26 聖雲の生体再生《アンジェリカ》

 ……まだ、そうと決まったわけじゃない。


 ただ単に、向こうの物が俺達と一緒にこちらへ来た可能性もあるし、闇市で取引されたルディも知らない密輸品かもしれない。何故タナカデンキの電池なのかは不明だが。


 だから、まだ「かもしれない」の段階。


 ただ、本当に俺達と同じ世界から召喚された人間ならば、魔法について知らない事も多いはず。何せ召喚が起こってから、まだ1週間程度しか経っていないのだから。

 相手方が魔法を使えないかもしれない。これが本当に使えないという事になれば、魔法の使える俺達には有利に事が運ぶ、はず。

 しかし、嫌な予感がする。


「魔力温存とか、もう考えない事にする」

「「えっ」」

「一気に『落ちる』から、可能な限り俺の手を離すなよ」

「「え、えっ?」」


 俺はハルカさんとルディの手を掴むと、一点に凝縮した風魔法を作り、開放する。突風により浮いた俺達は、手すりを越えて吹き抜け部分に放り出された。

 不安定だとか、制御がどうのこうの考えるのはもうよそう。最短距離を進む。落ちる途中に通路があったら、そこまで浮いて戻ればいいのだ。一度、最下層に落ちるのが一番速い!


 思えば飛びたいからと言って風魔法である必要性は皆無なのだ。そもそもの話、基本魔法に含まれる質量体を動かす魔法:浮遊を使えば良かった。鳥は風を捕まえて飛ぶから、そればかりに気をとられていた。とりあえず重さのある物質なら何でも浮かせられる魔法があったというのに。


 ただし、今は自由落下に加え、風魔法で加速させる。

 減速するのは床に着く直前で良いのだ。


「ちょ、速い! 速いよ?! と、まっ、ひゃぁああぁああ!!」


 ハルカさんが咄嗟の事に減速しようとする所を邪魔したり、意外と驚かずにバランスを考えた体勢を保とうと奮闘するルディを手助けしたりして、落下していく。

 というか、100メートルなら4秒くらいで着くだろうと身構えていたけど……。


 そういや、この世界には空間拡張なる代物があったな。

 落下時間一分経過。

 ようやく、先行させた光の珠が床を照らした。


 浮遊魔法、風魔法などを駆使して減速させ、降り立つ。


「ふぅ」


 無事に降り立った達成感に、俺は軽く胸を撫で下ろした。


「ふぅ。じゃないよ?! やりきった顔しないでよ! ちゃんと説明してから落ちてよね?! 心の準備期間が、5秒あるのと無いのとじゃ効果が断然違うからね?!」


 むしろたった5秒で出来るのか。心構え。

 たしかに、言っておくべきだったな。反省しなければ。


「まずは謝ろうよ!」

「あ、すまん」

「……はぁ。はぁ。はぁ……。よし、行こう」


 切り替え早ッ?!

 落ち着いてくれたのは嬉しいけども、今のハルカさん、情緒不安定っぽくて心配になるぞ。


 俺達の入ってきた入り口は点のように見える地下。空間拡張によって引き伸ばされた空間の最下層には、円状の広場があった。埃や塵、赤茶色の粉が所々に山を造っているし、何より先程風を放ったために埃っぽくなってしまった。

