03 異世界の賢者

 それは白かった。


 髪は金色の光沢を放つプラチナで、日焼けなど知らない真っ白な肌はほのかに赤みを帯びている。小さな唇は桃色のグロスが控えめに乗せられ、しかし肌の白さのせいかよく映えている。


 それは黒かった。


 宝飾品は無い、しかしボリュームのあるフリルたっぷりのドレスは、吸い込まれそうな漆黒と差し色の紅が美しいデザイン。低いヒールの革靴は光沢のある漆黒色である。

 しかしそんな美しい特徴を持つ彼女は、どこからどう見ても齢10歳ほどの少女にしか見えないのだ。



 ―― 俺が、予想したとおりの人物像だった。



 ゆっくりと、従者2人を引き連れて、部屋の奥から入ってきた女王。

 肩に掛からない程度にふんわりと揃えられた、真っ白な髪の頂点。そこには、漆黒の王冠が乗せられていた。とてもシンプルで小さな王冠であり、大きな宝石が中央に付いているのみで、他に宝石らしき物は付いていない。

 しかし、見ただけで分かる存在感を放っている。

 素人目にも、その王冠が本物だと理解した。


 ゆっくりと歩いていた女王は、実に静かに玉座まで来ると、音も立てずに腰を下ろした。

 勝手は分からないが、こういう時はまず平伏した方が良いだろうな。

 まずは肩膝立ちにしておこうか。

 俺が座り込むと、つられて他の連中も同じポーズになり始めた。ただ、女子陣はパンツが見えそうになっているので躊躇っているが。

 しかし、女王は俺達の様子を見て、慌てた様子で声を上げた。


「どうぞ、楽な姿勢でお聞きください」


 それを聞いて、ハルカさん達はすぐさま立ち上がる。……まあ、俺より後ろにはいたが、見えそうだったのだろうな。

 俺も立ち上がる。正直、ずっとあの姿勢でいるのは辛いからな。膝が痛くなる。


「まずは謝罪を。貴方様方は客人であり本来私と同格であるはずなのに、立場上、玉座にて見下ろす事をお許しくださいませ」


 鈴の音のような声を発し、座りながらも腰を折ってお辞儀する少女。

 それを見た俺達はもちろん、そばに控えていた従者も若干取り乱した。


「陛下、そのような態度は……」

「貴方は黙っていなさい、グリーデュライ。二度目はありません」


 女王が何かを言いかけた従者の一人、大柄で毛深い、ゴリラのような人物を制止する。その手には銀色の錫杖が握られ、その先端には美しい青色の宝石がはめ込まれていた。

 しかしそれ以上に、女王の瞳の方がキラキラと輝いている。彼女の瞳は透き通るような空色。ルディの瞳と同じ色だ。

 顔立ちは幼くも凛としており、薄められた目で睨みつけられた武男はすぐ姿勢を正した。女王の声の音階が若干下がった事も要因かもしれない。

 ただ、武男は未だ不機嫌そうにこちらを睨んでいる。強制力は低いのだろうか。


「従者が失礼いたしました。平にご容赦を」

「……受け入れます」

「ありがとうございます。……貴方様はスイト様。で、合っておりますでしょうか」

「ああ、俺が風羽翠兎だ。貴方は?」

「ああ、失礼いたしました。遅ればせながら自己紹介を。私は―フィレウォッカ=P=ディゼイエシア ―と申します。僭越ながらここ、魔族領を統治する魔王でございます」


 容姿年齢と言葉遣いのギャップに、俺は思わず息を呑んだ。これまで見てきた子供には無い落ち着き払った態度で、こちらをまっすぐ見るのだ。

 後ろで何やら「……ちいさい頃の、スイトに似ているかな……」とか「え、そうなのイユちゃん?」とか「僕も覚えがあるぞー」とか聞こえてくるが、気にしないでおく。


「なら、その魔王のお前にたずねる。……俺達に何か、要求する事は?」

「何も」

「……ほう?」

「特に何も無いのです。既に事情はお聞きになったかと存じますが、人族の領地にて召喚が行われ、皆様が巻き込まれる形で召喚されてしまいました。故に、こちらが皆様に要求する事は無いのです。ただ……」

