Part:Beyond

「文化」というカタチ

「というのがこの世界が"ペトラ"と名付けられたあらましなのさ。少しくらいは聞いたことあるだろう?」

「え、えぇ、まぁ」

「この物語には色々謎に包まれている部分が多くてね。最後とか塔が崩れて終わりで、その後彼ら四人がどうなったかは本当は分かっていないんだ。後世に創作されたものはいくらでもあるけどねー。ペトラが心を病んだとかアランが混乱を止めて英雄になるとかね」


 長い長いその物語を語り終えた彼女は煌めく青の装飾が施されたティーカップを持つと優雅にその香りを楽しんでから、


「んぐっ、んぐっ、あ゛ー……」


 紅茶をラッパ飲みした。


「ん?御陵ちゃん、どうかした?」

 と彼女は左手で口元を拭いながら、手袋をした右手で机の引き出しの中から見たこともないような奇っ怪なデザインの箱を取り出した。


「い、いえなんでも……」 

「食べる?」

「いえ、お気になさらず……」

「警戒しなくても中身はただのクッキーだよ、クッキー。あ、このクッキーは修道院が作ってるんだってさ。貰い物だからよく知らないけどね」


 そういってクッキーを口に放り込んだ彼女は文化人類学者のヴォネガット・アイス教授だ。グレーの長髪をポニーテールにして、グリーンの瞳を手元のタブレット端末に向けている。

 私は彼女から色々な情報を教えてもらうべくここに来たのだが、何故かこうして古いおとぎ話を聞かされていた。

 彼女はなんというか自由奔放というかなんというか、変わっているといったら失礼だが色々と面白い人だった。最初は学者っていうからめちゃめちゃ頭良さそうな人を思い浮かべたのだが……


「お、今なんでこんな話聞かされてるんだろうって思ったでしょ」

「い、いえそんなことは」

「まぁ、分かるよ。なにせ君が聞きたいのは人間の言葉に関しての話だろうからね。世間では色々と言語不能の奇病だとかで色々騒がしくなっているそうだけどさ」

「はい」

「それなら普通、言語学者を頼るってもんでない?」

「確かに」

「いや確かにって。それじゃあなんで私のところへ?」

「LITERAL・PETRAというものが気になりまして」

「あー、アレかぁ」


 ヴォネガット教授は苦笑すると、紙束に埋もれかけていた本を取り出した。


「これに書いたやつね」

「そうです」

「医療にはとんと関係のない話だと思うんだけどなぁ」


 と、ボヤキながら彼女はページをぱらぱらと捲る。


「そーいえば、君はここに医療従事者、製薬会社GMOの人間として来たのかい?それとも――――」

「いえ。御陵由加わたし個人として、です」

「ふぅん。ま、どっちでもいいんだけどね」


 と、彼女はそういった後、本をパタリと閉じた。


LITERAL・PETRAソレ目当てで来たのなら多分おおよそは知っていると思うけど、LITERAL・PETRAはね、あくまで"文化"が対象だ。言語を収集しデータベース化したコーパス、それの文化版を作り、そこから逆算して言語とか環境についてを検索するってモノだ。だから巷間を賑わせている言語不能が「奇病」であるのなら、それは"医学"の話であって、言語学者や文化人類学者わたしの範疇にはないと思うんだけど」

