赤く染まる

「イディから結果が返ってきた」


 ヴォネガット教授から差し出されたタブレットの画面を見る。

 画面には、丁寧な文章で事細かにアルバニアの音楽の謎が解き明かされていた。


『アルバニアの音楽に関してですが推測通り、ミルティエールが残したものだと思われます。トーキング・ドラムの『王を語る歌』は他の曲とは根底にある音楽システムが全く異なるもので構成されています。音階要素を分解するとアルバニアの音楽もこのトーキング・ドラムの音楽と酷似したものであるとわかりました。やはり断片的なメロディーだったことは間違いないでしょう。これ以降はこのメロディーを"ペトラ伝承音楽"と仮称します』


 林間部を走り抜ける新幹線の中で、私とヴォネガット教授、そして佳奈は東京へと向かっていた。

 新幹線の三人席で、それぞれがタブレットに目を落としている。私がチラリと外を見やると燃えるような夕焼けの空の下を飛び立っていく鳥達の群れがいた。


『大陸を渡った"ペトラ伝承音楽"たちは元々一つの音楽であったと推測されます。それらがミルティエールが何らかの形で伝承を伝え残すためのものなのかどうかは分かりませんが……』

「災厄を語り残すモノ……。"兆し"、"占う"、"禁じる"、"忌む"。どれに当てはまるのかねぇ」

「ありそうなのは"忌む"じゃないですかね」

「まぁ、そうだな。災厄を忌避するのが一番の目的である可能性は高いだろう。言語剥離症に罹患した彼女は自らに残された手段として音楽を選んだ。出力が叶わない奇病である以上、塔の崩壊からはしばらく時間が経ってからだろうが……」

「そうだとは思いますが……。現代と古代で感染症の広まり方が違う可能性もありますし……。もしかしたらの話ではありますが、もし本当に言語剥離症がウィルスによるものであるのならウィルスは人間の耐性と共に進化するものですから……」

「しかし、現代医学でも解き明かせていないんだろう?それに君だって医学の世界で終結する話ではないと言ってたじゃないか」

「うーん、推測に推測を重ねても仕方がないですが、一応可能性としてはあり得るかと」

「なるほどね……」


 再びタブレットを見ていると気になる一文がスクロールされてきた。


『実は"ペトラ伝承音楽"に加えて、世界中に轟いたあの咆哮も調べていたのですが、今回の伝承音楽の根底システムとの幾らかの不和性を確認できました』


「不和性?あの巨人のデスボイスみたいなのに?」


『パラメトリック・スピーカーというものをご存知でしょうか。この音響システムは超音波を用いることで極めて鋭い指向性を持たせることが出来るというものなのですが、"ペトラ伝承音楽"を超音波化することにより、件の咆哮を相殺することが可能だということが明らかになりました』


「相殺だって……!?」


『これは"アクティブ消音"といい、騒音に音を重ねて消す技術です。原理は、ある騒音の波形に、その騒音の波形と逆位相の波形を重ねることで、山と谷とを相殺して音を消すものです。つまり、空気の密度が高い波形の山と空気の密度が低い谷を重ね合わせると、空気の密度が均一化されて、音にならなくなります。この方法は、低周波の音や開放的空間でも効果が得られます。これはおよそ通常では考えられないことです。ミルティエールの残した"ペトラ伝承音楽"が偶然逆位相の波形になっていたとは考えられません。これはつまり――――――』

「――――――あの咆哮に対抗するために用意された手段ということ……!?」


 それは同時に、あの咆哮が何らかの形で人類に対して害を齎すということにもなる。

 窓からの夕焼けがかき消える。トンネルに入った新幹線は風切り音を反響させながら出口へと向かっていく。電車内の照明が窓際に座るヴォネガット教授の横顔を映し出している。

 トンネルに突入したことによる気圧の変化で耳鳴りがする。耳抜きをしようとしたその瞬間のことだった。

 突然、照明が全て消え、電車内は暗闇に包まれた。

「何―――――!?」


 車内に困惑の声が浮かび上がる。


「おい、なんだよこれ」

「どうなってんだ?」

「おかあさん!」


 新幹線は止まらずに出口を目指し続ける。それはさながら銃弾のように。一度放たれた銃弾はバレルを通して外へと飛び出していく。

 徐々に耳鳴りが強くなっていく。くぐもる音の欠片に何か、声が聞こえる。


「―――――い、―――夫か!?」

「ガラスが―――たわ!」

「―――――できた――――っ!?」


 音が遠くてよく聞こえない。暗闇で目も効かない。加えて何やら強風まで吹き付けてくる始末だ。

 だが、トンネルの終わりが近づいてきたのだろうか。耳鳴りは徐々に収まりはじめていた。

 そして、暗闇を通り抜けた先、燃えるような陽に照らされて私の視界に朧気に浮かび上がって来たのは、

「――――――あ……」


 切り離された右足から真っ赤な血を吹き出している、ヴォネガット教授の姿だった。

 黄昏の空を切り取っていた車窓は割れ、彼女の血と、歪む口元が映し出されていた。

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