「ただ?」

「……皆様の中に、賢者様がいらっしゃるのかどうか。その確認だけでも取りたく」


 取りたく、と言われても、どうすればそれが分かるのか知らない。

 やっぱりあれか。異世界召喚とか転生でお決まりの、ステータス確認とかか。

 どうすればいいのかわからない俺達召喚された組が互いに目線を交わし始めると、ルディが前に出て話し始める。

 この場で出来る事なのだろうか。


「この世界では、自身の能力を数値化し、可視化させる力があります。言葉は何でも良いのですが、ためしに『ステータスオープン』とその場で唱えてください」


 ステータスオープン、ね。異世界転性ではおなじみのフレーズだ。

 本当にステータスオープンと唱えるのか……っ。


「?」


 フォン、という音と共に、俺の目の前に長方形の板が現れる。エメラルド色のとても薄い板で、触れると僅かに指先が温かい。が、触れているような感触は無い。

 向こう側が透けて見える板だ。例えるならプラスチック製の下敷きだが、その薄さは真横から見ると何も無いようにしか見えないほど。

 その板に、順に白い文字が現れる。


【 風羽翠兎 16歳 男 人族(異世界) レベル1 】


 プロフィールから始まっているが、ステータスである。物攻、魔攻、物防、魔防……そういった、能力名の横に数字が表記されているな。

 物攻、物理攻撃力だな。その数値が100? これは高い方なのだろうか。

 それとこれは、技能、スキルか。言語理解Ⅰは、とりあえずこっちの人が何を言っているのかを理解するためのスキルかな。それと魔法の項目がある! 何々。適正属性:無属性だと? うーん、イマイチピンとこないな。凄いのか?

 あとは……職業だな。おぉ、学校の名前が泉校に省略されている。これはあれか、俺の知っている言葉でステータス画面が構築されているのか。

 いつの間にか、技能の漢字がスキルというカタカナに変更されているし、自動で自分が分かりやすいようにカスタマイズされていく仕組みなのか!

 時間表記もあるし、便利だなー。


 触れているような気はしないが、ステータスに触れてスライドすると、ステータスの表記が一緒に動く。指に合わせて上下してくれる。

 大きさからして、スマホというよりタブレットとして扱うと分かりやすいな、これは。

 というかステータスオープンと唱えていないのに出てきたぞ。唱えなくても出てくるものなのだろうか。言葉は何でも良いと言っていたが、唱えなくても良いとは言っていないよな。


「そろそろでしょうか……。皆様、ステータスに『職業』という項目が出ているかと思います」

「ん? ああ。そうだな」


 そういや、職業を注視していなかった。

 泉校高等部男子生徒と、演劇部部員エース。

 おいおいエースって何だ? たしかに「七色の声」とか「変幻自在の演技力」とかお偉方に褒められた事はあるが、あれは誰にでも言っている事だろうし。

 何か才能ありそうだな、とか、今後に期待する、とかっていう名目で褒めてくるよな。何故毎回俺にだけ言うのかは分からなかったが。

 考えても仕方ないな。

 お、まだもう1つある。何だろう。日本人とかそういうのだろう……か……。

 ……。


「その職業に―― 『賢者』がある方は、お教えくださいませんか?」

「「「……」」」


 俺も含めた全員が黙りこんだ。

 全員と順に目を合わせてみると、全員気まずそうにしていた。

 それは『賢者』が職業欄にあったからか、それとも無かったからなのか。

 あれば、今後起こるだろう騒動に巻き込まれそうで面倒そう。無かったら、面倒には巻き込まれないかもしれないがどこと無く他人任せになりそうでこれもまた面倒そう。

 あ、俺目線だと面倒くさいかどうかだけで判断しそうだ。

 しかもこれ、どっちでも面倒そうだなぁ。

 とはいえ、そろそろ応えた方が良いだろうか。ルディの耳がさっきからそわそわしているのだ。


 ただ、これは……。

 ……いや、うん。それでも言った方が良い、のか?


