彼方の塔
澄んだ空気が肺に染み込んでいく。夾雑物が消え去った大気は地平の彼方の鏡像をもこの目に映し出す。
この大地に冷たい楔は穿たれず、その残滓はゆっくりと太陽に解凍されていく。
長い時が過ぎた。緑豊かな大地は絶えず呼吸をし、鳥は歌い、植物はあたりを悠々と覆い尽くしている。
かつて、この大地には大量の人間が跋扈していた。今はもう、かつての繁栄は見られない。
この都市を異常気象が襲った訳ではない。
大地はより青々と生命を滾らせ、朽ちた信号機をを鮮やかに彩っている。
この大地を海が飲み込んだ訳ではない。
海原は穏やかに、これからも生命の母であり続ける。
この惑星を隕石が粉砕した訳ではない。
見渡す限りの世界は傷一つなく、かつての裂傷は既に癒えている。
事は単純な話で。
あれ以来、人間は真綿で首を絞めるように、切りつけた手首から滴り落ちる小さな血流のように、徐々に自らの種を衰退させてきた。
その数がかつての半分になろうとも、昨日笑いあった人間であったとしても、とにかくがむしゃらに走り続けた。
緑に覆われた虚栄の都市は静かにその姿を溶かし始める。
崩れ去る翠の廃墟の傍らを少女が駆け抜けた。
少女は眼下に広がる苔むした黒い地面に持っていた道具を突き立てる。
硬い地面はそれをたやすく受け止める。
何度やっても削れない地面に腹が立った少女は地団駄を踏むと、ふくれっ面をしながら辺りを見回した。
少女は円形の石の足元が他と違う色をしているのを見つけた。
その輪のうちには濁った水が溜まって、そこから溢れ出した水が土を潤していた。
少女は再び、その地面に持っていた道具を突き立てる。
さくり、さくりと泥を掘っては地面の上に広げた。
しばらく掘り続けると彼女は少し目を見開いた後に肩をすくめた。
「ようやく見つけた。これが無色の土なのね」
両手に掬ったやわらかい土がパラパラと地面へ降り注ぐ。
自分の手に目を下ろすと茶色い粒が手のひらにくっついていた。
少女は満足そうにそれを認めると、持っていた袋にその土を放り込み始めた。
「私のところのあの紅い土じゃ、ろくに作物が育たないからなぁ」
大地の各所の地面は掘り返すと紅い土が出てくる。そこに新しい生命が宿ることはない。
この星に出来たシミのようなそれはかつての災禍の骸だった。
そんなことを知る由もない少女は無色の土を詰め終えた袋を背負って故郷へと向かう。
歩きながら少女は地平の彼方へ視線を向ける。
何もその視線を妨げるもののない、平らな大地に朧気に見える彼方の塔。
彼女の眼には始まりへ朽ちた世界が映し出されている。
遠き、世界の物語。真実はこの星の果て、氷の裡に。
ふたつにひとつの御陵さん 猿烏帽子 @mrn69
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