 床に罠がある可能性を考えて床から1メートル離れた位置に結界を作り、そこに降り立ったが、山の一部が削れている。一気に巻き上がってしまったようだ。


 悪意を持って設置された物を見抜く探知魔法:トラップサーチを使い、安全を確認してから結界を解く。床に罠は設置されていなかったようだ。


 ただし、階段は一段ごとに罠が取り付けられていたようだが。

 そして、光の魔法が部屋全体を照らした。さすがに天井は遠すぎるが、足元は全てが見えるようになる。塵の山以外は殺風景で、入り口と同じような鉄扉があるのみだった。


 あ、こっちはネームプレートが残っているな。

 何々……『実験室』だって? って、文字がちょっとぶれているような。


「ん? これ、何かぶれて読みづらいね。実験室、って読めるけど」

「……っ」


 ハルカさんは俺と同じように見えているらしい。が、ルディは……。


「ルディ?」

「あ、いえ。大丈夫です。行きましょう」

「? じゃあ、ハルカさんに付いて行くから、案内よろしく」

「うん。けど、何だろう。何と無く、うーん?」


 ハルカさんは鉄扉の取っ手に手をかけたまま、首をかしげてうなり始めた。

 何だ、落下の恐怖で直感残数が0になったのか? 1秒に1回から2回使えばすぐに無くなるだろうが、そんなデッドオアアライブでも直感を何度も使うかね。


 たっぷり悩む事一呼吸分。

 ハルカさんは、唐突にハッとなり、駆け出した。

 鉄扉って重いはずだけど、軽く開いて、明かりも何も無い場所へ――


 ―― 違う。


 明かりが、ある。それもやけに見慣れた、青白い光だ。


 蛍光灯。

 魔法的な淡く優しい光でなく、機械的な硬く冷たい光。


 いかにも使われていなかったであろうこの場所に、真新しい蛍光灯。それも無理やり取り付けたと思われるぐちゃぐちゃの配線。いかにも手作りだと分かるのだが、パーツ1つ1つは精巧に作られているという、ある意味不自然な状況。


 誘拐なんて事件をやらかす奴に、心当たりは無い。だが、人間は心の中に少なからず悪い考えを持つ自分を抱えているものだ。

 ツル達と同じように、突如としてこちらに落とされ、その混乱の果てに誘拐なんてものをやらかしたならば。許されないとしても、説得する事は出来るかもしれない。罠は見た感じ、全部侵入者を殺す前提の威力の物ばかりが仕掛けられていたが。


 『彼女』が何を思って行動したのか、それは分からないが、少なくとも、同郷の人間として話が通じるかもしれない。かも、しれない。

 ん? 何か今、志向に違和感があったような。


 ……。


 まあ、今はいいや。

 そんな事より、ハルカさんの向かう先の話だ。鉄扉を開け放った瞬間から、既にそのにおいはしていた。扉が壊れていたり、瓦礫に潰されていたりしている部屋がずらりと並ぶ廊下は、奥へ行くほどにそのにおいを濃くしていく。

 おまけに魔力の濃度も高まってきている。この調子なら、魔族のルディでも許容範囲を超えるのではないかと思えるほどの濃度だ。


 鉄臭さと、生臭さ。元々壁や床までもが鉄製である事もあるのだろうが、赤茶色の錆に見える物の全てが酸化鉄というわけが無いと、確信を持つ。


 血だ。


 それも、一部鉄が剥がれて地面がむき出しになっている部分が、赤黒く変色している。

 全体的に広がる、鉄が自然と酸化して変色した物とは明らかに違う。液体が流れ、そのまま錆として残ったような、そんな痕が、視界に映る全ての扉から続く。


 ああ、ルディの様子がおかしかったのかこれのせいだな。俺達には実験室と読めたが、文字がぶれていたし、もしかするとルディには別の単語に読めたのかもしれないな。それも、この状態が扉の先を見なくても読み取れるような単語。


 そう、たとえば。

 『人体実験室』とか。


「ッ、ミール!」


 ようやく終わりの見えた廊下の奥。

 においも、魔力の濃度も、特に濃くなっている部屋の中。


 ハルカさんが勢い良く開けたその扉は、他のボロボロになった物と違って新しかった。開ける時に金属同士がこすれる耳障りな音も無く、重くともスムーズに、それはもう勢い良く。


 その先にあったのは、円柱状の広場。特に何も置かれていない、単に扉がいくつかある、中間地点とでも言うべき部屋だ。


 地図上において、そこはマーカーのあった地点ではない。

 しかし。彼女はいた。

 その姿を見た途端、俺は絶句する。



 髪が乱雑に切り取られ、茶髪のショートヘアとロングが合わさった不自然な髪形になっている。


 片方の猫耳が包帯に巻かれている、と思えば、耳のせいで出来上がるはずのこぶが無い。


 顔の半分を覆う包帯は真っ赤に染まり、右目部分がくぼんでいる。


 病院で検査時に着る簡易的な服も真っ赤に染まり、左の肩から先が無い事を隠しもしない。


 同時に丈が短く、ズボンも無いタイプの服は、右足も根っこから無くなっている事も隠さなかった。


 残った右手と左足は血まみれで、無理やり動こうとして擦り傷や打撲だらけになっている。



 彼女はケットシー。つまり猫の『亜人』だ。ウィルケットが猫の獣人で、見た目がもう二足歩行の大型猫みたいな感じである。

 指も4本である事が多く、人型に近い亜人より器用さに劣る。


 彼女は、亜人だ。

 俺達人族の姿に近いからこそ、余計に痛々しい。身体の無い部分に巻かれた包帯はその全てが赤黒く染まり、血止めが甘いのか、それとも彼女が無理に動いたからなのか、未だ血が流れ出ていた。

 包帯の外にも、ポタポタと出続けている。


「……ぅ……」


 血だらけのボロボロになった手を、彼女は動かした。薄く開いた目には生気が無く、ただただ虚ろとなっている。

 俺達の事が目に入っていないらしい。そんな状態のまま、腕の力だけで俺達の方へと近付く。


 外を目指しているのだ。こんな身体で、おそらくこの後に待ち受ける階段の事も考えずに。

 こんな身体にされた、こんな場所から、少しでも早く逃げようとしているのだ。


「ミールちゃん!」


 そんな彼女を、ハルカさんが抱きしめる。ミールさんは身体をビクつかせたが、スン、と鼻をピクつかせると、すぐに力んだ身体を弛緩させた。

 ハルカさんに気付いたのだろうか……?


「……気絶、したみたい。ねえ、これ……」

「考えるのは後だ。ハルカさんの回復魔法で一度止血しよう。最悪の場合、上に戻るまで保たない可能性があるからな」

「あっ、うん!」


 ちなみに、帰りはケガ人がいたからゆっくり帰りましたよ。

 結界を張って、そこに俺達が乗って、負担がかからない程度のスピードで上がる。という方法で戻りましたとも。


 雲の性質を考慮して、徐々に小さくなる結界を張ってみた。少し時間はかかったが、結界の増大スピードと、俺の魔法制御による結界の収縮スピードの比率を合わせる……。ちょっと難しかった。おかげで危うく天井に衝突する所だったぜ。


 ミールさんに負担をかけまいとゆっくり移動したため、学園は既に予鈴が鳴った後だった。事情は伝わっているだろうが、入学2日目にして賢者2人が欠席というのは印象が悪そうである。

 この子を見つけたし、汚名は着せられないと思いたいが。


「保健室に先生がいないというのは、どうかと思うな」

「そもそも休憩室って書いてあるよね」


 場所は変わって高等部校舎の休憩室。俺達の世界で言う保健室の役割に最も近いのがここである。近くに病院があること、また保険医よりも回復魔導師がいるため、保健室は意味を成さない。


 魔法薬学という、薬草などの知識を身につける教室もある。年々回復術師を目指す者が減っているらしいが、教師の中に回復術師がいるので保険医はいらない。

 以上が、保健室が無く、代わりに仮眠室や休憩室がある理由だった。


 仮眠室はただベッドがあるのみの施設。休憩室はそこにティーセットなどのリラクゼーション物資が置かれている施設を指すそうだ。

 ここは高名な魔法学園であるため、それなりに広い休憩室となっている。なんと、ベッドが4つ、テーブルが5つ、キッチンっぽいものが2つもある。最早休憩というより癒しの空間だな。


 ここでは仮眠など取れそうに無いが、さすがに魔法による遮音の効果が付与されたカーテン型結界があるため、仮眠を取る生徒は意外と多いらしい。勉強で疲れた生徒はもちろん、サボり連中もここを活用しているのだとか。


 ちなみに、ただのサボりだった場合は特別課題が課されるらしいぞ。

 こればかりは貴族の成金子息達も例外無く受けるそうだ。


 さて。俺はざっと、ミールさんの身体を見つめた。

 別にやらしい意味じゃないぞ? 見たのは切断面である。ハルカさんの止血のおかげで

いくらか見られるものになったが……。


 うん、ハルカさんには見せないようにしようか。


 俺は急遽呼び寄せたマロンさんに手伝ってもらい、赤茶色く変色していた包帯を取り替える。

 さすがに、俺がやるのはダメだろうから、そこは自重させてもらった。かろうじてみても良さそうな頭の傷と腕の切断面だけは確認させてもらったが。それ以外は、何も見ていない。断じて。


「結論から言えば、切断面は恐ろしくきれいだった。多分だが、一息にこう、スパッと着られたと思う。術後の処置も、一応は完璧。血が出たのは彼女が無理に動き回ったからだろうな」

「それにしたって、酷い……」

「ああ。完全に無くなっているよりかはマシ、と考えたいところだが、事が事だけにそんな事も言っていられないわな」


 きれいに縫った痕があり、糸が抜けていなかった。やはり魔法による処置は行われておらず、しかしそうだとしても比較的きれいな処置だった。

 小さい頃に見た紛争地帯の病院では、そもそも傷自体が歪な形をしているのが普通で、縫い合わせも乱雑である事はしょっちゅう。処置が間に合わずに傷から徐々に肉体が腐り、虫がわいている事もあった。そんな状態よりはマシと言えるだろう。


 ただ、これはそういう話ではない。あそこでは戦争が起きていたし、その戦火によって数え切れない数の人が傷付き、医師、看護師、薬や包帯などの備品も足りない状況だった。仕方無いと言っても誰も責め切れない、悲惨な現場だった。


 これは違う。誰かが意図して誘拐し、意図した部位を切り取り、意図して切った部分をきれいにきれいに縫い合わせただけだ。

 故に、酷い。傷が見えないように包帯で覆っていても、その姿は痛々しく見えた。

 友達だというハルカさんなら尚更、見ているのも辛いかもしれない。


「……ん……」


 残った方の猫耳がピクリ、と動き、片方の目が開く。


「……はる、か……」

「うん、ここにいるよ、ミールちゃん。……良かった。目、覚めて」


 優しく、本当に優しく、ハルカさんはミールさんの手を握る。その目には涙が溢れ、2、3粒が真っ白なベッドに吸い込まれていった。


「ッツ!」

「ミールちゃん?!」


 残った手で、無くなった腕のあった部分を押さえるミールさん。

 ああ、多分、幻肢痛というやつだな。実際に痛みがあるのか不明だが、回復魔法はかけてあるわけだし、痛むのはおかしい。彼女が感じている痛みは幻覚だ。


 その証拠に、ハルカさんが咄嗟に使った回復魔法が効いていない。治すべきものが無い場合、回復魔法は一瞬光るだけで空気中に拡散してしまうのだ。


「―― 大丈夫、よぅ。もう、平気だわぁ。それよりハルカ、約束、守れなくて、ごめんなさい」


 息切れを起こしながらも、ミールさんは笑みを浮かべて謝罪してきた。

 意識がハッキリしているようで何よりだが、辛そうだな。回復魔法が発動しないなら傷は回復しているはずだが……。

 あ、きっと普通に術後の疲れとかのせいだわ。回復魔法の多くは、HPには表示されない体力を削るものだからな。体力を回復する魔法もあるにはあるが、別段ポピュラーではないのだ。代わりにMPを大量消費するからな。


「こっちこそ、ごめんね。私じゃ、治せないの……」

「あぁ、腕とか足とか、目とか耳の事ねぇ? 大丈夫よぅ。無くても生きてはいけるものぉ」


 残った手で、ハルカさんの頭を撫でるミールさん。その手が小刻みに震えており、無理している事は傍目にも分かった。

 ハルカさんはボロボロと泣いており、逆にミールさんは笑顔でいる。

 ……普通、ここは逆じゃなかろうか。


 生きてはいける。だが生き辛くはなる。魔法があるこの世界なら、動作のほとんどを魔法で代用できるしその気になれば戦闘なんて動かないままに勝利する事だって出来る。

 だが見るからに痛々しい姿だ。外に出れば後ろ暗い事を陰で囁かれるに違いない。事が事だけにすぐ終息するかもしれないが、このまま生きて行くとなれば苦労するのは明白。普段の行動は車椅子か松葉杖が必要になり、注目される度合いは大きくなるばかりになる。