 まあいっか。


「私が賢者です!」

「俺が賢者だな」



「「……ん?」」



 俺とほとんど同じタイミングで、ハルカさんが挙手しながら叫んだ。

 ……ふむ。


「ハルカさんの職業は?」

「あ、そのっ。泉校高等部女子生徒と、その。賢者……です」

「じゃ、ハルカさんが賢者だな。がんば」

「ちょっと待って、スイト君は?」

「ん? 俺か。俺は泉校高等部男子生徒、演劇部部員エース。それと――



 ―― 『異世界の』賢者だな」



「「「……はい?」」」


 ハルカさん、ルディ、魔王その他多数。俺の発言を聞いた者達は声を揃えた。


「い、異世界の? 私はそんなの付いていないけど」

「ああ。だからハルカさんが賢者な。がんば」

「えっ、あの、えっ?」


 ハルカさんが目をぱちくりさせている。

 随分と混乱しているようだが、そうなるだろ?

 賢者か否かという問いであれば、たしかに俺も賢者かもしれない。ただ、ちゃんと賢者という職業があるのに、おかしな単語のくっついた賢者は、何か違うと思う。

 なら、ルディ達の言う『賢者』はハルカさん。それで良いだろ。


「で、でも、スイト君も一応『賢者』だよね?」

「らしい。けど、変な単語が付いているだろ。がんば」

「な、何か丸投げしていないかな、それ」

「だって、見るからに本職はハルカさんだろ。だから、がんば」

「だから、何でそんな丸投げしてくるのかな? こういう事に本職も何も無いと思うよ?! むしろ、私の本職は泉校高等部女子学生の方だよ!」


 わたわたと興奮し始めたハルカさん。普段は才色兼備でクールなイメージが強かったのだが、この数分で見事に反転している。

 年相応より若干子供っぽい。

 見た目はかわいらしいが、そんな感じだよなぁ。腕をパタパタ振るなんて空想上にしか無い表現だと思っていたが。ぶりっ子のようなわざとらしさが無い分、かわいらしさは他の人より上だ。

 とはいえいちいち反応していると疲れそうだし、話が先に進まないか。


「で、ルディ。賢者だと何がある?」

「ひどい! 無視した?!」

「無視はしていない。ただし、それは後だ。ハルカさんはもちろん俺の職業にも一応『賢者』がある。ならその役割とか、知っておいた方が良いと思うぜ?」

「むっ、うぅ~……」


 ハルカさんがひどくむくれてしまったが、致し方無い。

 勇者と賢者の因縁的な話は、早めに聞いておくに越した事はないのだ。


「え、と。賢者はこの世界における『救済者』の1人であり、救済とは世界を崩壊の危機から救う事です。異世界人の召喚に成功した時点で、この世界には崩壊の危機が迫っているという事であり、今回召喚成功した人数はこれまで以上に危険な状態にあると物語っています」

