常闇を駆け抜けて
「身体痛ぁ・・・」
夢を見ていた気がするが、身体を起こした時の身体の節々の痛みでどうでも良くなった。どのくらい寝ていたのだろうか。長い間寝ていたような気もするし、ほんの少ししか寝ていない気もする。どちらにせよ体調は最悪だ。
身体を伸ばし伸ばし、リュークとは別の布袋に入れておいた乾燥させた牛肉を取り出しかぶりつく。
「かったいなぁ、これ」
こう疲れていると顎を動かすのも億劫になる。あぐあぐしてるだけで全然噛み切れない。ご近所の庭先の犬がこんな事してた気がする。
「お、そうだ」
リュークから水を取り出して肉をつけてみる。これで少しは柔らかくなるはずだ。味はちょっと薄まるかもしれないけど。
「んぐ、かっ、変わってない気がするぅ・・・」
先程の状況と何も変わらない。乾燥させるとこんなにも固くなるのか、牛肉って。ろくに休めていない状況に加えて噛み切れない肉。ツラいなぁ。もっと柔らかいお肉が食べたい。出来れば陽の光の注す居心地のいいところで。
泣きそうになりながら肉に齧りついていると不意に背後の方で微かに気配を感じた。
「ん・・・?」
森に住む動物だろうか。この森には木の実を食べる小動物達がかなり多く生息している。歩いているだけでかなりの数のリスなんかがチョロチョロ動き回っているのを目にすることが出来る。中には急に松明に照らされた事に驚いて頬袋につめかけていた木の実をボロボロと口から吐き出しながら逃げ出していくのもいた。
だが、これは違う。
着実にこちらに向かってきている。音が忍び寄ってくる感覚。リスとか小動物ではない。
パキッ・・・パキッ・・・
小動物ならば、小枝を折る音なんて出さないし、出せない。だが、ここらにそれ以上の大きさの動物がいるとは聞いたことがない。つまり―――
「人・・・?」
私に追いついてきた人間だろうか。でもそれなら忍び寄ってくる意味がない。いや、暗くて見えないのだろうか。
「数歩先までしか見えないとは言え、この足音は変な感じがするな・・・」
聞こえてくる足音は人間にしてはなんというか、音の数が多い。複数人でこの地上の森塊を通る人間もいるだろうがそれにしては規則的すぎる。暗闇で完全に歩調を合わせることが出来るとは思えない。
とりあえず、リュークを背負って松明に火を灯す。及び腰になりながら、音のする方向へ明かりを向けた。
「――――――え?」
松明の明かりに照らされゆらめく私の影。その影が映っていたのは地面ではなく―――――
「クマだぁああああああああああ!?」
恐らく、この地上の森塊で目撃したのは私だけであろう、クマだった。
私の叫び声に共鳴するように、その大口を開けて咆哮を上げる巨体。
「しまった・・・!声出しちゃった・・・!」
クマと相対したときは「慌てず、騒がず」が基本的な対処法だ。クマは最初からこちらをぶっ倒しに来るほど凶暴ではない。彼らは興味本位で近づいてきたり、自分の見慣れないものをどうにか追い返そうと威嚇してくる事が多い。つまり、ただでさえおっかなびっくりに近づいてきたクマを目の前に声を上げたこの状況は非常にマズい。
咆哮を上げた時点で、クマは防衛のために攻撃を始めるだろう。
「走ったら追いかけてくる・・・!けど、この間合だと完全にやられる・・・!どうすれば・・・!?」
クマは素早く動くものに反応するため、背を向けて逃げると追いかけてくる可能性がある。しかしかと言って、眼前にいるクマは私の2~3倍の大きさがある。腕の一振りで私の身体はふっとばされてむしゃむしゃやられるのがオチだろう。なら・・・!
「獣は火に弱い!」
松明をクマに目掛けて投擲する。
人間が古代、巨大な動物を狩ることが出来たのは獣が恐れ、人間にしか扱えない火の存在と、他の種にはない「投擲」が可能だったからだそうだ。
つまり!この松明を投げつけるという行為は人間が獣に対して取れる最強の攻撃なのだ!
「って、あれえええ!?なんで!?火大丈夫なのクマってーーーー!?」
松明など物ともせずにこちらに向かって突進してきた。
クマの突進には種類があって、一つは対象に突っ込んでがぶりとやっちゃう攻撃突進と、対象の手前で止まる威嚇突進がある。
しかし、今この状況では私との距離は3mと少ししかない。これはどう考えても前者だ――――!
「走るしかないかああああああああああ!」
ちなみに、クマは夜目が効く。しかし、視力はそこまでよくないので、200m先の動いているものが人間かどうかを判断することは出来ない。そのかわり、彼らは鼻がよく効く。もしかしたら私の食べていた肉に反応してこちらまで来たのだろうか。いや、そもそもなんでこんなところにクマがいるんだろう・・・!?