 魔法は、万能ではないのだ。


 身体の無くなった部分、部位欠損は、回復魔法で治す事が出来る。

 しかし、それはただ『理論上では』可能というだけ。

 専門外ではあるが、俺も回復魔法の指南書を読んだ事がある。そこにあった魔法陣は、とても複雑だったが読み解く事は出来た。


 魔法陣は、何で、何を、どう変化させるのか、という文章に直せる。新たな魔法陣を作るのには骨が折れるが、既存の魔法陣からどのような魔法が発動できるのかを読み解く事は出来るのだ。ただ、魔法陣の構成に矛盾があれば発動もしない。

 魔法陣の矛盾が無ければ、発動はするということだ。見た感じ、その魔法陣には矛盾が無かった。


 つまり、理論上は使える魔法だということだ。

 ならば、何故発動できないのか?

 必要となる魔力がバカにならないからだ。


 規模にもよるだろうが、ハルカさんの持つ最大魔力総量が4500だとして、その時に見た1メートル四方の魔法陣の消費量は150000だった。

 桁が2つも違う。これは異常な数値で、使えなくも無いが使えたら奇跡に分類されるやつなのだ。


 俺なら行けるけど、回復魔法はあまり使えないと思う。俺の魔力の性質は、見事なまでに全て雲。神聖とか邪悪とかがあるかと思ったら、全く無かったのだ。確認方法は単純。鏡を見てみただけである。回復魔法の基本魔法は使えた事があるので、全く使えないということではないと思いたい。


 とどのつまり。

 今の俺達では、彼女の部位欠損を治す事はできない。魔力を溜めてギリギリ使えたとして、不安定な魔法の発動になってしまい魔法が全身にかかる確率が下がる。


 せめて、俺の魔力をハルカさんに受け渡す、なんて芸当が出来ればよかったのだが。こればかりは危険すぎるので却下だ。身体を素通りさせるだけならまだ良いかもしれないが、他人の魔力を相性も考えずに流せば、最悪死ぬ事もありえる。

 たとえるなら、A型の血液にB型の血液を大量に輸血するようなもの。水素が充満した部屋に、いつでも火が点けられる爆弾を放り込むようなものなのだ。


 混ぜるな危険を大量に混ぜるようなものなので、正直やりたくない。

 俺の魔力は無属性だから、多分誰にでも受け渡せるだろうけどな。


「スイト君」

「ん?」


 ミールさんは、いつの間にか再び目を閉じていた。寝顔はとても安心しているように見える。


 先程まで泣いていたせいで目の周りが腫れているが、ハルカさんの瞳からは、強い意志を感じた。

 まさかとは思うが、俺の魔力を自分に貸せ、とか言うつもりか?


「スイト君の魔力を、私に貸して」


 やっぱりか!


「俺は嫌だぞ。危険を冒してこっちが潰れたら、元も子もない」

「スイト君の魔力は無属性だよね。だったら、大丈夫だと思う」

「思う、だろ。それに、俺の魔力の性質は完全に雲だけ。神聖も邪悪も無く、雲だけ。相性が合わない可能性だってある」

「試してみないと分からないんでしょ?! だったら試そうよ! やりもせずに諦めるの? ミールちゃんを助けられるかもしれないのに!!」


 目を潤ませ、寝ている病人の横で叫んだハルカさん。すぐに口を押さえたが、ミールさんが身じろぎすると、何かを言いたそうな表情で、再びミールさんの手を握った。


 分かっている。ためしに俺とハルカさんの魔力を、体外でただ混ぜるだけで簡単に相性は調べられる。

 そしてきっと、上手くいってしまうのだろう。


 何故なら、大丈夫だと思う、というのは彼女の根拠も何も無い『直感』なのだから。


 彼女の直感は、一日100回に限り必ず当たる。それを知らなければ、俺は彼女の提案を頭から否定していた。まだまだ回数はあるはずなのだ。今だって、まだ回数は残っているはず。

