29 消えた傷跡
油断していた。
油断するべきではなかった。
何が「用心するに越した事はない」だ。
既にヒントは出されていたのに、深く考えもせずに捨て置いてしまっていた!
ミリーは起きるであろう事象に対するヒントを教えてくれたというのに。
星の小物。それは何を指すのか?
星の性質を持つ子供。セルクの事だったのだ。星と聞いて、すぐに思い至るべきだったのだ。思い至る事が出来るはずだったのだ!
それを、無視していた。
昨日と同じようにEランクの生徒達に魔法を教えて。セルクを連れて講習へ赴き。そのまま寮に送り届けていれば。
そう、していれば……!
「セルク君が消えたって本当?!」
入学5日目、午後10時。
俺は現場と思われる地点にいた。
賢者として、学園長に呼ばれた。当然、ハルカさんもだ。ただ、学園内で講習を遅くまで続けていた俺が先に呼ばれたから、学園長室に着いた時間はバラバラである。
ついでに言えば、ハルカさんへは俺が後から連絡した。俺が事件発生を知ったのは今から4時間ほど前なのだが、ハルカさんがケータイをしまっていたので、結局大人数で探しまわってしまった。挙句の果てに、寮でミールさんと談笑していたらしく、見つかるのが異様に遅れてしまったわけだ。
というわけで、ハルカさんの到着はこのような時間になってしまったのである。
「ミールさんと同じだ。マーカーが点滅状態になっている事も含めて。場所が前回とは異なっているが」
「学園の地下じゃないって事?」
「そう。いや、多分、地下だろうけど……」
前回と同じで、地図上にはその位置に地下が存在しない。何せ、学園敷地内にある、実習用の森林地帯にマーカーが輝いているのだ。
学園の敷地は、巨大なフロートタイムという鉱石によって浮いている。昔は大量にあったとされるフロートタイムは、途轍もなく軽くて丈夫であるため、多くの剣や槍に使われた。
この鉱石は一定量を上回ると、軽いだけでなく空中に浮かぶ性質を持つ。その量は途轍もなく、正に学園がある土地くらい無いといけない。まだフロートタイムが大量にあった頃は、これを使った飛行船を作ろうという計画もあったようだが……頓挫した。
フロートタイムは、一定量以上あれば浮く。
それは逆に言えば、一定量以下になれば、途端に浮力を失うという証明でもある。
多くの浮島でフロートタイムが採掘された。そしてやがて、1つの浮島が地面に落ちた。
何の前触れも無く、地上数千メートル上空から、一気に。
初めは偶然と思われていたが、フロートタイムが大量に採掘されている島ばかりが同時期に、それも大量に落ちた事から、フロートタイムの採掘は危険視され、その採掘が禁じられた。
浮島はまだ残っているが、当時と比較するとかなり少なくなっている。
一定量がどのくらいかは研究されていない。危険だし既に密輸する者もいないから、知る必要がないためだ。それもこの島は、今は位置固定されているが、以前は王都からかなり離れた場所にあったらしい。鉱石の採掘場が作られておらず、地下への入り口は無いのだ。
数日前に発見した地下は、おそらく物理的に封印されていたのだろう。あの雰囲気からして、地図から抹消したいほどの秘密であると思われる。
ただ、あのような地下への入り口がまだあるのだろうか。
以前と同じく、マーカーのある地点にセルクはいなかった。これはその上空か地下にいる事を証明してくれているが、せめてどちらなのかを確定できれば捜索もちょっとは捗るはず。
というわけで。
「ハルカさん。セルクは地下にいるかな」
「地下だと思う」
彼女の直感は、必ず当たる。
ハルカさんが小さく頷きながら、即答してくれた。
「学園長。セルクは地下にいます」
「その情報は信用できますか?」
「100%信用できます。ただ、地下への道は……」
俺はハルカさんへ目配せすると、ハルカさんはゆっくりと、森林地帯の方へと指差した。
が、その顔は浮かない表情である。
「ごめんなさい。何か、ピンと来ないの。曖昧に『向こうだ』って感じがあるけど、うーん、何だろう」
「いや。とりあえず、あっちにヒントがありそうなのか」
