第一章

01 幻想的現実

 目覚めると、そこはゴーストも真っ青になりそうなほど青い空間だった。


 ふわふわのベッドも、天井から降りてきているカーテンも、そして俺自身が身に纏っていた服でさえも。その全てが青で統一されている。

 それどころか、カーテンを開けた先も青い。


 絨毯、壁、天井、調度品に至るまで、その全てが青いのだ。

 濃淡や色みの僅かな違いはあるが、全てが青と呼べる色である。


「お目覚めになられましたか?」


 俺が起きた事を察したのか、どこからか声が聞こえた。音は高いが、女性ではなく男性のもの。変声期を過ぎていない少年の声である事が分かる。

 ベッドのある空間と、それ以外を仕切る木製のパーテーションの先から、声は聞こえてきた。


「……っ」


 知っている人の声ではない。そして知っている場所でも無い。

 俺は少年? の声に即座に答えられなかった。


 少年は俺が不信感を抱いているのを理解しているのか、そのまま言葉を続ける。

 その声は滑舌の良いもので、実に聞きやすかった。


「現状の説明をいたします。このまま説明する事も可能ですが、朝食を用意させますので、こちら側で説明する事も出来ます。お召し物はベッドの横にあるタンスの上に。いかがなさいますか?」

「……説明?」

「はい、今貴方様が、何故この場所にいて、ここがどこなのか。簡単ではありますが、説明させていただきたく思います」


 少年の声は、仕切りに邪魔されていてもハッキリと聞こえてきた。相当近くにいるらしく、仕切りの下の隙間から、僅かに少年のものらしき足が見える。


 絨毯に頬を擦り付けてまで見たのだが、少年は台詞の後、一歩下がっただけでその場を動こうとしない。俺の返答を待っているのだろうか。

 それとも、着替えるのを?


「……着替えてからでも、良いのか?」

「はい。お待ちします」


 ……。


 待ってくれると言うなら、着替えよう。話はそれからだ。

 着替えとして置かれていたのは、きれいに洗濯された制服だった。間違い無く俺が着慣れた学園の制服である。その事に安堵しながら、慣れた手つきで着替えを済ませた。


「おはようございます」


 間仕切りの向こう側に、一歩踏み出す。

 そしてすぐさま声をかけられて、その声の方へ反射的に目線を向けた。

 思わず、息を呑む。


「早速ですが、こちらへお座りいただけますでしょうか」


 堂々とし様子でこちらを真っ直ぐ見つめる少年は、近くのテーブルへ手を向ける。


 その少年はとてもきれいな顔立ちをしていた。金色にも見えるプラチナヘア。緩いパーマのかかった髪は肩まで届かない程度の長さで、前髪が僅かに目にも掛かっている。

 その瞳は思わず見とれるほど深く、澄んだ空色。赤みを帯びた頬と唇以外は、髪は元より肌が白く、いかにも世の女性が羨みそうな美しさである。


 もっとも、彼は男性であった。それが分かる程度には身体が出来ている。


 ただ、たしかに女性であったなら絶世の美女だとか言われてしまいそうな容姿ではあるが、今はそれどころではないのだ。俺が最も驚いたのはそこじゃない。


 その、頭にあったのは―― ウサギの耳だった。


 髪と同じ、見方によっては金色にも見えるプラチナカラー。時折風も無いのに揺れ動く、どちらもピンと立った耳。どう見ても柔らかそうで、窓から入ってくる陽光にキラキラと輝いた。


 黒い燕尾のベストに白い詰襟のシャツと赤いネクタイ。膝丈の黒いパンツに白いハイソックス。ベストはあまり光を反射せず、それが真っ白な彼を引き立てていた。


「お初にお目にかかります。僕の名は― ルディウス=ラービリヴィエ ―。この度、貴方様の世話係を申し付けられました。ルディとお呼びください。よろしければ、お名前を伺いたいのですが」

「……―風羽翠兎カワネ スイト―。スイトで良い」

「スイト様、ですね。承知いたしました。では、こちらへ」


 パーテーションの向こう側も、青一色で統一されていた。部屋の中央には、片側に5人ほどがゆったりと座れるスペースのあるテーブルと、合計10個のイスが設置されている。しかし、この部屋の出口と思われる両開きの扉だけはチョコレート色だ。


 俺はルディに案内されるがまま、イスの1つに腰掛けた。

 するとタイミングを見計らったかのように、白い布を頭からかぶって顔を隠した人が食事を乗せたワゴンと共に部屋へと入ってくる。


 瞬く間にテーブルに料理が並べられ、あっという間に出て行ってしまった。

 その間、僅か30秒。


 ……あれ、人間か?