「しかし、そっちが俺達に望む事は無いと言ったな」

「ええ。ですが、我々は皆様を元の世界へ送り届ける術を持ちません。それ故に、皆様自身が世界の危機からの逸脱を試みなければなりません」

「以前召喚された賢者達は、世界の危機を救った際に元の世界への帰還に成功している。だったか。そっちで危機の内容を調べる事は?」

「……残念ながら難しいようです。調査は既に行っておりますが、過去20回分の賢者様方が行っていた事は見事にバラバラで……」


 戦争回避。人族の王の処刑。魔王の討伐。国興し……救済の内容はてんでバラバラ。勇者サイドの動向も含めて調査しているようだが、たしかにこれは難しそうだ。

 もしかすると勇者サイドでしか出来ない事があるかもしれないな。

 魔王討伐とか。


「俺達は何をすれば良い? 異世界召喚ではお決まりの、世界一周の旅に出れば良いのか?」

「そう、なります」


 ルディは申し訳なさそうに一礼すると、一歩、女王の方へと下がった。


「……準備は手伝ってくれるのか?」

「当然です。我々の意を介した召喚ではありませんが、それでも皆様は私の客人。精一杯のもてなしと支援を行わせていただきます」


 女王は澄んだ瞳で俺達を見つめる。その空色の瞳は強く輝いており、潤んでも、揺れてもいない。彼女の言葉は信用できるかもしれないな。

 さりげなく先生に視線を送ると、目を伏せて合図をしてくれた。

 質問する相手の変更である。


「裏切りの可能性はありますか? ……僕達のイメージだけで言えば、魔王は悪の権化。魔王の意は悪魔の王。にわかには信用出来ませんね」

「貴様! 我が城主と悪魔を履き違えるなど!」


 さっきの、あー、グリーデュライさんだったか。ゴリラ男とか武男と呼んだ方がしっくり来そうな感じの人が、勇み足で3歩ほど前へ出る。

 その形相は鬼そのもので、正直、怖い。

 元々怖い顔つきだからか、そこに大声もあいまって、武男のワイルドな怖さが際立っている。

 しかし……。

 そんな恐怖は、恐怖とは思えなくなることが、起きた。



「グリーデュライ」



 ぞわり、と。

 背筋が凍ったような気がして、思わずつばを飲む。

 一瞬だけだが、視界が暗くなるような『殺気』を覚えた。


 俺の両親は、ハッキリ言って自由人である。年に3回も帰ってくれば多い方で、自分の誕生日はともかく息子の誕生日にすら家に帰ってこない。

 どうやって家計が潤っているのか分からないほどに、彼等は年がら年中外国に行っているのだ。

 その理由を聞いて呆れた。



『『 面白いから 』』



 そんな自由人の両親は、小さい頃の俺を平気で戦場に連れて行った。銃弾飛び交う町並みを、よく分からない菌のいるスラム街を、そこら中に毒物のある熱帯雨林を横断するのだ。

 だからこそ、子供ながらに人の気配や殺気なんかを感じ取れるようになってしまった。

 だからこそハッキリ言える。脳裏に焼きつくような血走った目も、蛆虫の這う身体を引きずる子供の姿でさえも霞むような、そんなとてつもない『殺気』が、小さな少女から放たれたと。

 子供のものとは思えない、先程よりも数段低い声。

 それが、先程も叱られていたゴリラのような男に浴びせられる。


 ボリュームは変わらず、トーンだけが数段下がった声。

 その声と同時に発せられた殺気に、女王、そして傍に控えたルディ以外の全員が、女王に視線を釘付けにされてしまった。

 この身体の震えは、寒さから来るものではない。

 普段ホラー系の話は得意なはずなのに、いや、だからこそだろうか。



 ―― 今この瞬間こそ、俺は本物の『恐怖』ってやつを知ったのだ。



 そう思えるような、凄まじい気迫が全身に当たる。


「ファステン、連れて行きなさい」

「は」


 女王と一緒に入ってきたもう一人、ファステンさんというらしい人は、細身の中年で、紳士風の男性である。彼は短い返事の後、がっしりとした体型のグリーデュライさんをひょい、と軽く持ち上げた。

 ……。

 は?


「しかし陛下! 我は陛下を思って……」

「黙りなさい、次は無い……そう言われたはずですよ、グリーデュライ」

「そ、それは……しかし!」

「陛下の命令に背いて無事でいられる事に感謝するべきですな」

「ぐぬぬ……」


 悔しそうにこちらを睨んでくるが、細腕のファステンさんに抱えられた姿はなんとも滑稽である。

 しっかし、あのファステンさんって何者だろう。自分よりずっと重そうな相手を軽々持ち上げて、平然と歩いている。普通に走る事もできそうだ。

 彼もまた魔族なのだろうが、見た目本当に紳士のようで、人族らしからぬ特長は見受けられない。

 女王も人族っぽく見える事と何か関係しているのだろうか。

 後で聞いてみようかな。


「申し訳ありません。二度に渡って痴態をさらしてしまうとは。グリーデュライは優秀な護衛ではありますが、些か知恵が足りないようで」

「それに比べ、陛下は落ち着いていらっしゃる」

「私は魔王としては若い。しかし、あからさまな挑発に、公の場で振り回されるような性分ではございませんゆえ、ご安心ください」


 ふんわりとした優しい笑みを浮かべる女王は、おもむろに右手を上げた。

 すると、ルディがグリーデュライさん達のいた場所に控える。


 ……。


 女王はグリーデュライさん達が護衛だと言った。

 そしてあの武男が、護衛としては優秀だとも。

 ルディがその位置にいる事は、暗に護衛足りえる人物であると公言しているようなものだった。

 それに先程の殺気。あれは尋常ではなかった。あんな人間離れしたものが放てるという事は、彼女がその気になりさえすれば、俺達程度、すぐにでも片付けられるという事。


 そうしていないのには理由がある?

