六両目のカルネアデス 1/2
「ヴォネガット教授――――――!」
状況が分からない。何故彼女の右足、膝から下が切断されている?一番窓側の席にいた彼女のそばの車窓は何かが突き破ってきたかのように割られていた。
幸い、真ん中の席に座っていた佳奈はトイレで離席している。ガラス片が彼女の座っていた座席にいくつか突き刺さっていた。それに加えて、何枚かの黒い羽根のようなものも落ちている。
「一体何が――――――」
ヴォネガット教授の鼠径部を咄嗟に抑える。麻酔無しで膝から下を切断された彼女は痛みの為にすでに意識を失っている。この状況での出血多量はまずい。
「どなたか、ベルトを貸していただけませんか!?」
「これを使ってくれ!」
混乱した状況ではあるがすぐに私の呼びかけに応えてくれた人が何人かいた。
「ありがとうございます!」
鼠径部にベルトをきつく巻き上げて緊縛止血を行う。半端な方法でやれば末梢神経が潰される。ここは集中して――――――
割れた車窓から強風が顔に吹き付けてくる。そびえ立つ林間から覗く燃える空の遠くに浮かぶ鳥影の数々。あまりにも多いそれはこの新幹線と並走するように飛んでいた。
『もしや、あれが?』
不穏な考えが過るが三秒でその考えを焼き払う。
『今は彼女を助けないと……!』
乗客の方達が貸してくれたベルトを数本用いての止血を行ったあと、ヴォネガット教授の席をリクライニングで倒す。以前として彼女は目を覚まさない。
顔には冷や汗が流れ、呼吸も浅い。止血を行ったところで抜本的な解決には至らない。止め続ければ阻血状態になり、神経麻痺や細胞壊死に至る。早く医療機関まで搬送しないと――――――
「ヴォネガットさん、聞こえますか!ヴォネガットさん!」
どこからか彼女の名を呼ぶ声が聞こえる。声の方向へ目を見やるとタブレットの画面が点滅していた。
「これは、イディさん?」
「御陵さん!ご一緒でしたか!今どちらにいるんですか!」
画面に映っていたいつになく落ち着かない様子のイディさんに少し戸惑ったが、そんなものはどうでもいい。今は――――――
「ヴォネガット教授は今危ない状態です。右足、膝から下を切断されて出血多量、意識不明の重体です……」
「しまった、既に届いていたか……!」
タブレットには歯噛みする彼の姿が映し出されている。
「届いていたって何がですか……?」
「あの"咆哮"です。あれが再び放たれたのです。遥か彼方、厚い氷海の奥底から」
「またあれが……!?」
都市を、星を、空間そのものを掻きむしるようなあの轟音。四辻の咆哮が再び放たれたと、彼はそういった。
それと同時に私の脳裏にはあの日の光景が広がっていく。
大勢の人々が耳を塞ぎ立ち竦んでいる。誰もがあの音を聞いた。誰もがあの音に恐怖していた。そして、その都市の人間の混乱をさらに強めていたのはなんだったか。
――――――動物達だ。四方八方、到るところから鳥たちが飛び立っていった。犬は吠え猛り、野良猫は狂乱したように走り回っていた。
確か、新聞記事の一面にはこうも書いてあった。
一部の動物達に異常行動がみられる、と。
もし、それがあの咆哮による影響だとしたら?