「……えっと」

「あれは我等がアヴァロニア自慢の料理人でございます。しかし、スイト様には刺激が強いであろう容姿のため、本人の希望で隠しているのです。無礼は承知ですが、平にご容赦を」

「ああ、うん」


 これはあれか。噂の異世界転生というやつか。あ、俺自身は転生していないから、異世界転移だな。

 そうでなければ、ウサギの耳が頭から直接はえている人間など、目の前にいても信じられないだろう。


 さっきさりげなく見たけど、尻尾もあるようだし。


「朝食をいただく合間に説明させていただきます。どうぞ」


 朝食、という事は、今は朝という事なのだろうな。朝という時間帯があるなら、昼や夜がある。であれば俺のいた世界と同じ時間感覚なのだろうか。


 フォークとナイフ、スプーンに箸、か。現代日本でもあまり見ない食事道具のラインナップ。


 用意された料理は玄米、ベーコン、目玉焼き、レタスとミニトマトのサラダ、コーンスープ、そしてオレンジゼリー。料理は全て白い陶器の皿に盛られ、飲み物は緑茶で、透明なグラスに注がれている。


 異世界特有のおかしな材料は見受けられない。


 どこと無い安心感に胸を撫で下ろし、俺は適当に料理へと手を付け始めた。

 ん? この玄米、色は薄茶色だけど、味や触感は白米だな。色からして玄米とか、炊き込みご飯とかでも通る色なので、ちょっと見慣れない。小さな異世界感に気分が高揚してしまう。


 別に小説の中でしかないと思っていた異世界転移に憧れを抱いていたわけではない。だが、いざ転移させられると、こういうちょっとした違いにも驚くものなのか。


「で、ここはどこだ? ルディの耳からして、多分異世界か何かだろうが」

「思ったよりも冷静ですね。異世界召喚に経験が?」

「こんなのが何度もあって堪るか! 俺の世界にも、そんなストーリー仕立ての小説やゲームがある。体験はしていないが、その可能性に思い至る事はできるんだ。そんな事より、それを肯定するって事は、ここが俺のいた世界とは別の世界だと考えて良いんだな?」

「……はい。話が早くて助かります」


 ルディは僅かに頬を緩ませたが、ハッとなって、一瞬で真剣な表情を作った。

 中々に真面目な話と考えて相違無いようだ。


「スイト様が仰る通り、この世界はスイト様がいた世界とは異なります。かなり簡単に説明しますと、魔法やモンスター、獣人に亜人が存在する世界です」

「お前達が俺を呼んだ、のか?」

「いいえ。我等ではございません。しかし間接的に言えば、そうでしょうね。我々は『彼等』と敵対関係にあり、だからこそ『彼等』は召喚を断行してしまったのでしょう」

「……『彼等』とは、何だ」


 そうルディに訊ねる俺の中には、僅かに予感があった。ルディの耳や、頭から布を被っていたコックの事から考えても、やはり、ここは。



「―― ここは、魔王陛下が統治する、魔族領です」



 ルディは苦い顔でそう言い切る。

 この表情からして、この事を伝えるのには抵抗があったらしいな。魔王に魔族と言えば、イメージは勇者と対立する『絶対悪』だ。それを知っているらしい。


 なら、この世界では過去にも召喚があったのかもしれないな。


 蒼き客室。モンスターの出ない、真っ青な部屋。あの試作ゲームの中で、魔王城に設置された数少ないセーブポイントの1つだった。試作ゲームではただ青い箱のような部屋だったのだが、魔王城の中心部に近い場所にあったありがたい場所だ。


 魔王城に青い部屋。この世界はあのゲームの中、という事なのか? いやまあ、試作とは思えないクオリティだが、あえて完成版の世界に入り込んだと考えれば辻褄は合う。

 なら、俺とタツキがあの時に選択した『ぃえす』のせいで、こちらに来てしまったのか。


 いや待てよ? ルディは異世界転移、ではなく、召喚と言ったな。


「1つ聞かせてくれ。俺は召喚されたのか? 俺がこちらへ赴いたわけではなく」

「? はい。常にこちらの世界で召喚が行われ、素質ある者が選ばれてこちらへ来るようです。ただ、多くは人族側が召喚主ですね」


 おい、言っている事が矛盾しているぞ。

 さっき、俺を召喚したのは自分達ではないとハッキリ言っていたじゃないか。本当にここが魔族領なら、魔族だというお前等が俺を召喚した事になるだろうが!


