平原に立つ

 草木生い茂り、緑鮮やかな平原を分断するように煌めく水流が大地を走る。この広大な世界にとっての血脈のような存在であるあれは・・・


「ギレッジ大河さな」

「へー!」

「魚も釣れるぞ」

「食べたい!」

「今日は無理だぞ」

「なんで!?」

「な、なんでって釣り竿を持ってきてねぇからなぁ」

「そうですか!残念!」

「はっはっは、なんかやけに元気になったな?」

「そりゃあそうでしょう!太陽ですよ!明るいんですよ!全方向を見渡せるんですよ!」

「そりゃあ明るいからそうだろうよ」


 半ばあきれた顔を見せながらもアランは平原から見渡せる場所について色々教えてくれた。


「あの右手に見える山はコナッド山だ。山菜とか色々取れるぞ」

「ふむふむ」

「あそこには確かクマもいたから・・・、そういやさっきのクマ足怪我してたな。もしかすると、あそこで誰かが仕留め損ねたやつが逃げてきてたのやもしれんな」

「なるほど・・・」

「まぁ、過ぎたことを考えても仕方がない。ほれ、今度は左だ。少し地形が盛り上がってるところがあるだろう?あれがエモンの丘だ」

「エモンの丘って、エモンの丘?」

「あの?」

「あれ、エモンの丘の伝承ご存知でない?」

「知らんな、聞いたことが無い。そんなもんあるのか」

「はい。確かエモンの丘には神様がこの世界に来た時に置いていった金銀財宝が眠っているとかなんとかで」

「ほう、そんな言い伝えがあるのか」

「ホントにあるんですかね?」

「無いな、あるのは有象無象の骸だけさね」

「む、骸!?」

「おう。あそこの丘、やたらめったら人骨が埋まってるって巷間で話題になってたぜ」

「えぇ・・・」

「まぁ、そのへんの与太話ならあっちについてから仰山聞けるだろうよ」


 しばらく歩き続けると、何もなかった平原の地面に歩道らしきものが見え始めた。おそらくこの辺りまでが町の人々の行動範囲なんだろう。人の足跡らしきものは一切見られず、地面に深く彫り込まれた轍の跡が散見するのみだった。


「もうじき日が沈む。今日はここまでだな」

「はい」

「俺は薪を集めてくるから、そこの川で水浴びでもしてきたらどうだ」

「え、でも」

「見ねぇよ」


 気を使ってくれるのは嬉しいけどそこまで即答しなくても良いんじゃないんですかね。


「そうじゃなくて、私も手伝いますよ」

「良いって良いって、一人でも十分に集められる。ついでに狩りもしてくるからな」

「そうですか・・・」


 狩りとなると、私がいたら邪魔になるだろう。ここは彼のお言葉に甘えよう。


「それじゃあ、待ってますね」

「おうさ」


 そう言うなり、アランは弓を担いで平原の東へ向かっていってしまった。


「さてと・・・」


 着替えを持ってギレッジ大河の方へ向かう。地上の森塊出口付近ではかなり広かった川幅もここまで来ると私でも泳いで渡れそうなくらいには狭まっていた。川辺りは足がつくくらいに浅い。

 日が沈みきってしまう前にさっさと水浴びをすませよう。何しろしばらく身体を洗えていなかったので身体が薄汚れている。若干におう気もするし。

 服を川原で脱ぎ捨て、恐る恐る川へ足を入れてみる。


「つっめたっ!?」


 自分の想像していた数倍の冷たさに思わず声が出てしまった。いやー、水を浴びれるとはいえ、この冷たさはちょっとなぁ・・・。


「何か手立てはないものか・・・」


 思案してみるものの特に思いつかない。それに、こうしている間も太陽はずんずんと沈んでいっている。


「よし」


 胸をトントンと叩いてから深呼吸。持ってきた桶・・・ではなく、自分の両手でちょびっとだけ水を掬って鎖骨のあたりから身体にかけてみる。


「うばばばばばっ」


 澄み切った水が肌を伝い流れ落ち、肢体を濡らす。すんごく冷たい。けど少し身体が慣れてきたのか、ちょっと心地よくなってきた気もする。でも冷たいのは確かで身体がぶるぶると勝手に震えてしまう。


「これっ、髪洗うの大変っ」


 手でちびちびと水をかけるのも面倒だし、桶に水を掬う。

 心の準備をしてから頭に思い切りぶちまける。


「――――――!!!」


 冷たい。なんか心なしか身体がほっそりと縮んでいくような感覚に襲われる。このままだと本格的に風邪を引いてしまいそうなので両手で頭をワシャワシャする。急いでやっているせいか時折髪に指が引っかかり、涙目になりながらもなんとか水浴びを遂行した。


