言葉集いて

「お嬢ちゃん、酒頼むわ」

「はい!」


「今日のパイを2つお願いね」

「すぐに持ってきますね!」


「こっちも頼む」

「少々お待ちをー!」


 ラクトさんの酒場、『ハーモニー』で働き始めてから二週間が経った。毎日毎日、ここにはラクトさんの料理と美味しいお酒を求めて様々な人が集まってくる。


 例えば、今頼んでテーブルにやってきた酒をかっくらっている茶髪を後ろで結っているおじさんは大工の棟梁だ。今日も一日中街の中央広場にある時計塔の修復をしていたそうだ。

 なんでも、このガルツの大工仕事はすべて引き受けているらしく、部下は何百人もいるとか。毎日のようにここにやってくるが、連れてくる人は毎回違う。お酒が大好きで働いているとよく笑い声が聞こえてくる。


 例えば、窓際近くの席で今日のメニューのアップルパイを仲良く二人で食べている長い金髪の女性と短い銀髪の女性。この二人は姉妹だそうで、よくここにやってきては日替わりのパイを食べている。服の仕立て屋を営んでいるらしく、着ている服がとても可愛くておしゃれだ。

 お姉さんである金髪の女性は落ち着いた雰囲気でシックに服装を纏めている。妹である銀髪の女性はお姉さんとは対照的で腕や足を露出しながら活発的で明るい雰囲気の服装でまとめている。

 二人の年齢はひとつしか変わらないそうだが、私が服装によってここまで雰囲気が変わると気づいたのはここで働き始めてからのことだ。グロスでは皆同じような見た目の服だったから。


 例えば、店内の端にある一人用の席に座ってただ酒を飲んでは運ばれてきた魚のフライを食べ、店内をゆるやかに眺める白髪交じりの髪を丁寧になでつけた男。黒衣を身に纏うその男の胸には、店内の淡い光に照らされた十字架がその男の所属を知らしめていた。

 この人は・・・、今日初めて見た人だ。その外見からして恐らく件の対立に関わっている司祭に与しているのだろうか。


 店内を見ていると多くの人間がその男を見てはひそひそと一言二言会話を交わした後、怪訝な顔をしながらまた食事に戻っている。一方、その十字架の男はそんなことを気にする様子もなく、変わらずに夕刻の店内を見つめている。


「君、少しいいだろうか」


 その男が口を開いたのは、私がちょうどその男の近くのテーブルで皿の片付けをしていた時だった。酒場の人々が数瞬、話すことを忘れたかのように静まり返ったが、男が一瞥をくれるとすぐに世間話を話し始めた。

