墓國漫遊・甲

 さて、そこからは墓國漫遊、様々な國を巡った。


 まず私達が訪れたのは"墓國・中国"。私の住んでいる日本のお隣のこの國にたどり着いた私たちはそこからタイへと飛ぶべく、市街のホテルに一泊した。

 寂れた看板のかかった、ビジネスホテルのような地味な見た目のホテルに入った私達を見て、フロントにいた若い女性ホテルスタッフが「おや?」という物珍しそうな目をしていたが、その後に私達が宿泊したいということを伝えると何故か少し興奮気味になりながら部屋のキーを渡してくれた。ヴォネガット教授もニヤついていたが私はさっぱりなんのことかわからず、そのまま部屋まで向かった。

 赤を基調とした装飾が至る所に見られる廊下を渡り、301号室のドアノブにキーを差し込む。ドアを開けてみれば、そこにはシングルベッドが2台仲良く並んでいて、大きなテレビも据えられていた。


「普通の部屋ですね」

「んふふ、そうだろう、普通の部屋だろう」

「なんでニヤけてるんですか……」

「んふ」


 彼女は終始ニヤついていたが、結局私が「その事」に気づくまでは教えてくれなかった。

 私が自分達がどう見られていたか―――あの女性ホテルスタッフとかに―――に気づけたのはホテルから出て近くのコンビニに出向いて、ホテルに戻っている時だった。

 道ですれ違ったおばさんがホテルへ向かう私を見て「あらあら、昼からお盛んね」なんてこぼして去っていくものだから私のギシンアンキ・ゲージは振り切れた。

 ホテルに戻り、看板を注視してみるとうっすらと「L VE ♡ OTEL」という表記が刻まれていた。

 それを確認してから、私は部屋に駆け込んでベッドでゴロゴロしていたヴォネガット教授を舌鋒鋭く問いただした。起き上がった彼女はなんということはなく、


「そうだよ、ラブホだよ」


 そう、あっけらかんと言ってのけた。


「何故!?」

「いや、面白そうかなって。中国のラブホって結構見た目地味で知らない人は普通に気づかないからさ」

「面白いって……」

「私は面白かったよ」


 そういいながら彼女はニヤニヤしていた。そう、つまりはそういうことだったのだ。ホテルスタッフはおそらく、私とヴォネガット教授が女性同士で「そういうこと」をすると思ってたのだろうか。そうなると彼女の反応からするに、彼女は"そういう趣向"をお持ちなんだろうか……。

 恍惚とした表情で私たちにキーを渡してくれた女性ホテルスタッフを思い返しつつ、コンビニで買ってきたお菓子を頬張る。……まぁ、なんだ。幸せそうな人がいたからいいのだろうか、うん。

 その後、小さな報復として買ってきたお菓子を強請ってきたヴォネガット教授に上げなかったのが効いたのか、それ以降少し大人しくなり、「御陵さん、明日はバンコクに行きますから、えぇ。バンコク。普通のホテルに泊まりますんで、はい」と適切な報告をしてくれた。

 その夜、ヴォネガット教授はホテルまでの道すがら、なにやらメモ帳に書いていたのをノートパソコンにまとめていた。手袋をしたままでキーボードをカタカタと打っているのが少し気になったが、本当に数瞬の間に思いついた疑問だったので、綿毛のようにすぐに何処かへ吹き飛んでいった。彼女に何か手伝えることは無いかと聞いたが「特に何もないから寝ていいよ」と言われてしまったのでお言葉に甘えることにした。妙に弾むベットで寝るのは初めてだったので中々寝付けなかったが、慣れない旅で疲れていたのだろう、気がついたときには朝になっていた。


 その日の昼には、タイに辿り着き、昼食を取るために立ち寄った路端の店で私達は赤ちゃんと戯れていた。

 ヴォネガット教授はほっぺをぷにぷにつついてみたり、二の腕をぷにぷにつついてみたりとしていたが、決して頭に触れる事はなかった。

 曰く、タイでは頭部は神聖な部分らしく、つむじの部分は"クワン"という魂が宿り給う聖なる座であるとかなんとか。


「タイではね、生まれてから3日経つまでは人の子ではないんだよ」と、ヴォネガット教授が銀髪のポニーテールを揺らしながら言った。

「人の子ではない?」

「うん。3日経つまでは"ピー"っていう精霊の子供なんだ」

「ピー……?」


 私が首を傾げながら聞き返す。


「うん。ピー。タイのアニミズム信仰でね。バラモン教やら仏教やらの外来宗教がタイに来る以前からタイ族全般で信仰されていた精霊なんだ」

「どういう精霊なんです?」

「うーん、どういうと言われても、明確なイメージは存在しなくてね。どちらかというと、現象とか、妖怪、おばけなんかにも使われる言葉なんだなこれが」

「結構曖昧な感じなんですね」

「うん。農村部なんかだと民間信仰的な荒神としてのイメージが強まって、人の不遜な行いを祟るなんて一面もみせる」

「ふむ、たしかに妖怪っぽさもあるかも……」

「だろう?んで、その"ピーの子供"である嬰児が"人間の赤ちゃん"になるためには儀式をしなきゃいけない」と、ヴォネガット教授。


 昼過ぎの今、路端に立っていると蒸し暑く、じっとりと汗をかいてくる。加えて道路の交通量たるや、それは凄まじい量で、辺りにはずっと大なり小なりのエンジン音が響き渡っている。そんな中、額に汗を浮かべつつも彼女は説明を続けてくれた。


