二人で一緒に

「大丈夫かい、あんた」


 足元で絶命しているクマに負けず劣らずの巨体の髭面の男が松明片手に私に手を差し伸べてくる。この男が持つと松明が小さく見える。


「は、はい・・・」


 ゴツゴツとした手で引っ張られる形で立ち上がる。見た目通りの力の持ち主だ。背後に見える巨大な剣はこの男にとっては丁度良いサイズなのだろう。


「しかし、地上の森塊ここでクマが出るとはなぁ。あんた、災難だったな」

「はい・・・。助けてくれてありがとうございました。お陰で助かりました・・・」

「間に合って良かったさね。遠くで声が聞こえたもんだから何事かと思ったぜ」

「クマが近づいてきてたのに気がつかなくて・・・」

「まぁここでクマに追いかけられたのなんてお前さんくらいだろうな」


 ガハハと大口を開けて笑う男。いや、冗談じゃなくしんどかったんですが。そう言おうとして、まだ聞くべきことを聞いていなかった事に気がついた。


「あの、お名前をお尋ねしても?」

「アランだ」


 さっぱりと返答するアラン。見てくれこそ暑苦しい感じはするが、対応はどこか仕事人みたいなあっさりさがある。


「アランさんは狩人なんですか?」

「まぁそんな感じだ。ここを抜けた先の草っぱらで獲物を狩ってんのよ」

「その、剣?みたいなので?」

「いんやぁ、違うぞ。さすがにこいつじゃ草っぱらの奴らにゃ追いつけん。あっちで俺が使ってんのはこいつの方さ」


 そういってアランが取り出したのは刺々しい茨の如き木材で造られた弓だった。先程、迫るクマを射抜いたのもこの弓だろう。

 それにしても持っている武器がどれも大きいのなんの。私の持っているナイフなんて、彼は普通に手でへし折れるんじゃなかろうか。


「しっかし、お前さんまだ見たところ17かそこらだろう?よくここまで来たな」

「えぇ、まぁ。死にかけましたけど」

「お前さん、もしかしてガルツの方まで行きたいのか?」

「そうです。よくわかりましたね?」


 弓を肩に掛け直し、両手の指をバキバキと鳴らしながらアランが答える。


「いや、よく分かったも何も、ここを通る人間の目的地なんてそこくらいしかないだろう?よもや果てのない海へ行こうなんて馬鹿な考えをするようなやつには見えないしな」

「それもそうか・・・」


 この森を抜け、草原を東へ向かうと多くの人間が行ったきり誰も帰ってこない海がある。果てのない航海を続け、未踏の地へ辿り着いたのか、それとも途中で嵐にでもあって海の底へ消え失せたかは神のみぞ知る話だ。


「あの、アランさん。アランさんはグロスに向かうのですか?」

「ん、俺はさっき行った通り狩人みたいなもんだからな。お前さんの故郷、グロスには行かんぞ?ガルツ近郊に家があるからな、そこに帰る」

「えっ、なんで私がグロス出身だと分かったんですか!?」


 アランは私の驚いた顔を見て少し得意げな表情を浮かべた。


「いや、お前さんのズボンに、グロス独特の紋様パターンがあったからな。それを見て分かった」


 驚いた。まさか紋様を見てすぐに分かるとは。


 グロスは南端に位置する都市だ。農業と布織物などが盛んで、グロスの仕立て屋に入るとこの都市独特の紋様が描かれた服にお目にかかれる。

 ただ、グロスとガルツはかなり距離が離れているのに加え、ここ地上の森塊の存在もあり、双方での貿易はほとんど行わない。たまに勇気ある旅人か行商人が来て、土産に何かを持ち帰る程度で、都市間の交流は一切ないに等しいのだ。


 一見、その場の思いつきで描いたデザインにしか見えないその紋様にはきちんと型がある。グロス・ストライプの原型はグロスに伝わる古代文字だと言われている。文字と言ってもさほど種類はないそうだが。

