02 事件発生(嘘)

 長谷川晴香。彼女をうちの学校で知らない人間はいない。



 うちの学校は、長ったらしい名前とその自由さで有名な学校だ。他校からは泉校とか、いず学とか呼ばれている。

 その名も国立泉こくりついずみ鐘桜花清爛総合学園かねおうかせいらんそうごうがくえん

 こんな変にキラキラした中二ネームの名付け親の顔が見たい思いであるが、それはまあ良い。

 この学園は幼稚園と保育園、初等部、中等部、高等部、そして大学を兼ね備えた学園であるが、特別頭の良い人間が集まっているとかではない。

 ただ、変わり者が集まりやすい事は認める。


 そんな学園が、その学園公認で毎年『泉校総合男女別好感度ランキング!』というものを夏に行うのだ。初等部から大学が合同で部活を行うせいか、初等部の子でも大学の先輩を知っているので、ナイスバディの大学女子、爽やかイケメン大学男子が毎年上位にランクインするのだが……。

 時は俺達が初等部5年生の頃。

 かわいいとか、美しいとか、カッコイイとか、そういう事関係無しに人気順で評価された結果。


 ハルカさんは、3位に躍り出た。


 子供らしさ、初等部のかわいらしさが前面に出た結果だと言う奴も中にはいたが、その年だけでは終わらなかったのである。

 何と、この6年間。1位は取れていないが、2位から5位の間を行き来して、トップ5から引いた事が無いのだ。これは過去のどの先輩も成し遂げていない快挙。

 ちなみに1位になると絶対的に生徒会に入るように言われてしまったりする。

 ともかく、ハルカさんを知らない泉校の生徒はいない。

 良い意味で。

 そのハルカさんが、俺の名前を大声で呼んで、こちらに向かって走ってきた。

 それはもう、ただでさえ学年女子ナンバー1の速さの上、自己最速の猛スピードで。


「スイト君も来てたんだ?!」

「ああ、まぁ」


 猛スピードの後の急激な減速。

 ハルカさんは、俺の目の前まで迫っていた。

 栗色の髪と瞳。制服は上にブレザーではなくクリーム色のカーディガンを着ていて、彼女もまた俺と同じ学校指定の上履きを履いている。

 大きな瞳は潤んでいて、その表情はとても不安げ。


「えーと、何かあったのか?」

「うん! ちょっと、こっち来て!」


 俺の制服の裾を掴んで、グイグイと引っ張る。

 ちなみに、俺とハルカさんはこれまで会話らしい会話をした事が無いのだが。これはハルカさんのファンクラブ会員にとってラッキーかつハッピーな出来事なのだろうな。

 まぁ、俺はどうでも良いが。

 それに、彼女とはクラスメイトだから、話した回数はそれなりでも、ある程度気が許せる人ではある。

 だから、そう。


「分かったから、服、伸びる」

「ふぇ? わぁ! ご、ごめんなさい。でも、でもね。うん。そのぅ」


 階段の一段目に差しかかろうという所で、ハルカさんに状況の説明を頼もうと思った。

 の、だが。


「……待った。まず考えさせてくれ」


 まず、その状況を飲み込める精神状態にまで持って行きたい状況だった。

 えーと、これはどういう事だ?

 俺とルディ以外の人影は3つ。

 1つはハルカさん。

 1つは白衣の少女。

 そしてもう1つは――



 ―― カーペットにうつ伏せで倒れている、おそらく先輩であろう男性。



「む、君はたしか隣のクラスのカワネ君だなー? 君も来ていたのかー」


 ニヤニヤと、半眼でこちらを見つめる少女。眠そうに見える状態がデフォルトである彼女は、白衣を翻して俺に挨拶をしてきた。

 黒髪で三つ編みのおさげは白いリボンで結われ、黒い瞳は半眼のせいかあまり光が反射していないように見える。前髪は目に掛からないようピンで留められ、額が出ていた。細い黒縁のメガネを、クイッ、と持ち上げている。

 制服はブレザーを着用していないが、指定のベストは着込んでいるな。召喚時に外にでもいたのか、靴はローファー。黒いニーハイソックスを履いていて、首から上と手しか肌は見えない。


 ―鈴木槙那スズキ マキナ―。彼女はオカルトサイエンスクラブという、いかにも怪しげで、実際に何をやっているのか不透明な部活の中でも、一際異彩を放つ変人中の変人と呼ばれる少女だ。俺に言わせると、変人そうに見えるのは眠そうな眼のせいだと思うが。

