地上の森塊

「これ本当に合ってるのかなぁ・・・」


 松明の明かりを頼りに歩いているのだが、進めど進めど暗闇。周囲の風景にさしたる特徴もなく、たまになんかあると思ったら派手な色合いのキノコと、そこかしこに落ちている木の実を拾い食いしているリスくらいのものだった。ここに来るまでに通りすがった地上の森塊から歩いてきた旅人に歩き方を教えてもらったのだがそれも本当なのかどうか不安になってきた。


「この紐を伸ばして歩くだけって・・・」


 今、私の右手に持っているのは松明。数歩先までしか照らせないが、あるだけで十分恐怖は和らぐ。左手に持ちますは麻紐。くたっとした麻紐を私の薬指に巻きつけて地上の森塊入り口の木からずっとここまで伸ばしてきている。正直なところ本当に繋がったままなのかどうかは分からない。もしかしたら途中でぷっつりと切れていて私は薬指で麻紐を引きずっているだけなのかもしれない。


 ちなみに、これは暗闇で彷徨わないようにとかそういう意味合いでつけているのではない。麻紐を辿れば確かに戻れることは戻れるが、進む方向に関しては何の指針にもならない。麻紐の伸びている方向を後ろとして、その反対が前だと判断することは出来ても、右左に関してはどうしようもない。麻紐は常に、後ろにしか伸びていかないのだ。

 この森の道は緩やかに広がり、ゆるやかに狭まっていくのでこの道を歩く人間は道の広さが変わっていることになかなか気づけないらしい。なんでも一番広い所では六人の大男が腕を広げても道を塞げないほどに開けているそうだ。故に、まっすぐ歩いていたつもりが何故か同じ場所をぐるぐる回っていたなんてことが起こったりするとかなんとか。


 


 そう、ずっと歩くことが出来さえすれば。

 この森は人を彷徨わせる。それは方角ではなく、のことだ。


 その闇は人を不信に陥れる。本当に合っているのかどうか。松明に照らされ、地面に映る影は自分のものなのか。そもそもこの場所に自分がいるかどうかすらも信じられなくなっていく。外界と断絶されたこの環境において、比較できるものは何一つとして存在しない。


 人間の本質は比較にある。


 より強いもの。より正しいもの。より輝けるもの。より価値のあるもの。


 この森はそれら全てを比較することを許さない。進めば進むほど人間から信頼を剥ぎ取っていく。

 故に、その薬指から伸びた紐が必要とされている。


 曰く、紐を伸ばしておけば、後発の旅人がそれを不思議がって触る。


「これはなんだろう」


 曰く、紐を張っておけば、森の動物達がそれを不思議がって触る。


「これはなんだろう」


 彼らがその言葉を発するとともにその紐に触れることで、それを薬指に巻きつけている者は自分がそこにいること、他者の存在を確認できる、という伽話がある。


「今のところ何も感じないけど」


 まぁ、伽話を信じろというのが無理な話だ。まだ世の中のことを詳しく知らない小さな女の子の頃の私ならまだしも、今はもう18だ。こうして一人で旅に出られるくらいには成熟しているのだ。それでも私がその紐を薬指に巻きつけているのはまじないみたいなものだ。形だけでも心の拠り所には成り得る。


「とにかく歩くしかないしなぁ」


 本当に歩くだけ。特に何かすることもない。実際問題、一番困るのがいつ寝て良いものなのか判断に困るところだ。この森の地面に陽の光が届くことはない。太陽が登っているのか月が登っているのか判断が出来ないから、なんとなく眠たいと思った時に横になるしかない。

 地面に寝転がり、リュークを枕替わりに眠る。小石が背中にちくりと痛い。横を向いて寝てみると今度は二の腕に小石がちくり。


「はぁ・・・」


 気怠い身体を起こして寝る場所を靴でざりざりと掃除する。眠ると言ってもこんなところで地べたに転がるだけなのであまり疲れの取れるものでもないが。それでも少しでも快適な寝心地を追求していきたい。

 再び横になってみる。先程よりもぐっと寝心地がよくなった。あとどれくらいでこの森を抜けられるだろうか。結構歩いてきたとはいえ、迷うこと前提の地上の森塊踏破だ。分からないけど、体感的に多分二日は経っている。踏破する人たちは平均して四日でこの地上の森塊を抜けるらしいが私の足だともう少しかかるだろうか。


「ふぁ~あぁ・・・」


 周りに人がいないので遠慮なしに大口を開けてあくびをする。色々考えていたら本格的に眠くなってきた。とりあえず、今日はもう休もう。歩き続けて疲れた。食料分配とかは明日歩きながらいくらでも考えられるか・・・。


 私は静かに眠りに落ちていった。


気がつくと私は何も見えない世界に一人立っていた。歩き続けた深い闇の森ではなく、真っ白な世界。私の身体はあぶくとなって白に溶けていく。


夢を見た。


それは幼い頃の記憶。


私の父が話してくれたこの世界の伽話。


心地よい風が肌を撫ぜ、庭先では小鳥が朗らかに歌う。

据えられた横広の木椅子に座りながら私の父はその話を語ってくれた。

その時、季節は移ろい木々は赤く色づき始めていた。


「昔はね、この世界には多くの種類の言葉があったんだ」


足元に一枚、黄色に染まった葉が舞い落ちてくる。


「そう、今と違ってたくさんの人が、たくさんの言葉を話していたんだ。着ていた服も違うし、食べる物も違った。肌の色が違う人々もいた」


父は訥々と語り続ける。


「その人達は同じ言葉、同じ服、同じ食べ物、同じ肌の色の人々同士で集い、一つの集団を作った。それぞれは大きな『クニ』というものに変わり、クニ独自の特徴が生まれた」


父が私の頬に優しく触れる。


「人々はそれを『文化』と呼ぶようになった。文化は他のクニにもうひとつの可能性を教えてあげられるものだったんだ。だが、時が移ろい、人々の考え方は変わっていってしまった」


触れられる手はゴツゴツとしている。


「皆、競い合うようになってしまったんだ。それぞれの文化に、それぞれの良い所があって悪い所があった。皆がそれを知っていたはずなのに、いつしか彼らはそれを忘れてしまったんだ」


父の深い青色の瞳が、私を見つめている。


「だから、神様はそれを咎めるために、二度と同じことが起こらないようにあるものをこの世界に立てたんだ」


父の白髪交じりの髪に黄色に染まった葉が落っこちる。


「たくさんの言葉をひとつにまとめる事ができる、『多言語集約装置・バベル』を。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る