27 空から落ちた女の子

 入学5日目。


 3日目はミールさんの発見者として事情聴取に時間を割いた。俺はともかく、ハルカさんは手早く済ませて、目を覚まさないミールさんについて休憩室に泊まったようだ。


 4日目は事情聴取もほどほどに、俺はセルクや、セルクのランクメイト達に実演講習をした。事件の影響で外での実習が潰れたため、存外ゆっくりと教える事ができたぞ。おかげで、Eランクのほぼ全員が無詠唱魔法を覚え、かなり魔力制御が下手な生徒以外はちゃんとした魔法を使えて大いに喜んでいた。

 きっと今日には、あの制御下手の生徒も魔法を上手く使えるようになるだろう。彼は年長者のため、イメージ作りがとことん苦手で、おまけに魔力制御が苦手なだけなのだ。


 一応、人並みの魔法なら使えるはずだよ。うん。


 そして、今日。

 喜ばしい事に、ミールさんが目を覚ましたらしい。ルディとは来ず、朝一番に1人で登校してきた俺に、同じく朝一番にハルカさんが教えてくれた。この2日、眠っていたミールさんと一緒にいたハルカさんが、嬉し涙を流しながら駆け寄ってきたのだ。


 かわいかった。眼福という奴だ。

 輝く笑顔と煌く涙。あのコンボは強烈だな。

 加えて、トップスピードで俺の目の前まで走ってきた後は、ピョンピョン跳ねながらくるくるとその場で回転している。


 相当嬉しいらしく、俺が半ば引き気味である事にも気付かないくらいにハイテンションらしい。


「ちゃんと、手足は動くし、耳も聞こえるし、目も見えるって! 何か元の視力より良くて、酔った感じになっちゃうらしいけど!」

「左右で見え方が全く違うから、だろうな。そこはどちらかの目に、もう一方の視力と同じような見え方になる細工を施せば良い。めがねの逆バージョンを作るとか」

「ナイスアイディア!!」


 ちょうど俺もサングラスを作ろうと考えていたところだし、一緒に造ってみようかな。

 コンタクトレンズは慣れるまでが大変だろうから、やめた方が良いだろう。


「えへへ、一番に知らせたかったの! 私、もう1回ミールちゃんのところに行ってくる!」


 結局終始ピョンピョン飛び跳ねて、跳ねた勢いのまま元来た道を走り抜けるハルカさん。

 休憩室に着いた頃には息切れしていそうである。


 と、そうだ。セルクは早朝に練習すると昨日意気込んでいたから、俺も見に行こうかな。セルクの制御能力は高いが、魔法の使用は未だ3日だ。暴発が無いとは限らない。


 場所はたしか、あの屋内闘技場。

 あそこなら複数の魔法を使ったとしても、手狭になる事は無いだろう。


 もし物を壊したとして、既に使用用途の無い場所だ。今回の改革が進めば、あの酷い状態の闘技場で実習をする事なんて無いだろうし。


 にしても、今日は屋内より屋外で練習した方が気持ち良さそうだな。

 本当、良い天気だ。

 雲ひとつ無い、きれいな……。


 ……。


 ん?


「何だ、あれ」


 小さく、黒い点が見える。

 動きが遅いし、羽ばたく動作が無い。ドラゴンや鳥の類じゃないな。

 まあ、この世界は何でもありそうだから、空を飛ぶタコもいるかもしれない。視覚強化と聴覚強化の魔法を使ってみるか。何か珍しいモンスターかもしれないし。


 ふむふむ。うーん?

