07 黒の森の脅威

 ― ハルカ ―



 地下鉄駅前の村に到着した私達は、各々時間が来るまで暇を潰す事にした。

 気分は外国に来た感じである。

 人が賑わっていて、値段交渉とかの声も聞こえるから商人さんもたくさんいるみたい。魔王のフィオルちゃんが治める国の前にあるわけだから、そりゃ賑わうよね。


 ところで、スイト君ってちょっと不思議な人なのです。

 後で話すけど、さっき馬車の中で驚いた事があるの。

 私、落とし穴に落ちてそのまま閉じ込められたせいで、ちょっと心細くなって、年甲斐も無く泣いてしまったのね。で、スイト君達が助けてくれたの。

 その後私達は馬車に乗り込んでお城に帰る所だったのよね。

 でね、馬車に乗る前に、ちょっとルディ君に聞いてみたの。


「私って、魔法の才能あるのかな」

「ありますね」


 即答でした。


「あんな中途半端な状態で魔法が発動寸前まで行ったのは凄い事です。天才の域ですよ」

「ホント?」

「はい、もちろんです!」


 とても良い笑顔だったから、それは間違い無いと思うの。だから嬉しくなっちゃった。

 だから、その後聞いたことは、興味本位だった。


「じゃあ、スイト君は?」


 初めての魔法を大失敗させていたけど、ルディ君にコツを教わったらすぐ魔法が安定していた。

 ルディ君曰く『裏技』を使ったらしくて、本当は使っちゃいけないような危険な技らしいね。

 相手の体内に魔力を流して、自身に戻す。この作業って、相手が悪いと自分がケガを負うような技だそうで、本当は禁止されているそうです。

 もっとも、ちゃんと相性を確かめてから使ったらしいので、危険性は低かったようだけど。

 でも、何でそんな事したのかな、って思って、聞いてみた。


「スイト様は、どうやら魔力の性質が見える『目』をお持ちのご様子。魔力を集中させた時点で、魔力を光として捉えていたようです。本来見えない物が見えると、どうしても余計な事を考えてしまうでしょうし、魔力という物質に集中していただくために、荒療治を施しました」


 優しそうな顔で、ちょっと怖い事を言っていた。

 つまり、言っても分からない子に見せたり実践させたりするという事。

 それでもダメだから、自分が直接、技術を叩き込むという事。

 文字通り、叩き込んだわけである。

 一歩間違えれば、スイト君もルディ君自身も傷付くような技を使ったのだ。


「才能の度合いで言うと?」

「……希少価値で言えば、スイト様の方が明らかに上ですね」


 希少価値。持っている人が少ないという事。

 私の才能は、稀になら見られる。けど、スイト君は極々稀に見られる才能らしい。10万人に1人という私の才能も大概だけど、スイト君は1億人に1人くらいしかいない才能の持ち主だという。

 希少価値で、と言ったのは、伸び白が未知数だからだろうね。まだ会ったばかりで才能を完全に把握するなんて芸当、誰にも出来ないだろうし。

 あ、でも、魔法のあるこの世界なら、どこかにいてもおかしくないような。


 まぁいっか。


 驚いたのは馬車の中。

 私、何を話そうか悩みまくって、ようやく出た言葉がこれでした。


「スイト君、負けないから」


 要点を全く抑えていない上、唐突過ぎて何に対する『負けない』発言なのかが曖昧になってしまった。

 後から考えて、色々と反省している。

 よくよく考えれば、自分の才能の話なんてスイト君はしていなかった。私の「負けない」が、もしかしたらさっきの基本魔法についての事って勘違いしているかもしれない。

 であるならば、スイト君は初めから大失敗を起こしちゃったわけだし、失敗したけど私の方がまだマシな発動をしていたって思っているかも!


 なのに、負けない宣言。


 何に対しての「負けない」なのか、きちんと話すべきかな。

 なんて事を考えていたわけだけれども。

 気付いたら、空気が重くなっていたのね。

 何でかな、って見回したけど、原因っぽいものは何も無かったのよ。

 ルディ君は窓の外を眺めているし、スイト君はきょとんとした、というか無表情でこっちを見ているだけで……って、あれ?

