いただきます!

「ありがとうね」

「……」


 少年はコクリと頷くと、涙を拭って扉を閉めた。

 私の傍らに立っていたミルティエールさんは先の質問の意図がわからないのか淡い色彩が照らされた顔に困惑した表情を浮かべていた。


「あの、先程の質問はどういう……」

「私、ガルツの方から来たんですけど、そこである噂が広まっていたんです」

「噂?」

「この先のムラで、理解不能の言葉を話す女に襲われたという男がいたんです。噂によれば、その傍らには小さな子がいたという話もありました」

「もしやあの子は……」

「えぇ。先程の答えからすると、その傍らの子だと思います。そして、男を襲った女は彼のお姉さんでしょう」

「そんな……」

「このムラではそういった噂は広まっていないんですね?」

「えぇ。全く。ただ、青ざめた顔をした男が走り去っていったというのは聞きましたが、それはもしかして」

「襲われた男、というわけになりますね……」


 室内を満たしていた来訪者を軟く包み込む静謐は、重く凭れかかるような沈黙になっていた。本格的に降り始めたのか、屋根に叩きつける雨音だけがこの室内に音をもたらす。


「彼も、オヴィスパが喋らないのは……」

「えぇ。私達の言葉を話せないんだと思います」

「何故彼のような幼気な子がこのような目に合わなければならないのでしょう……」

「その、にわかには信じ難いかもしれませんけど、あの塔が原因らしくて……」

「塔が……?」

「詳しく分かっている訳ではないんですけど、オヴィスパくんの状態と街の噂からするに恐らくはあれが異常の原因だと思います」

「もしや、あなたはその問題を解決するために……?」

「はい。何が出来るかは分かりませんが」

「おーい、ペトラー!どこだー!」


 外から微かにアランさんの声が聞こえてきた。ミルティエールさんにもその声が聞こえたらしく、扉の方を少し見やってから再び私に向き直った。


「お連れの方ですか?」

「はい。今日はここで一泊する予定なので、泊めてくれるような場所を探しているんです」

「まぁ、ならここに泊まっていかれては如何でしょう?まだ他にも部屋はありますので」

「本当ですか!」

「はい」

「私を含めて三人なんですけど、大丈夫ですか?」

「えぇ、それくらいなら問題ないですよ」

「ありがとうございます!さっそく呼んできますね!」

「それでは、私はお迎えの準備を……」


 ミルティエールさんはやんわりとした笑顔を見せてから、ゆっくりと頭を下げ、別の扉の方へ歩んでいった。


「いた、何処行ってたんだ一体」

「あまり遠くには行かないように頼むぞ、ペトラ嬢」


 雨脚が強まったムラの中心へ出ると、アランさんとザックィンさんが広場端の大木の陰に立っていた。


「すいません。それで宿のことなんですけど」

「あー、そのことなんだが、泊めてくれる場所が見つからなくてな」

「うむ、ペトラ嬢には申し訳ないが……」

「いえ、泊めてくれる場所見つかりましたよ」

「何!?俺があんなに頼み回っても駄目だったのに!?」

「なんと」


 なるほど、それでアランさんはずぶ濡れになっていたのか。しかしまぁ、急に髭面で背に大剣を背負った男が家に訪ねてきたらそりゃあ怖いだろう。


「あのキレイなガラスの建物なんですけど」

「んー、あれか?」

「ほう、アレは……」


 アランさんが興味津々に遠景に紛れるガラスを見つめている隣で、ザックィンさんは何やら目を見開いてしげしげとその建物を見つめていた。


「ザックィンさん、知ってるんです?」

「うむ。アレはこのムラの教会だな」

「教会……、なるほど。アレが教会なんですね?」

「見たことがないのか」

「はい。初めて見ました」

「まぁ普段そこに行く人間はそうおるまいて」

「あ、そうだ。それと、噂に出てきた男の子がいました」

「あ?」

「なんと?」

「だから、理解不能の言葉を話す女の傍らにいた小さな子です。惨劇のムラからここに来てたみたいで」

「何!?」

「それは一番始めに言うべきことだぞ、ペトラ嬢よ」


 目を見開いて驚くアランさんと、それとは対象的に苦笑いを浮かべるザックィンさんを見て、少しだけ雨に濡れた頬が熱を帯びるのを感じた。


「す、すいません」

「いやまぁ、一番のお手柄だから謝ることはないけどな」

「うむ」

「あはは、それじゃあ行きましょうか」


 再び教会の大きな扉の前に立つ。扉を叩くと内側から満面の笑みを浮かべたミルティエールさんが出迎えてくれた。


「ようこそ、ローシャ教会へ。私はミルティエールと申します」

「これはご丁寧にどうも。俺はアランだ。世話になる」

「私はザックィン。よろしく頼む」

「あら、その衣装は」

「私は御身のように敬虔なる信徒ではありません。元、神父ですので」

「そうでしたか。あぁっと、このような場所で荷物を持って立ち話をするのも何ですし、お部屋へ案内させていただいても?」

「あぁ、頼む」


 ミルティエールさんに案内されて奥の通路へ向かう途中、オヴィスパくんが扉から少しだけ顔を出していた。それに気づいたアランさんとザックィンさんがそれぞれ挨拶をすると彼はそっと頭を下げてまた部屋に戻っていった。