 空が近くなる。黒い物体が近くに見えるようになる。

 むっ。


「あー……――



 ―― 人? 」



 魔法で強化した目は1キロ先でもハッキリ見える。

 しかし遠すぎてぼやけて見えるなぁ。


 俺の真上に位置するその黒い物質は、人の形をしている事は分かるのだが……。

 それも、少しおかしな人影だ。

 それはどうやら、横倒しに歩いているようなのだ。


 ドレスらしき服を身に着けているようなのに、ドレスは俺の目で言う下方向へ流れておらず、その他リボンの類も風になびいているのに重力に逆らっていた。

 頭を下にして落ちているならまだ分かる。だが俺の目は定点カメラのように少しずつ、横へ視線を動かしているのみで、下方向への移動は皆無なのだ。


 この世界でも、スカートの奥は絶対領域らしい。

 見たいわけじゃないが。そもそもあれが難なのか謎な段階なわけだが。


 ぼやけているが、情報を統合してみよう。黒いドレスといえばゴスロリファッション。

 黒い日傘を差している、ゴスロリドレスを着た少女、だろうか。


『ふわぁ~あ……』


 少女は誰にも見られていないと思っているのか、大きくあくびをした。

 その途端、彼女の服が重力に従って、まっすぐ、俺のほうへと落ちてきた。


 んっ?


 んんっ?!


 お、おぉおお。



 落ちとる?!



『あ、いけね』

「言ってる場合じゃねぇだろうがぁああ?!」


 俺の真上からは若干ずれているが、それでも誤差の範囲内になるように調整。


 風のトランポリン。そう名付けられた魔法は、上から物が落ちてきた時に自身を守る魔法だ。頭上に突風を生み出し、受け止めるという魔法だ。


 範囲が小さければ浮かせた物を弾くだけに留まるが、これを広範囲に使うと、まるでトランポリンのように飛び跳ねまわれる空間が生み出せる。透明なだけにしか見えない、風のトランポリン。なるほど言いえて妙である。


 じゃない!


 場所は……広場だな。

 まだ誰も来ていないし、広範囲の魔法を使っても大丈夫なはず。


 広場は大きさも形もバラバラの敷石が特徴。学園の入り口でもあるそこには、噴水も無く四角い形となっている。学園の門からこの広場までに、100段ほどの階段があり、上るのに苦労する子がたくさんいるのだとか。


 そういや、俺達の通っていた泉校は150段の階段があったけど、ここで苦労している子がたくさんいるのだから、あれってきっと普通じゃないのだろう。


 って、そうじゃないって!


 俺は保険として、咄嗟に水と土属性を混ぜた魔法を放つ。水属性でクッション、それを程好くクッション状にするために土属性を混ぜた、アクアクッションという魔法だ。

 風魔法もこちらの魔法も、特に何も考えずにいると一度何かに触れるとすぐに消えるため、それだけだと再び外へ放り投げられるだけとなってしまう。

 そこは、俺が受け止めるしかあるまい。


 魔法で身体能力を向上させる。運動神経を向上させる魔法も併用して、彼女が落ちる場所へと急いだ。

 風魔法では音も無く。水魔法ではボヨンと不思議な音を立てて、彼女はある程度勢いを落として落ちてきた。そして、水土魔法でワンバウンドした彼女を、駆けつけた俺が受け止める。