「4日目に、長老が嬰児の手首を聖糸で縛って、魂、クワンを入れるんだ。まぁ、おもちゃに電池を入れるみたいなものだ。クワンは電源とでも思えばいいかな。それで精霊の嬰児はようやく"人"になれるんだ」

「つまりそれをしないということは」

「人にはなれないということになるね。まぁそんなことは滅多になさそうだけど」


 そう言いながら彼女は周囲を見やる。つられて私も目を向けると、確かにそこかしこに赤ちゃんの姿が見受けられる。

 ふとその時、赤ちゃんのつむじの部分だけ、キレイに髪の毛が無いことに気づいた。それも、見渡す限りの視界に収まる赤ちゃん全員の。


「あの、なんで赤ちゃんのつむじの部分、髪の毛が無いんですか?」

「お、よく気づいたね」と、ヴォネガット教授。

「それはね、つむじがクワンの通り道だからだよ」

「通り道?クワンって魂なんですよね?それって頻繁に出入りするものなんです?」

「おうとも。さっきの人間になる儀式でもつむじからクワンを入れる。だけど、クワンってのは不安定なモノらしくてね。子供がひきつけを起こしたり、熱を出した時、あとは驚いた時とかには身体から抜け出すとされているんだ」

「え、抜け出したときにはどうするんですか」

「ボウルとかスプーンで掬って入れる」

「え?」

「え?」

「ス、スプーンですか?」

「うん。スプーン。空中をこう、スチャっとやるらしいよ」


 そう言いながら、彼女は先程買ったジェラートについていたプラスチックのスプーンで空中を掬う動作をした。


「スプーンで掬えるのか、魂……」

「あはは、まぁ概念的なものだから。それに、悪いことあった時は、クワンを強化することも出来るんだぜ」とヴォネガット教授。

「強化!?」

「うん。お坊さんに頼むとやってくれるらしい」

「タイ、すごい……」


 すごいなぁ、魂とかそういうのが身近な存在なんだろうか。


「ちなみに、髪の毛は自己身体のうち、最も大切な部位でね。墓語では毛の種類、えーと、人の頭の毛、それ以外の部分の毛、動物の毛とかで"毛"を示す単語が幾つもあったとかなんとか」

「へぇ……」

「言葉には、その文化の価値観が表れていたんだけどね、統一されてからはあまりそれに意味がなくなってしまった。全てが同じってのも考えものだねぇ」


 そう呟く彼女は、何処なく寂しそうな顔を見せた。顔を合わせて以来初めて見せた表情だったので私は少しドギマギしてしまった。


「しかし、さっきの赤ちゃんはぷにぷにで可愛かったですね~」

「駄目だよそれ」

「え?」


 気を紛らわせるべく、会話を赤ちゃんの話に戻してみたが何故か怒られてしまった。

 ヴォネガット教授はいつの間にやら普段通りの調子を取り戻して説明を続ける。


「タイでは赤ちゃんに可愛いって言っちゃ駄目なんだ」

「あ、その話は確か」

「初めてあった時に話したね。まぁその時は何処とは言ってなかったからね。知らないのも無理はないさ。本の中身だけを教えられたって、タイトルを知らなきゃ記憶は紐付かないものだし」

「それで、なんで"可愛い"って言っちゃ駄目なんですか?」

「悪霊が連れ去っちゃうのさ。日本で言う"神隠し"と似たようなもんかな」

「可愛い子は連れ去っちゃうと?」

「そういうこと。誘拐よ、誘拐。そう信じられてるのさ、タイでは」

「なるほど……」


 こうして実際に"文化のカタチ"に触れてみるのは初めてだったが、それはそこに住まう人々の色々な考えや祈りみたいなのが込められていた。

 当然だが、それらは主観によるもので、それが多く募ってカタチを成し、文化を形成するのは、よくよく考えてみれば凄いことなんじゃないだろうか。


「さて、タイにはあと3日程泊まるからね」

「はい」

「調査で色々メモとかまとめてもらうからよろしく」

「ちなみに、次は何処へ行くんです?」


 私が質問すると、彼女はニヤリと笑みを浮かべながら答えた。


「さぁ?サイコロで決めるからね。何処になるかはお楽しみ♪」

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