 いや、そもそも敵対する理由が無い?


 彼女達の言っている事が全て本当だとしたら辻褄は合う。

 信じた方が良いのか、否か。

 いや、信じるしか、無い。


「裏切りはありえません。後々この国の成り立ちをお知りになると思いますが、……かいつまんで言えば、魔族領は賢者が作りました。魔王はその事を魂と心に刻み、末代まで子に受け継がせる。我々魔族が、賢者様に害を成すなどという事は、女王である私が許しません」


 と、そこまで言って、女王は初めて視線を揺らす。これは嘘という事か……。いや、もしかすると、対処不可能な事態を予想して表情を翳らせたのか?

 魔族領とやらがどれほど広いかは分からないが、国というのは一枚岩じゃない。いつの時代にも政治には派閥がり、正規とされている事柄に対し反抗勢力は必ずあった。国全体を意のままに操るなんていう芸当は誰にも出来ない。

 しかし、ここは言い切る事が最善だと分かっているのだろう。

 この言い方、俺達を敵に回したくないらしい。何を企んでいるのかはひとまず置いておくとして、たしかに手は組んでおいた方が良さそうである。

 異世界からの来訪者。聞くだけでお近づきになりたいものである。


「それと、1つ言わせていただければ。グリーデュライが言おうとしていたのは、魔族と悪魔の相違についてです」

「悪魔はモンスターか何かだろう。デーモンとか」

「それもありますが、悪魔とは、魔族の中でも罪人を呼ぶ際の呼称なのです」


 罪人か、なるほど。そりゃ、国の最高権力を罪人呼ばわりされちゃ怒るわけだ。

 とはいえ、俺達はこの世界に来たばかり。そもそもこちらの常識すらまともに知らないというのに、そんなこの国特有の常識を知っているわけが無いのだ。

 だからこそファステンさんやルディは静観していた。あの武男が怒り出したのは、本当にオツムが足りていないからかもしれないな。

 それすら演技かも知れないという疑念は絶やさないでおく。先生が言ったとおり、魔族や魔王は、俺達にとって悪とも呼べる存在かもしれないのだから。

 しかし、先生がずっと笑っているから、多分敵ではないのだろうな。


「観察はお済みですか」

「ええ。少なくとも、君達は信用できます。そこで、信頼ついでに、失礼を承知で訊ねます。陛下、貴方は一体おいくつなのですか?」


 女性に聞いてはならない質問ですよ、それ。


「どうも先程から、貴方の精神年齢が、その10歳程度にしか見えない身体と一致しない。何故です?」

「……そう、ですね」


 その質問に、女王は初めて俺達から視線を逸らした。やはりアウトな質問じゃないですか、先生!


「……陛下」

「……分かっています。大丈夫よ」


 女王は一度、大きく深呼吸をすると、再び俺達へ視線を戻した。

 その瞳は、元の強い瞳である。


「私が魔王になったのは、今から357年前です。私が生まれたその日に、私は魔王としてこの玉座に座りました。ですから、私は357歳です」


 357歳ですかぁ。


 ……。


 …………。


 ………………。



 三世紀半も生きているのかこの女王?!



 うわ、リアルロリババアがここにいる。

 でも、実際に目にするとババアなんて言葉を使いたくないな。

 それに、あれってそもそも見た目は小さい女の子なのに、喋り方が年寄り臭いという意味じゃなかったかな。だから違和感があるのかね。

 この女王、子供らしい高い声のせいで、どんなに威厳のある喋り方をしても大人びているようにしか聞こえないのだ。

 まあ、さっきは怖かったが。

 うん、ロリババアは撤回だわ。


「な、長生きだぞー」

「長生きってレベルじゃないと思うけど」

「ふふ。しかし、魔王としてはまだまだ若いのです。先代の魔王であったお父様は、聞けば3万年近く魔族領を治めていたそうですから」


 女王の100倍?! おいおい、たしかにそれに比べたら、この女王が若いというか、赤ん坊そのものかもしれないと思えてきたぞ。


「……相当年上だな」

「ふふ、そうなりますね。ですが、敬称は必要ありません。公の場ではそうも行きませんが、どうぞ、私の事は【フィオル】とお呼びになってください」


 フィレウォッカの愛称、という事だろうか。これも信頼の証にしたいという事か?


