街を目指して
「ほれ、起きろペトラ。出発するぞ」
「んー・・・」
微睡みの中で野太い男の声が響く。耳を澄ますと聞こえてくるのは小鳥のさえずりとガチャガチャと音を立てる何か。加えて―――
「ブルルルルルッ」
・・・絶対にアランとか小鳥とかじゃない何かの声のようなものも聞こえてきた。
固くくっついてしまったかのような重いまぶたをなんとか開くとそこには荷車につながれた二頭の立派な馬がもごもごと口の中で何かを咀嚼していた。
そばに立っていたアランが視界の端からひょっこりと顔を見せる。
「おはようさん、よく眠れたか?」
「・・・はい」
「朝、弱いんだな」
「・・・はい」
「悪いが街の方から迎えが来てる。頑張って起きて支度してくれ」
「・・・はい?」
「おーいアラン、まだかー?」
馬車の辺りから女性の声が聞こえてきた。
「少し待ってくれ、今急いで準備してるから」
「誰です?」
「あー、あとで説明するから今は急げ」
「は~い」
身体を伸ばして大きく深呼吸。澄み渡る空気が私を夢から引き戻す。耳朶に触れるギレッジ大河は辺りを濃い霧とせせらぎで包み込んでいた。
「ここからガルツまでどれくらいになるんですか?」
「半日もかからないくらいだな」
「まぁ馬車に乗ってるからねぇ。乗ってなかったらもう一日外で寝るハメになってたろうさ」
「そこは本当に感謝してるさ、姐さん」
「だからその姐さんってのやめろ、年増みたいだろ」
「だって本当にそう」
「降りるか、あんた」
「すまん、ラクトさん」
「あはは・・・」
馬車に揺られながら霧の中を進む。私達が寝ているところを見つけたアランさんの知り合いだというラクトさんがガルツまで乗せていってくれることになったのだ。ここまで歩き通しだった為、正直ガルツまで歩いていくのは辛かった。歩いて行く必要がなくなったのは僥倖だった。
「ラクトさんとアランさんはどういうお付き合いなんです?」
「ただの客と店主さ」
「客?お店をやってるんですか?」
「そう、アタシは酒場をやってんのさ。んで、
「へぇー。酒場ですか、楽しそう!」
「はは、まぁ来たら酒のひとつでも・・・、いや酒はまだ駄目か。パイのひとつでも焼いてあげるよ」
「ほんとですか!やった!」
「ん~、若い子は純真でいいねー。可愛いったらありゃしない」
「そういうところが姐さんって言われる原因なんだがなぁ・・・」
「うるさい髭」
「へいへい・・・」
ラクトさんが赤い長髪を風にたなびかせながら馬を繰る。後ろを振り返ってみると出発したときよりも幾分か霧が晴れてきていた。空にはうっすらと霧を溶かすのに躍起になっている太陽の姿があった。
その太陽を目を細めながら見つめていると頭の後ろにラクトさんの声が聞こえてきた。
「あともう少しでガルツにつくけど、ペトラちゃんお腹減ってないかい?」
「お腹・・・は空いてます」
「そうかい、なら確かペトラちゃんの左だったか、木箱がないかい?」
「あぁ、ありますね」
「その中にパンとか入ってるから食べるといいよ」
「うーん、ありがたいんですけど・・・」
「なんだい?太ってるの気にしてるのかい?あんまり太ってるようには見えないし、少し細すぎるくらいだと思うんだけど」
「い、いえ!そうじゃなくて、ラクトさんの焼いたパイが食べたいなぁって思って」
そう言った瞬間、何故かラクトさんはこちらに振り向いたあとに何やら手に力を込めると今までよりも激しい勢いで馬を鞭打った。
「すぐに!すぐに着くからね!」
「えぁ?は、はい」
「おー・・・」
激しい鼻息が聞こえてきそうなラクトさんを物珍しそうに見るアランさん。
「あれだな、甘え上手なんだな」
「誰がですか?」
「いや、お前さんだよ」
「えぇ?」
「その自覚のないところとか、なんとなく不安にさせる出で立ちとか、天賦の才能ってやつだな」
「褒められてるのだろうか・・・」
「褒め言葉だよ」
それからの馬車の速度と言ったらそれは凄まじいもので。バシバシと鞭打つラクトさんが繰る馬はみるみるうちに速度を増した。それに従って私達のいる馬車の振動が激しくなっていったのは言うまでもない。アランさんは慣れているのか特に動じもせず、それどころかいびきを立てて眠り始めていたが、私は座る体制が悪いのか場所の問題なのかお尻をしこたま床にぶつけてそれどころの話ではなかった。
ラクトさんに話しかけてみようかとも思ったがその背中には何やら話しかけていいものか迷う
私はそれをぼんやりと見つめながらこれからのことに想いを馳せる。
母の死によって、私はあの都市の楔から放たれた。今までやるべきことだったことは既に跡形もなく、これからやるべきことは風に吹かれる砂塵と同じくらいに拠り所がなかった。
思えば、浅慮に過ぎた選択だったのかもしれない。新しいところに行けば何かが見つかるかもしれないと、自分のやりたいこと、やるべきことがやってくるかもしれないと思っていた。でも、本当に見つかるのだろうか。故郷においてきた不安が、あらゆる場所を超えて私の胸に突き刺さる。
「考え過ぎだよね」
クマから助けてくれたアランさんも、こうして馬車に乗せてくれたラクトさんもいい人だ。それにまだ見ぬ街に不安を抱いたってその街はなんら変わること無く、この道の先で私を待ち受けている。
「そうだ・・・!」
私にはガルツに帰る場所がない。その場所を手に入れるのにも相応のお金がいる。それなら何処かで働くしか無い。
・・・ラクトさんの酒場についたら、働かせてもらえるかどうか聞いてみよう。街の酒場となると、入ってくる情報量もかなりのものになるだろう。何か見つけられるかもしれない。
「ペトラちゃん!」
「ひゃ!?は、はい!?」
私が空を見ながらこれからについて思案をしていると急にラクトさんの声が飛び込んできた。
馬車の速度が落ちていく。振動音が消えていく代わりに、たくさんの人々の声が聞こえてくる。
「ついたよ!ここがガルツさ!」
ラクトさんの方を見ると、その背景には大きな門が口を開けていた。
大陸最大にして原初の都市、曙光見下ろすガルツに、私は辿り着いた。
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