 ふわり、と。


 思ったよりも軽い体重が、差し出した2本の腕にかかった。

 某アニメ映画のように途中で重くなったりはしない。羽のように、とまでは行かないが、大体ハルカさんと同じくらいの背丈にしては、軽すぎるくらいに軽かった。


 おかげで、受け止めるのに苦労はしなかった。

 そして……俺はしばらく、放心してしまう。


 俺の腕に抱かれた彼女が、誰からも文句を言われそうに無い、いわゆる絶世の美少女だったのだ。正直に言おう。見惚れて、放心していた。

 彼女はやはりゴスロリ調の服を身に纏い、服に合わせたデザインの日傘を差している。


 髪は光の加減で青灰色にも見える、きれいな光沢のある銀髪。丁寧に編みこまれた髪は、花をモチーフとした髪飾りに後ろで纏められている。

 大胆にも肩や背中の大半が露出する、フリル控えめのゴスロリドレス。腕は肘まである薄手の黒い手袋に真っ白な幅の狭いリボンが無造作に巻かれていた。

 また、人の物とは思えない足をしている。細く、それでいてしっかりとした筋肉のある、ギリギリ健康に見えるというほどの細い足なのだ。


 肌は絹のようにすべすべで、真っ白。桃色の唇と頬がかわいらしい。

 濃い金色の瞳はトロンとしており、潤んでいるように見えるほど、キラキラと輝いている。


 あ。そういえばさっきあくびをしていたような。


「……」


 少女は俺の顔をじっとみつめるだけで、身動き1つしない。

 一応瞬きもしているし、控えめな胸も上下しているから、気絶しているわけじゃない。


 うん。生きている。それは安心した。

 それ以上に、視線が痛くて落ち着かない……。

 俺はいたたまれなくなって、ゆっくりと少女を降ろした。


「ん」


 よく磨かれた黒い靴は、軽い音を立てて地に着く。ふわりとドレスのスカートが舞い、甘酸っぱい柑橘系の香りが広がった。

 腰の大きな蝶結びのリボンが揺れる。


「ありがとう」

「お、おう」


 かわいらしい声だ。少女は日傘を閉じ、淡々とした口調で礼を述べた。無表情というか、眠そうな表情なのだが、とりあえずお礼をしない、失礼な子ではないらしい。


「別に、落ちても大丈夫だったけど」

「大丈夫なわけがあるか!」


 前言撤回。

 一言余計だ。


 この世界にはレベルがあって、その数値が高ければ100メートルだろうが1キロメートルだろうが落ちても無事でいる事が出来るだろう。

 とはいえ、レベルが上がればその分肉体にも変化が現れるはず。俺の場合もちょっと出ていたはず。この子はそれほど特徴が無いように見える。


 人より細い、ということは分かるがな。


「俺はスイト。お前の名前は?」

「ミュリエル。― ミュリエル=アンジェッツ ―。ここだと……天翼族、かな」

「天翼族……? それはともかく、ケガは無いか」

「うん。おかげさまで。ありがとう」


 ミュリエルはほんの少しだけ口角を上げて微笑んだ。眠そうな瞳が若干弧を描き、キラキラと輝く。


「それと」

「うん?」



「 死んで 」



  ―― ひゅ



 ………………。

 …………。

 ……。


 えっ。

 今、何が、起こった?


 気付くと、周囲の音が消えていた。俺は少女から10メートルほど離れた位置におり、目の前には地面をえぐったような跡が。砕かれた石の破片が散乱し、舞った土埃のせいで視界が悪い。


 何が、起こった?

 俺は混乱する。後ろを見れば、広場を構成していたであろう岩や小石が混ざった土が盛り上がっていた。俺を受け止めるかのようなそれに背中が当たって、制服がかなり汚れている。


 ミュリエルは何をした?

 俺は、何をされた?

 俺は、何かしたのか?


 ……。


 俺は土埃が晴れた先を一瞥した。

 そこには、ミュリエルがいた。閉じた傘の先端を俺に向け、無表情のまま立ち尽くしている。土埃が晴れて相手が見えたのはミュリエルも同じ。何か、やろうとしているのだろうか。


 ……思い出した。


 ミュリエルがあの閉じた傘の先端を、俺に向けて突き刺したのだ。それも、目で捉えられない程の超速攻で。俺はと言えば、条件反射的に結界を作って急所を守ったのだったか。

 背中は汚れているが、血の汚れはどこにも付いていない。

 彼女の攻撃を凌ぎきった、という事なのだろうか。


 ……いや。


 めったに感じないはずの、魔力消費による疲労感がある。

 結界で失ったなら、俺が持つスキルの恩恵でもっと少ないはず。咄嗟の行動だったから魔力を多めに使ったとか。うーん、それも違和感がある。


 レベルが上がって手に入れたスキル:MP代替の効果だろうか。持っている魔力を、失ったHPの回復に注ぐというスキル。どうやら、HPが一瞬で0になる、いわゆる即死攻撃を受けると自動で発動する、的な説明文だった。


 まさか、彼女の攻撃で、俺のHPが一瞬でも0になったというのか。

 そんな事、ありえるのか? 見た目はアテにならないと言ったって、こんな細くてかわいい子だぞ?

 鑑定!



【 ミュリエル=アンジェッツ 戯神の作った人工天使。

  HP:■■■■■■/■■■■■■  MP:■■■■■■/■■■■■■

  Lv:■■■■■

  ―― 情報が読み取れません

  ―― 情報が読み取れません

  バッドステータス:ゲームノイズ 】



 うわぁ。


 何か、既視感のあるステータスが表れた。だが、メルシーのものと異なり、見えないのは数字部分だけ。メルシーや彼女の意味不明なステータスから察するに、この『■』というのはゲームノイズというバステの産物であるらしい。


 よかった、謎を解決する重要な部分にノイズが出ていなくて。

 ただ、ステータスそのものは未だ謎である。


 情報が読み取れません、が二列に渡って書かれているのはこの際無視しよう。分からない部分を何の情報も無しに予想するのは無駄だからな。


 それよりも重要なのは、■の数である。思うに、この■の数と、元々書かれているであろう数値の桁数は一致するのではなかろうか。

 数字(?)は横並びで、左右で個数が同じなのだ。


 これが本当なら、少なくとも彼女のHPやMPが、6桁超えである事を意味しているのだ。

 とりあえず、人間ではない。人工天使とか書かれているし。

 というか、レベルの表示も■だらけだが、その数が5桁。魔族でもレベル500がせいぜいで、4桁はともかく5桁など、到達する事は無理だ。どれだけ奇跡を起こそうが、無理なのである。


 何故かって?


 そもそも4桁レベルを持つ生物が、この世界にいないからだ!

 弱い奴を倒し続けても、レベルは上がらない。寿命の存在しない永命種ならいつかは辿り着くかもしれないが、それでも見つかった報告などされていない。

 それを、彼女は平気で……。


「?」


 ミュリエルはかわいらしく、こてん、と首を傾げる。


「死んで、ない?」

「……ッ」


 もう一度、来るか? 咄嗟とはいえ結界を出したはずなのに、これだけMPが減っているのだ。何回か、もしくは何十回かHPが0になっていた可能性がある。俺の出せる最高硬度の結界を張ってどうにか鳴るものではないだろう。


 殺気は塵ほども感じ取れないのに、何だ、この悪寒は。

 後ずさりしようにも槌が邪魔で出来ない。彼女の攻撃手段が傘による突攻撃だけなら、横に高速移動すれば良いのだが、果たして人類に出せる最高速度を出して避けられる速度なのだろうか。


 ……。

 ダメだ。

 次は、無い。


 何でこんな事をされたのか皆目見当も付かない。もしかすると、一ヶ月以上もの間ハルカさんと話しこんでいた事に対するファンクラブからの鉄槌かもしれないが、それにしたって本当に刺客を送ってこられるわけがないからな。


 ふざける余裕もそこそこに、本当に恨まれるような事をしたか、俺?