 何か、スイト君の周りが暗く見えるような……。


「あ、あれ? スイト君?」


 思わず声を掛けたら、ルディ君も空気感に気付いてびっくりしながら口を開いた。


「どうしました、スイト様?」


 いやぁ、驚いたよ。まさか無表情で空気を重くするなんていう、おかしな状況を作り出せるとは。さすが演劇部エースだよね!

 関係あるのかはさっぱり分からないけども。

 とまあ、いやに空気が重くなったので、地下鉄前の村を観光しています。住宅街とかはそんなに無くて、ほとんどの建物が商店になっている村。

 多分、商業目的で魔王国家に来た人達をターゲットにしたお店が、たくさんこの場所に集まったのだ。その結果村っぽくなったのだ。

 村と言うか、まんま商店街だね。


「それが気になるのかい、お嬢ちゃん」

「ほぇ?」


 考え事をして、店の前で立ち往生していたらしい。褐色肌の女性に声を掛けられる。

 背は低いし胸も控えめだけど、声は大人びていてハッキリ聞こえてくる。服装はトンビ服に近いもので、ザ・職人という感じだ。

 髪色は暗めのオレンジ。癖の付いた髪は後ろで結われ、ぴょんぴょんと跳ねた髪がかわいらしい。けれど服がたすきがけされているため、筋肉質の腕が露出している。

 見るだけでも、相当パワーのありそうな腕である。


 今は別行動しているけれど、クラナ……あ、違う。ナクラ先輩と良い勝負なのではなかろうか。

 先輩の筋肉は見た事無いけど。

 その女性が話しかけてきたのは、私が無意識に見つめていた杖についてのことである。

 木と金属が絡み合って複雑な造りとなっている杖だ。金属製の枝葉みたいな装飾や色彩豊かな宝石が散りばめられているものの、派手さは無く、しかし気品が漂う一品である。

 見ると、スイト君は横でこの杖を眺めていた。

 立ち直ってくれたのだろうか?


「す、スイト君はどう思う?」

「この杖、眩しい」


 おぉう、よく分からない返答。

 スイト君は、普通なら見えないはずの魔力が見えているって、ルディ君が言っていた。つまり、この杖は魔法の品って事なのかな?


「ほほう、お目が高いね。や、目が良いさね。久々に良い目の客が来てくれたよ」

「あの、これ、何です? 正直、色んな色が混ざっていてよく分からない」

「ふふん。全部ってわけじゃあないが、あらゆる属性の精霊石を埋め込んで、自然の魔力を集めるシステムを杖の形として取り入れたのさ」


 凄い。

 何を言っているのか全く分からない。


「お、そっちのお嬢ちゃんは見えないらしいね」

「あ、はい」


 呆然と2人の会話を聞いていただけの私に、その人は話しかけてくれる。オレンジ色の瞳がキラキラ輝いて、私を写しこんだ。

 見える、見えないで聞いてくるって事は、この人も魔力が見える人なのかな。


「何の事だ?」

「あ、ルディ君に聞いて」

「僕に丸投げですか……」


 後ろに控えていたルディ君が疲れたように呟いた。イユちゃん特製のベストパーカーを深く被っているので、白い髪や耳は隠せているみたいだね。

 おかげであまり目立たずにいられている。

 私としては、元の世界産の制服は景色に溶け込んでいないように見えるのだけれども。


 ただ、そう言ってしまうと、周囲にいる観光客の人達は全員溶け込んでいないようにも思えるから不思議だな。洋服っぽいのから水着みたいのとか、中には自分の種族の特徴を活かして、ある意味服を着ていない人だっているのだ。

 もさもさの毛とか鱗とかで、ちゃんと隠れなきゃいけない部分は隠れているけども。

 ただ、視界の隅にいたビキニのような、それでいて鎧のような格好をした人。あれは、ちょっと、露出が過ぎると思う。

 いや、うん。魔法があるこの世界では、あれでも防御力が高いかもしれないけど!