 調べるまでも無く、大丈夫。


「……はぁ」


 静かな空間に、俺の溜め息が響く。空間はそれほど広くないため、エコーなどは無くすぐ消えた。

 出来るなら、する。

 本当に出来るのであれば。


「魔法の使い方は知っているのか」

「うん。魔法陣、は複雑すぎて覚えられなかったけど、イメージなら……も……ちょっと心配」

「魔法名は生体再生だったか……。たしかに、腕がはえてくるとかのイメージだと形が歪になりそうではあるからな」


 回復魔法は、そもそもイメージがしづらい。

 炎や水ならまだ漫画なんかに魔法行使時の様子が描かれているが、回復魔法の描写といえば、その多くが『光が傷を覆って、いつの間にか治っている』なのだ。

 俺達異世界組が無詠唱魔法を使ったり、魔法の威力がこの世界の人よりも高かったりするのは、ひとえに元の世界にある情報量の多さに由来する。


 俺達は元の世界に魔法が無く、超能力も無く、人類の大多数が幽霊と交信する能力などを持ち合わせていないのだ。故に、異世界転生やファンタジーというジャンルの小説は、他のジャンルよりも詳しく描写する必要がある。


 元々知らない事象を理解するために必要とされる情報量がとにかく多い。元々歩けなかった人に、歩き方を一から十まで教えるようなものだ。

 イラスト、文章、音楽や声などでそれを伝えるが故に、ファイアーボールや鎌鼬なんかの魔法は創造する事が出来る。


 イメージ法と最も相性の良い情報が、俺達の世界には溢れていた。それは魔法が存在しないからという、何とも皮肉な現実はあるのだが、それはまあ横に置いておこう。


 問題は回復魔法だ。

 回復魔法のイメージを、どうすれば良いのか? 小説や漫画の中でも、医療系に手を出していればいくらかマシだったかもしれない。だが、世の中にはR15とかR18など、成人するまで見てはならない、効いてはならないという情報がある。


 ホラーゲームは軒並みR15指定されているし、一部グロに過ぎる表現のあったゲームや本なんかは販売中止や払い戻しなんかが起こっていた。

 応急処置程度の威力なら問題無い。実際にケガをした人の応急処置を録画したビデオを見させてもらえたからな。切り傷は逆再生するようにイメージすれば、何とかいける。


 ただ部位欠損となると話は別だ。元々切られてしまった方の手足があるならともかく、それが無い。あれば神経接続のイメージなどが使えるかもしれないのだが、無ければ全く使えない。傷を癒す事は出来ても、失った身体を元通りにするイメージが上手く出来ないのだ。

 ……いや、元通り、ではなく、新たにはえさせる方向性で行くか? 細胞を増やす、だけだと形が不安定だな。だからといって型を用意したところできれいなものが出来るとは到底思えないし。


「いっそ、細胞……遺伝子情報を読み取れば……あ、これ行けそうかも?」

「遺伝子の、読み取り……。それなら!」

「ああ。彼女の身体的特徴をわざわざ観察するまでもなく、彼女にぴったりの手足や目が再生できるはず。だったら、遺伝子という名のバーコードを読み取る機械でも連想すればいいと思うぞ」

「うん!」


 何気無く出した案だったが、意外と良いイメージに繋がりそうだな。あの螺旋階段みたいなDNAを読み取って、新しい腕と足を作り出す。うん。意外と良いかも。

 義足なんかを付けるわけじゃないし、元からあった神経などから新しく神経、血管、リンパ管などを再生するから動かない方がおかしい。はず!


 イメージは何とかなる。

 よし、次は、一応の確認だ。俺とハルカさんは、少量の魔力を自身から取り出して、ルディ監修の下それらを混ぜ合わせてみる。

 雲の性質を持つ無属性の魔力。神聖の性質を持つ水と風属性の魔力。それらが混ざり合うと、とても不思議な現象が起こった。


 ふわふわと浮かぶ雲から、淡い空色の光が広がる。薄い水色だったら氷属性なのだが、驚くほど鮮やかな空色の光だ。まるで、ルディやフィオルの瞳のような透明感がある。

 これ、完全に混ざり合っていないか……?


