたようだ。
いやはや、自身の事は分からないものである。
未だ誘拐事件は片付いていないものの、少し気が緩んでいるな。反省しなければ。
今日は、運勢が『凶』なのだから。
― セルク ―
一時間目からずっと、実習続きの今日この頃。一ヶ月に一度の強化日程が、こんな誘拐騒ぎが起きている最中に訪れるとは。
今は放課後。魔力はまだ余っているけど、ずっと魔法の練習をしていたために疲労感はあった。
この疲労感は寝れば回復する。こんな疲れ方、魔法が使えかった時は感じなかったので新鮮だ。とはいえいつまでも堪能するわけにも行かない。明日も授業はあるのだから。
肩こりとか、筋肉が疲れているわけじゃない。精神が疲れている。身体は元気なのに、気力が切れやすくなっているのだ。
いわゆる魔力疲れ。魔力が減ったり回復したりを繰り返す内に、精神がその行為に疲労を覚える現象だ。なぜそうなるのかはまだ解明されていない。けど、休めば治るので、別に調べなくても支障が無い。だから調べるのが遅れているのかな。
今度個人的に魔力疲れについて研究してみたいと思う。場合によってはこの現象のせいで、まともに授業を受けられない生徒がいるようなのだ。それが改善できるかもしれない。
スイト師匠なら、どういう見解を述べるだろうか。
あの人の感覚は他の人と微妙にズレが生じているから、独特な意見を出してくれるかもしれない。今度、時間がある時に聞いてみよう。
今日は疲れた。気を抜いたら立ったままでも寝られるような気がする。
おっと。足取りが危ういぞ、僕。とりあえず寮に着くまでは気を付けないと。いや、教室でちょっと眠ろうか。ともかく、今日はスイト師匠の講習は受けられそうに無いな。
「大丈夫かしら。ふらついているわよ、セルク=アヴェンツ」
ふらついたところを、誰かに支えられる。
「あ、すみません」
急いで体勢を整えて、と。
僕は改めてお礼を言うために、振り返った。
……。
…………。
………………。
誰もいない、静まり返った廊下。
放課後は最近、師匠の講習があるおかげで、校舎内の人通りが少ない。学園全体でだ。
教師陣もほぼ全員講習に赴くほどで、噂を聞いた冒険者の人達が警備巡回のついでに見に来るほど有名となっている。
師匠が有名になるのは誇らしいけど、最近は生徒や教師に関係無く講習場所で大勢の人が待ち伏せしているのだ。少し早く行こうとしても、遅刻寸前になるほどの人混みは困り者である。
今日もおそらく、そちらに人が流れていると思われる。
だからこそ。
僕が、ここに1人でいるわけで。
僕だって、魔力疲れがあっても行った方が良いとは思っているけども。
今日はたまたま。
たまたま……。
「どうかしたのかな。大丈夫?」
僕を支えてくれた人は、優しげな笑みを浮かべている。
肩に付かない黒い髪は外跳ねしており、前髪が何本ものピンで留められている。
不自然なほど鮮やかな桃色の口紅が目に付く。
膝よりも長い白衣の向こうに、淡い青のブラウスと黒いタイトスカートが見える。
黒いタイツにこれまた真っ黒なパンプス。
目はパッチリと開いた黒目で、怪しげな光が灯っている。
そして、胸元には赤い夕日の光が反射する、透明で四角いネームプレートが。
間違い無く、ミール先輩を誘拐した犯人であった。
「……ッ!」
「あらま。その反応、私の事を既に知っているらしいね。なら話は早いわ。じゃあ『私に付いてきなさい』と言っても、聞かないわけよね?」
「付いて行くわけ……」
ずり。
足が、一歩だけ前に出る。
……え?
「ふふ、強情。良いわ。ならこれはどうかしら? 『私のものになれ』!」
「は?」
ずる。また、今度は2歩ほど、前に進む。
頭が、くらくら、して。
「ふむ、ダメ押しでもしておこうかしら。じゃあ『来い』!」
なに、こ、れ。
目の前、が まっくら に
……
―― ッ!!!
バッドステータス:催眠。
ステータスの画面と同じようなウィンドウが、宙に浮かんだ。しかし真っ赤なそのウィンドウには大きく『警告』の文字が表示されている。
警告音が鳴り響く。
ビーッ、ビーッ、と、耳障りな音だ。
僕のアビリティ:ステアアラートの効果である。
5つある危険度の中でも、最も危険度の高い音だ。あまりにもうるさいから、意識が浮上してくれるのは助かった。
これまであまり頼りにならなかったアビリティだけど、今はただ、これを持っていて良かった。
「あら、足りなかった……わけじゃあなさそうね」
女性は浮かべていた笑顔を取り下げて、ひどくつまらなそうな表情になる。
しかしすぐ興味深そうに僕を観察し始めた。いささかスイト師匠に似た視線だ。ただし、師匠は割とアッサリ終わったのに対し、彼女の視線はいやに粘っこくて纏わりついた。
正直、気持ち悪い。
アラートのおかげで意識は浮上した。した、けど。残念ながら、状況の改善にはなっていない。
アラート音が、段々とぼやけて聞こえてくる。これは、まずい。
まずい、まずい、まずい!
バステの内容は催眠。きっと、ミール先輩も、このバステのせいでこの人に付いていったのだ。先程から感じている異様な眠気から逃げ切れずに。
おそらく僕も、数分もしない内に『落ちる』だろう。
だから。
その、前に!
「ウィンディル!」
威力は最大限に。
範囲は最低限で。
僕は落ちていく意識の中、ある場所目掛けて風の魔法を放つ。
そして、僕の魔力を、弾き飛ばしたそれに纏わせるように集中させていく。
魔力は圧縮すると液体に。
液体を更に圧縮すると結晶になる。
液体と、結晶の間。結晶になりかけたところで、圧縮を止める。
更に、それを包むように幻覚の魔法を発動。空間魔法を併用する事で、一定時間の間、魔法の対象を異次元に閉じ込める魔法。基本魔法の応用だから、あまり長時間保たないと思う。
それで、良い。いずれ、僕がいなくなった事に誰かが気付く。
そうすれば、師匠、なら。
きっと。
たぶん。
だいじょうぶ。
「ちっ。まあいい。ともかく『来い』と言っているだろう」
だい、じょ、う、ぶ。
だ…… か ら……――
――――………………
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます