20 最底辺

 入学初日。


 俺達が賢者一行という事で、色々と配慮される事になった体験入学の始まりである。

 賢者も勇者と同じくこの世界を救う使命があるため、本格的な入学は出来ない。いわゆる、普通の学校に通う芸能人のような扱いだ。

 さすがにフィオルは仕事があるので不参加だが、俺達はぞろぞろと大人数でやって来ている。

 いくら世話役が護衛扱いで生徒に入らないとはいえ、召喚の間に召喚された者は7人。それ以外の3人を入れて10人も、となると、分けた方が良いのでは、という案も出ていた。


 そこはフィオルの王命発動でどうにかなったが、さすがにこちらが申し訳なくなってきていた。一応俺達よりも年上組と年下組を合わせると5人。俺と同い年が5人の組み合わせで、ちょうど半分にはなるのだがそれは断固拒否させてもらう。

 俺はツルと離れたくないし、先輩がマキナと離れたがらないのだ。ハルカさん姉弟は離れても大丈夫との事だったが、やはり全員一緒が一番良いと思う。

 何かあった時に離れていると、不安になるし。

 そういった事を先方に伝えると、ちょうど極少人数のクラスがあるとの事でそこに編入させてもらえる事になった。

 いわゆる特別クラス。飛び級した生徒が多く、実に様々な学年の連中が集まっているクラスだ。他のクラスは平均40人程度の人数らしいが、ここは20人ほどである。

 俺達を足しても、他のクラスより少ない。

 もっとも、ここにいる生徒は必ずしも天才ばかりではない、というのが俺の見解である。

 何せ、このクラスに集まっている奴の中には魔法が不得手の連中もいるのだ。それが魔法学校で飛び級なんて出来るはずも無い。

 このような事になった経緯はまた次の機会に調べようと思う。


 ただ、まあ。

 うん。


 今回は俺達がいるという事で、授業の内容は「魔法の基礎」中心となっていたのだが。

 飛び級連中の中でも、特に俺達より年下の子は、一生懸命にノートをとっているの。聞いただけではあまりおかしいとは思わないだろうが、それはもう真剣に、まるで初めて聞いたかのような反応をしているのである。

 そこから察するに、飛び級というのは本人の実力の結果ではないのだろう。

 この世界にはステータスが存在し、それを可視化する事が出来る。俺達は「鑑定」のスキルで以って相手のステータスを見る事が出来るが、何もそれだけが手段というわけではない。


 むしろ、それでは効率が悪すぎる上にプライバシーも何もあったものじゃない。

 鑑定のスキルが使える魔道具が存在し、それを使えば、相手のステータスをある程度把握する事が出来るのだ。そのステータスは、HP、MPから始まり、性格値も表示される。プライバシーに配慮して性格値は隠されているとして……。

 問題になるのは、MPの量や「知恵」や「魔耐」の項目だろう。

 MPはマジックポイント。要するに魔力の総量だ。俺の目のようにその性質を把握する事は出来ないが、所持している魔力の総量は把握できる。

 次に知恵。これは本を読み、それを理解する事で値が上がっていく。頭が良いほどこの数値が伸びやすいが、魔法を使う時、とても重要なステータスとなる。実はこれの値で魔法の威力に補正がかかるため、高ければ高いほど魔法の威力が強いという事になるのだ。

 最後に魔耐だが、文字通り、魔法の耐性である。高いと高いだけ魔法に対する抵抗力が強くなる、というと分かりづらいか。つまりは炎魔法を使われても、これの値が高いとスキル:炎魔法耐性が付きやすいという事だ。魔法による戦闘の際にはかなり気を遣う項目だな。



 とまあ、長ったらしく説明したが……。

 要は、この数値の高さだけを見て飛び級させているのでは。という事である。

 知識が足りていないのに、MP量が多いというだけで上の学年へ編入させるとか。知恵の数値が高いだけで、実際はどうでもいい豆知識を豊富に習得しているだけの子だったとか。

 数値だけで見れば高学年に値するからと飛び級させられて、その実基礎学習をさせていない生徒が多いという事なのだろう。


 彼等のノートがみるみる文字で埋め尽くされていく。

 それもかなり細かく、教師の一言一句も全て書き込んでいるらしい。

 異様な光景である。

 ちなみに、授業の内容は既に知っている事だった。

 基礎中の基礎。魔力と精霊の関係性、魔法における魔力の重要性、魔力の属性の調べ方など。

 かいつまんで説明すれば、魔力は精霊と呼ばれる不思議な存在が変質した物質。魔力は魔法という現象を起こすために必要なエネルギーであり、それぞれの魔法には適切な属性の魔力を使わなければ発動しない。属性は多々あり、今なお全ては解明できていない。

 属性の例としては、無属性、火属性、水属性など。自然に存在する物であれば全てに何らかの属性が当てはまり、何らかの弱点属性も存在する。火であれば水。水であれば土のような関係だ。

 こんな感じの基礎知識を冗談も交えながら語る教師の顔は、とても嬉しそうである。


「次は実技の授業ですね。賢者様ご一行様は、見学でも良いので校庭へいらっしゃってください」


 担任だという男性教師が、ニコニコと微笑みながら教室を後にする。今にもスキップしそうな勢いで足取り軽やかに出て行ったことから、何かしら良い事があった模様。


「賢者様方が来た事が、良い事だと思いますよ?」


 そう述べるのは、偶然俺の隣に座っていた少年だ。人族ならツル達と同い年くらいである。

 魔族の多くは人族とは違う容姿をしているが、時にそれを煩わしく思う者が多い。たとえば自分の腕や顔の毛が料理に入る、そもそも身体が大きすぎて周囲に迷惑をかけてしまうなど。

 そんな彼等は、自身の姿を人族に近付ける魔道具を身に付けているのだ。

 イヤリングや、ネックレス、時にはただのミサンガに見える物もあるが、その多くは淡く光る青い宝石が付いている。図らずも自身が人族ではない事を表しているようだ。

 見たところ、この子はそれを付けていない。

「前回の召喚は350年も前。先生は僕と同じ人族ですので、自分のいる代に賢者様が召喚されるだけでなく、お会いできた事が嬉しいのだと思います」


「ああ、なるほど。人族側とは緊張状態が続いているらしいけど、それはもう100年も続いているから、召喚が起きなくても不思議じゃない、と」


 というか、担任の教師はフィオル達が気にしていた人族教師だったのか。

 話の分かる人に見えたけど。


「先生は今年赴任したばかりの新任です。このクラスを担当する事になったのは、本来なるはずだった先生がまさかの産休になってしまった事と、まあ……色々ありまして。ですので、皆様がこのタイミングでいらっしゃったの事が、それはもう、嬉しいのではないでしょうか」


 どうやら、彼がこのクラスを担当するのは今月で終わりらしい。

 なるほど。魔族の間で伝説となっている賢者を僅かでも指導できる、もしくは指導してもらえると踏んだわけか。単純に喜んでいるだけかもしれないが。


「あ、次は校庭に移動ですが、皆さんは『Aランク実習』の校庭ですよね」

「ん、どういう事?」

「あっ、えっと。いえ。すみません。ご案内しますか?」


 聞きなれない単語が出てきた。

 Aランク実習……。字面から察するに、才能のある連中の実習だろう。

 とりあえず、ランク付けによる授業の分配がされているらしい。普通なら、威力のある魔法が使える生徒とそうでもない魔法を使う生徒を、危険性を考慮して教室を分けている。と、そう考えるだろう。

 ただし。

 Aランク、なぁ。


「じゃあ、案内してもらおうかな。俺はスイト。君は?」

「僕はセルクです。本来の学年で言えば、初等部の4年にあたります。僭越ながら、ご案内させていただきます!」


 セルク。癖のある銀髪をハーフアップで纏めた、薄い赤色の瞳をした少年である。背丈がツル達と同じくらい、と思っていたのだが、案外背が高いので将来大きくなりそうだ。

 ふんわりとした笑みを浮かべて、セルクは案内してくれた。

 着いたのは大きな校庭で、サッカーフィールドのような形の白癬がみつほど並んでも、まだまだスペースのある校庭だ。

 先回りしていた担任が、おそらく土の魔法で作っているのであろう的を用意している。


「では、僕はここで」

「セルクはここじゃないのか」

「……はい。別の場所です。では」


 朗らかな笑みを浮かべつつ、その表情に陰りを生んで、セルクは逃げるように去っていく。

 ああ、なるほど。

 なるほどだ。


「先生、授業の準備中に失礼します」

「あ、何でしょうか?」


 魔力を結構使ったようで、担任は額に汗を滲ませていた。息も少し乱れているようである。人族で、若いようだし。多分的を用意するだけでも重労働なのではなかろうか。

 ただ、この先生、近くで見るとなかなかのイケメンである。

 汗を流す姿は、まるでスポーツをしている最中の好青年。薄緑色の髪色はちょっと珍しいから、目立つだろうな、この人。

 と、そうじゃなかった。


「セルクという生徒の事なのですが」

「あ、彼ですね。とてもがんばりやさんな良い子ですよ!」


 その笑顔や言葉に、偽りは無いのだろう。アキツグ君(先生の事)は何気に俺のすぐ横で俺と先生の会話を聞いているが、何も合図らしいものが無いのだ。

 先生が何かしらの嘘を吐いている、となれば、アキツグ君はすぐさま何らかの行動で知らせてくれるはずなのである。

 それが無いという事は、彼が相当なペテン師か、本当に素直な人間という事だ。

 どちらなのかを探るために、俺はこう切り出した。


「彼は『どのランクの生徒』なのですか?」

「セルク君ですよね? その、大変申し上げ難いと言いますか、聞かないでいただきたいと申しますか」


 先生は一気に挙動不審に陥った。疲労による汗ではなく、冷や汗がドッと流れる。

 ただ、それは秘密を漏らして焦っている。というものではない。

 話していいものか、迷っている。という感じだ。

 少なくとも焦ってはいない。


「セルク君の受けている授業を見たいのです。それも、出来うる限り彼らから見えない形で」

「ああ、それなら良いですよ」


 やけにアッサリ許可が出たな。


「彼等は総じて、自身の魔法にコンプレックスを抱いていますから。見られていてはいつも以上に力を発揮できないでしょうし、それが賢者様であれば尚更でしょう」


 魔法にコンプレックス。セルクはどうやら、Aランクからかけ離れた実力の持ち主らしい。見たところ、彼の魔力量に問題は無かった。むしろ、人より多いような気がした。

 つまり彼は、魔力量が多い故に実力が伴っていないにも拘らず飛び級させられた生徒、という事。

 それなら先程の態度も頷ける。まだ来たばかりとはいえ、魔法においてはエキスパートとも言える賢者は成長すれば必ず魔法が上手くなる。が、彼等はそうでもないと感じているのだ。

 俺達のような、必ず才能が開花する人間は高みの存在。そんな俺達と話せて嬉しい、そんな俺達を案内できるなんて夢のよう。そんな所だろう。


 自分はほとんど魔法が使えない。それを自分の口から言う事など出来やしない。

 圧倒的な自信不足。俺達と話せたことは嬉しいが、俺達に自分の魔法を見せる事など出来るはずが無い。だからこそ、自分がどのランクなのかを話せなかったのである。

 というか。

 ああ、この先生、あくまで生徒思いの先生だわ。

 まだ若いから、という事もあるのだろうが、魔法の実力よりも生徒自身を尊重している。この先生だけを見ていると、フィオル達が嘘を吐いているのでは、と思わなくも無い。


 もっとも、それは全くの間違いだが。

 授業の準備をしていた先生だが、実は彼は準備をするためだけに校庭にいたらしい。さすがに俺達全員、生徒の中では最高の技術を持つらしいAランクの授業を見ないというのはおかしい。そういうわけでハルカさん達には残って動画を撮影してもらう事にした。

 物を透明にする魔法や魔法薬は、ハルカさん達も覚えているし、マキナの常備薬となっている。スマホを見られる心配は無い、と思いたい。

 一方の俺達。厳密には俺、ツル、ナツヤ、アキツグ君は、先生に付いて来ていた。

 先生は緊張していて、場を和ませようと色々と話してくれているのだが……。俺達が所々笑ってしまったのは、彼のジョークではなく何度も噛んでいる所だというのは蛇足である。


「さあ、ここです」

「ここは……」

「コロシアム、闘技場ですね。生徒同士の模擬戦、教師の実演などで使われています。今日の彼等は、ここにいます」


 今日の?