「つまりね、この杖は魔法に使う魔力の量を減らしたり、魔法の威力を高めたり出来るのさ。ただし、威力を高められる属性は限られるけどね」

「凄いです!」

「あっはっは! 良いね。ストレートな褒め言葉、気に入ったよ。お嬢ちゃん名前は?」

「長谷川ハルカです」

「……ハセガワ? ふぅん、東の奴かい? アタシはドワーフの― ミグリト=マルゴ ―だ。この鍛冶屋の店主さ。よろしくね」


 東の、か。日本は東の国っていうけど、こっちじゃ関係無いはず。東にハセガワっていう苗字の人がいるのかな。浴衣とかの文化はあるみたいだし、ありえなくもない。

 もっとも、その浴衣を着ている人は金髪碧眼だけどね。


 そういえば、こっちの言語って日本語なのよね。色々な地域から来ているっぽいから、てっきり違う言語が聞こえてくると思ったのだけれど。

 言語を統一しているのかな? 英語みたいに、世界中で通じる言語を使っている、みたいな。


「ミグリトさんの作る物って、武器ですか?」

「そうさね。注文が入れば何でも作るけど、そうでなければ武器ばっかり作っているわね。お嬢ちゃんは、随分若いようだけど冒険者かい?」


 冒険者。

 モンスターを狩って生計を立てる、れっきとした職業の1つ。世界中に「冒険者ギルド」という冒険者を纏める組織があるらしい。

 冒険者を名乗れるのは、この冒険者ギルドに登録している人だけだそうだ。


 まず、登録をすると冒険者の身分をもらえる。するとギルドに寄せられたあらゆる依頼を受ける事が出来るようになる。この依頼は貴族からのものもあれば、民間人からのものも含まれているらしく、モンスターの討伐や捕獲から落し物探しの依頼まであるそうだ。

 これらの依頼を達成すると、賃金もしくは現物支給により報酬が払われるので、冒険者はそれで生計を立てるのだそう。


 ただ、依頼をこなすだけでは食べていけない冒険者もいるらしいので、そういう場合はモンスターを狩って手に入れた毛皮や肉、骨や牙などを売るらしい。

 私がスライム牧場(仮)で落ちた落とし穴は、このモンスターを捕獲するための試作品だった。一応性能は良い方なのだけれど、仕掛けた本人達が引っかかる可能性の高い不良品である。

 ちなみに、自作だったらしい。


「冒険者ではないです。えと……」


 私は、ちらりと後ろに控えていたルディ君に視線を送った。

 そういえば、私達が異世界人で賢者だって言っても良いのだろうか?


「階級的には貴族ですが、正式な貴族として認められたわけではありませんね」

「やっ、ルディウス様じゃないか?! ははぁ、なるほど。貴族じゃないけど、アンタが護衛に付くほどのお人ってわけだね?」


 顔を隠しているのに、声だけでルディ君だと分かったみたい。

 会った事があるのかな。と思ったけど、何と無く察した。

 ルディ君が使っていたレイピア。あの細身の剣の柄には、今私の目前にある杖と同じ文様が掘り込まれているのだ。大きなMに剣が刺さった文様が、柄、刃の部分に見える。これが製作者を表すものだとしたら、ルディ君の剣は、ミグリトさんに打ってもらった物ということになるのだ。

 面識はあるだろうし、それなら声を聞いていてもおかしくない。


 そういえばフィオルちゃんの傍仕えっぽいし、今はスイト君の世話役だけど、本来はかなり身分が高いのかもしれない。


「お久しぶりです。この剣、相変わらず使いやすくて、助かっています」

「そりゃあ良かった。何か不具合があったらすぐに言いなよ? 研ぐなり打ち直すなり補強なり、何だってやってやるからさ」

「手入れは怠っていないので、しばらくは大丈夫そうですけどね。その時は頼みます」


 仲は良好らしい。

 2人とも良い笑顔で会話している。

 あ、そっか。ルディ君がスイト君の目の事を言い当てられたのって、ミグリトさんの事を知っていたからかも。もし本当にミグリトさんがそういう目を持っているのなら、スイト君と同じような言動をするはずだもん。魔力の色の事とか。