とにかくがむしゃらに走る。悪手ではあるが、既に敵意を持たれたこの状況だとこうするしか思いつかない・・・!
後ろを振り向く暇なんてないと頭では分かっているはずなのに振り向いてしまう。怖いんだもの。仕方がない。だが、クマは私が予想していたよりも後方にいた。
「あれ、あのクマ足を怪我してる・・・?」
先程は焦っていて分からなかったが、走り方がおかしい。後ろ右足をかばうように走っているためか、あまり速度が出ていない。これは僥倖だ。うまく行けば逃げ切れるかもしれない・・・!
暗闇をひたすら走り続ける。松明を回収できなかったのでろくに足元が見えない。もし小石に躓きなんてしたら一巻の終わりである。木に登って逃げようかと考えたが、クマは木登りが出来る。逃げ場をなくすだけの愚策だ。
「痛っ!な、なに!?」
不意に左手に痛みが走る。
「しまった!紐か!」
どうやら薬指に巻きつけている紐が伸びて、クマに踏まれる為か強く締め付けられていた。
「外さなきゃ・・・!」
どうにか指から外そうとするのだが、食い込んでいてうまくいかない。走っているせいもあって手先をうまく動かせない。
「そうだ、ナイフ・・・!」
腰につけていたナイフを取り出して麻紐を切断する。外界との関わりが云々なんて考えてる場合じゃない。命が危ない。このままでは天界行きだ。
ちらりと振り返ってみるとさっきよりもクマが追いついてきていた。
「さ、流石に疲れてきた・・・!」
もうすぐ10分近くは経ってるんじゃないだろうか。元々残り少なかった体力に加え見えない道を走っているので時々転びそうになる。このまま走り続けても逃げ切れる可能性は望み薄だろう。脇にそれて低木に身を隠そうにも10m強しか離れていない今では普通に見つかる。仮に200m離れたとしても匂いでバレる可能性もある。
「これ、もう駄目かな・・・」
体力もそうだが、考えれば考えるほど絶望的な状況だという事が分かって心が折れそうになる。今から歩いて「敵じゃないでーす、友達でーす」って手を振ったら許してくれないだろうか。そのまま手を振りかざしてバッサリ爪でやられそうな気がするけど。
「肉さえ食べなければ・・・、あっ」
後悔の最中、事に至る原因に行き着いた。そも、後ろでよだれを撒き散らしながら追いかけてきているあのクマは恐らく私の食べていた肉に反応して寄ってきたのだ。もしかしたら、肉を後ろに放ればそちらに興味が移るかもしれない・・・!
リュークから乾燥肉を取り出す。その一連の動作の影響もあって、クマとの距離はもう6mほどまでに縮まっていた。
「ほら、お食べ!」
3~4枚の肉を後方にぶちまける。これで止まるか・・・!?
「グオオオオオオオオオッ!!!」
「そんなっ!?っと、やばっ・・・!?」
クマは私の手の何倍もありそうな前足で肉を踏み潰してさらに加速した。後ろを向いて走っていたからか、小石に躓いてバランスを崩し、そのまま倒れてしまった。しかも、うまく受け身が取れなかった為胸を強打してしまい、うまく呼吸が整えられない。
「っ、はっ・・・はっ・・・!」
5m。こちらに向かってくるクマに止まる様子はない。完全に獲物を狩る者の目だ。今から走り出しても、もう間に合わない。
4m。地面から私の身体に伝わる振動がより大きくなっていく。ナイフで斬りかかろうかとも思ったが、私の細腕ではクマの硬い毛皮に傷を付ける程度で、厚い脂肪を貫くことはできないだろう。突進してきたクマにナイフを突き立てればもろとも私の腕が折れる。
3m。獣の息遣いがより近づいてくる。あとはもう、その巨体で飛びかかるだけ。
クマは後ろ足で地面を蹴りぬき、私に飛びかかる――――――
「―――――え?」
耳元を何かが高速で通り過ぎた。
そう感じた次の瞬間には、クマの鼻頭に一本の矢が突き刺さっていた。
怒声とも悲鳴ともとれるような咆哮を上げ、クマはその巨体を地面に打ち付けた。
地面においた手からクマのそれとは別の振動を微かに感じたかと思うと、私の後方からさらに2~3の矢がクマの頭部めがけて飛来する。
よく眼をこらすと、既にクマの側に何者かが立っている。
「おおおおっ!」
野太い男の声がすると同時に、暗闇に鈍い打撃音が木霊した。それから、クマの息遣いが聞こえてくることはなかった。
唐突に、一点の光が灯る。久々に見るその明かりに眼をくらませる。一瞬、何かが輝いて見えたような気がした。
「大丈夫かい、あんた」
地面にへたれ込んで動けない私の目の前に松明の明かりと共に現れたのは、巨大な剣を背に携えた、髭面の大男だった。
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