 と、考えつつ、別の可能性も模索してみる。


 目の前にいるルディは、嘘をつくような奴に見えないのだ。まあ、ウサギの獣人だからかもしれないが。俺の名前は翠兎で、漢字にウサギが入っているからな。どうも贔屓目に見ている気がしてならない。


 とはいえ疑ってかかっては怖がられるかな、などと考えて、矛盾しない方向で物事を考えてみる。


 召喚は魔王以外の者がやった。

 この世界には人族が存在する。

 俺は今、魔族領にいる。


 ……ふむ。


「人族と魔族で、召喚される者が違う、のか?」

「! はい。そうです。人族側には勇者、魔族側には賢者が召喚されます。たとえば人族側で召喚が行われた際、こちらには賢者様が召喚されてしまうのです。召喚事情について、人族側では色々と失伝しているようですね」


 人族の方が召喚する事が多い、と言っていたな。なるほど、魔族側ではこの世界へ賢者とやらを呼び寄せて力を得る代わり、敵である人族にも同様に力を得させてしまう事を知っている。だから、魔族側では賢者を召喚する事が少ないと。


 逆に、人族側では召喚の際のデメリットが失伝しているために、魔族側よりも異世界召喚をする可能性が非常に高い。か。


 人族が悪で、魔族が善のタイプの異世界召喚という可能性があるわけだ。

 むしろその線が濃い。ルディの態度は妙に恭しいからな。


「俺が賢者、なのか?」

「それは……えっと」

「?」


 ルディは歯切れ悪く、こちらへ目を向けたり、背けたりを繰り返した。


「あ、その。……異世界召喚には成功と失敗があるのですが、成功した時は世界に何らかの危機が迫っている事の表れでして。危機の度合いは、召喚成功した際の人数によって分かるのです。1人でも召喚が成功すれば大事件で」

「要するに?」

「……スイト様の他にも、5名、召喚されております」

「はぁ、なるほどな」


 それでオロオロしたわけだ。

 つまり、誰が賢者様なのか分からないという事なのだろう。


「俺も含めて6人か。多い方、だよな。賢者自身が1人来ただけでも大騒ぎなんだろ?」

「はい……。記録を見る限り、賢者様を含めた3名以下であれば例も幾つかあるのですが……」


 4名以上の記録は無し。異常事態である。


 世界の危機というのは、多くの場合人族と魔族の戦争のことを指すそうだ。戦争が激化し、勇者と賢者の召喚が成功し、やがて戦争が終息するとどちらも元の世界へと帰って行ったらしい。


 この話から察するに、召喚はあくまで人族や魔族の手で行われるが、本当に召喚するか否かは世界の意志とやらが決定するらしい。


 世界の意志。おそらく、俺はそれの声を聞いた。

 たしか、そう。あの試作ゲームの画面がおかしくなって、例の質問が表示された時。ぃえすを選択して、不思議な感覚に呑まれた時に聞いたはずだ。



【 申請を受理しました 『異世界の賢者』を歓迎いたします 】



 あまり抑揚の無い、不思議な声が聞こえた。声だけで判断するなら、それは若い少女のものだったように思う。あの時の『異世界の賢者』とは何の事だろう? こちらでは勇者、及び賢者の召喚が行われたのだから、それに由来するのだろうが。


