一方、あの頃/Another Side Recode

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「nn,Ah~………」


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 ――――――私がその事に気づいたのは由加が中国へと飛び立ってから一週間が経った時だった。

 言葉を話せなくなってからはどれくらい経っていただろうか。最近ではニュースサイトで「言語剥離症」の文字をたまに見かけるようになった。


 初めは自分に何が起きているかもわからず、それを家族にすら伝えることが出来ない状態に恐怖したものだが、いつからか出てきたその記事見出しの「言語剥離症」という文字に私は安堵を覚えていた。

 まるで世界から隔絶されたかのような孤独の恐怖はその見出しの文字によってかき消され、同じような人がいる、この病を識っている人間がいるという事実を私に届けてくれたのだ。

 哲学の講義を受けていた時に聞いた、共感は人間の基本原理かいらく云々の話もなるほど確かにその通りだと実感したものだ。


 ともかく。

 それで幾らか恐怖の和らいだの私はとりあえず、今の自分の置かれている状況を少しでも理解しようと思い立ち、ニュースサイトやら図書館やらで情報を探し回っていた。

 引きこもってから初めて部屋の外に出た時、久しぶりに顔を見せた私にお母さんがびっくりした顔を浮かべた後に、ポロポロと涙を流し始めていたのを一番良く覚えている。本当に心配をかけさせてしまったと。強く、自責の念にかられつつも、私はお母さんに抱きついた。


 えーと、そう。

 それで色々調べているうちに、私は同じような症状が出るお話を過去に聞いたことがあるのを思い出した。高校の時、歴史の授業か何かで聞いたことがあるそのタイトルは『ペトラ伝承』。

 主人公であるペトラが故郷から旅立ち、言語を統一する塔、バベルへと至り、その疵(異常)を治すというお話。その伝承の道中、彼女はオヴィスパという男の子に出会う。作中において彼は言葉を発さない。その前に登場する彼の姉とされる人物は奇っ怪な言葉を話していたという。

 この二人は塔の異常により統一言語を剥離されたと考えられている。

 この状況がよく似ている。というより、全く同じであると私は直感的にそう思っていた。

 けれども。所詮はひとつのお話。そもそもガルツ大陸なんて何処にあるというのか。この時代において人間が探索していない場所なんてもうこの星には残されてはいないでしょう。


『ペトラ伝承』を調べた後、私は医学の本を読み漁り始めた。失声症やら構音障害など色々と近しいものは見つかったが、根本的な解決などには至らなかった。

 とどのつまりいくら探しても、原因はおろか、私と符合する症例さえ皆目見当がつかなかったのである。


 そこで、私は開き直ってみることにした。

 どうにかしてこの言葉を話せない状態を治そうとするのではなく、今の私でも出来る他人との会話方法を考えてみることにした。

 一番最初に思い浮かぶのは絵で会話すること。だけど私は恐ろしいほどに絵心がなく、昔、由加に私の描いた猫の絵を見せたら「なにこれクリーチャー?」と言われてしまった経歴を持つ立派な画伯である。その為、絵だと簡単なことしか伝えることはできないだろう。メモ帳に書いた自分の絵をゴシゴシと消しゴムでこする。そんなにひどいかなー、私の画力。


 あー、えっと……。

 それで次に思いついたのが点字。盲目の人が指先の触覚によって読み取る文字。図書館で適当な指南本のようなものを見つけて開いてみたが、よく考えてみるとこれは情報を受け取る為の文字であり、情報を発信するためにはまた別の方法が必要だった。

 指点字というのがその情報発信の為の方法らしい。読み手の左右3本、人差し指、中指、薬指を点字タイプライターに見立てて点字を打つものだそうだ。

 ぶらぶらと本棚の間を彷徨って見つけた指点字の本を持ってきて実践してみる。

「――――――?」

 指が思うように動いてくれない。本を読みながら、頭にどう動かすかを意識して指を動かそうとするがぎこちなくちょこっと動くだけ。

 この意識と行動の断絶は過去に私は体験していた。

 言語剥離症、文字を書こうとした時と同じ感覚だった。二度目なので初めての時よりは恐怖の感情は芽生えなかったが、驚いたことは確かだ。まさか点字まで剥離されているとは思っていなかったから。

 その後、手話、解読手話、指文字などもやってみたが同じ結果に至った。

 つまり、私は情報を受信出来るが、どうにも出力が出来ないみたいで。


 全く、質の悪いことこの上ない。相手の話が分かるからまだ良いと考えることも出来るが、逆に言えばもういっそのこと何にもわからないほうが良かったと思うことだってあるだろうに。

 何故、話すことだけを奪うのか。私は明確な苛立ちを覚えた。もし、神様がこの病気も作ったとしたのなら、その神様はよっぽどいい性格をしている。


「……――はぁ―――――――――――お腹空いたし帰ろっかな


 持ってきていた本を棚につっかえして図書館から立ち去ろうと階段を降りている時、私はその日が、私の好きなアーティストの2ndシングル発売日だったことを思い出した。由加も好きなアーティストで……って、そういえば由加ってば、いつの間にかメガネかけてたなー。


 あぁ、違う。私がのはそこじゃないや。


 んんっ、そう。

 それで階段を降りている時に、忘れ物をしてないか自分の座っていた机の方をちらっと見た時に視界に入ったモノがあった。


ちょうどこちらに表紙を見せる形で置かれていたその本には、「言語起源論」と書いてあった。

それを見つけた私は思わず足を踏みとどめ、その本を注視した。


旋律と、音楽的模倣――――――


そこに記されていたのは私達じんるいが持つ、もう一つの情報保存媒体の存在だった。


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録音終了


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