「えぇ。先程説明した通り、言語不能が感染するとは考えられません。失語症、失声症、構音障害。それらは心身の異常により罹患するものです」

「だがそれは違う、か」


 と、ヴォネガット教授。


「えぇ。"言語剥離症"は全く発症理由がわからないんです。脳に異常があるわけでもなく、心の病を患っている訳でもないんです」

「朝起きたら言葉を話せなくなっているなんて、呪いかなんかだよねぇ」


 瀧波芳樹による臨床試験により、コロン出血熱の対抗薬は無事完成した。熱を帯びた血みどろの病はすっかりなりを潜め、世界的伝染は確かに食い止められた。

 だが、その影に、そんな熱なぞ凍らせるような脅威が隠れていた。

 言語剥離症。

 それは、突如として文字通り、人間から言葉を剥離する病だった。

 罹患する原因も不明、対処方も不明。分かっているのは言葉が話せなくなるだけの奇病が、徐々に広まり始めたのだ。


「私の友人も恐らくですが、言語剥離症にかかっています」

「なるほど。それで君は"医学"の問題ではないのなら、言葉、もしくは環境になんらかの原因があるのかもと思って来たんだね?」

「そういうことになりますね」

「なら最初に伝承を話したのは正解だったかな」

「と、言いますと?」


 ヴォネガット教授は腰に提げていた懐中時計を取り出してからこう言った。


「時間はあるかい?長い話になりそうだけど」

「大丈夫です。今日は休みなので」

「ん、それじゃあ話すとしようか。まずはそうだな。"伝承"の属性について話すべきかな」

「属性?」

「そ、属性。伝承は数あれど、その属性は大方決まってるものでね。これから先に起きる出来事の"兆し"を語るもの。今身の回りにあるモノゴトからこれから先に起きる出来事を"占う"もの。あとはこれより前に起きた出来事の反省からその行いを"禁じる"もの。最後に、過去も未来も、それ自体を"忌む"ものだ」


 そういうと、彼女は白紙にさらさらと何かを書いていった。


「"兆し"、"占う"、"禁じる"、"忌む"。この四つが大体の属性になってる」

「なるほど」

「そこからさらに分類となると、伝説や民間伝承になるんだけどそこはまぁいいや。最初に話した"伝承"はこの世界で最も古くからあるものだ。この伝承は属性としては一般的に"忌む"ものだとされてるんだけど、"禁じる"にも当てはめられるし、"兆し"とも"占う"とも考えられる難しいものなんだ」

「解釈の仕方ってことですか?」

「その通り。この伝承は最後に塔が崩れて終わりだ。生き残った三人がどうなったか、主人公であるペトラでさえも何も"この後"がない。これという決定打になる要素が見当たらないんだ」


 と、ペンをくるくると回しながらヴォネガット教授は言った。


「一つお聞きしたいんですが、"物語''との違いはどういったものになるんです?」

「"物語"はギリシャ神話とかそういった、人が創作した話の総称を指すんだ。有名どころで言えば、ギリシャ神話のヘラクレスなんかがそれに当たる。彼は英雄として様々な苦難を乗り越えた後に神として迎え入れられる。分類としては英雄譚に属するものだね。アーサー王伝説は、最後にはカムランの丘での戦いで傷つき倒れたアーサー王がサー・ベディヴィエール卿に頼んで、湖の乙女に聖剣を返して亡くなる。こういうのが"物語"だ」

「つまり、"伝承"は人が創作したものではない?」

「その通り!」


 パチンと指を鳴らすヴォネガット教授。


「"伝承"は人が事実を語り継いできたものだ。だからかは分からないけどその何れもが警告だったり、後悔だったり、後ろ暗いものばかりなんだよ」

「あの、にわかには信じ難いのですが、ペトラ伝承の内容は事実だってことですか?」

「うん、そーいうことになるね。だってそうだろう?この世界には特色のある文化が蔓延ってるんだぜ?赤子に可愛いと言ってはいけない国に、男が化粧をする民族。そんなどうやっても一つにまとまらないような人類がどうしてたった一つの言語で会話してるのさ」


 と、彼女は好奇心に満ちた眼を輝かせながら言った。


「最初からこうだったとは考えることは出来ないんです?」

「この星の原初の言葉がずっと続いているという考えだね。それはありえないことなんだ」

「ありえない?」

「文化は、"他とは違う"ということだ。ある集団特有の文化であるには別の集団の人間の考えとは異ならなくてはならない。環境も、言葉も近しい隣り合った国に大きな差異はない。だけど、文化とは伝染するものでね。大陸を渡っていくとそれにより積み上げられた小さな違いが如実に現れてくる。それがまたひとつの"文化"になるのさ」

「つまり、言語もソレと同じように少しずつ変化が現れると?」

「全くその通り!音の高低から発音そのものまで、全てが全く同じなまま世界中に渡るなんて、人間には出来っこないのさ」

「ということは本当に言葉がバラバラだった時代があったんですね……」


 と、私が言った後、ヴォネガットは何かを思い出したような顔を見せた。


「さっきのペトラ伝承にもその過去の断片は隠れてるんだぜ?」


 そう言うと彼女は手袋をした右手にペンを握り、白紙に何かを書き始めた。

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