「恥ずかしがり屋なんだな」

「うむ」

「お部屋はこちらになります」


 教会の奥にひっそりと薄暗く、長い廊下があり、そこにいくつかの部屋があった。中はそれなりの広さがあり、床には薄青色の絨毯が敷かれており、机の上には花瓶が置かれている。唯一取り付けられた四角い窓からは内庭に咲く色とりどりの花が雨に打たれながらもなお、凛と曇天の空を睨めつけていた。

 荷物をどさりと部屋の片隅に降ろしてベッドに倒れ込む。ここまで慣れない馬にずっと乗ってきたからか、少し腰が痛い。柔らかい感触が体の疲れを癒やしてくれる。聞こえてくる私の呼吸音と微かな雨音を聞いていると体から徐々に力が抜けていくのを感じた。


「んがっ……」


 再び眼を開けた時には部屋は暗く、雨音は何処かへ消え去り、そのかわりに虫の音が響き渡っている。頭を少しだけ上に伸ばして窓から外を見ると小さな星々が輝いていた。


「寝てた……」


 頭をベッドに下ろすと触れた顎が何やら冷たいモノに触れる。


「んー……」


 寝ぼけ眼をこすってよく見るとそこだけシミが出来ていた。手で触れてみるとしっかりと湿っている。加えて先程から何やら口元に感じるこの違和感は……


「よだれか、これ……」


 この部屋が個室であることにぼんやりとした頭で感謝する。相部屋だったら本当恥ずかしかった。そんな安堵の気持ちはその後すぐに部屋の外から聞こえてきたミルティエールさんの声で吹っ飛んでいった。


「ペトラさん?失礼しますよ?」

「あーっ!あーっ!」


 ミルティエールさんが扉を開けきるその数瞬の間に手元にあった枕をシミの上に設置。私が急に大声を上げたことに驚いたのかミルティエールさんは入り口でビクッと立ち止まっていた。


「あ、あら、すいません。何度も話しかけても反応がなかったものですから……」

「あ、いえ、その、大丈夫ですっ。少し寝てただけなんで!」

「あら、そうでしたか。……その枕、お気に召されたんですか?」


 ミルティエールさんが不思議そうな目で私のことを見つめているの。私が防壁まくらをがっちりと両手で抱きしめていたからだろう。違うんです、ミルティエールさん。これはただよだれを隠しているだけなんです。


「あはは、そうなんですよ、この枕すっごく気持ちよくて!それで、何か私に用事でもあるんです?」

「あぁ、はいそうでした」


 とりあえず適当にごまかしてミルティエールさんの注意を枕から引き剥がすことに成功した。ただ慢心ほど怖いものはないので私は枕を背に起き上がった。これで見えることはないはず。


「お夕飯が出来たのでよろしければと思いまして」

「食べます!」

「ふふっ、そうですか。でしたらこの部屋を出て左の方にご用意してありますので……。他の皆様も既にいらっしゃっていますよ」

「すぐ行きまーす!いやっ、ミルティエールさんも一緒に行きましょう!」

「すいません、私はお部屋にある花瓶の花を新しいものにしようかと……」

「花瓶は私が持っていきますから、ほら一緒に行きましょう!?」

「あら、あらあら」


 ミルティエールさんの手を握ってずんずんと左の部屋に進んでいく。

 扉を開くとそこでは様々な料理と、少しそわそわしているアランさんと微動だにしないザックィンさんの姿があった。


「やっと来たか」

「おはようペトラ嬢。その様子では眠っていたのかね」

「あはは、すいません」

「まぁいいさ。慣れない旅で疲れも溜まるだろう。それよりも、ミルティエールさんもペトラも座って飯食おうや、飯」


 急かされながらミルティエールさんが席についたところで私はあることに気づいた。


「あれ、オヴィスパくんは?」

「あぁ、あいつか。あいつはさっき食べてたぞ」


 アランさんがこともなげに応える。


「食べてたって、一人で?」

「いや、アランが隣で物欲しげに見つめていた」

「何してるんですかアランさん」

「仕方ないだろう、うまそうだったんだから」

「オヴィスパくん、かなり戸惑ってましたね……」


 ミルティエールさんは苦笑いを浮かべながらも、どこか嬉しそうでもあった。


「彼、普段人見知りなので少し心配だったのですが、アランさん達にはなついているみたいですね」

「そうなんですか?」

「おう。俺がミルティエールさんと話をしてたらな、いつの間にかひょっこり俺の隣に座ってたんで色々教えてたんさ」

「なるほど」

「んで、あいつは腹減ってたんで先に食ってたんだ」

「そうだったんですね」

「もうダメだ、腹減りすぎて辛抱ならん!食べていいか?いいよな?」

「えぇ、もちろん」

「いただきます!」


 言うやいなや料理を黙々と口に運び始めるアランさん。ザックィンさんもゆっくりと食事を楽しみ始めていた。


「さて、私達も」

「いただきますか」


 その後、夕陽のような暖かな灯りに包まれた教会での密やかな晩餐はしばらく続いた。

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