実は……

「そういえば佳奈ちゃんは何故この本を?」

「―――」

「うーん、話せないか……。多分、色々自分で調べていたんだと思います。最近よく図書館に行ってるって言ってたし。それで多分この本を持ってるのかと」

「あ、ほんとだよく見たらハンコさんが押してあるね」


「彼女が話せなくなったのはいつ頃なんだい?」

「大学二年生くらいだっけ」

 コクリと頷く佳奈。そしてそれと同時にある一つの疑問が浮かび上がった。

「……?」

「長い?何が?」

「剥離期間です。確か他の言語剥離症の罹患者は八ヶ月から一年で剥離開始から墓語への移行を完了させるようなんですけど、彼女は

「ふむ」

「もうすでに墓語を話し始めても良い頃合いなんだけど……」


 ――――――何かが、何かが鍵になっているはず。

 言語でもなく、性別の問題でもない。ここにあるのはそれ以外の何かの要素。

 体質、遺伝子、それとも生活環境の違いか……?


「―――もしかして『生まれた場所』って関係してるかね」

「生まれた場所?」

「うん。もしかしてだけど、佳奈ちゃんってどちらかイギリス辺りの出身じゃないかい?」

「――――――」

 コクリと頷く。

 そう、彼女の碧い目。あれは母親から受け継がれた遺伝子によるもの。日本人の父とイギリス人の母を持つ彼女。


「また文化的な話になって申し訳ないが、人類文明とって重要視されてきたのは『墓』という終の場だけではない。始まりの場所である誕生、もしくは通過儀礼を経て生まれ変わることを重視してきた。もしかしたら……いや、さすがにそこまでは再演性はないか……?」


 人類文明、数多の技術の結晶が現代機器などのそれに当たるのならば、儀式は人間の精神的な知識の結晶だ。

 そして儀式や呪術などは超自然的現象を引き起こすとされるが、その背景には必ず何らかの自然の摂理に沿った要素が隠されていた。

 例えばトルコのヒエラポリス神殿。『地獄の門』とも言われ、冥界の神プルートにちなんだ名前をつけられたその洞窟は、ありとあらゆる生贄の動物が死に絶えるという場所であった。

 しかし、近年の研究により、神殿の奥深くの地表から高濃度の二酸化炭素が吹き出していることが判明した。こうした摂理を太古の人間が解き明かせるはずもない。だが、そうした摂理は高確率で太古の人間の儀式を成功に導いた。

 特定の場所、特定の時間、特定の道具。それらは儀式成功の条件としてよく挙げられるが、そういったものが何故現代まで記録されているかと言うとその再演性の高さ故である。

 私達が『魔法』と聞いて想像するものはそういった条件を無視した上で成される現象の数々である。条件がないからこその奇跡であり、要素があるからこその『科学』なのだ。

 先程ヴォネガット教授が言っていた儀式による『生まれ変わり』、生命の変化は区切りをつけるために行う。

 成人とは20才になればなれるものである。これは社会に活きる『法の力』である。

 だが、太古そういったものはない。今のように明確な暦なんて存在しえなかったし、人の人生もそれである。太古と現在の最も違う要素は技術とかそういった部類の話ではなく、人だろう。

 成人儀式の中には『生まれた時』を再演するものがある。

 ある部族では成人するものが暗闇の中に水に浸され、眠りについて起き上がることによって誕生を再演するのだ。暗闇と水は母親の胎内を再現する場所である。そこで一度『子供』は死に、『成人』として甦る。

 生命において神聖視される割合の高い『水』は生命の源流として度々語られてきた。

 ――――――曰く、シュメル神話においてこの世界を創造したマルドゥクは、原初の海の女神ティアマトの死体を用いて天地創造を行ったという。生命活動として必要不可欠である『水』は誕生の再演においても使用されるのだ。


 また、日本における『水』は禊にも使用され、自らの穢を払うのに水は大きな役割を果たす。

 日常生活において誰しも使うであろう風呂。これも大きく関係しており、古代ローマの公衆浴場では立場を忘れて皆が語り合う場所でもあり、日本の銭湯と同じような光景が広がっていたという。

 この場においても、というより風呂自体が『誕生の再演』としての特色が強い。理由は先程の禊と同じである。


「言語剥離症の被害件数が多い地域は比較的文化濃度が薄い。これには物理的な問題が大きく関わっている。大体のデータから推測すると日本やイギリスのような孤島だと文化濃度が高い。文化というのは生活様式にも深く関わってくるものだろう?佳奈ちゃんの生活様式を詳しく探るつもりはないけれど彼女の言語剥離の症状が進まないのはそういった点もあるかもしれない」

「つまり、佳奈の剥離が完了しないのは文化濃度の高い地域の生活様式で生活しているがゆえ、ということですかね……」

「推測ではあるけどね。ここまでの証拠が揃っているとそうだと言ってもいいと思うよ」


うーむ、生活様式、再演性か。また難しそうな問題が出てきた……


「さて、小難しい話はここらでやめにしとこうか。佳奈ちゃんの頭の上に『?』マークが連なっているのが見える。それもほっとーケーキ五段積みくらいの感じで」

「――――――……」

ぷしゅーっと空気が抜けたように呆けた顔をしている佳奈。彼女は私達のように様々な場所を実際に渡り歩いたわけではないのでこうなるのも無理はない。


「いやー、にしても佳奈ちゃんはイギリスのハーフだったかー。だねぇ」

「えっ、ヴォネガット教授もイギリス出身なんですか?」

「うん?そうとも、私は正真正銘、イギリス出身さ」

「初めて知った……」

「うん、聞かれなかったからねぇ」

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