罪人の名前
「臨床試験を独自に続行する」
その場にいた全員が言葉を失った。それはありえないし、あってはならないことだ。許可もなしに臨床試験行う事も問題だし、それこそまたハシモトさんのように誰か倒れる人間が出てくればそれこそ責任のとりようがない。蛮行と言われても仕方がない行動だ。それをこの男、大館は言い放ったのだ。正気の沙汰ではない。
「何を言っているんですか、あなたは・・・」
思わず口に出てしまったが悔いてはいない。
「そうです、仮にやるとしてモニターをどう集める気ですか。認可なしに集められるとでも?」
「生きている人間なぞいくらでもいる」
「大館さん!何を言っているんですか・・・!」
「今苦しんでいる人々を救うためには犠牲がいる。それに、倒れるのが問題なら既に倒れている人間を使えばいい。例えば、植物人間状態にあっても身体に起こる異常は観察出来ようさ」
「・・・最低だな」
チャーリーくんが語気を強めて怒りを露わにする。それも当然だ。植物人間状態の人に服薬して結果を得ようなど普通はありえない。
「だが、それで救われる人間がいる。それは事実だろう?」
「それは・・・」
そう、確かにそうすれば多くの人の命が救われるかもしれない。可能性で語るのならば、このまま凍結されるのを待つよりは独自に続行した方が遥かにその人達の命が救われる可能性が高い。それが社会的に許されるかどうかは別として、ではあるが。
「それに賛同する人が出てくるとでも思うのですか?それともあなたは植物人間状態の人がいる家族を騙してモニターに仕立て上げるとでも?」
「そんな真似をする必要はない。もう既に協力者が出てきている。秘密裏にではあるがな」
「なんですって!?」
もう既に協力者がいるとは・・・。いくらなんでも手が早すぎる。協力者を見つけるにも一両日中に終わるはずもない。となると――――
「あなたは既に、今までも同じような方法を取ったことがあるのですね・・・?」
「さぁ、どうだか。だが、備えあれば憂いなしとも言うだろう」
不気味な笑みを浮かべる大館。・・・やはり、そうだ。この男はこれまでもこういった方法で臨床試験を勝手に行ってきたのだ。だから、それに協力してもいいという人間がいるということを知っているし、用意できる。
「言いたいことは山ほどあるだろうが、私が聞きたいのはひとつだけだ。賛同するのか、しないのか。これだけだ。三日後、意見を紙に書いて集める。それまでによく考えてくれ。命を救うにはどうすればいいかを。手段を選ぶことで命が救えるかどうかを」
皮肉な笑いを浮かべながら大館は去っていった。残された人間は誰ひとりとして言葉を交わそうとはしなかった。それだけ、命を救うための説得力と、社会に反旗を翻すことへの恐怖があった。
翌日、昼食を取ろうと休憩室へ入ると、部屋の中央の円卓で大館が待ち受けていた。昨日の今日ということもあり、私は嫌そうな顔を咄嗟に浮かべたが、それを隠そうとも思わなかった。大館は相変わらず不気味な笑みをその顔に彫りつけている。
「やぁ、御陵さん。そんなに嫌悪感を露わにしなくてもいいんじゃないかね?」
「嫌なものを見て嫌と思うことの何が悪いんですか」
「なかなか言うじゃないか」
自分でも驚くほどひどいことを言っていると思った。この男はどうも苦手なタイプのようでいつもより舌鋒鋭い返答になってしまう。もっとも、気にはしないが。それでもヘラヘラしているこの男を見る限り、この程度の罵倒は言われ慣れているのだろう。腹立たしいが、この男にはそんじょそこらの人間が思いついた罵詈雑言では傷一つつけられないだろう。
諦めて彼から離れた場所の椅子に座る。間違っても同じ卓を囲むなんてのはごめんだ。すると、すかさず私の対面の椅子に移ってきた。なんなんだ、この男は。
「少し話をしようじゃないか」
「なんですか」
「君は件の話、どちらにつくつもりだ?」
「・・・反対です」
「言い淀んだな。心の中では迷っているのだろう。君はいま、自分に言い聞かせている。自分は善なるものであろうとしている」
「そんな訳ないです、勘違いでしょう」
そう言ってみたものの、実際はこの男の言うとおりだった。駄目だと分かってはいるものの、心の何処かではその判断を合理的だと理解している自分もいる。誰かを助けるために、生きているとも死んでいるとも言える人間を犠牲にする。だが―――
「ひとつ、君に会ってもらいたい人物がいる」
「は・・・、会ってもらいたい、人?」
「そうとも。君はその男のことは既に聞いているとは思うがね。誰から、とは言わないが」
「待って、何の話ですか。回りくどい言い方はやめて―――」
「明日、同じ時間にまたここに来るといい。話はそれで終わりだ。ゆっくりランチを楽しんでくれ」
「ちょっと・・・!・・・あの男、ほんとなんなの?」
大館はまた、昨日と同じような顔で休憩室から去っていった。彼の言わんとすることが分からない。私に会ってもらいたい人、そして私は既に―――
「その男のことを知っている・・・?」
あの男は人をイライラさせる天才か。それに加えて口が上手いから余計に腹が立つ。ほんと、あの男に雑誌とか小説の煽り文書かせたら結構売上に貢献するんじゃないかってくらいには人を話に惹きつけるのが上手い。いや、あの男の場合は縛り付ける、の方があっているかもしれないが。蜘蛛の巣のように相手の心を捉え逃がさない。
「・・・あー、やだやだ」