「あ、それは、うん」
彼女は、手元で指を滑らせながら応えた。一日に百回まで、必ず直感が当たる彼女のアビリティは、親切な事にそのカウントダウンが表示される。
常に直感だけで行動する者ならともかく、ハルカさんはちゃんと有事の際のためにカウントを残してあるのだ。今日の分もまだ半分以上残っているだろう。
「じゃあ、行こう」
「ダメだよ!」
彼女の直感があれば、向かう所敵無し。
と、考えていたのだが、ハルカさんが森林地帯へと歩き出していた俺の腕を引っ張って、止める。
「今はもう、深夜だよ? 真っ暗で足元が見えないし、そもそもこれ、大人に任せるべき事でしょ?」
「明かりなら魔法がある。魔法を出すのが俺なら、長時間出していても問題無いだろう」
「そうじゃなくて! せめて、明日にしよう。ほら、眠いと思考力が下がるし!」
「普段から夜更かししていたから平気だ」
「だから、そういう問題じゃないってば!」
「けど、もし、セルクがミールさんと同じような目に遭いでもしたら……」
非公認ではあるが、俺の事を師匠と呼んでくれた子だ。なるべく、怖い目に遭わせたくない。これは疑いようも無い無い本音である。
それに、もし犯人が俺達と同郷なら、俺達が犯人を捕まえた方が絶対に良いはず。
俺達の問題に、こちらの世界の住人であるセルクを巻き込んでしまった形になってしまう。優しいセルクの事だから、俺達とは関係無いと笑ってくれるだろうが……。
何よりも、セルク自身の事が心配だ。その身はもちろんの事。魔法は、精神状態によってその形を変えるからな。恐怖のあまり魔法が使えなくなり、それが自信喪失となって魔法不信に陥る事もありえる。
セルクは、ついこの間魔法を使えるようになったばかりの子だ。
それが、もし、一生魔法が使えないという最悪の状況が重なったとしたら……。
途中から、ハルカさんの声が聞こえなくなっていた。
ハルカさんは、方向だけは教えてくれた。その方向へ真っ直ぐ進んでいれば、いつかその手がかりに会えるはず。
俺はぐいぐいと引っ張るハルカさんの手を、振り払おうとして――
―― パキン、という音が、薄暗い廊下に響き渡った。
「……?」
何かが割れたような音に、俺は咄嗟に魔力可視化を発動させる。敵がいるかもしれないという状況で発動させるよう、癖をつけておいたのだ。
その目に、光の珠が映る。
キラキラとした魔力の塊が、廊下の端にあった。俺達の目線より下にあるが、見えやすい位置である。
魔法の痕跡というより、魔力そのものが未だにその場で留まろうとしている。
この、魔力は。
「……セルクの、魔法だ」
「えっ?」
俺はその魔力の塊に、手を伸ばした。魔力は普段目に見えなくとも質量体だ。それでも触れた感覚は無いはず。以前それは確かめたのだが……。
ガリッ、と。手の平を引っ掛かれたような感覚に襲われる。ただの感覚で、手そのものにケガは無い。ただ痛みはあるし音が俺以外にも聞こえていたらしく、ハルカさんが咄嗟に俺の手を診た。
もっとも、ケガは無いのですぐにホッとして離してくれたが。
「ねぇ、今の音って」
「ああ。ここに、多分セルクが使った魔法がある。というか、魔力の塊だな。……幻覚魔法、空間魔法辺りが使われているだろうから、俺以外には見えないようだけど」
星の性質を持つ、太陽属性の魔力。太陽属性は特殊な属性だ。光、炎、土属性の特性を併せ持つ。今挙げた3属性の魔法や空間魔法の威力が上がる属性だ。
どうやら空間魔法と幻覚魔法のどちらも使って、その間を魔力が行きかうようにしたらしい。術者がいなくてもしばらくこのサイクルが続くようにしたため、4時間以上経っても解けなかったようだ。
ただ、今俺が僅かにサイクルを狂わせたせいか、魔法がすぐに解け始める。
周囲に魔力が拡散していく。
濃密な魔力だ。空中で小さな結晶と化し、キラキラとした胞子が舞っているような光景を生み出した。
そしてやがてそれが収まると、光の珠から何かがポトリと落ちてきた。
「これは、何でしょう。文字が書かれていますが……」
「あ、これネームプレートだね。それも『漢字』の使われたやつ」
……漢字?