 知っていないと、私に教える事も出来なかったはずだもの。


「あぁそうだ。それはさすがにあげられないけどね、こっちをあげようか」

「えっ」


 会話を切り上げて、ミグリトさんが店の奥に走り去っていく。

 別にこの杖が欲しかったわけじゃないのだけれども、物欲しそうに見えてしまったらしい。

 かわいいけどね、この杖。

 よく見ると、枝葉の装飾部分に木の実っぽく宝石が飾りつけられているのだ。

 私はそんな風に杖を観察してみたのだけれど、それが物欲しそうに見えてしまったらしい。

 少しして戻ってきたミグリトさんは、布に包まれた棒らしき物を持ってきた。


「ほい。開けてごらん」


 言われるままに、布を留めるための麻紐を解く。

 ちょっと黄ばんだ布を取ると、杖、というか最早「枝」そのもののような杖が現れた。

 質感はつるつるとしていて、透明な薄紫色。見た目は完全に小ぶりの枝。私が見ていた杖と同じで、木の実みたいに枝葉の部分には宝石が付いている。その色は全部淡く、青や紫、黄色などで、他にもある。全体的に言えば薄紫色で、宝石は爪ほどの大きさだ。

 大きいか小さいかと聞かれると、多分小さい方。


「それはね、回復魔法の威力を高める特殊な杖だよ」

「回復、魔法?」

「そうさ。傷を癒し、病を癒す回復魔法さ」

「何で、私に?」

「アンタはきっと、良い治癒魔導師になれるよ。そういう魔力を持っている。この杖は特殊でね、回復魔法とか支援魔法は威力を高めてくれるけど、攻撃魔法だけは発動阻害をかけちまう。ちょっと癖があるけど、アンタなら使いこなせるさ」


 攻撃魔法もまともに使えていないのだけれど。

 回復魔法。たしかに、ゲームとかだと回復職の人がとても大事だ。

 HPが減った人、バッドステータスに陥った人。そんな人達を癒す事が出来れば、たしかにこの先便利かもしれない。ただ、この杖を使うという事は、攻撃役にはなれなくなるという事になる、か。


 スイト君は男の子だし、攻撃役に回りそうだよね。

 マキナちゃんは体力が無いし、多分支援に回ると思う。

 先生、は、何でも出来そうだな。

 イユちゃんは……何だかんだで攻撃役をやりそう。

 先輩は攻撃役。


 じゃあ、私が回復薬をするべき、なのかな。

 消去法になっちゃうけど、私が攻撃役に回った所で、スイト君達の邪魔になりそうな気がしてならない。それに、私は縁日の射的とか、命中率が見事にゼロだからね……。

 よし、ありがたくもらっておこう。


「ありがとうございます!」

「お、良い笑顔だね。そうだ、アンタ、兄弟とかいるかい?」

「兄弟ですか? 兄弟なら、兄が1人と弟が2人いますけど」


 私の名前はハルカ。文字は晴香で春じゃないけど、兄弟で四季を冠する名前になっているのよね。お兄ちゃんは冬。弟2人は双子で、夏と秋。

 私だけハルが春じゃないのだけれど、それは言ってもしょうがない。お父さんもお母さんも、私が産まれた時には、弟達を産むなんてこれっぽっちも考えていなかったらしいから。

 何があったのかは知らないけど、子供が4人になったという事で、四季の名前を使う事にしたみたい。

 せめて、弟達のどちらかの名前をひねって欲しかった。名前の事に気付いた時、両親と兄からの愛はあるのに多大な疎外感を覚えたものだよ。

 まあ、兄弟の中で紅一点だから、違いを出しただけだって思い込んだら疎外感もなくなったけど。


「あの、何で兄弟の事を」

「ああ。昨日からここにいる子がね、ハセガワって苗字なのさ」


 あ、こっちの世界でもハセガワ姓の人っているのね。さっき名前を言った時、東がどうとかって言っていたし、もしかすると日本みたいな所があるのかも。

 あとは、前の勇者や賢者の子孫が暮らしているとか?


