旅は道連れ

 全てのモノに終わりがある。

 芽吹き、蕾が開き、花は麗らかな陽射しに微睡み歌う。

 そしてこの世界の約束さだめを果たすために全ての生命力を使い果たした後、静かに土に還っていく。


 たまたま狩られた雀も、それを咥えて道路を横切る黒猫も、それを見つめる男の子も。


 それら全てに明確な終わりがある。


 うでをもがれて。


 はねを折られて。


 あるいは。

 とくん、とくんと振動する心臓を貫かれるか、お腹にぽっかりと開いた穴から熱と共に流れる血が側溝の水を赤く色付ける頃。

 その灯火いのちはひっそりとからだだけを残してさっさと何処かへ旅立ってしまう。

 それがカタチあるものの終わり。どんなに背いても避けられない、絶対に停車する終着駅。


 では、「言葉」はどうだろうか。

 カタチなきモノでありながら、この世界を形作るモノ。


 ……私には、それが終わりを迎える日を、人々の口から言葉が聞こえなくなる日を想像出来ない。だってそれは、あまりにも当たり前にあるもので、あまりにも必要たいせつなモノだ。


 だから。

 もし、「言葉」の終わりがやってきたとしたのなら、人類わたしたちは一体どうなるのだろう。


 コツン、コツンとティーカップを弾く音が夕焼けに飛ぶカラスの声に混じり合う。紙束ことばに埋もれるヴォネガット教授は肩肘をついて、なにやら思想にふけっているようだった。


 コツン、コツン、コツ。


 それからしばらくして。ティーカップを弾く音が止まった。考え込んでいた彼女は私にひとつの答えを提示した。


「うん、結論から言うとだね。LITERAL・PETRAで巨塔・バベルをどうにかすることは出来ない」

「そうですか……」

「しかし、だ。バベルの位置を探ることは恐らく可能だろう」

「本当ですか!?」

「本当だとも。だけど、これには様々な検証が必要になる。今のLITERAL・PETRAには絶対的な情報量けいけんちが足りていないのさ」


 彼女は姿勢を正すと、どこぞの名探偵がドラマでやっていたような両手を組むポーズを取りながらこう言った。


「御陵くん、私と一緒に旅に出ないかい?」

「……はい?」

「言っただろう、情報が足りないって。それにはね、色々な墓國へ旅するのが一番なのさ」

「え、いやでも、私は仕事がありますし……」

「しばらく休職でもすればいいじゃないか」

「そ、そんな簡単に出来るわけないじゃないですか!今の仕事は私が今までずっとなりたかったもので―――」

「コレ、結構出るよ」


 そう言いながらヴォネガット教授は親指と人差し指の先をくっつけた手を私の前でゆらゆら振り回していた。


「お金がどうこうという訳でもないんです!」

「ふぅん。ならどういう訳だい?」

「ぅ、それは、その……」


 痛いところをつかれて、口ごもってしまう。実際、行けないことはない。ただ、私はその、昔からインドア派故、旅と聞くと少し辟易してしまう。つまり、最初は若干面倒臭さが勝る。

 そんなことを知ってか知らずか、ヴォネガット教授はニヤニヤしながらチクチクと口撃してくる。


「ほぉーん、ほほほほほ~ん?さては面倒くさいナーとか少し思っただろー君ー」

「お、思ってないですよ」

「そうかいそうかい。ならそんな重い腰の君にはもっと良いことを教えてあげようじゃないか」

「実は私はカスプの政府から直々に依頼を受けててね。LITERAL・PETRA云々を理由にぶち上げれば助手の一人や二人分の旅費はほとんど賄ってくれるんだ。無論、それとは別に報奨金もある。結構な額がネ!」

「うぅ、魅力的……!だけど仕事が……!」

「おいおい、政府からの直々の依頼だぜ?休職なんて一年でも二年でもいくらでもとれるよぉ?なんせ、政府からもそーいうお達しが会社に行くからね!」


 撃沈。今、私の心の中ではっきりと「よっしゃ行こう」って声が聞こえた。聞こえてしまった。

 まぁ、でも。どこか別の遠いところに行くなんて今までほとんどなかったし。いい経験になるんじゃないだろうか。

 それに、私は心のどこかで医学の限界を感じていた。言語剥離症には薬なんて効きっこないこともなんとなく分かっていた。必死になっていろいろ調べてはいる。試してもいる。だけど、これは"医学"という世界で完結する話ではないと思ったのだ。