 本当に噂どおり変人だとしても、まともな部類だと良いな。

 それと、彼女が言ったとおりマキナは隣のクラスである。


「ふっふふー。ハルカっちの次はカワネ君だぞー。後は誰が来るのかなー?」

「あと2人です。スイト様で4人目ですので」

「……ひゃわぁ?! う、うぅ、ウサギの耳がぁあ~」

「ハルカっちー? そんなに驚かなくても良いと思うぞー。ハルカっちの世話役だってこのウサ君と同じような感じだろー?」

「えっ、ち、違うよ! どうみても普通の人だったよ?! ウサギの耳も何も無かったよ?!」


 見ていて和む風景である。いくら見た目が怪しげでも、マキナさんは女の子。背が少し小さめでマキナさんがハルカさんを見上げる形になっているが、そこは同い年の女の子同士、気にせず会話が続いている。

 しかし慌てふためいたハルカさんをニヤニヤしながら見つめていたマキナさんは、満足そうにしながら俺へと向き直った。


「カワネ君、ちょっと良いかー。提案があるのだぞー」

「何だ?」

「ふふ、君は僕の事をマキナ、僕は君の事をスイトと呼ぶ。理由は、これから否応無しに長く付き合いそうだからだぞー。出来る事は、早めにやっておくに限るのだぞー」


 変わらない怪しげな笑みを浮かべたまま、マキナさんは小さな手をこちらへ差し出した。あまり外へ出ていないのか、日焼けの全く無い真っ白な手だ。

 考える限りデメリットの無い提案。

 俺は若干の間の後、静かにその手を取った。


「スイトは話が早くて助かるぞー。やはり頭脳明晰タイプは良いなー」

「そりゃどうも。……ところで、この状況は何だ? 見る限り、この人って」

「あー。僕のお兄ちゃんだぞー」


 ―鈴木那蔵スズキ ナクラ―先輩。

 俺達より二年年上で、マキナの実の兄。

 部活に入らず、スケットとしてあらゆる運動部に出没する男子生徒。

 マキナが文科系の有名人なら、この先輩は体育会系の有名人。どちらも変人として有名だが、泉校の歴史上、兄妹揃って変人認定されるなんて事は無かったはずだ。

 うーん。こうして見ると、うちの学年って妙に有名人が多いかもしれない。


「いやー、うるさかったからこう……麻酔をだなー……くふふ」


 おい。


「ちゃんとすぐ目覚めるように量は調節しておいたぞー? その時までに説明が始まっていると良いなー。……合理的におにいちゃんを黙らせられるぞ」


 急に語尾が伸びなくなった時は、大抵真面目な発言の時。

 その半眼は、眠そうな印象から睨みつけるような印象に変わっていた。

 ……どうやら、単なる仲良し兄妹という事ではなさそうだ。


「あー……と。ルディ、陛下とやらはいつ来る?」

「皆様がお集まりになり次第、すぐに。ただ後のお二方は、まだこちらに向かい始めたばかりのようです」

「そうか。ならもう少し待つ事になるな」


 この城、どうやらかなり広いらしいし。仮に俺のいた部屋から近い場所にその2人のいる部屋があったとして、俺がこの玉座の間まで来るのに15分程度かかったからな。


「むぅ、少し時間を読み間違えたぞー……。もうちょっと早く出来ないのかー?」


 どうやら、麻酔が切れる頃合が近いらしい。マキナはイラついた様子で部屋の出入口を睨みつけた。小気味良いリズムが小さな足から聞こえてくる。

 ハルカさんはそんなマキナの様子にオロオロしているし、ルディもマキナの様子にソワソワして落ち着かない。微妙に張り詰めた空気が、この広い空間を満たしつつあった。

 息が詰まるほどではないが、息がしづらい程度には充満しかかっている。

 こっちも15分待てなくなりそうだ。

 現に、ハルカさんの潤んだ目が「何か無いの?!」と必死に訴えかけてきている。しかし、俺はマキナの機嫌の取り方など知らない。諦めてくれ、ハルカさん。

 その思考が伝わったのか、ハルカさんの顔は青褪める。


 いや、そんなに落ち込む事は無いと思うぞ?

 この空気は非常にいたたまれないが、本当にどうしようもないのだ。

 うん、本当にごめん、ハルカさん。

 だからそのジト目をやめてくれないかな?