「ハセガワですか。奇遇ですね」

「そうさね。今はちょっと出かけているけど、近い内に会わせたいもんさね」


 ニカッと笑みを浮かべるミグリトさん。

 私は手の中にある杖を握り締めて、そっと魔力を流してみた。

 杖と同じ色の魔力光が、蛍みたいにいくつも周りに浮かぶ。ランダムに動く様は本当に蛍みたいで、暗い所で見たらもっときれいに見えそう。

 杖そのものもキラキラ輝いている。

 急にやったから周りにいた人達の視線を浴びる事になったけど、こんな感じの魔力光ってよく見るみたいだね。すぐに興味を失って、ただ通り過ぎるだけになった。


「約束します!」

「ああ。待っているよ」


 ミグリトさんは笑みを浮かべたまま、私に手を差し出してきた。この形は、普通の握手っぽいね。テクニカルで体育会系のリズミカルな握手は出来ないから良かったよ。

 まあ、そんなのを会ったばかりの他人とやる人なんて、ほとんどいないと思うけど。

 そんな事を考えたけど、それほど時間を空けずに握手に応じる。

 ハセガワ、か。こっちの世界の人だよね? ちょっと会ってみたいかも。

 私は、ミグリトさんの手を握ろうとした。

 その時。



「  ――――――――ッッッ!!!  」



 それは、声だったと思う。

 ただ、声という事は分かるけど、あ、とかお、とかっていう音じゃない。

 賑やかなというよりも騒々しいと言える商店街の声を、いとも容易く上回る音量の叫び声。

 しん、と静まり返る人々は、私も含めて同じ方角へ視線を向けていた。


 ……。


 何が起こったら、あんな声が出せるのか。

 甲高く、それでいてくぐもって、それなのにひどく耳に残る声。

 声は何度かこだました。


 武器を持っている大人の人達が、ハッと我に返って一斉に声のした方へと走り出す。

 私やスイト君、先生も走り出していた。

 泉校のモットーの1つ、非常事態に対処できる者であれ。

 避難訓練以外に、救助活動とかの基礎が叩き込まれているからだろうか。ビクついただけで動けなかったルディ君を置いて、私達は『現場』に向かった。


 ただ、私は後悔した。


 この世界には魔法があって、獣人がいて、モンスターもいる。

 けど、最初に見たのが攻撃もまともに出来ないスライムだったから、油断していた。


 いや、普通ならそうなのだろう。ルディ君やフィオルちゃんは、徐々に他のモンスターにも慣れてもらうつもりだったのだろうし……『それ』は刺激が強すぎると理解していただろう。