 それも、こんな美少女に。

 相手は天使らしいし、前世の俺に何かをされたとか。

 だったら前世の俺に謝らせたいところだ。


「ふむ」


 ミュリエルが、傘をくるりと振り回す。衝撃波も何も無い。ただ回しただけ。

 それでも、俺は肩をビクつかせた。


 コツ、コツ、と。

 ミュリエルがテンポ良く俺に近付いてくる。


 何だ。


 今度は何をするつもりだ。


 コツ。俺の目の前で、彼女が止まる。俺は脚に力が入らず、その場で固まったままだ。殺気も、威圧感も無い。なのに、動けない。

 恐怖。それが俺の足を絡めとり、動かさせないやつの名。

 ドクン、ドクンと、彼女がほんの少し動く度に、動悸が激しくなっていく。


 彼女の口が、僅かに開き――



「やめた」



「……へ?」


 俺の口から、いやに間抜けな声が出るまでは。


「間違えた。ごめんなさい」


 ミュリエルは特に表情を変える事無く、日傘を再び開きながら謝罪を述べた。

 まち、がえた? 間違えた、って。


「お、俺は人違いで殺されかけたのか?!」

「人違いじゃないよ」

「……?」

「貴方は『欠片』だから、お父様の命令に従うなら、殺すべき。今すぐに」


 じゃあ何故、と聞く前に、彼女は淡々と語り続ける。


「思えば、お父様のあれは命令じゃない。欠片を見つけたら、なるべく殺せと言われたけれど、なるべくと言っている時点で重要性は低い」

「欠片? 俺が? 何の」

「自覚、無いの? 『創造主アスター』の欠片。ああ、でも、名前がスイト。そっか。その時点で、貴方は『イレギュラー』の産物というわけね。おそらく既に『エクタラス』に力を……けど、それならここにいないはず。なら『トレスクアルソ』の加護を受けて……?」


 ぶつぶつと、俺の知らない単語を並べ立てる少女。ミュリエルはこちらに聞かせるつもりなど毛頭無いのだろうか。後半は完全に独り言と化していた。


 にしてもアスター、か。創造主とはこの世界を作った者の事を指すのだろうか。なら、俺が知っているもので近いのは平和の女神ヘスカトレイナ、裁定の神アスタロトだろう。

 もっと言えば、アスタロットの略称がアスターである。

 彼の事を指しているのか? だが、それ以外が全く分からないぞ……。


「うん。納得」

「俺は納得していないぞ。何だ、欠片だとかエクタラスとか!」

「欠片は、欠片。分身体……監視者? エクタラスは、多分、スイトも会った事、ある。というか、見た事がある? こう、ずぶっと」


 ますます分からない。

 これはおそらく、一から十まで教えるのではなく、一と十しか教えてくれていないのだ。結果意味不明な言語として俺が認識してしまう。


 えっと。創造主の欠片とやらが、何かの分身で、かつ何かの監視者と。

 エクタラスは何かの名称で、人なのか物体なのかわ不明だが、少なくとも俺が見た事のあるものだと。


 うん。


 ぜんっぜん分からん!


「エクタラスはー……剣が多い。ここのは2つ、3つ。ん、6つ。こう……『心臓を突き刺して』使うの。私のこれも、そう」


 胸に、突き刺す? というか、彼女の日傘もそれらしい。一応物体の名称のようだ。それもこの言い方だと、エクタラスとはシリーズみたいなものなのかも。


 エクタラスシリーズ。胸に突き刺して使う、などといういかにも恐ろしい使い方だ。

 しかし、これを俺は見た事があると言ったな。いつ、どこで見たのだろうか。


 うーん。

 心当たりが……。


 ん? 胸に突き刺す。剣が多い?


 あ!


 邪悪な聖剣アルシエル!


 『前回』の最後でタツキから離れた後、自立行動で俺を襲った剣! あれなら条件に当てはまる。何度も何度も刺されたせいで剣がちょっと苦手になっている気がしないでもないから、よく覚えている。

 トラウマになっているとも言う。


 あれの事か!


「欠片のね。力を奪うの。お父様の力になるの」

「じゃ、お前もその、お父様のために俺を殺そうとしたっていうのか」

「……お父様の……ため……?」


 違うらしい。

 ミュリエルは首を大きすぎるほどに傾げた。


「うん。やっぱり違う。お父様の言った事だから、もう聞かない」

「ど、どういう事だ」

「お父様、嫌い。でも『父上様』は好き。だから、もう殺さない」


 なにやら1人で勝手に納得しているらしい。

 それも、納得した後に既に歩き始めていた。


「ちょっと待て。どこに行くつもりだ」

「散歩?」


 散歩って、まさかとは思うが、先程変な重力を受けて横倒しに歩いていたあれも、彼女にとってはただの散歩だった、とか?

