或る少女の歌声
調査依頼を出して結果が返ってくるまでの間、私とヴォネガット教授は再びロシアまで飛んだ。先に訪れた際は満足のいく調査が出来なかったので、再調査することになったのだ。
「しっかし寒いなぁ。心まで冷え切ってしまいそうだね」
「それ研究室から出た時にも言ってましたよね」
「あれ、そうだっけ?」
研究職だから仕方がないといえば仕方がないんだけど、彼女は全くといっていいほど外に出ない。フィールドワークのデータ整理をしている間は特に。ここのところは缶詰状態だったようで研究室に訪れたときには資料の山に埋もれそうになっていた。
「それで今回の調査は何をすればいいですか?」
「んー、歩く」
「はぁ、そうですか……」
この曖昧な指示にももういい加減に慣れる頃合いである。というよりも実際に歩くのが一番だったりする。あのデータは云々、このデータは云々といったように資料とにらめっこしているよりは実際に歩いたほうがそこがどんな場所なのかは分かる。墓國調査の旅で得た経験上、見るべきは目の前の紙よりも目の前の風景なのだ。
ロシアは春を迎えようとしている。少し肌寒いが比較的過ごしやすい気候だろう。公共交通機関なんかは暖房がよく効いているから下着を着込んでいると少し暑かったりする。
そんな冷たい空気に満たされる町並みをゆっくりと歩きつつ、周りに目を向ける。歩いている人々はおそらく、いつもどおりの日常を過ごしているのだろう。その喧騒の中で一人、あたりを心配そうに見回している女性がいた。
「―――します……!」
「ん?」
「どうしたんだろう……?」
周りに音にかき消されてよく聞こえないが、一瞬「子供」と聞こえたような気がした。
「何かを探しているようだね」
「探している……。子供とはぐれちゃったのかな……」
「おや、どうしてそう思うんだい?」
「いや、さっき子供って言葉が聞こえたような気がして」
「なるほど、そういうわけか。まぁ、ここらは治安が良い場所だし身の危険はないとは思うけど、私達も少し注意しながら歩こうか。もしかしたらそのうち見つけられるかもしれない」
「そうですね、そうしましょう」
「とはいってもまた郊外の廃墟まで歩く予定だから見つかる可能性はそんなになさそうだけどねー」
その後、町外れまであるき続けること約40分。
「あれま」
「まさか」
ぼろぼろになり、雪に埋もれかけている廃墟で見つけたのは一人の少女の姿だった。年齢は8歳くらいだろうか。ブロンドヘアの一房にに黒のメッシュがかかっている。彼女は小さい手で雪をむんずと掴んでは頭上へ投げ、頭から雪を被っている。もう何度もそれを繰り返しているのか彼女の服は雪まみれになっていた。
「ねぇ君、こんなところに一人で何を―――」
そう私が話しかけようとした時、突如ヴォネガット教授が真剣な顔つきで私を制した。
「待って、あの歌……」
「歌……?」
ヴォネガット教授に言われるままに耳を傾ける。少し離れた廃墟の影。雪と戯れる少女は澄んだ空気にか細い声を響かせ歌っていた。
―――ゆぅらゆらもえる、こーなたのうーみよー
かなたにつーもーるー、しずかのはいよー
「―――♪あれ?お姉ちゃんたち、どうしたの?」
そこまで歌ったところで、少女に気づかれてしまった。
「あ、えっと」
「ちょっとここに用があってね。君は一人でどうしたんだい?ここは街からは結構離れてるぜ?」
「遊びに来たの。たまにはトカイのケンソーから離れて静かな場所にいたいじゃない?」
「随分大人っぽいこと言うなぁ、この子」
「女の子は早熟ですからねぇ……」
「私、オトナっぽいってよく言われるんだ」
ふふんとドヤ顔を決める少女。身体の至る所に雪が乗っかっているのがなんとも言えない。
「あのさ、さっき歌ってたのってなんていう名前なんだい?」
「あれはねー、"ヤクソクの唄"っていうんだよ!」
「約束の唄?」
「うん!お母さんが教えてくれたんだー……。あっ!」
少女は何か大切なことをを思い出したようで急に慌て始めた。
「ね、ねぇ!今何時だか分かる?」
「ん、今はもうすぐ16時になるな」
「大変、すぐに帰らないと」
「もしかして」
「まぁ、もしかしなくてもこの子が探している子だろうな」
「お母さん、街で私の事探してたの……?」
「うん、心配してたよ」
「あぁ、またやっちゃったなぁ……。遊んでるとつい夢中になって時間を忘れちゃう……」
「もうすぐ日が暮れる頃合いだ。廃墟はこの有様だし、少し気になることも出来た。街の方へ一緒に帰ることにしようか」
「えぇ、そうしましょう」
「お姉ちゃんたちも一緒に帰ってくれるの?ありがとう!」
「うん。あなたは―――、そういえばまだ名前を聞いてなかったね。私は由加っていうの。こっちの人はヴォネガット。あなたのお名前は何ていうの?」
「私?私の名前知りたい?」
雪の積もる道をぴょんぴょんと跳ねながら少女が楽しげに問うてくる。隣りにいるヴォネガット教授はまたいつものように考え込んでいるようだったが、なぜ少女を見つめているのだろう?
そんなことを考えていると少女が私達の前にバレリーナのように躍り出た。
「お姉ちゃんたちに教えてあげる。私の名前は―――」
くるくると踊るように。彼女はうやうやしくお辞儀をしながら自分の名前を告げた。
「私の名前は、ミルティエールっていうの」
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