 後から言えるのは、私はこの時の件がキッカケで、回復魔法を徹底的に鍛え上げたという事だけだ。

 土地勘が無い故に、冒険者に付いていくだけの所もあった。けど、私達は何とか現場に辿り着く。

 何人かが引き上げていく中、私達は何とか最前線近く、少なくともその場面に直面した。

 その場面に、間に合ってしまった。


 ……。

 …………。

 ………………。



 ―― 紅。



 そこは、村の外れだった。

 人を迎える場所という事もあって、文字の彫られた、鉄製のアーチがあった場所だ。

 それが倒れていた。それも、とんでもない力で引きちぎられたかのような跡を残して。

 きれいなクリーム色の石畳があったはずだ。

 しかし、今はクリーム色なんて見えない。


 一面真っ赤。黒ずんだ赤色が、辺り一面に広がっている。


 ほんの少しの間、それが何の色であるのか分からなかった。

 当然だ。

 私は、そんな光景を見た事が無いから。

 私は、そんな光景を受け入れる事が出来ないから。


 ……。

 辺り一面に血溜りが広がっていた。

 広場は全体的に皿のような窪んだ形になっており、血溜りはくるぶし辺りまでなら余裕で浸かるほどの量が溜まっている。


 そんな広場に入って行こうとする者はいなかった。

 血溜りに不快感を示したからではない。

 鮮血に染まり、血の池地獄と化した広場の中央。


 そこにいる『 悪魔 』に、怯んだからだ。


 黒い体毛は太陽の光を反射せず、むしろ鮮血によってその黒みが深くなっている。

 後ろ足は見た事も聞いた事も無いほど筋肉が膨れ上がっている。

 前足には触れるだけで切れてしまいそうな鉤爪。

 顔ほどもある大きな牙。


 私が知っている動物でいえば、黒いイノシシが一番形は近い。

 しかし、それは私が知っているどのイノシシよりも大きく、不気味で、恐ろしい。

 一面の血の色と濃い血生臭さに、思わず意識が飛びそうになる。

 イノシシの目は真っ赤に輝いていて、どこを見ているのか分からない。

 むしろ、何も見ていないかもしれない。


 その口がもぞもぞと動く度、粘ついた音と、硬い物を無理やりすりつぶす音が一緒に聞こえてきて、私の意識を何度も飛ばそうとする。

 身体中から血を垂れ流して、口の中から今もなお、血と、肉らしき物が零れ落ちてくる。


 私は今、ちゃんと立っているはずなのに、全身から力が抜けたような気がした。

 それに加えて、触らなくても分かるほど、いたる所から汗が出てきて気持ち悪い。

 イノシシが少し動く度に汗が増しているような気がする。

 イノシシは咀嚼を繰り返し、何度目かの口の動きを止めて、上を向く。

 ゴクリ。

 辺りが静まっているせいか、その音はいやに耳にこびりついた。


「今だ!!!」


 冒険者のものと思われる野太い声が1つ上がる。

 すると、私達の傍に控えていた冒険者、対岸にいた冒険者、目に映る全ての冒険者が、一斉に攻撃を開始した。

 剣を振り下ろす者、弓を構える者、広報から呪文を唱える者……。

 素人目にも分かるほど、雑多な組み合わせの服を着た人々。どう見ても知り合いですらなさそうな人が、力を合わせてイノシシへと突っ込んでいく。

 ぱっと見ただけで、3メートルはありそうなイノシシへと。


 そのイノシシは、全ての攻撃を何もせず受け止めていた。大して防ぎもせず、じっとしている。

 猛攻を堪えているのではなく、避ける必要が無いくらいにその身が硬いのだ。とある剣士の剣は弾かれ、とある魔術師の魔法は霧散する。

 いかつい人達の攻撃は、硬い岩さえも叩き切ってしまえそうな威力があるのに、それを今にも鼻歌を歌えそうなほどに余裕でいなせてしまえるのだ。

 かろうじて、ルディ君が見せてくれたような雷魔法は嫌そうにしているようだけど。

 それに気付いたのか、魔術師の1人が上に雷の珠を放り投げた。それを合図にして魔術師と思われる者達は全員が雷魔法を使い始め、剣士達はその武器に雷を纏わせる。

 ゲームみたいに、弱点となる属性があるのだ。


 けれど、現実はゲームみたいにはいかない。ホラーゲームよりも残酷だ。

 嫌がるイノシシは、その巨体で暴れまわる。当然、3メートルもある巨体に体当たりされただけでも吹き飛ばされる。お店の1つに衝突して、そのまま気絶したり、大きなケガを負ってしまったりしていた。


「応急処置、しましょうか?」


 不意に聞こえたスイト君の声に、私は初めてイノシシから気が逸れた。

 お店の1つにぶつかって、全身から血が出ている渋めのおじさまに話しかけている。


「いらねぇよ坊主。そんくれぇなら俺だってできらぁ。それに、うちにはヒーラーがいるんでね」

「ええ、範囲回復します! けが人をここに!」

「「「オオォオオ!!!」」」


 そこら中から声が上がる。

 同時に、たくさんのけが人が運ばれてきた。


「行きます!