「彼等はほとんど魔法が使えません。故に、実習場所を選べません。安定した実習は安定した場所で行ってこそでしょうに」


 魔法の状態は精神面が大きく影響を及ぼす。そこから来た発言なのだろう。

 たしかに、安定した精神状態を保つ事は魔法制御に必要なファクターである。

 新人ゆえか? 他の先生は学園長しか知らないけど、この先生、この学校ではマトモな方なのではなかろうか!


「うん。この先生はねぇ、凄くマトモだよ~。というか、この学校で一番の常識人だよぉ」


 へぇ。メルシーの「マトモ」が俺達の言う「マトモ」と同意なのか不安だが、その証言を信じて……。

 しん、じ……。


「……」



「「「「「?!」」」」」



「ちょっ、メルシーさん?! 何故貴方がここに?!」

「何か出て行くのが見えたので! 面白そうな事は見逃しませんよぉー!」


 目を爛々と輝かせるメルシーは、グッと握りこんだ拳を掲げた。その表情は満面の笑みであり、何か企んでいそうにも見える。

 というか、彼女自身が今「面白そう」と言っていたな。

 授業の単位とか、大丈夫なのだろうか。どうにも色々とルーズな性格っぽいし、授業サボリ魔じゃなきゃ良いけど。


「ぶっちゃけ暇なので」

「そりゃ、君は何故か全授業を免除されているけどね?!」


 おぅふ。

 全授業を免除って。

 バグったステータスの件といい、授業免除の事といい、何なのこの子。


「ねぇねぇ。今からどこ行くの?」

「聞いていなかったのですか。セルク君の受けている実習を見学しに行くのですよ」

「あぁ、Eランクね。まぁ、たしかにある意味、見ていて面白いかも」

「面白がる事じゃありません! あれは……」

「しーっ。それを言ってはいけないのだよ、ヴィトソン君」

「せめて『先生』を付けてください!」

「ヴィトソン君は、ヴィトソン君だよねぇ。何かしっくり来るもの」


 そういえば、この先生の名前ってたしか― ジェン=H=ヴィトソン ―だったか。

 シャーロックホームズの相棒の名前にそっくりである。


「ああもう。とにかく着きましたけど、ここからは結界を張りますから、その範囲から出ないようお願いします。良いですね、メルシーさん」

「名指しされなくても、分かっているのにね」


 メルシーが何故か俺にウィンクしてきた。

 メルシーの言葉と同時に先生は魔法を構築し始める。目を瞑り集中しつつ、ぶつぶつと聞き取れないくらいの小声で呪文を唱えた。

 途端、俺達をすっぽりと覆う箱型の結界が完成する。遮音、透明化の効果が付与された結界で、内側にいる者には結界がシャボン玉のような輝きを放つ箱のように見える。外からはそれらが見えないのだ。

 ついでに、結界は生物に触れていない非生物をすり抜けるという特性を有しているため、人が通って起こった砂埃や急に扉が消えるなどの不自然さには対応していない。いわゆるちょっとしたお遊び程度のドッキリ大作戦向けである。


 多くのモンスターは人の体温、魂の波動、魔力の動きなんかで敵を察知する事が出来るため、あまりモンスター先頭では役に立たない。

 今回は扉の無い入り口から入り、生徒達に足元が見えない2階席部分での見学。相当離れているので余程勘の良い奴じゃないと気付けない場所である。

 というわけで。


 先生に案内された第三屋内闘技場に到着した。

 ローマを思わせる黄色い砂で出来た、皿のような構造の部屋。野球も出来そうである。野球をするなら、人工芝でも植えたい所だな。

 1階席は存在せず、入場用の鉄扉があるのみ。地面むき出しの上、所々でこぼこだったり、亀裂が入ったりしている。酷い状態だな。

 以前使った後に整備されていないらしい。とりあえず、集まった生徒達は中央を少しだけならして使うようだが、こんな状態で魔法の練習なんて出来るのか?