「……分かったよ、フィオル。だが、万が一何かあったら」

「ええ。その時は私の責任です。契約を結んでも構いません。……ルディ」

「は、ここに」


 ルディはいつの間にか、巻物のような黄ばんだ紙と、紫色のインク、そして青白く発行している白い羽ペンを取り出していた。

 それらが何か、クッションのような物に乗せられている。

 ルディは女王……フィオルにそれを差し出す。

 フィオルが巻物を手に取ると、立ち上がり、ゆっくり歩いて俺に手渡した。


「内容はおそらく、読めるはずです」


 ……。

 思ったよりも、背が小さい。

 俺は見下ろす形で巻物を受け取り、中身を確認する。



【 魂の契約書

  汝 契約にて魂と心を束縛する覚悟を持つ者

  交わせし契約は汝に大いなる束縛を与えん

  覚悟をもって 以下に内容を記載せん


  我は彼の契約にのっとり、賢者様一行への蛮行を許さず。

  我は賢者様一行への、最大限の支援を約束する。


  以上を契約内容とし 契約とする


  フィレウォッカ=ファルティエ=ディゼイエシア 】



 ……。

 これは……。


「一方的な契約です。あとは血判を押せば、契約は終了します」


 血判って……。


「正式、なのか」

「ええ、この上なく。破けるような素材ではありません。炎にも水にも強い。そういった紙とインクを使用しておりますので、まず違反は出来ないかと。それに加えて、魔王の大いなる魔力を含んだ血判によって、強制力は相当です」


 それって、言い換えると……。


「ねえ、それ、奴隷みたいになっちゃわない? 最大限の支援って書いてあるけど、私達の望む事を全部、フィオルちゃんが引き受ける事になっちゃうよ?」

「フィオルちゃん……ですか。ふふ。大丈夫です。私が困るような事を、そう多くは言いつけて来ない方々だと信じておりますから」


 そう言うと、発光するペンの先を、黒いレース製の手袋を脱いだ指先に押し付ける。

 やがて、その指にじわりと赤い液体が滲んだ。

 フィオルは若干表情を歪めたが、すぐに改めて引き締めると、俺達が持っていた契約書に手をかける。


「私は魔王です。この国を、魔族を守るのが仕事。賢者様は、確かに今は弱いでしょうが……後々、世界に影響を与えるほどお強くなられるかもしれない。その時に、私は、賢者様の敵でいたくないから」


 ぐっ、と押し付けられた指の跡が契約書に赤く残る。

 途端、黄ばんだ紙は目が眩むほどの青白い光を放ち、やがて……何事も無かったように治まった。

 麻痺してしまった目を回復させようと何度か瞬きをする。幾何学模様の斑点が浮かび、視界が悪いが……今の光は、契約が完了したという事で良いのだろうか。

 そう何となく状況を飲み込み、数秒経って、ようやく視界がまともになり始めた時―― 俺は一瞬、目を見開いた。



 ―― フィオルは、自分が持っていた錫杖を、俺に向かって振り下ろそうとしていたのだ。



「―― ッ?!」


 次の瞬間、ガキュッ、と物凄い音が響いた。人に物が当たったような音でも、壁に物を投げつけたような音でも、まして人が人にぶつかった時の音でもない。

 たとえようの無い、しかし、何かが何かと衝突した時の音だとは理解できる、鈍くて、それでいて高い音である。

 反射的に瞑ってしまった目を、おそるおそる開けてみる。


「……陛下!」

「……ッ、……ぁ、はっ……」


 俺は無傷。

 他の全員も。

 しかし、フィオルだけは床に伏し、胸を押さえていた。

 まるで……呼吸がままならないかのように、苦しそうに悶えながら。

 その身体は淡い赤色の光に包まれ、同時に、契約書からも同様の赤い、というよりも赤黒い光が漏れ出していた。


「これ、は」

「……魔法を、知らない皆様には、実際に見て、もらわなければ、なりませんでしょう、から」

「契約が本物だと。証明したというのか? お前自身で?」

「……拘束力は、本物です。3度は試して、から、来ましたから……」


 3度、だと?