 ……ありえる。レベルがバグっているとはいえ、少なくとも5桁の化け物なのだ。重力を自由に、それこそ呼吸をするように変える事も出来るだろう。


 化け物だからこそ、弱者の常識が理解できていないようだが。


「あのな。こっちは殺されかけたというか、何度か死んだも同然だ。それで、ただ口で謝られても」


 別に現金をくれとか、そういう事じゃない。単に、誠意が足りないと言っているのだ。

 表情はほとんど変わらない上、声の抑揚は少ない。俺も普段は似たようなモンだから注意しづらいけど、それを棚に上げて叱った。


 俺は演劇に夢中であるためか、あらゆる状況に合わせて、役を演じてしまう癖が付いているらしいのだ。俺自身の意思とは関係なく。

 つい、自分ではない誰かの役を演じてしまうのだ。


「ふにゅ」


 ……ふにゅ?


「分かった。がんばる」

「え、何を」


 ミュリエルは静かに目を閉じると、全身に魔力を通わせ始めた。

 魔力・精霊可視化を使って見ると、透明で、かろうじて白い輪郭のある魔力が、彼女から溢れている事が確認できる。


 これは! 雲の性質を持つ、無属性の魔力?!

 彼女は、俺と同じ魔力属性と性質を持つ者だったらしい。

 俺がその事に驚いている間に、少女は全身に巡らせていた魔力を落ち着かせる。


「ん。明日辺り、大変な事が起きるでしょう」

「はい?」

「明日の放課後、スイトが今最も大事にしているものが、邪悪な何かによって奪われてしまいます。その際貴方がするべき事は、落ち着いて物事を見る事。知人や友人だけでなく、見知らぬ人の話もよく聞きましょう。何かが見えそうになった時、一度物事を振り返ると○」


 何か、占いの結果を聞いている気分だな。

 いや、この世界には占い魔法があるし、それを使ってくれたのだろうが。魔法を使った感じは全く無いのだが、アビリティの可能性もあるからな。


「総合運は凶。肝心な場面で小石に躓く事も多いので、足元は特に注意が必要です」


 ……凶かぁ。


「明日のアンラッキーアイテムは『星の小物』です。また明後日のアンラッキーアイテムは『タコの足』です。どちらも見かけたら注意しましょう。よく観察すれば乗り越えられるはず」


 ……。

 何か、朝のテレビ占いを見ている気になってきた。


「明日のラッキーアイテムは『プラスチック』です。また明後日のラッキーアイテムは『MPポーション』です。出来うる限り持ち歩きましょう。

 スイトの推察は半分以上が当たっています。証拠が不十分だからと行動しないよりも、証拠を掴むために幽鬼ある前進を選択してください。女神の加護を得て、貴方は誰よりも正しく、最短距離で問題を解決できるでしょう。

 最後に、ラッキーカラーは『クリア』です。限り無く透明なガラス製の装飾品などを身に付けましょう。きっと貴方の役に立ちます」


 ……。

 終わったのか?


「ふぅ。占いは、疲れる」

「う、占いか」

「ん。当たるよ。怖いくらい」


 ひらひらと小さく手を振るミュリエル。

 その顔は変わらず無表情であるが、やけに満足そうに見えた。本人なりに満足のいく魔法が使えたらしいな。俺に関する、明日と明後日の予報だったようだが。


 凶だと、言っていた。

 誘拐事件はまだ解決していないし、それに関係する事かもしれない。


 にしても、ラッキーアイテムは分かるがアンラッキーアイテムって何だ。星の小物と言っていたが、それを持たないようにすれば良いのだろうか? 明後日はタコの足となっているし、この世界にもタコがいるのだろうか。うーん、謎だ。

 まあ、似たような物を持たないように気を付けるけどさ。


 占いは、ここが元の世界だったら話半分に聞いて流す。だが、この世界には魔法があるし、占いもその分当たりやすい。

 術者の能力が高ければ、百発百中も夢じゃないのだ。気をつけるに越した事は無いだろう。


「あと」

「まだ何かあるのか?」


 最後に、と言っていたような気が。


「歯車。使うから、落とさないようにね」


 ――……。

 歯車?