「あっ、始まるよー」


 疑問はあるが、きっと見ていれば分かる。嫌でも分かるはず。

 先生の態度的に、今から見る事こそが、この学園の『闇』なのだから。

 動画の撮影は先生に任せ、俺はただひたすら感覚強化を使う。

 ここから先、一言一句聞き逃す事は出来ない。一挙一動を見逃してはならない。

 そのためにわざわざ水魔法を発動させて、瞬きしないで済むようにしているのだから。

 セルク達には悪いが、荒れた地面に座る彼等を見下ろした『彼』には、思う存分やらかしてもらわなければならない。


「お兄ちゃん。せめて無表情にして。笑顔が怖いよ」


 ツルの言葉を華麗にスルーしつつ、俺は深く、集中した。



 ― ――― ―


 セルクは、魔法が使えない。

 魔力量だけは人一倍、いや、人百倍もあるのに、だ。

 人族としては珍しく、魔族の中でも魔法が得意とされる種族の平均値を軽く上回る魔力量を内に秘めていた。それでも、現実は残酷だったが。


 魔法使いは、日常における魔法であれば全て使いこなし、それを仕事に活かす事の出来る者達。

 魔法師は、攻撃魔法などを主に得意とする、魔法だけで日々の糧を得られる者達。

 それを上回る魔術師は、後世に名が残るような大魔法が使える者の事を指す。

 賢者はそれをも上回る存在であるが、それは異世界から召喚された者と、その末裔が稀に受け継ぐもの。賢者のような魔法の才能を持つ者など、この世にいないと言っても決して間違いではなかった。

 ならば、魔術師くらいは志しても問題ないだろう。賢者を目指すことは無謀中の無謀であるが、それよりかは希望が持てる将来の夢なのだ。


 だが、彼はただ魔力量が多いだけだった。


 魔法はいつも、彼の意思とは裏腹に、手の平の上で掻き消える。

 だから、創立至上トップの量を誇る魔力量を持っていながら、セルクという少年はEランクだった。

 AからEまであるランクの区分けにおいて、最底辺である。

 魔法が使えるようになりたいから、魔法学校に入った。だと言うのに、セルクは、魔法を制御する才能が欠けていた。

 いくら正確に呪文を唱えても、より正確に魔法陣を描いても、一瞬だけ発動した魔法はすぐに四散してしまう。その度に笑われ、蔑まれてきた。


 最初は彼に期待した両親。

 その魔力の量に魅せられた教師達。

 いつかは使えるようになると励ましてくれていたクラスメイト。

 彼等全てが、彼を無能と呼ぶまでにはそう時間がかからなかった。進歩があれば違ったのだろうが、彼の魔法の出来は、入学してからこれまでの2年間、変化が無い。


 いつしか、彼自身も魔法を使う事を諦めていた。

 自分でも情けなくなる境遇の中、感覚が麻痺していることを自覚した。立ち止まっている場所に、他にも同じような人間のいる「その場所」が心地良くなってしまっていた。

 魔法学校で、魔法が使えない無能の集団。Eランクに所属する彼等は、年齢は違えど思考が似通っているというのが特徴であり、他生徒からは気味悪がられている。


 上昇志向を失くし、最底辺にいる事、魔法が使えない事に開き直ってしまっているのだ。

 Eランクという場所に居続けた者は、すべからくそういった妙にネガティブでポジティブな方向へ進む。魔法が使えないという、魔法発展型の現代社会において、生活に支障をきたす存在だ。本来なら生きる事に絶望を抱いてもおかしくない状況だ。