この異世界で?
俺はデフォルトスキル:言語理解を切ってみる。そして学園長の言葉が理解できなくなった事を確認してから、もう一度ネームプレートを見た。
たしかにそのネームプレートには漢字が、使われている。
カタカナ、ひらがな、英語まで!
これは……。
か、鑑定!
【
異世界のプラスチックが使われたネームプレート。所有者は種作雨。秘密結社:グラシャラボラス製。結社内の着用義務がある。写真付きで、後から加工出来ないように、特殊な紙を包むようにプラスチックで包んである。血液が付着した痕跡がある。 】
「血液……!」
「どうしたの、スイト君」
間違いなく、セルクが残してくれたヒントだ。セルクも俺がプラスチックを探していた事は知っているはずだし、もしかすると犯人からこれがプラスチック製である事を聞き出したのかもしれない。
プラスチックは、こちらの世界には無い。
つまり、これの持ち主は絶対的に俺達の同郷という事になる。
ウルル。それが、犯人の名前なのか!
「黒髪黒目の女性。ミールちゃんの言った特徴と一致するよ。白衣だし」
「秘密結社とか、鑑定結果も怪しすぎるし。今回の召喚に混ざったらしいな。今回の召喚は色々と例外だらけだし、不適格な連中が混じっても何らおかしくない」
あの時あの校舎にいた全員が召喚対象に選ばれていたのだとしたら。適格な人物の厳選ができていなくともおかしくないのだ。
不適格が何人もいるのか。はたまた彼女だけなのか。
彼女だけである事を切に願っておく。
「という事は、だ」
「うん……」
「やっぱり、俺達がどうにかするしか無いだろうな」
「……うん?」
俺は、ウルルのネームプレートを持ち、森林地帯へ向けて歩き出した。
「えっ」
「ちょ、ちょっと待ってよスイト君! ああもう!」
ハルカさんが追ってくるだろうから、俺が出せるトップスピードで走り抜けてやる。森林地帯は広いから、方向を見失わないように気を付けないと。
っと!
「待ってってば!」
「止めるなよ、ハルカさん。パッと行ってパッと戻ってくるし」
「だから! そうじゃないって!」
上手い具合に俺の進行方向へ先回りするハルカさん。ステータスを弄りながらやっている所を見ると、アビリティを使いながら行動しているらしい。
必至になって止めてくる彼女が5回ほど、俺の前に立ちふさがる。
「多重結界!」
正確な魔法名は、無い。ただ、薄く、しかし何十にも重なった結界の箱が、俺を包み込む。見れば、ハルカさんの手に握られた杖が輝いていた。
という事は、この結界、とんでもない威力になっているはず。それぞれの結界は薄い。だが、そこは塵も積もれば山となる。紙が何十にも重なれば切れなくなるのと同意だ。それも彼女の魔力が注がれている内はいくらでも回復するだろう。
ちっ。余計な事を。
消耗戦に持ち込んでも良いが、それだとハルカさんが倒れてしまう。
仲間を危険な目に遭わせたくない。魔力欠乏症は死の危険を伴う危険な症状なのだ。
「一旦、落ち着いてよ」
「俺は落ち着いているさ」
「じゃあ聞くけど、もし犯人がルディ君以上に強かったら?」
「何とか見つからないようにするさ」
この世界には幻覚魔法がある。さっきのネームプレートが犯人の下から離れていたし、あんな分かりやすい場所にあったのだ。犯人はきっと、幻覚魔法に耐性が無い。
幻覚魔法で身を隠せば、いける。そんな気がするのだ。
「じゃあ、見つかった時は?」
「……全速力で逃げる」
「セルク君は?」
「っ、セルクは連れて帰るさ!」
