異質の地

「さて、私はここいらでおいとましようかな」

「――――――」

「お、佳奈ちゃんも一緒に変えるかい?」

 コクコクと頷く佳奈。すっかり二人は仲良しになったようだ。

 帰り間際、ヴォネガット教授は靴のつま先でコツコツと地面を叩きながらこう言った。


「再来週あたりにはアルバニアへ向かうからね。それまでに色々準備をしといてくれ」

「わかりました」

「あ、あと佳奈ちゃんも一緒に行くことになったからよろしくね」

「はい……。はい?」

「え?」

「え?」

「佳奈ちゃんも一緒に行くよ?」

「え?」


 ヴォネガット教授の隣でコクコクと頷く佳奈。

 えーと、そんな話は私聞いていないんだけど……

「本当に?」

『「ウンウン」』

 仲良く玄関先で頷く二人。

 ってちょっとそこ、ドアノブに手をかけるのが早くないですかね。私まだ聞きたいことが―――


「んじゃさよならー、お茶美味しかったよー」

「――――」

 ばいばーいと手を振ってそのまま出ていってしまった。


 ―――そして数週間後……


「やっ」

「―――」

 空港に行くと宣言通りヴォネガット教授と佳奈が待っていた。二人で仲良く挨拶までしてくれる始末。


「……おはようございます」

「元気がないなぁ、どうかした?」

「いえ、なんでも。さっさと行きましょうか」


 もうこの際だし、何も追求しないことにしよう。佳奈がついてきてくれるのは普通に嬉しいし。


「佳奈、飛行機の中は寝る場所だから。あと映画見る場所だから」

「――――――」

 コクコクと頷く。


 すっかり飛行機旅になれた私はアイマスクを持参して寝る気満々である。ていうか寝た。

 寝てたので佳奈とかヴォネガット教授が何をしていたのかは全く分からないが多分各々で飛行機旅を楽しんでいただろう。きっと。


 長い飛行機旅を終えてたどり着いたのはオーストラリア、アルバニア北部。

 調査自体はあっさりと終わった。三時間もかからないほどだったのは、イディさんが事前に様々な準備をしていてくれたからだろう。

 私達は降りてすぐ、迎えに来てくれた声楽団の皆様と共に市民ホールのような場所へ向かった。

 そこからは早いものであーだこーだしている内にすぐに音楽を演奏してくれることになった。

 舞台に照明が灯り、鮮やかな赤いドレスを着た女性が五人、舞台袖から現れる。その中でも際立っていたのは、赤のドレスに白の曲線のような刺繍が入っている女性だった。


「アレは……『感錠かんじょう』、か……?」

 隣で小さく、ヴォネガット教授がつぶやく。私はその単語について聞こうと思ったが舞台上の女性たちが深呼吸をしたのを見て、それを控えた。


 繰り広げられた音楽は五人の声帯より生み出される複雑な声楽模様。一人ひとりが異なる音色を紡ぎながら、それが合わさることにより一つの紋様を織りなす。

 私は一人ひとり、女性をフォーカスして誰がどのパートを歌っているのかを確認しようとした。

 力強い歌声はあの女性。繊細で包むような歌声はあの女性。それらの音の流れに沿うような歌声はこの女性か。それで静かに主張してくるこの歌声が……と言った具合で見分けていた所、あることに気づいた。


『あの女性、何を歌っているんだろう……?』


 一人だけ、何を歌っているのか聞こえない女性がいたのだ。それは件の白の曲線が入っている赤いドレスを身に着けた女性であった。見た目的に言えば彼女が主旋律なのかと思ったかそういうわけでもないらしい。

 

 演奏が終わった後、私はその女性に問うてみた。


「あの、あなたの担当しているパートがあまり聞こえなかったのですがそれはどういう……」

 すると女性はこう答えた。

「これはこの音楽の中で一番大事な部分なのよ。目立たないけどね」

 そういうと彼女はソロでそのパートを歌ってくれた。


 聞こえてきたのは。まるで何かに苦しみ喘いでいるような、溺れそうになっているような声だった。

 そしてその様子は、

「――――――」

 私の隣で食い入るようにその女性を見つめている、佳奈の言語剥離症の様子と酷似していた。


「この歌は『聖女の嘆き』というの。昔、声を失った聖女が自らの悲しみを歌おうとしたことが始まりなのよ」


 ――――――連れ添ってきた亜麻色の髪の乙女が桃色の唇から紡ぎ出す言葉には私の知らない音の響きが加わっている。

 これがペトラ伝承、最後の一節。亜麻色の髪の乙女とはつまり。

「聖女、ミルティエールか……」


 描写から考えるとミルティエールは最後に言語剥離症に罹患した可能性がある。もし、あの塔崩壊後にミルティエールが各地を彷徨うことがあったのなら。今こうして各地に残滓が存在するのは可能性としては考えられる。


「ミルティエールに関する伝承は様々存在するがそのほとんどが各地を渡り歩くものだ。可能性としては十分にありえることだろうね」


 しかし、因果なものだ。今私の隣りにいる佳奈も亜麻色の髪だ。巡り巡って、彼女は自分と同じような存在の人間を追いかけることになった。

「――――――」

 言葉を話せない今、彼女が何を思うのかは分からないが、複雑な気持ちだろう。


「とりあえず、サンプリングしてイディに送ろう。何か分かるかもしれない」


 もし、この時に彼にこのデータを送ることがなければ、彼女はあのようなことにはならなかったのだろうか。

 それとも、それは最初から決まっていたことだったのだろうか。

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