 それでも、彼等は上昇を望まなくなる。

 自分勝手に諦める。

 その異常さに気付いた、彼以外は。


「さあ、今日も魔法を勉強しようか。基本は分かるね? 魔力を集めて、こうする。ほら」


 初老の男性教師は、優しげな笑みと共に炎の基本魔法を成功させる。ろうそくの炎を少しだけ強めた炎であるが、それでも魔法が使えない生徒達にとっては『凄い事』だ。

 二十人弱の生徒から拍手されて、教師は得意げににぃ、と怪しく笑う。

 セルクには、その笑みが邪悪に見えて仕方が無い。何以下を企んでいそうで怖い。そしてそれに気付かないほかの連中にふと目を向ける。

 そうして、気分が暗くなる。彼等は教師ではなく、魔法を見て、それを出している教師を見ている。それはつまり彼の表情など見ていないという事だった。

 その教師は、一度として基本魔法以上の魔法を見せた事は無かった。生徒達が目標とするには、些か力が不足しているようにしか思えなかった。一度高レベルの魔法を見たからと言ってどうなるわけでもないが、少なくとも、魔法に対する感覚が麻痺する事は無いのだろう。


 魔法学校では、屋内での魔法行使が原則禁止されている。

 魔法が使えない生徒は、スラム街出身も混ざっているが、遠くから来た下級貴族の子なんかもいる。彼等は三食食べられてベッドがある寮の生活に慣れて、魔法を見られたくないがために隠れるように学内を移動する。これでは、高レベルの魔法を見ることは叶わない。

 その点、セルクは恵まれていた。自由奔放、唯我独尊に加えてぶっちぎり独走、自由気ままなお嬢様メルシーに、気紛れで魔法を見せられたのだから。


 彼女にどのような考えがあったのかは知らないが、ともかくその魔法は、威力としては普通だ。炎の魔法はボヤを起こす程度、水の魔法は水溜りが出来るだけ。ただ、そんな普通の魔法を凄まじいと思えるほどに感覚が麻痺している『事に気が付いた』のは、幸いだったのだろう。

 目の前の教師が明らかな手抜きをし、最低限の労力で生徒達から喝采される様は、見ていて滑稽で、見事に最低と言えるものだ。

 一ヶ月。それが、彼がその教師を見て吐き気を覚え、それを我慢してきた期間である。

 魔法が使いたい生徒に対し、自分以上の魔法を使わせたがらない教師。

 どうにかしたいと、何度も考えた。

 その度に、自分の実力に絶望させられる。

 使えない者より、使える者の方が何倍も偉い。



 この世界には、魔法という『使う事が出きれば』あらゆる夢が叶えられる実力派社会だ。

 同時に、魔法という力を使えない者は、誰が何をしなくとも淘汰されていく。



 自然と消えてしまう。雪のようにすぐに溶けて消えてしまうような存在。

 それが惨めだと何度やっても、上達しない魔法の腕。

 教師を見て覚えた吐き気にも慣れてしまっていた。

 人は元来、一寸先は闇の世界を歩いている。それでも、多くの人は将来を思い描き、それに近付こうとしている。目指すべき『指標』が存在し、それを書き留める紙も鉛筆も持っている。

 だが、ダメなのだ。

 セルク達のような者には、それすら許されない。

 何も見えない闇の中、目指すべき『指標』ははるか先で闇に紛れ、思い描くための紙も、鉛筆も無い。


「じゃ、いつもどおり、練習しよう! 始めて!」


 適当な場所に移動して、支給用の安い杖を片手に持ち、呪文を唱え、魔法が掻き消える。

 ただ魔力を無駄に消費するだけのそれを、延々と繰り返す。


 その間、何の指示も無い。


 改善点を教えてもらえない。


 そもそも、最初から彼等が魔法を使えるようにする気の無い教師だ。

 にやにやと不気味に笑いながら、ふらふらとただただ歩き回るだけ。呪文を唱える声だけが響くその場所に、魔法と呼べる力は、存在しない。


 この世界にあるはずの、奇跡の力とやらは、存在していなかった。

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