何が何でも、セルクだけは連れて帰りたい。まだ5時間も経っていないのだ。運が良ければ、まだ無傷で済む。だが、時間が経てば経つほどに危険度は増していくのだ。
なるべく早く見つけたい。
そう、少なくとも、セルクだけはーー
「―― 他にもたくさんの被害者がそこにいたら、どうするの?」
……。
…………。
………………。
痛いところを、突いてくるな。
「スイト君の事だから、心の表面上ではセルク君だけでも助けたい、とか考えていると思う。けど、その奥ではセルク君以外の事も考えているでしょ」
「そ、れは」
「ねぇ。それさ、1人で出来る事だと思う?」
っ。
本当、痛い所を突いてくる。
セルクだけでも助けたい。これは最重要で最優先事項だ。個人的には。
だが、誘拐された人物は彼だけではない。時期的に、ここ最近多発している誘拐事件は同一犯……ウルルの仕業と見てまず間違い無い。
であれば、今から俺が向かおうとしていた場所に、セルク以外の者達がいる可能性だってある。
けど、俺だけで全員を連れ出せるのか。
その、答えは。
「……でき、ないです」
魔法で運ぶにしたってたくさんいる被害者を運ぶなら、1人につき1人の方が見張り役にもなるし、1人1人の負担も減る。救出メンバーは多い方が断然良い。
最悪の場合犯人が、未だに模擬戦で勝てないルディよりも強く、隠密行動をとっている俺達を発見でき、被害者を何人も敵に奪い返されたり、人質に取られたりする。
それを全て、1人で対応しなければならない。
これは最悪の場合の話だ。
だが、その最悪を俺は無視している。
無視して、最善の方だけを見て、考えている。
それは……危険だ。最悪の状況になった時、何の準備も無ければ、きっと、肝心な時に失敗する。そして全てを後悔するのだ。
「そうだな。1人じゃ、出来るわけが無い。ごめん。焦りすぎていたみたいだ」
「ホントだよ、もう」
とはいえ、急がなければならない事に変わり無い。ミールさんだって、行方不明になってから一日も経ってない時点であの凄惨な姿に成り果てていたのだ。
今頃、セルクがどんな目に遭っているか。考えただけで恐ろしい。
前回のようにセルクだけしかいない、という可能性は無くもない。だがそうではない可能性だってあるのだ。その可能性を切り捨てて良いわけが無い。
しっかりとした準備をしてから。きちんとした睡眠もとらなければならない。まあ、寝られないとは思うが、そこは魔法で何とかしよう。
そうと決まれば、早速帰って……。
「だからね。私も行く」
「……はい?」
ハルカさんが放った台詞が、既に意識が城へ帰ろうとしていた俺の耳をすり抜ける。
ちょっと待て。思い出せ。今、ハルカさんは何て言った?
私も、行くと。そう言ったのか?
「このままじゃ寝られないでしょ? 無理やり魔法で眠るつもりかもしれないけど。でもね、魔法の眠りって、総じて浅い眠りなの。少しでも心配事を減らした方がいいと思う」
「おいおい。前言撤回になっているんだが」
「どっちかと言えば行くのは反対だよ。でもさ、どうせ朝一番に『散歩に行く』とか言って調査なりするでしょ。今の内に場所を教えておくよ。学園長先生なら、私達が寝ている間でも調査を進めてくれますよね。夜に暇している冒険者辺りをつかまえて。ですよね?」
ハルカさんは、にっこりと笑みを浮かべた。
同時に、学園長に目配せする。
なるほど。俺達は眠くなりつつあるが、たしかに夜に見張りを担当するはずだった人の何人かに声を掛けておけば、明日早くに進展があるかもしれない、と。
自身で調べられないもどかしさはあっても、俺達への負担が減る、と。
良い考えじゃないか!
