情報保存媒体
ヒトと他の霊長類の差異、人類がこの
人々は身の回りにある小さな出来事を時に歓喜の叫び声を上げ、時に憤怒の咆哮を響かせてその出来事を周囲に伝えた。
周囲の人間はその声を聞いて「あぁ、こんなことがあったのか」とその状況を理解するようになった。たとえ、自分がその場にいなくても。
目の前の出来事を他の場所に伝えるには、その出来事の要素を保存する入れ物が必要になる。
未だ文字が創られていない時代において、主要な情報保存媒体として用いられていたのは「音」だった。
歓喜であれ、憤怒であれ、最初に人々が発したのは単調な声だっただろう。
歓喜であれば甘美な響きを。
憤怒であれば不穏な響きを。
前者は声門により他者を誘惑し、後者は舌と口蓋により畏怖を呼ぶ。
音は人々の耳朶に侵入すると速やかに心に作用する。
「好き」
「怖い」
聞き手は自らの裡に生じた感情を語る言葉を呻く。
鎖状に繋がる音は様々な情報を雁字搦めにして他者のもとへと旅立っていく。
間隙からポロポロといくつかの落とし物を道筋に残しながら。
各地に残った「落とし物」は時を経てそれぞれ全く異なる形に変化していった。
それが墓語。かつてこの世界において使われていた古き音。
無論それらは呻き声や叫び声だけでは形成出来ない。情報を保存する器には限りがあり、身の回りに溢れる情報は無窮に等しい。
足りないものを補うにはどうすればいいのか。
風が強い。
ゴウゥという音が耳に流れ込んでくる。
風が弱まった。
ヒュウゥという音が耳に流れ込んでくる。
何度も何度もそれを繰り返し聴いているうちに、人間はある事に気がついた。
音には高低があると。そしてそれ単体の音の高さ、低さは我々人間が放つ呻き声や叫び声にも共通するものだと。
だけど、人間たちはそれを連続して聞くことはなかった。
これは単純な話。怒っている人間がすぐに歓喜の声を上げることが出来るだろうか。怒声が歓声へと瞬時に変化することがあるだろうか。
つまるところ、人間たちは「音」を知ってはいたものの、「連続した音の流れ」というものは知らなかったのだ。
それは後に、「旋律」として人々の間に知れ渡り、木を叩いてみたり、石を川面に投じてみたりして「音楽」へと変化していった。
人々は何やら楽しいこの「音楽」とやらに興じるべく、動物の骨や木々を加工するなどしていたのに加えて、自らの身体で新たな音を生み出そうと試みた。
まずは声の大きさを変えてみた。
つぎに口の形を変えてみた。
その次は舌を動かしてみた。
音階や抑揚が生まれた音は次第に集団ごとのまとまりを持つようになり、少し離れた場所にいる魚をくれる人々との意思疎通が難しくなっていった。
次第に波長の合わなくなっていった人々はよそ者を嫌うようになり、それに反比例して音のまとまりは「言語」になり、彼らの演奏する音楽は彼らだけのモノになっていった。
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