それは恐怖による狂乱か、あるいは――――――
「動物達の生態に何か影響を及ぼしている?」
彼らを錯乱させる原因がもし"恐怖"ではないのだとしたら。あぁ、だめだ。推測を重ねても意味がない。何よりも判断するための情報が少なすぎる。
「イディさん、今外はどんな状況なんですか!?」
「御陵さんの仰る通り、動物たちが半狂乱状態で暴れまわっています。従来の性格からすると考えられないような攻撃性を有した動物が、人を襲っているというニュースが世界各地で流れています!」
「そんな……っ!?」
新幹線、車両前方から悲鳴と共にガラスの割れる音が聞こえてくる。
「カラスが、カラスが突っ込んできたぞ!?」
「おかあさん!おかあさん!」
「誰か医者はいないのか!?」
立ち上がって前方を見ると、薄暗い車両の中、床に伏している血まみれ女性と、その側に小さな女の子が立ち竦んでいた。
「いくらなんでも速すぎる……」
新幹線の最高速度は二六〇キロを超える。通っている場所にもよるが、それでも一〇〇キロ以上の速度は出ているはずだ。あの彼方に見えた鳥影がこちらに突っ込んでくるためにはそれ以上の速度で飛翔しなければならない。しかし、生物の身体でその飛行に耐えうるはずがない。つまり、ここに届くはずがないのだ。
「また来るぞ!」
「なんなのよ、あれ……!」
人々が指差す空を仰ぐ。彼方にいたはずの鳥影は直ぐ側まで迫ってきていた。加えて、今通っている場所は林間地帯だ。新幹線が高速で通り抜けた後を追うように、林から新たな鳥影が飛び立っていた。
そして、それを見ている時に私は気づいた。あまりにも遅い。流れる景色が遅すぎるのだ。体感的に言えば六十キロ程度だろうか。車で走っているような感覚で景色がゆったりと流れていく。
「あぁっ――――――」
「ぅぐ――――――」
車両を横から貫ぬかんばかりに鳥たちが突進してくる。一度で割れないのなら二度。二度でも割れぬなら三度と、鳥達は自らの身体の損壊を物ともせず、ひたすらに攻撃をし続けている。窓が割れた場所からは何匹かの鳥たちが侵入し、人間を嘴で攻撃していた。
椅子の陰に隠れながら様子を観察しているとその攻撃の異様さが浮き彫りになった。
致命的な攻撃を与えるために、鳥たちは前方から突っ込んできていた。当たるも八卦当たらぬも八卦、自壊しようが串刺しに出来ればいいのか、彼らは車両の進行方向から攻撃を仕掛けているのだ。
おそらく、ヴォネガット教授もそれにやられたのだろう。トンネルの中では未だ一〇〇キロをゆうに超える速度が出ていたはずだ。そのトンネルを出た瞬間に、彼女は運悪く前方から貫かれた。けど、それでも。
『右足を切断するほどの威力があるのか……?』
そんな疑問を抱いた所で状況は悪化する一方だ。速度が落ちれば落ちるほど恰好の餌食になる。そんなことは恐らく運転手も分かっているはずだが……
「もしかしたら既に……」
最悪のケースを考えるのならば運転手は既に怪我を負ったか死んでいるだろう。
――――――一人、目を潰された。
もしくは次の駅が近くにあるからそこに止まろうとしている?現在位置が分からない今、次の停車駅までの距離が私には分からない。
――――――一人、腹を貫かれた。
状況を打開するには運転席までたどり着けばいい。ここは十六両あるうちの六両目。比較的運転席までは近い車両だ。そこまでたどり着けば車両が怪我を負っているのならどうにか運転をさせる。場合によっては私がやる。死んでいれば私がやる。ただそれだけのこと。
――――――一人、喉を切り裂かれた。
周囲では負傷した人々の阿鼻叫喚が響き渡っている。
それでも。
その悲鳴に耳を塞いで。
その血だらけの手で足首をつかまれようと振り払って。
その嗄れた助けを求める声で心を撃ち抜かれようとも。
私は第一車両の運転席にたどり着かなければいけない。たどり着かなければ新幹線はこのまま減速していき、最終的には停止してしまうだろう。この車両に乗っている人々を救うためには速度を上げるほかない。
それならば、私は。
よろよろと立ち上がって前方車両へ歩み始める。
後方にいるであろう佳奈は無事だろうか。/それよりも。
眼の前には母親の側で泣きわめく女の子の姿がある。/なによりも。
あぁ、この時間だ。この黄昏時。空が赤く焼けていくこの時間が私は一番憎い。
いつもそうだ。この時間に紐付けられた記憶は全て、大切なものを失っている。
近くにいると気づけなかった、あの憧れのおねえさんも。
近くにいると分かっていても近づけなかった、あの佳奈も。
近くにいても何処か遠い人のように感じた、あのヴォネガット教授も。
そして今度は、何よりも私が一番助けたかった、あの人達のような、ゆっくりと消えていく生命の灯火を無視してでも、私は前に進まなければいけない。
たとえ、私が走り去るその風で、その灯火が消え失せようとも、私はそれよりも多くの命を救うのだ。
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