「こっちです」
俺達は迷い無く歩くハルカさんを先頭に、道無き道を歩く。夜の森なので足元が見えない事は予想していたのだが……予想外に、明るかった。
魔力を溜めて自ら発光するキノコやコケ。こすれると発光しあう落ち葉などがそれぞれ淡く輝き、薄明るい、幻想的な風景を生み出していた。
光は日中には消えてしまうそうで、夜中。それも深夜でなければ見られないらしい。
ついでに言えば、光の強さは夜中の零時に最高潮に達するという。
今度時間があれば見てみたいものだ。
がさがさ、ペキパキと、光る落ち葉と枝を踏みながら進む。
そうして……一軒の小屋を見つけるに至った。
周囲の木やコケと一体化してしまったらしい。一見すると、周りよりも不思議と樹木が集まっているな、くらいにしか感じない風貌だ。
既に小屋としての形は保てておらず、むしろ樹木同士が絡み合って出来たうろのようなものが、そこにあった。
扉も既に無い。天井も所々穴の空いた小屋だ。
中には、階段があったと思われる残骸が。
3、4段ほどの段が地下へと続こうとして、その先に岩や砂が入り込んで塞がれている。更にその上でコケが繁殖しており、かろうじて、そこに空き団があったような雰囲気が読み取れた。
「明らかにあったっぽいよ。階段」
「地下への入り口が、このような場所に……?」
「うし、掘ってみるか」
土属性の魔法を使って、階段を塞いでいた岩や砂を変形させ、どかしていく。この魔法の正式名称は何だったか。まあ思い出せないが、元からあった土をそのまま使う魔法の応用だ。
魔法には、元からそこにある物質を操る魔法と、その場には無いものを生み出す魔法とで分かれている。後者は炎の攻撃魔法などが有名で、役目を終えると消えてしまう。空気中の精霊を、魔力エネルギーを用いて一時的に『炎』という形にしているだけだからな。
対して前者は、元からある物を使うため、比較的使用魔力が少ない利点がある。ただ、質量保存の法則に縛られて、上手い具合に威力調整できないところがネックだ。
普段使われているのは断然後者である。
しかし、こういう場合は前者の方がメチャクチャ役に立つ。
新たに生み出しても何の意味も無い状況では、本当、頼りになる魔法なのだ。
階段を崩さないよう、上から順にどかしていく。コケのおかげで明かりは不足していないが、意外と精密作業なので集中力を使うなぁ。
っと。よし、風が通り始めた。どうやら通路が開いたらしい。
あとは、俺達が通れるくらいの穴を空けるだけだ。
「もう一がんばり、だな!」
調査は大人に任せる。
けど、少しくらい確かめてもいいだろ?
この先に、セルクがいるのかどうかだけでも……。
俺は、探索魔法:エネミーサーチを発動させる。敵性反応を探知する魔法だが、実は、反応対象の条件を自由に変更できる優れものなのだ。
条件は人、男性、12歳以下。
少なくとも、この先にいるのなら……。
「―― ッ! スイト君、ダメ!」
ハルカさんが叫ぶか叫ばないか、という瞬間だった。
階段の前で魔法に集中していた俺は、突如として、身体のバランスを崩す。
まるでイキナリ床が抜けたかのように、身体が落ちる感覚に包まれた。
あ、いや、これ。
本当に落ちていないか?!