 この紋様は身体をぐるりと取り囲むようにデザインされている。幾何学模様のような見た目をしており、グロスではこれが一般的な装束だ。


 グロス・ストライプの基本となる線は、5種類。


 縦線 【 | 】

 横線 【 ― 】

 斜線 【 / 】

 逆斜線 【 \ 】

 曲線 【 ~ 】


 この5種類が、グロス・ストライプの基本的な構成要素だ。これを組み合わせてテンプレート・タイプを形作る。


 テンプレート・タイプは8種類。


「歓喜」 縦線 【 | 】+ 横線 【 ― 】

「戒心」 縦線 【 | 】+ 斜線 【 / 】

「憤怒」 縦線 【 | 】+ 逆斜線 【 \ 】

「厭悪」 縦線 【 | 】+ 曲線 【 ~ 】


「悲嘆」 横線 【 ― 】+ 斜線 【 / 】

「驚嘆」 横線 【 ― 】+ 逆斜線 【 \ 】

「敬愛」 横線 【 ― 】+ 曲線 【 ~ 】


「恐怖」 斜線 【 / 】+ 逆斜線 【 \ 】


 それぞれの基本線の組み合わせによって、紋様の表す意味が異なる。

 これらテンプレート・タイプは「感錠かんじょう」と呼ばれている。


 そこからさらに、感錠を組み合わせて出来る紋様が8種類ある。

 こちらは「極感錠きょくかんじょう」と言い、陰と陽の二属性に分類されている。


 陽属性

「歓喜」 +「戒心」 = 「楽観」

「歓喜」 +「敬愛」 = 「愛」

「戒心」 +「憤怒」 = 「攻撃」

「憤怒」 +「厭悪」 = 「軽蔑」


 陰属性

「厭悪」 + 「悲嘆」 = 「後悔」

「悲嘆」 + 「驚嘆」 = 「拒絶」

「驚嘆」 + 「恐怖」 = 「畏怖」

「恐怖」 + 「敬愛」 = 「服従」


 これら、極感錠の場合、衣服の着用の仕方にも意味が生じる。

 陽属性のグロス・ストライプの場合、身体の前面を線交差の始点とし、背面は線交差の周囲をぐるりと大きな円形で囲まれている。陰属性の場合はその真逆のデザインだ。

 つまり、陽属性の場合は服の背面に円形が描かれており、陰属性の場合は服の前面に円形が描かれているということだ。

 この円形は、その人間を拘束する鎖を意味し、表では情熱的な「愛」を謳い、裏ではその「愛」に囚われているという二面性を表すデザインになっている。


 私のズボンに描かれているのも、その「愛」の極感錠だ。もっとも、これは両親からのプレゼントだけど。


「グロス・ストライプを知っているとは思いませんでした。もしかして、一度グロスに行かれたことがあるのですか?」

「おうさ。まぁ、興味本位で行ってみたんだが、中々良いところだった」

「興味本位で行けるものなのか・・・」


 狩りで鍛えられた男というのは凄まじいなぁ。


「あの、先程ガルツ近郊にご自宅があると言ってましたよね・・・?」

「おうさ」

「もしよければ、ガルツまで連れて行ってくれませんか・・・?」

「おうよ、もちろんだ。あんなのに追いかけられた後にまた一人暗闇を歩くのはなかなか応えるだろうて」

「ありがとうございます!」

「んじゃぁ、ガルツ平原まで行くぞ」

「はい!」


 リュークを背負い直して、先行するアランを追いかける。後ろから追いかけてみると分かるが、やっぱりでかい。一歩が大きくて、私はそれに追いすがるように歩いた。

 途中、アランが私が必死に追いつこうとしているのに気づいてペースを落としてくれた。横並びで歩いている最中、唐突にアランが何かを思い出したように呟いた。


「そういや、お前さんの名前まだ聞いてなかったな」

「あっ、そういえば」

「聞いてもいいか?」

「えぇ、もちろん。私はペトラって言います」

「ペトラ、ペトラな。分かった」


アランはうんうんと満足そうに頷いた。


「あの、地上の森塊ここってあとどれくらいあるんですか?」

「ん、あともう少しで抜けるぞ。ほれ、少し遠くのほうに明かりが見えるだろう?」

「んー・・・?あっ、ほんとだ!」


暗闇をクマと仲良くデッドヒートしたお陰か、もうすぐで地上の森塊を出れるところまでは来れていたようだ。


「しかしペトラ、お前さんのその薬指に巻きつけているのはなんなんだ?」

「あぁ、これはお守りみたいなもんです」

「ほう、そうか。まぁ効き目はギリギリだが間にあったな」

「たはは、そうですね」


歩むほどに、闇が白けていく。今では隣にいるアランの全身もはっきり見えるようになってきた。久しぶりの陽の光に心の底から安堵が溢れるのを感じる。暗闇では感じることのなかった自然の暖かさが前方から私の肌が感じ取る。


「そら、もう抜けるぞ」


アランが松明を消す。彼と共に並び立ったその先には―――――


「ここが大陸中央に位置する、ガルツ平原だ」


―――雄大な、どこまでも広がる平原と、突き抜けるほどの青い空が私達を待っていた。

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