 見るからに苦しそうな様子だが、まさかこれを3回もやったというのか?!

 赤黒い光が消えると、フィオルの表情も少しだけ明るくなった。大きく息を吸い込む辺り、本当に呼吸がしづらかったのかもしれない。僅かな距離を歩いただけで、汗が滴るほど出るわけが無い。

 本物なのだ。契約書も、彼女の覚悟も。


「……分かった。今は、信じてやる」

「ありがとう、ございます」


 ルディの手を借りて立ち上がり、気丈に振舞って笑みを浮かべるが、その女王の顔色は優れない。

 女王の手から落ちた契約書は、黄ばみが取れた真新しい白に変わっていた。その内容は変わっておらず、筆跡も見た感じ、変わっていない。

 何より、血判の形が、先程フィオルがつけた物と同一である。

 仮に契約書を入れ替えたのだとして、フィオルの苦しそうな様子まで演技だとして。

 それでも、今は信じる事にしたのだ。

 見極めるための時間が必要である。

 その時間を稼ぐには、信じる他無いのだ。


 魔王。そう自負し、敬われるだけの実力を持つ者を、俺達だって敵に回したくない。

 彼女の言うとおり、俺達は弱いのだから。


「信じるついでに、もう1つ……お願いがございます」

「何だ? 信じるついでに、出来る事ならやってやるよ。料理でも芝刈りでも手紙配達でも」

「スイト君、何そのラインナップ」


 ハルカさん、ここは黙っていてくれ。

 一応。緊張の場面だから。


「ええ、その……と……」

「と?」

「……と、当面の間は、レベルを上げていただきたいのですッ!」


 何だろう。何か別の事を言いかけていたような。気のせいか? 声が上ずっていたり、裏返っているような気がしたりしているのだが、気のせいだよな。うん。

 あんな思い切った契約完了確認をする奴だ。隠し事ならもうちょっと上手くやるだろうし。


「レベル上げ、といってもなぁ」

「正直、皆様のレベルは、この世界で雑魚とされているモンスター:スライムに殺されても文句が言えない状態なのです!」

「「「スライム?!」」」


 スライム、ってあれだろ?

 ゲームに興味が無い奴でも聞いた事がある程度には有名なあのスライムだろ?

 俺達の世界でも、雑魚中の雑魚、キングオブ雑魚とされる、ゲーム序盤でしか敵にならない、あのスライム?! それよりも下だと?!


 や、まあ、今現在レベル1なわけだし、スライムに負けても文句の言えない序盤も序盤なわけだが。

 しかしスライムよりも弱い賢者、か。ちょっと、格好悪い響きだわ。


「そこで、皆様にはレベルを上げていただきたいのです。お願いいたします」

「そりゃ良いが……何をすれば良い? モンスターを倒す、とかだとは思うが」

「ええ、ですので、今からから行っていただきたいのです」


 今から?


「ルディ」

「はい。馬車はもう手配してあります」

「では、お願いしますね。私は執務が残っており、同行できませんが……」

「承知いたしました。皆様、これより外へ出向きます。お召し物はそのまま、僕についてきてください」


 ルディは微笑みながら、俺達が入ってきた方の扉へ歩いていく。

 そりゃ、女王自ら動くわけにはいかないか。


「話がちょっと上手く行き過ぎている気もするが……行くしか無いだろうな」

「うん!」

「だぞー」

「マキナが行くのであれば、俺が行かないわけにはいくまい」

「……ん」

「ええ」


 満場一致だな。

「じゃあ、行こっか」

「ハルカさん、もうちょっと緊張感を持たないか?」

「むしろ、スイト君は緊張しすぎだと思うな。肩の力は適度に抜いた方がいいよ」

「いやいや、ハルカさんは抜きすぎで……」

「そういうスイト君は入れすぎだと……」


 そんな緊張感に欠けた会話をしながら、俺達はぞろぞろとルディに付いて行く。

 ふと振り返ると、フィオルは笑顔で、俺達に手を振っていた。

 その仕草はどことなくぎこちないような気がしたが……気のせいだろうな。遠目だったし。

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