階段前の床、ちょうど俺がいたところだけが、綺麗に抜ける。綺麗な円を描いて、床が消えたのだ。
これは確か、魔法陣トラップ:落とし穴だ。特定の条件を満たすと対象を落とし穴に落とす魔法で、条件を満たさない限りはただの床と化す。
一応目に見えるトラップとして有名だ。おそらく、小屋に入り込んだ砂のせいで魔法陣が見えなくなっていたのだろう。
咄嗟に伸ばした手が、魔法陣の縁にかかる。
だが、滑ってまた、落下し始める。
ステータス画面にバッドステータス:魔法制限がチカチカと点滅しながら表示された。
まずい。バッドステータスの魔法制限は、文字通り、使う事の出来る魔法に制限がかかっている状態の事なのだ。今回の場合は、基本魔法以外使用禁止。
基本魔法は、威力での魔法判別方法だ。要するに、炎で言えばろうそく程度の炎しか出せないという事である。
当然、風で自身を浮かせるという事は出来ない。
結界も張る事ができない。
見れば、下の方には鈍く光る無数の棘と、既にお亡くなりになったであろうお方の骨……。
じゃない。あれ、スケルトンじゃねぇか!
俺がいる事に反応して、既に無い目の辺りに光が灯る。その上、スケルトンの手には錆びまくった片手剣が握られている。
どうやら棘に骨が絡まったせいでジャンプするとかは出来ないようだ。しかし、このまま落ちれば刺される事はまず確実だ。スケルトンを倒せるほどの魔法を出せないので、運良く第一撃をかわせたとしてもまた襲われるだろうし、そもそも俺自身があの棘に刺さりまくってしまうだろう。
何気に、思考速度上昇Ⅱ入手のお知らせを受け取りながら、俺は感覚的にゆっくりと、落ちていく。
あっ。
詰んだ……。
「どっこうぃいしょぉおーいぃ!」
落ちる感覚から、ふわりと浮かぶ感覚へ。
未だ伸ばしていた腕が、強く握り締められ、そのままぐいっ、と引き上げられる。
肩が外れそうになった。
いや、多分これ外れただろ。一瞬だけ外れて、ハルカさんがその一瞬の内に治してくれただけだろ。
というか、何だ。助かったのか。俺。
何が起こった?!
「はー、良かった。間一髪だったよ」
ハルカさんが助けてくれた? いやいや、ハルカさんはあんな野太い声を出すような子じゃない。だったら学園長? いやいやいや、あの人は少し遠くにいて、呆然としているから違うだろう。
だったら、誰だ。
俺は突如として現れた、4つめの人影へと視線を移動させる。
そこには……。
「ふはぁ。危なかったなぁ、スイト少年!」
元気な声が、小屋の中に響いた。
彼は爽やかな笑顔を浮かべつつ、額を伝う汗を服の裾で拭った。
深い藍色の髪。ゆるい天然パーマのかかった長くも短くも無い髪が、不意に吹いた風に揺れる。髪よりも濃い藍色の瞳が俺を見据えた。
彼の名前は―
本当に血縁なのかと疑うくらい、容姿は似ていない。
ただ、その人気ぶりはアキツグ君と似て絶大だ。彼が中等部生の2年生からずっと、泉校夏の人気度ランキングでは、3年連続1位である。
加えて、アキツグ君と同じく、人の心と場の空気を読むのが異常なくらいに上手い。
俺達がこの異世界へ飛ばされる約3日前、俺は彼らが従兄弟である事を知った。別に秘密でも何でも無かったので、知られても別に大丈夫。ただ、第一印象が無難だとか、普通だとか、地味という感じのアキツグ君と比べて、彼の顔立ちは凛々しくてかっこいい。
言われなければ分からないほどに似ている。苗字も違うしな。
彼の事は、後輩は尊敬で。同学年は冗談半分で。先輩は親しみをこめてこう呼ぶ。
「みんな大好き、ラブハンターヒタロウだよ!」
「お久しぶりです、ひぃ先輩」
「無視するなんて酷いな。俺のボケは、ツッコミがいないと寒いのに」
先輩後輩関係無く、ひぃ先輩と呼ばれている。本人も言ったとおり、的確なツッコミ役がいないと、周囲に雪を降らせてしまうらしい。
本当に降る事はないと思う。思うが、魔法のあるこっちの世界では本当になりそうで怖い。