 というか、そもそもこの先輩はマキナに何をしたのだろうか。正直物凄く嫌われていそうな雰囲気なのだが、ついさっき会ったばかりの俺にも伝わる嫌悪感の度合いが半端無い。

 目を覚ましたら、聞いてみても――



「―― 俺 様 復 活 ☆ ! 」



 ……。

 目にも留まらぬ速さで倒れ伏していた先輩が立ち上がり、両手を天井に向け雄叫びを上げる。

 それはもう、脳が揺さぶられて、軽く脳震盪を起こしそうになるくらい。や、勿論比喩だが、そのくらいの音量はあったぞ、今の。


「ハッ! ここは……?! お、おぉお、我が妹よッ! 無事だったのか!!!」


 常時大ボリュームの台詞に、頭がぐらぐらと揺れる。や、勿論比喩ではあるが。

 マキナ曰く、麻酔で眠らせていたらしいが……。麻酔が切れたばかりとは思えないような素早い動きで、マキナを両手で持ち上げて振り回す。

 子供にやると喜ばれる、高い高いの回転バージョンである。

 あ、マキナが耳栓を使って声の侵入を防いでいる?! なるほど、対策はバッチリというわけか。


「お兄ちゃん、うるさい。降ろせ」


 辛辣、ではないな。もっともな言葉がマキナから飛び出し、先輩が「む?」と先輩は小さく唸ってから、優しくマキナを地面に降ろした。

 俺がこの先輩を間近で見るのは初めてだ。だが、全くマキナに似ていないという事だけは言える。


 黒目黒髪はマキナと同じなのだが、マキナと正反対と言える焼けた肌、パッチリと開いた目、そして何より年がら年中外で活動しているせいか出来上がった肉体。所謂細マッチョであろう、鍛え抜かれた筋肉が、肌寒くなってきたのに未だ変わらない夏服に映える。

 先輩の周りだけ、まだ夏みたいに見えた。言い方を変えれば、見ていてとても暑苦しい。

 俺は制服を着崩しちゃいるが、ブレザーは羽織っている。対して先輩は半袖シャツに風を通しやすい夏用のスラックスを着用しているのだ。


 さすがに冬までこんなでは無い事を祈る。

 見ていて寒くなりそうだ。

 それにしても、あんな高いテンションだったら実の妹でも降ろす時に勢いが付きそうなものだが。上手くセーブしていたらしいな。


「マキナよ。ケガが無くて安心したぞ。俺はどのくらい寝ていたのだ?」

「知らないぞー」

「ほう、30分か。それなりだな。知らない奴と話さなかったか?」

「平気だぞー」

「ほうほう、知り合いではあったのか。ならば大丈夫だな! マキナはしっかり者だからな! ハーッハッハッハッハ!!!」


 言葉がおかしいのに、微妙に会話が成立していないか?

 仁王立ちで笑う先輩は、マキナから冷え切った視線を浴びながらも、それを跳ね除けるほどの大声で笑い飛ばす。


「す、凄まじい人だね。クラナ先輩」

「ナクラ、先輩な。まあ、うるさいと言われても文句が言えない人ではありそうだ」

「う、うん」

「そうですね。ナクラ君は少しばかり声が大きく、少しばかり態度が大きいですからね」


 そうそう。少しばかりという範疇は越えていそうだが、声は大き……。

 ……。


「ほわぁ?!」

「ははは、長谷川さんは非常に面白い反応をしますね。いや、驚かせてすみませんでした」

「えっ、えっ? 先生も、此処に? えっ?」

「ははは」


 満面の笑みを浮かべ、困惑するハルカさんを優しく見つめる先生。身長は俺よりも上で、サラサラの耳に掛かった黒髪を弄りながら、朗らかな笑顔が絶えない人。

 ―三浦明継ミウラ アキツグ―先生。何と、俺とハルカさんの担任の教師である。2ヶ月ほど前に、泉校の高等部へ赴任してきた新任教師。年齢は24歳で、実に若い。


 泉校が超絶自由な校風である事は以前言ったよな。教師と生徒がとてつもなくフレンドリーに接していたり、おかしな部活があったり、制服は実は着ても着なくても良かったりと。髪染めはOKだし、ペンダントやイヤリングなんかも着用可。

 でも不思議と不良的な奴はいなかった。


 そんな泉校だが、そんな自由すぎるとも言える校風のおかげで、よく調子に乗った新任教師が赴任させられていた。

 実は泉校、学園を去って行く教師が後を絶たない。最速では1週間、長くて1ヶ月。それだけの間しか、泉校にいられなかった教師が大勢いるのだ。

 理由は単純。生徒と教師は超絶フレンドリーではあるが、それでも、生徒という身分と教師という身分は違うのだ。その違いを生徒に見せ付けなくてはならない。

 簡単に言うと、特技とは違う一芸を持っていなければならないのである。


 たとえば、美術教師を唸らせる器用さと、その手で作った作品。

 たとえば、どの生徒にも負けない身体能力。

 たとえば、家庭科の先生が驚愕するほどの、超人的な裁縫の腕前。


 何でも良い。ただ1つでも生徒を唸らせる特技以外の妙技があれば。特技なんてものは赴任時の自己紹介で知られているのだから、ギャップのある、面白味のある、そんな一芸を生徒は求めてやまない。何故なら赤ん坊の頃から、こんな自由な学園で生き残ってきた先生達の一芸を見ているのだから。