【 精霊よ 我が求める癒しの力をここに 】 『エリアキュエリー』!」


 ヒーラーだという、シスターさんっぽい人を中心に魔力光の波紋が広がった。半径4メートルくらいだろうか。その範囲内は淡い青緑色の光に包まれて、その中にいるけが人は次々に傷が回復した。

 跡形も無く、傷が消えていった。

 気絶した人は気絶したまま起きないけど、それでも、起きられる人は再びイノシシへと向かっていく。


 ……。


 これが、回復魔法。

 見ると数人の女性や、ちょっとアレ系な人がシスターさんの隣で控えている。回復魔法は相当な魔力を使うのか、今回復魔法を使った人はその場に崩れ落ちた。


「っ、大丈夫ですか!」

「ええ、大丈夫よ。軽く魔力が枯渇しただけ。休めば平気。……貴方は、回復術師?」

「……っ」


 答えられない。

 回復術師。その道はついさっき提示されたばかりの道だ。

 賢者と言ったところで、私はまだ魔法がまともに使えていないのだから、証明にならない。いや、そもそも昨日来て今日外に出たばかりなのだから、魔法が使えなくてもおかしくない状況かもしれない。

 ああ、いや、そうじゃなくて。

 今この人が聞いてきたのは、私が回復術師かどうか。


「違い、ます」

「そう……けど、回復術師に向いているのね」

「えっ」

「貴方は、優しすぎる人間だもの」


 そう言うと、シスターさんはふらふらしながら立ち上がる。

 その後は、入れ替わり立ち代わり回復職の人がけが人を癒していく。

 でも、イノシシは、ケガらしいケガを負っていないように見えた。


「あれは、黒の森に棲むモンスター:ブラックバイソンの『子供』ね。黒の森からは離れているはずなのに……どうしてこんな場所まで」

「黒の森……子供……?」


 緑の森が、世界で最も広い森だという事は聞いた。黒の森が危険だという事も。けれど、知らないが故にその危険性を見誤っていた。

 私達はこの世界に来たばかりで、だから黒の森という場所はとんでもなく強いモンスターがいるから危険で。だけど、ベテランの冒険者なら少しは歯が立つと思っていた。


 けれど、それは致命的な間違いだ。


 ベテランだろうが初心者だろうが、たとえ10人が束になってかかっても、倒せない。

 それも、敵は子供なのに。

 あんな巨体で、まだ子供だというのだ。

 ああ、恐ろしい。

 ただ、それ以上に。


「下がって!」


 その声に、希望の光を見た。

 聞き覚えのある声が聞こえて、同時に、肌がピリッとする感覚を覚える。

 ちょっとした日焼けをした時にも似たほんの僅かな痛みと、青白い光。

 見覚えのある光だ。

 ついさっき見た光である。


 ただ、見せてもらった光よりもずっと大きくて、より凝縮されて、その珠から放たれる電気の火花もとてつもなく大きい。

 見える太陽よりも大きな電気の球の下に、フードを取ったルディ君がいた。

 イノシシの周りにいた人達は、ルディ君の掛け声で一気に血溜りから離れる。それを確認したルディ君がイノシシを見据え、珠を更に凝縮させて落とした。

 下に落ちる程に小さくなっていく、それでいて光を増していく電気の球。



 それはイノシシの頭に静かに触れて、強く光を放った。



 目が潰れる勢いで光が爆発する。

 雷がすぐ傍に落ちたような轟音が響く。

 耳鳴りと、暴風にも似た衝撃が私を襲う。

 キィイン、という耳障りな音に、思わず耳を塞いだ。


 ……。

 …………。

 ………………。


 耳鳴りが、段々と消えていく。

 思わず強く瞑っていた目を、ゆっくりと開けた。

 未だ耳鳴りの残る耳に聞こえてくるのは、静電気の音。


 若干歪む視界に映るのは、横に倒れて所々黒い煙の出ているイノシシ。更に、その上に佇むルディ君。

 ルディ君の手には、電気で出来た剣が握られている。ルディ君はイノシシを一瞥して、その剣を頭に思い切り差し込んだ。

 それと同時に、イノシシはスライムと同様に、しかし黒い煙となって空気に解けていった。

 消える前にイノシシを踏み台にして、血溜りに触れる事無くルディ君は血溜りの外へ飛び移る。


 トン、と軽く音を立てて着地した瞬間。

 人々の明るい声が、それまで充満していた張り詰めた空気を溶かした。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る