「凄いです。これ、信じられないほどきれいに混ざっていますよ。それも、無属性が無属性の特徴を残したままに混ざっています!」


 興奮するルディの様子からして、信じられないほどの融合率らしい。うん、これなら問題無さそうだ。


「よし、やるか」

「うん!」


 一応慎重に行こう。俺は断りを入れてからハルカさんの肩に手を置いて、深く集中する。飽和性が良いからと言って、一度に大量の魔力を流し込めば何が起こるか分からないのだ。慎重になり過ぎても損は無いだろうし、俺が知る冷静キャラの演技も入れて臨む。


 ハルカさんもイメージを固めるために集中し、イスに座り込んだ。いや、さっきから座っていたが、バランスを取って、足に力が入らないように工夫したのだ。

 あとは、ハルカさんが魔法を使うのを待つだけ。


「……行くよ、スイト君」

「おう」


 ハルカさんは、ミグリトさんからもらった杖を握り締めて、そこへ魔力を流し込んでいく。

 杖が眩く輝き始め、同時に俺は、ハルカさんに俺自身の魔力を注ぎ始めた。

 どれだけ必要なのか分からない魔法だ。一発で成功させろとは言わないが、失敗した時に俺達が2人揃って倒れてしまわないよう、幾分か魔力は残しておきたいな。

 やがて、俺達がいる空間全てが光に包まれる。

 そして――


「―― お願い、治って! 【アンジェリカ】!!!」


 目を開けていられないほどの、眩い光が空間を満たす。音は遮断しても光は遮断しないカーテンの向こうに、この光が漏れているかもしれない。

 目を瞑っても視界が白く見えるほどの閃光が溢れ、初めて、魔力が肌に触れる感覚を覚えた。


 召喚されてからこれまで、魔力濃度による不都合は何ら感じた事が無い。そもそも魔力が薄かろうが濃かろうが、感じ取れるものではなかったからだ。

 ところが、ここに来て肌で感じた。温かな空気が、触れるか触れないくらいかという妙な感触でもって、全身に当たり、そして後ろへと流れていく。

 これが、魔力の奔流。俺達でこれなら、近くにいたルディは……。


 と、心配したが、奔流は案外すぐに治まった。

 時間にして約5秒。意外と短い間で治まってくれて助かった。見れば、ハルカさんは息切れを起こしている。一方俺は魔力を随分取られていたが、息切れなんかは無い。

 しかし、何かだるいというか、妙な喪失感がある。そういえば、短時間で持っている魔力の半分を失った事は無かったからな。


 そうか、これ、魔力が一気に無くなった事への、精神的な疲労だわ。

 おっと、肝心の結果を見ていない。

 俺はおそるおそる、ミールさんへと目を向ける。


 ……。


 替えた包帯が引きちぎられたり緩まったりしている。

 その理由は―― 腕や足がはえた事により、邪魔になったから。

 先程まで無かったはずの部位欠損が、傷1つ無いまっさらな状態でそこにあった。


 ある。

 あるのだ。


 しっかりと!


 日焼けの具合が違い、肌色が左右で異なっているが、紛れも無く彼女の手足がはえている。

 耳も包帯を取るとピョコッと跳ねて、やはり左右で若干毛色が違うものの、きれいにはえてきていた。


 更に、個人的に一番痛々しかった目も、しっかりと盛り上がり、ちゃんと丸い。

 しっかりと見えているかは後で確認するまで分からないが……。

 ……魔法は、成功だ!


「「――~~~ッッ!!」」


 声は、いらなかった。

 出来るかどうか分からない魔法が、表面上だけでも成功した事が明らか。

 それも、彼女はハルカさんの友人だ。

 俺だって珍しく涙を流すほど感動しているのに、ハルカさんはそれよりも感動していた。


 先程まで怒りと悔しさのあまり流していた涙は、嬉し涙へと変わる。

 ルディは驚きつつも小さく拍手してくれた、

 今ばかりは自重も何もしない。

 嬉しさのあまり、俺とハルカさんは抱き合った。そのまま何度もジャンプした。


 ……。


 その後、一瞬魔力量が異常を来たした事に対する説明に追われ、また小一時間ほど謎の痛い視線に刺されまくった俺の葛藤についての話は、長くなるので省略したいと思う。

 かっこよく二字熟語に言い換えよう。


 その後の話は、蛇足である。

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