 要するに目が肥えているのだ。大阪の人間がお笑いにうるさいのは有名だろう? それと同じさ。だから泉校にいる教師に、普通なんていう肩書きの教師は存在しない。

 当然、この先生もそうだ。


 見た目はどこにでもいそうな地味な印象だ。スーツは堅苦しいからとあまり着ないが、だからといって、奇抜だったり流行を抑えた爽やかなファッションだったりはしない。本当に、清潔感はあるが目新しい服ではない、という感じなのだ。

 髪だって緩い天然パーマのかかった黒髪。細い青縁のメガネは特に変わった模様があしらわれているわけでもない。


 一応体育の先生、のはずだが、かなりヒョロッとした体格で運動が出来るようには見えないし、着やせするタイプというわけでもないのだ。太ってはいないし、痩せてもいない。そして、あまり筋肉が付いていない、いわゆるもやしみたいな体型である。

 しかし、不思議な事に誰よりも体力があり、誰よりも記憶力が良い。そしてこの、誰よりも、という言葉は泉校生徒の大好物である。


 新任のほとんどが1ヶ月ほどで出て行く泉校の中において、先生はどのベテランな先生よりも生徒達から人気を博した。

 時々持ってくる、タロットカードを初めとした占いは、脅威の正確率100%。美術科目であるデッサンをやらせると、美術の先生が卒倒するほど上手かった。とても人間とは思えないスペックを誇る人間。それがこの先生なのである。

 新任なので比較的俺達と近い年齢である事も、好かれる理由かもしれない。しかし何よりこの先生は恐ろしい特技を持っていた。

 人の考えを読む事が出来るのだ。恐ろしいほど正確に。


『先生、こんにちは』

『あ、はい。試作ゲームを学校でやりたいと? そうですね、ゲーム機を繋げられる機材はほぼ全ての教室にありますから、では、視聴覚室にしましょうか。あそこなら周りの音が気になりませんし、大画面でする事が出来ますよ』

『あ、ありがとうございます』

『いえいえ。視聴覚室は明日の放課後が空いていますから。それにしても、新作RPGですかー。完成品が出たら一緒に遊びませんか? ネットに繋げられれば、一緒に出来ますよね。……あぁやはり。僕もRPGは好きですからね』

『は、はい。その時は、是非』


 と、俺が全く喋っていないにもかかわらず、先生は勝手に話を進めたのだ。まぁ、全部言おうとしていた事だったのだが……。

 タツキから教室を借りるように頼まれていたので、タツキが話したなんて事はありえない。

 エスパーかよ、とツッコミそうになったのだが、それは抑えて話は進んで行った。

 本当、どうやって知ったのか未だに不思議である。


 まあそんな先生がいる事に驚きつつ、更にその後ろでもぞもぞ動く小さな影に視線を移す。ハルカさんが慌て始めていたので、出てくるタイミングを失ったのだろう。

 先生と同じく、緩いパーマのかかった焦げ茶色の髪をポニーテールに結っている少女。髪留めには赤く、大きなリボンが使われている。

 同い年なのだが、その背は初等部の高学年程度。制服でなければ子供だと勘違いされそうな背丈、ブレザーやスカートをキッチリと着こなす姿。ハルカさんや俺と同じクラスの―纏依優マトメ イユ―。かの有名な手芸部に入っている、とても声の小さな少女である。


 何が有名なのかって?

 手芸部って、普通なら文化部を思い浮かべるだろ?