「た、助かりました」
「おう。お前達もこっちに来ていたのな。俺も1週間くらい前に来たけどさ」
一週間ほど前……。俺達と同じくらいか。
召喚される位置はずれているだろうが、やはり同時刻にこちらの世界に来たらしいな。
これで、賢者側に召喚された人数は11人。本当に多いな。
……いや。
もう1人、こっちに召喚されているかもしれない。
「学園長先生」
「あ、はい」
ずっと黙り込んでいた学園長に話しかけると、学園長は平然とした様子で応える。俺達が先輩、と呼んでいるため、多分異世界の住人だとは気付いているだろうが、驚かないとは。
あ、違う。これ、驚きすぎて冷静になっちゃったパターンだ。
学園長は自愛に満ちた朗らかな笑みを浮かべている。
「えっと……調査、頼みます。一応、この先に人がいる事は分かったので」
先程のエネミーサーチに反応したものがあった。ここ以外にも出入口があるのかは知らないが、敵が瞬間移動的なアビリティを持っている事は判明しているのだ。もしかするとここの事を知って、塞がってしまった通路の奥へと移動したのかもしれない。
そうなれば、地下への入り口がこういう風に崩れていてもお構いなしってわけだ。
今日のところはハルカさんに免じて調査を他人に任せよう。だが、明日朝一番にここに来るからな。俺が寝ている間に、少しでも調査が進んでいる事を願おう。
ところで。
ところで、である。
ひぃ先輩は、この世界へ召喚されてから今まで、どうやって生き延びたのだろうか。
お金は無いはずだから、ここまで上ってくるのは無理だろうし。地下鉄はもちろん、商人用の坂も無料ではないのだ。ちなみに、学園のある浮遊島へ行くのは無料なので、身体検査を受ければ問題ない。というか大量に冒険者が招かれたので、浮遊島への到達はそこに紛れ込めば済む話だな。
という事は、少なくとも世界樹の化石上部にはいたという事。
今回招かれた冒険者は、一度王都に集合してから移動してきたのだ。
世界樹の化石上部が全て王都というわけではなく、それなりに広い森や湖なんかがある。当然、害悪となるモンスターも棲み付いているのだが。
ひぃ先輩の身に着けている制服は所々破れていて、若干の黒ずみや泥も大量に付いているし、少しだけ、落ち葉も付いている。それらの傷がこの辺りで付いたにしては多すぎるのだ。
何と言っても気になるのは、彼の横にある巨大な弓だ。
金と……何だこれ。虹色の光沢を持つ不思議な金属と、太い蔓らしき植物が組み合わさった巨大な弓だ。弦は無く、弓矢も無い。
この人がこの世界で生き残るには、これを使うしか道は無い。鈍器として使ったのだろうか。本来ならば弦を付けるであろう場所は尖っているから、無理をすれば突剣として使えそうだが。
「ま、積もる話はまた明日だ。今日はお互い帰ろうぜ」
「帰るって、ひぃ先輩は帰る場所、あります?」
「あると言えばある。無いと言えば無い」
「じゃ、城に来ます? 今ならイユの瞬間縫製技術で制服が超強化補修できますけど」
「何て?」
俺はもう一度、一文字一句間違いなく、全く同じ台詞を繰り返してみせた。何故かひぃ先輩は「そうじゃない」と呟くと、俺達に付いて行く事にしたらしい。
これで11人目の異世界人だ。フィオル達が知ったら頭を抱えて……いや、フィオルなら友達が増えると喜んで見せるかもしれないな。
ともかく、色々と話を整理する必要がある。
話の整理は頭を使うから、後でやろう。というか明日やろう。
うぅ、明日やらなきゃいけない事が増えていく。
「がんば」
「うん、この場合、満面の笑みで言わないでくれると嬉しいのだけれど。ハルカさん」
いろいろな意味で後ろ髪引かれる思いであるが、俺はその場を後にした。
ああ、足が重い。
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