 歯車なんて、あの罠に使われていた装置に歯車らしきものは無かったし、歯車なんて……。


 ……っ、ある!


 俺は制服のポケットに手を突っ込み、それがあるかを確認した。

 だが、これは。この歯車は。今単に対峙しているだけのミュリエルが知る由も無い代物だ。時空移動の際に偶然引っ掛かった場所で、偶然手に入れた代物なのだから。

 この、白くて不思議な動く模様の入った歯車は。


「ちょ、おい。ミュリエル! 何で歯車の事を……」

「私の事、ミリーって呼んでいいよ」

「や、うん、それは良いけど」

「あと、広場とか、直す。スイトの服も、きれいにしておくね」


 ふわり、と。彼女の魔力が俺を包んだ。魔力が風のように流れ、俺を包んでくるりと回ると、途端に消えていく。

 気付くと、制服の土汚れがきれいさっぱり無くなっていた。


 ついでに、瞬きする一瞬の内にやったのか、広場も元に戻っていた。音も無く完全に直されていたので、俺は今日何度目か分からない驚愕に、思わず口が開いたままになってしまった。

 ミリーは最後に優しく微笑む。


「じゃ、またね」

「……」


 微笑みながら小首をかしげ、ミリーはおもむろに俺へ背を向けた。これで謝罪は終了、という事なのだろう。ゆっくりと、それはもう散歩気分で歩き始める。


「お前、何者だ?」

「……邪神の、娘?」


 邪神の……?

 最後に日傘の向こうで振り向いた少女は、それだけ言って、ふっと消えた。

 魔法の痕跡だけが、その場に残る。濃密な魔力のせいで素の状態の目でも見る事が出来てしまう。遠くへテレポートしたのだろう。


 遠く。


 たとえば、異世界とかに。


「……っ」


 俺はスキルの恩恵で、魔法発動に使用する魔力の量が著しく低い。その上魔力の回復速度は速く、MPの総量も多い。だが、彼女に攻撃された一瞬に、ごっそりとMPが減った。魔法に使ったわけじゃないから、HPの数値分が一気に減ったとして計算する。


 通算、5回。結界を通していくらか衝撃が弱まったかもしれない威力で、5回、HPが0になったのだろうか。途轍もなく、凄まじい攻撃だったという事だ。

 彼女がおそろしく手加減していた事もあるのだろうが、よく生き残れたものだ。

 賢者補正のおかげで5桁だったMPが、残り9になっていると気付いた時は、焦った。


 あ……。

 はは、膝が、笑ってやがる。


 殺気は無かった。

 なのに、威圧感がやばかった。

 ……。


 本当。

 よく生き残れたよ、俺。


 結局、彼女が何なのかは分からなかった。しかし、彼女は「またね」と言っていたし、いつかまた会いに来るという事だな。


 正直、もう会いたくないが、俺を殺そうとする気は失せたらしいし、何か占ってくれたし。

 もしまた会えたら、今度は……手作り菓子でも貢いでみようか?


 菓子でご機嫌取りが出来そうには見えなかったが、甘い物でちょっとでも気を逸らしておこう。

 もっとも、まずは目先の事に視線を向けておかなければならないだろう。


 明日、明後日と運勢は「凶」らしいし。

 気を付けるに越した事は無いのだ。


 ……ラッキーアイテムでも探してみるか。

 もっとも、プラスチックは手に入らないだろうが。MPポーションなら、マキナに頼めば作ってもらえるだろう。よし、頼んでみるか。

 俺は、まるで何も起こっていないかのような広場を後にする。


 震える身体を押さえながら、な。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る