 だが、泉校の手芸部は違う。

 誰がどう見ても、あれは運動部なのだ。


 誰が予想しただろうか。

 裁縫のために製糸から始め、染色や服のデザインまで、その全てを短期間で大量に作る。そのための体力作りと称して、山の急斜面をハイペースで登る。それだけだとバランスが悪いからと腕も鍛え、指のしなやかさを保つ為に度々吹奏楽部に混ざる。


 ……等々、他、多数。


 真剣な運動部も仰天のスケジュールが毎年、毎週、毎日組まれているのだ。その上勉強もきちんと出来ていなければ退部させられる。

 部活についていけなくとも退部させられる。

 こんな厳しさから、文化手芸部という平和的な手芸部が発足されているほど厳しい。

 それでもこの手芸部に入っている、そして生き残っている生徒は10名を越えるのだから恐ろしい。


 イユは、たしかに背が小さいし、声も小さいし、態度も結構控えめ。出るところは出ているのだが、背が小さいせいで全体的にふっくらして見えるのも『小動物』と表現されるゆえんだろうか。

 だが、手芸部の部員なのだ。

 しかも、初等部の頃から、ずっと。

 色々小さくとも、体力は無尽蔵に近い上、腕力も男子平均よりかなり強い。体育で苦手なのは、走る時の速度が関係するものくらい。ロッククライミングをやらせたら同学年で勝てる者はいない。

 あ、水泳も苦手だったか。

 まぁともかく、色々と規格外なのだ。


「……ぃ……」

「ああ。そうだな。イユの声が霞むわな」

「……ぅ……」

「うーん、そうだろう。俺は大丈夫だが、ハルカさんがさっきからわたわたして忙しそうではある」

「わたわたしてないよ?!」


 突如として大声を出したハルカさんに、イユはビクついて、俺の後ろに隠れてしまった。あ、こういう所は小動物っぽいかもしれない。


「……ん」

「ハルカさん、イユがごめんって」

「えっと、さっきから物凄くちっちゃいイユちゃんの声を、実に正確に聞き取っているのかな?」

「? そうだが?」


 どこと無く文脈がおかしいぞ、ハルカさん。


「私は今くらいの声だと聞き取れないよ……」

「幼馴染だからな。腐れ縁とも言う」

「それは私もだよ? 私だってちっちゃい頃からイユちゃんとお話しするの好きだったよ?! でも今のは聞き取れなかったよぅ!」


 わっと泣き始めるハルカさん。

 ……。

 …………泣いた、だと……?


「あ、いや! これは俺の耳が他の人より優れているからであって、決してハルカさんが悪いわけじゃないからな?! ほら、普通ならうるさい商店街で、鳥の羽が落ちる音なんか聞こえないだろ?!」

「……スイト君って何者?」


 泣いていたハルカさんが、突如として涙を引っ込めて俺を怪訝な顔で睨みつけた。

 俺もさすがに、人通りが激しい商店街では聞こえないが。まあ、人と会話している時にくらいなら聞こえるので、若干上方修正を入れたまでだ。

 突飛な発言でもして泣き止ませないと、何か恐ろしい事が起こる予感がした。


 ハルカさんのファンクラブ会員共が、時空を超えて殺気を送り込んできそうだったのだ。どれだけ引かれる状況になったとしても、泣き止ませるためなら仕方が無い!

 とはいえ、空気が異質な物に変化したような気はする。

 結構な大声での発言だったからか、俺以外の召喚された5人が全員俺を睨みつけたのだ。

 居た堪れない気持ちになる。

 だが、これ以上の発言は更に空気を悪くしそうで嫌だなぁ。何か無いのか?


「あ、あの……」

「何だルディ?!」


 とまあ、表情には極力出さないようにしていたが、内心相当焦っていたのか声が上ずった挙句裏返ってしまった。

 顔が物凄く熱くなる。


「え、と。その。陛下がお着きになられました、から。あの」


 非常に申し訳なさそうに、ルディはウサミミを垂れさせて教えてくれた。

 陛下、魔王の事だな。

 ようやくお目通りが叶うというわけだ。


「まるで何事も無かったように思考モードへ移行したぞー。ハルカっち、どう思うんだぞー?」

「え、あ。べ、別に良いと思うな? ……空気重すぎだったし……」


 ……。

 ま、まあともかく、ここが俺の予想通りの世界であれば、魔王は『彼女』の事を指す。

 それが当たっていたところで新たな謎が浮上するだけなのだが、それはそれで1つの確定事項が生まれるという事なので、知る事には抵抗が無い。


 魔王、か。

 ルディの態度は恭しいが、それ以外の奴が礼儀正しいとは限らない。

 それは魔王にも当てはまる。

 十分用心しておこう。

 心構えだけでも、しっかりしておこう。

 これから、何が起こったとしても。



「魔王陛下のおなぁ~りぃ~~~っ!」



 玉座の後ろには豪勢な扉があった。その前に控えていたらしい騎士が鎧の中からくぐもった声で宣言し、両開きの扉が軋みながら開いていく。

 その奥に―― 彼女はいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る