 私は今までおねえさんの背中を追いかけてきた。追いすがって転んで、それでも立ち上がって、それでようやく気づいた。

 おねえさんでも出来ないことはあった。当たり前だが、たしかにあったのだ。あの眩いほどの光に塗りつぶされたモノが、今更になって私の身の回りに現れはじめていることも。

 おねえさんみたいになりたい。人のふり見て人にはなれないことなんて分かっているはずだったけど、私は憧れに潰された目をそのままにしていた。その願いとはそろそろおさらばする時なんだろう。

 おねえさんよりも凄い「おねえさん」になろう。単純な話だが、結局のところはそれが私の内に芽生えたものの正体だった。


「その顔からすると、もう決まった?」

「……はい」

「そっか。そりゃあ良かった。私も一人じゃ心許ないからね。それじゃ、後日まだ連絡するから、その時は色々書類とか書いてもらうからよろしくねー」


 それからはあれよあれよと事は進み日も進み。


 ついに私の休職が正式に認められた。


「御陵さん、本当に行っちゃうんですか……?」

「そんな心配しないでよローリーさん。別にずっといなくなるわけじゃなし、ただの休職だから」

「コネ転職という可能性もあるのでは」

「そんな!御陵さん!駄目ですよ!駄目!」

「チャーリーくん、話をややこしくしないで」

「あはは、それは失礼しました」


 当然、こんな感じで職場で話題に上ることが多くなった。まぁ、製薬会社で働いていた地味なメガネ女子が突然、政府の依頼(されてるのは教授だけど)により休職して海外を飛び回るというんだから無理もない。


「それで、依頼っていうのは何をするんですか?」

「そう、私も聞きたいですそれ!部長ぶっちょさんに聞いても政府からの依頼云々としか言ってくれなかったので……」


 休憩室で二人ににじり寄られてたじろぎながらも私は質問に答えた。


「んー、ヴォネガット教授って人についていってなんかするんじゃないかなぁ。私もまだ詳しくは何するか分かってないんだよね。一応助手みたいなポジションになるみたいだけど」

「調査でもするんです?」

「多分ね」

「はぁ……、御陵さんがいなくなっちゃうのかぁ……」

「だから休職だからいずれ戻ってくるってば」

「色々気をつけてくださいね、お水が合わなくてお腹壊すとかありますからね」

「ちゃんと食事も摂るんですよ?」

「ねぇ、私が外に出るのそんなに心配なの?ねぇ?」


 何だかんだで、ここで働いていて一番一緒にいたのはこの二人だったなぁ。まぁ、二人には迷惑をかけてしまうけど、二人なら大丈夫という気持ちもある。


「それじゃ、行ってくるね」


 そう言って、私は会社を後にした。

 家に着いて、旅仕度を済ませた後は、いつもどおり佳奈にメッセージを送る。旅に出ることも既に伝えてある。


『明日、行ってくるね』


 そうメッセージを送ってしばらくすると


『(`;ω;´)』


「ふふっ」


 言語剥離症がニュースに出始めた頃に、佳奈が家に来てくれたことがあった。

 最初は驚いた。なんせ玄関を開けたら少し恥ずかしそうにしていた佳奈が立っていたのだから。その頃のメッセージに対する返信はなかったものの既読だけはついていた。私はとりあえず彼女を家にあげて、リビングで色々と話をした。

 彼女は声を出さない。私の質問にはコクコクと頷くか、首を横に振るかだったが、それは久しぶりに訪れた友人との談笑の時間であったことには変わりなかった。

 とにかく話したくてたまらなかった私は止まること無く、たくさん彼女に色々な話をした。彼女はそれを聞いて、笑顔を見せたり、驚いた顔をしてみたり、私の質問にはコクコクと頷いたりしてくれた。言葉を話せない今、彼女がどんな状態にあったか想像することしか出来ない。それでも、そうやって話していることが何よりも嬉しい気持ちで心を満たしていた。


 爾来、彼女はメッセージを顔文字で返信してくるようになった。一度、文字を打って見るように頼んでみたが、やはり意味のない文字列になってしまって会話は出来なかった。

 私は、ほとんど眠りかける間際にまたメッセージを送った。


『見送りに来てくれる?』


『( ̄ー ̄)bグッ!』


 私はその顔文字を見つめながらゆっくりと眠りに落ちていった。

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