コーヒーをあおる。
「全く、冷めちゃって美味しくないじゃない・・・」
とりあえず、会ってはみるか。くだらないことを抜かすようならすぐに帰ろう。そう心に決めていた。というより、ささっと済ませてすぐ帰ろう。
その会ってもらいたい人というのが、彼でなければ私はそうしていただろう。そう、彼でなければ。
時刻は12時を過ぎた頃。私は休憩室の扉の前で、立ち止まっていた。3分くらいたっただろうか。昨日と違うのは雨がしとしと降り続けているということと、休憩室に来た目的はゆったりと昼食を取るためではないということくらいで、他はいつもと変わることなく、ぐるぐると同じ毎日であろうと努めている。
「やっぱり、来たか」
「さっさと済ませましょう」
「いいとも。早い方がいいだろうさ。相手は急ぐことも出来ないがな」
「・・・?」
「場所はこの前、ハシモトさんが担ぎ込まれたあの病院だ。そう時間はかからんさ」
「車で行くんですか?」
「あぁ、何か問題でも?」
「いえ・・・」
正直なところこの男の車には乗りたくなかったが、かと言って自分の車にもあまり乗せたくなかった。ニオイが云々言われたりしたらさすがに手がでるかもしれないし。
そういうこともあり、私は大人しく、嫌々、仕方なしに大館の車に同乗した。
車内はヤニ臭く、大館がいちいち話しかけてくるが全て適当に返事をして終わらせた。途中、赤信号に引っかかったときは大館のせいではないとは言え、私のストレスゲージが急上昇した。後部座席に乗っている私に向かって少しニヤッとしたのを見て、やっぱりこの男は嫌いだと感じた。一挙手一投足が腹立つって自分でも思春期の小娘じゃあるまいしと思ったりはしたが、どうにも「嫌い」から私の心のメーターは動くことはないらしい。
そんなこんなで病院についた。今回は大館の案内でその病室に向かった。やはり何度も会いに行っているのか歩み進める足に迷いがない。降り続ける雨に濡れた廊下の窓からは灰色の雲が視界の果てまで続いていた。
大館がある病室で立ち止まる。この部屋には一人しかいないらしく、入院患者の表札はひとつだけ差し込まれていた。
「
と書いてある。聞き覚えもなければ見た覚えもない。
大館がこちらに目配せしてきた。一応、形だけ頷いて返す。それから大館がドアをノックした。
「どうぞ」
中からはおっとりとした女性の声が返ってきた。会わせたい男、と言っていたのでその男の関係者だろうか。
「失礼します」
いや、看護師ってこともあるか。まぁとにかく、さっさと話を聞いて終わらそう。私に会わせたい男、瀧波芳樹さんとやらがなんなのかは知らないがあまりいい予感はしない。
大館の大きな背中に続いて、私は病室に足を踏み入れた。
その先にいたのは一人の黒髪の女性と、
「――――――」
ベットに横たわり、まるで鎖でつながれた罪人のような姿になっているチューブまみれの男だった。
「これは・・・」
男は見たところ・・・30代後半といったところだろうか。目を覚ます様子はない。外傷は見られないが・・・。私は彼がいったいどういう状態かを思案し始め、大館の言葉を思い出した。
『今苦しんでいる人々を救うためには犠牲がいる。それに、倒れるのが問題なら既に倒れている人間を使えばいい。例えば、植物人間状態にあっても身体に起こる異常は観察出来ようさ』
「まさか、この人」
「あぁ。この人は今、植物人間状態にある」
「じゃあ、あなたのアテというのは・・・、あっ、しまっ―――」
「あぁ。この人だ」
私が自分が失言をしたと思ったその時には大館は何の躊躇もなくその言葉を口にした。恐らく、この男の家族であろう人を前にしながら
「この人間が目的の
「はいそうです」
なんて会話するなんて。自分の考えの至らなさに憤りを感じるのと同時に大館のあっけらかんとした答えに驚愕する。この男はこれまでもこんなことを繰り返してきたのだろうか。
私が険しい顔をしながら考えを巡らせ、そして自分が謝罪していないことに気づき急いで口を開こうとしたときに、瀧波芳樹の傍らに座る女性はそれを止めるように細い喉を震わせた。
「いいえ、謝らなくても大丈夫ですよ。この人はそうあるべきなのですから」
そう言った。
それはつまり、この人間は
「は・・・?」
この女性は、瀧波芳樹の家族ではないのか?それなら一体、この女性は誰なのか。
「え、いや、あなたは・・・、その、瀧波芳樹さんのご家族の方ではないのですか?」
「いえ、家族ですよ。私は瀧波芳樹の妻です」
「えっ・・・」
意味が分からなかった。何を、何を言っているんだ、この女性は・・・!?
「あなたの、あなたの夫なんですよね!?なのに、なんで、そんな治験体になるのが当たり前みたいな言い方を―――」
「殺したんです」
日常とはかけ離れた言葉、ここ病室という空間において禁忌とでも言うべき言葉が彼女の口から飛び出してきた。
「殺した・・・?それは、人を・・・?」
「えぇ。この人は女性一人と、その娘さんを轢き殺したんです」
「女性一人と、その娘―――」
脳裏によぎる、夕日に照らされるシオンとゼラニウムの花束。それに寄り添うような形で置かれていたヤングドーナツとサイダー。
「あの、その女性の名前をお聞きしても・・・?」
「えぇ、いいですよ」
「亡くなったのは、
亡くなったのは、
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