 川から上がり着替えをすませたあと、木陰で焚き火の準備をしているアランと合流する。空の中心で燦々と輝いていた太陽はすでに見る影も無く、あたりは闇に包まれていた。


「大丈夫か、お前さん」

「ざむ゛か゛っ゛た゛」

「お、おう。ほら、これを羽織るといい」

「こ゛れ゛は゛?」

「毛皮だ、クマの」

「ク゛マ゛ッ゛!?」

「風邪を引きたいんなら別にかまわないが」

「い゛り゛ま゛す゛」


 煌々と影を灼く焚き火の周りにはアランが狩ってきた鳥の肉が串刺しにされていた。今日の夕食は焼いた鶏肉に加えて私の持っていたパンだ。


「頂きます!」

「おう、食え食え」

「んーまっ!」

「それなりの量は狩ってきたからな、腹いっぱい食うといいさ」

はい!」


 私が肉に食らいついているとアランが次の肉を串に刺しながら質問をしてきた。


「そういやお前さん、なんでガルツまで行こうなんて思ったんだ?」

はい?」

「いや、お前さんくらいの女の子がわざわざ大陸を横断するようなことをする理由が分からんのよ。なんか目的があるんだろう?」

「あー・・・」

「ん、いや答えたくないなら答えなくても大丈夫だぞ?少し気になっただけだからな」


 アランは私が返答に困っている様子を見てすぐに気を使って逃げ道を作ってくれた。地上の森塊で助けてくれた時といい、今こうして目の前で自分で狩ってきた獲物を調理してくれるのといい、彼はとても情に厚い。

 だが、別に私は言いたくないではない。ただ少し、説明に困るだけなのだ。それに、ここまで親切にしてくれたアランに対して隠し事をするのもなんだか気が引けた。


「私がガルツを目指しているのはですね」


 アランは私が喋り始めるのと同時に手を止め、居住まいを正してこちらに向き直った。なんというか、こうしてちゃんと聞いてくれる姿勢を取ってくれるのはありがたい。


「大した理由じゃないんですけど、その、私の母親が死んだのが始まりなんです」

「母親が?」

「えぇ。元々病弱な身で寝込みがちだったんです。私が物心つく前に父が亡くなっていたので、それ以来母は一人で私を育ててくれたんです」

「・・・そうか」

「本当に優しいお母さんでした。このズボンは父が着ていた服を私のためにお母さんが作り直してくれたんです」

「いいお母さんだな」

「えぇ。でも、どんどん寝込んでいる時間が増えていって。私は8つの頃からほぼお母さんにつきっきりでした」

「大変だったろう」

「少しだけ。周りの人も助けてくれましたからてんてこまいってほどでもなかってですけど。でも、結局お母さんは死んじゃいました。病気に抵抗できるほどの体力がもう無かったんです。悲しかったけれど、辛くはありませんでした。ずっと一緒にいたから、なんとなく分かっていたんです。いつかいなくなっちゃうんだろうなってことは」

「・・・」


 アランは何も言わなかった。本人がそれで納得しているのなら、それでいいということなんだろうか。優しい沈黙というのもあるんだなぁと少し発見をした心持ちになった。


「それで、私は何もすることがなくなりました。私はいつの間にかお母さんの世話をすることが目的になっていて、それ以外のことに目を向ける余裕が無かったんです」

「仕方がないだろう。母親を思う気持ちを簡単に切り捨てられる子供なんぞおらんさ」

「そう、ですね。それで、何もなくなった私はふとこう感じたんです。何も無いのなら、何かを知りたい、と」

「それで旅に出たのか」

「えぇ。私を縛っていた鎖は既に私の四肢から断たれていたのに気づいたんです」

「鎖、ね」

「アランさんはグロス・ストライプの本当の名前を【感錠かんじょう】っていうの知ってます?」

「かんじょう?いや知らんな」

「あの紋様は人の気持を表すモノです。私たちはそれに囚われている。身体と心に聯絡れんらくする楔。人は開かない錠に耽溺たんできする。だから感錠というんです」

「なるほどな、そういう意味があったとは」

「そこまでは知らないのも無理はないです。むしろガルツの人間であるアランさんがグロス・ストライプを知っていることがすごいんですから」

「ほほう、そうかい」


 焚き火の明かりに照らされるアランの満面の笑み。本当に優しい人だ。その笑顔にあてられてか、満腹による満足感からか、少しまぶたが重い。


「さて、腹ごしらえもすんだし、今日はもう寝よう」


 アランが膝を叩いて立ち上がる。


「そうですね・・・」

「木陰の方に寝床をこさえておいた。あっちで寝るといい」

「はい、ありがとうございます・・・」


 とぼとぼと木陰へ向かう最中、夜気にあてられた私は背中に感じる温もりに置いてきた忘れ物を思い出した。


「アランさん」

「ん?」

「私の話を聞いてくれてありがとうございました」


 一瞬、眼をまんまるにして驚いた様子を見せたアランだったがすぐに先程の笑顔に戻った。


「いや、礼を言うのはこっちのほうだ。話しづらい身の上話まで晒してくれた上にグロスについての知識もついた。ありがとさん。ていうかそもそも聞いたのは俺の方だしな」

「それでも、です」

「ふっ、そうかい」


 またまぶたが重くなってくる。心地よい眠気が私を満たす。


「すいません、もうねますね・・・」

「あいよ、おやすみさん」


 木陰に造られた草の上に敷かれたふかふかの毛皮に身を預ける。

 私はゆっくりと、これまで以上に満足した気分で眠りに落ちていった。

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