 申請とは何か。異世界の賢者とは何なのか。

 タツキは、こちらに来ているのか。


「なぁ、俺と同じようなデザインの服を着た、タツキっていう男はいなかったか? 俺の親友で、こっちに来る直前まで俺と一緒にいた奴だ」

「あ、と。少々お待ちください」


 ルディはベストのポケットから何かを取り出した。手にスッポリ収まるサイズで、その姿は見えないが、ほんのりと淡い青色の光を放っているようだ。

 ルディがその何かを握った手を胸に当てると、手から僅かに光が漏れたのである。


「―― 申し訳ありませんが、魔族領に召喚された方の中に、タツキというお名前の方はいないようです。スイト様を含めた3人の男性の中に、その名前は無いのです」


 悲しそうに、申し訳なさそうにこちらの様子を窺ってきたルディ。表情に合わせウサミミが垂れ下がり、ゆっくりとポケットに何かをしまう。

 連絡ツール、だろうな。仲間と連絡を取って、タツキが居ないか確認してくれたのだ。


 タツキは賢者というより勇者のような性格なので、こちらにいると逆に驚きそうだけどな。

 誰とでもすぐ仲良くなれるからなぁ……。


「その。こちらにいらっしゃらないのであれば、勇者側にいるかもしれません」

「ああ、うん。それは分かる。来ていない可能性もあるし。なあ、俺の他にも来ているのって誰だ?」

「あとの5名の事ですね?」

「ああ」

「名前だけですが……男性はアキツグ、ナクラ。女性はハルカ、イユ、マキナ……だそうです」


 ふむふむ。

 何だろう。


 どれもが非常に聞き覚えのある名前だった。


 アキツグとハルカは結構どこにでもありそうな名前だ。ただ、ナクラ、イユ、マキナとくると、どう考えても思い当たる節がある。


「ちなみにですが。代々召喚される者は全員、お互いに知り合いだそうです。賢者と勇者でもそれは当てはまりますね」


 と、いう事は……。


「この後、魔王陛下に会っていただきたいのですが、よろしいでしょうか」

「ああ。そこに『みんな』来るのか?」

「はい」


 俺が賢者か否か、最早それは問題ない。どうやら自分の意志で来るような場所じゃないらしいからな。その場合、あのゲームでの選択は何だったのかが疑問だが。

 ともかく、確かめなければなるまい。


 ルディの口から出た人物名が、俺の知っている者と同一人物なのかを。女子若干3名ほどは、ある意味で要注意人物と同一の名前なのだから……!


「では、参りましょうか」


 ルディは俺が食べ終わった所を見計らって席を立つ。


 行かないわけには、いかない。


 外には先程の料理人と思われる、白い布をかぶった人がワゴンと共に待っていた。その人と入れ違いになるように部屋の外へと出て、靴箱に入っていたらしい、見慣れた学校指定の上履きを履く。そういや視聴覚室から直接こっちに来たんだっけ。


 それからしばらく、ルディの後に付いて長い廊下を歩く。

 白く高い壁に天井。床は真っ赤なカーペットが道を作り、一定の間隔ごとに設置されたランプが不可思議な光を放っている。暖かなオレンジ色の光。その一部が蝶の形を作り、しばらくランプの周りを飛び回り、光の粒子となって消えていく。


 儚く、淡く光るそれは、静かに、しかし確実に場を照らす。


 ルディの耳もそうだが、ここが異世界であると、まざまざと見せ付けられた気がした。

 ともあれ、ほのかに薄暗い空間が続き、やがて大きな扉が見える。

 ルディは大きく、細かな装飾の施された扉に手をかけると、深呼吸をした。


 どうやら、ここが『魔王陛下』のいる部屋らしい。


「ルディにございます。スイト様をお連れいたしました」


 その声に反応するかのように、ギィイ、と、耳に障る音が響き、やがて何かが嵌るような音が辺りに響き渡る。手も触れていないのに、大きな扉が開いたのだ。


 扉の先には、とてつもなく広い空間があった。

 廊下よりも高い壁と天井は真っ白で、見れば縦長の長方形をした部屋だと分かる。下手するとうちの高等部の体育館と同じかそれ以上あるかもしれない。


 廊下から続く真っ赤なカーペットは、部屋の奥まで通じていた。

 奥の真ん中から広がるようなデザインの、縦幅のある5段ほどの階段が見える。その階段の最上段に玉座と思われる紅いイスがあり、それを眺めていた幾つかの人影がこちらへと視線を移した。


 俺達の姿を確認するや否や、全速力で向かってくる人影に、俺は身構える。

 それは、俺が予想したとおりの人物だった。



「―― スイト君!!!」



 ―長谷川晴香ハセガワ ハルカ―。それが彼女の名前である。

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