 男は嗄声で静かに、空を舞う鷹のような鋭い目で私を見つめていた。夕陽が塵埃と十字架を照らし出し、呼び声の主を橙色に染め上げる。


「はい、なんでしょうか?」

「・・・」

「え、あの・・・?」


 呼び出した男は何故か私が目の前に来た途端、また先程までのように鋭い目で私を見つめ始めた。上から、下へとゆっくりと舐るような視線に少しだけ寒気立つ。


「あの、何か・・・?」


 意を決して男に再び質問をしてみると、男は目を瞑り、頭を振りながらこう答えた。


「君は、グロスの人間かね?」

「えっ、えぇ、そうですが・・・」

「君のその手ぬぐい、それは歓喜の・・・、いや垂直線が二本だから平穏の感錠か」

意減いげんまでご存知とは・・・」

「あぁ、街の人間に聞いたのだ。垂直線が入っている紋様はその意味が弱まると。さすがに全てを覚えきることは出来なんだが」

「グロスへ行ったことがあるんですか?」

「いや、行ったことはない。ただの伝聞よ」

「伝聞・・・ですか?」

「然り。して、その反応からするにそれは正しいものだったようだな」

「えぇ」


 男はその言葉を聞くと満足したような面持ちになって、机の上に手を組み直した。


「あの、それでご用件はそれだけでしょうか・・・」

「うむ、それだけだ。だが、それだけではただの老いぼれの話に付き合わせただけになろう」

「いえ、そんなことは」

「よい、分かっておる。そこでだ。少しを聞いてはみないか」

「こちら・・・というと、ガルツのお話ということですか?」

「そうだ。とは言っても、グロス君のところのような伽話ではない。私が話すのは今このガルツで起きていることについてだ」

「王と司祭の対立のことですか?」

「流石にここで働いておれば聊か耳にすることもあるか」

「そうですね、ここは色々な人が来ますし」

「して、どうだ。聞くか?聞かないか?」


 男はただ一言、それだけ問うた。聞くか、聞かないのか。私は勝手にこの男―――外見からして、恐らくは神父であろう―――に勝手な思い込みをしていた。この手の人間の話は何から何までありがたい言葉やらなんやらでゴテゴテに飾り付けられた長い長いお話なんだろうと思っていたのだが、ここまで言葉を交わしてきた所感、この男は必要な言葉のみを的確に用いる男だと感じた。


「聞きます」


 男に対する返答も、その一言のみで十分だった。


「よかろう。では話すとしよう」


 男はその皺だらけの手を対面の方へ差し出すと、こちらの席に座るように促してきた。

 私がその席に腰を下ろすと、男は私を視界の中心に捉えるように居住まいを正して静かに語り始めた。


「このクニが王政を敷いておるのは知っているな?このクニは代々ルータクス家の男がその頂点に立ち、統治してきた。それぞれの王は、それぞれのやり方でこのクニを支えてきた。多くの人を救った賢王もいれば、多くの人間を危機に陥れた愚かなる王もいた。王たちの成したことの善悪大小はあれど、総じてクニのシンボルと言えるような存在であったのは確かだったのだ。民の暮らしは変わることがない。望むものもない。遍く人間と心を通わすことができ、その全てが一つの基準ことばに沿うている。だから、その上に立つ者はどんな人間であれ、よかった」

「王でありさえすれば・・・。民衆は多くの望みもしなかったし、対立もなかったんですね?」

「いかにも。だがある時、シンボルとしての王の存在に疑心を抱いた者がいた。それは事もあろうに、王を信奉する教団、カウンの司祭だった」

「え?王を信奉しているんでしょう?何故その人が疑心を抱くんですか?」


 男はテーブルに置いてある水を一口飲み干してから、再び口を開いた。


「確かにその司祭は王を信奉していた。が、かの司祭が信奉していたのは神格化された王だった。その司祭は「王」という存在、いや考えに対してその生涯を捧げるつもりだったらしい。自らの思い描く王と、現実に君臨する王の在り方の違いに不満をい抱いた司祭は広場で王のおわす城に槍を突きつけながらこう言い放った。『かの王は贋作に他ならない。そのような男が玉座にいるのは、ここにいる民衆が真なる王の存在を信じず、崇めないからだ』、と。当然、民衆は最初困惑した。これまで街でそんなことを言い放つ人間は一人として存在しなかった故に。多くの人間が変人が騒いでいる程度にしか思わなかった。一部の人間はその目に王への怒りと敬意を表し始めた」

「何故そんなことを信じたのでしょう」

「何故かは私にもわからない。だが、人間は虚言そんなことでも信じることがある」


 男は胸に光る十字架を少し撫でると苦々しげな表情を浮かべた。この男が表情らしい表情を浮かべたのはこの時が初めてだった。


「・・・何かあったんですか?」

「私の妻もその虚言を、真なる王の存在を信じ始めたのだ。反対したのだが、既に妻の目は信者のソレになっていた。曇りなき目というやつだ。疑うことを忘れた人間ほど正気に戻すことが難しい。なんせその人間にとっては今も自分は変わりなく正気なのだから。妻は家を出た。今は司祭に元で熱心に布教をしているらしくてな、彼女の力によってカウンの真王主義が広まったと言ってもいい」


 男は大きなため息をついても話をやめることはなかった。


「結果として、この街は大きく二分化することになった。今までの通り、ルータクスの王を信じる者と、カウン教団の訴える真なる王を望む者。今のところは実際に手が下されてはいないが、いずれは大事になるやもしれんな」


 他人に話すことで気が楽になったのか、最初に見かけたときより心なしか口調が変わっているような気がした。


「つまり、カウン教団の司祭による演説が事の始まりだったんですね・・・」

「違う」

「え?」


 男は再びきっぱりと私の言葉を否定し、これまでの言葉にはなかった恐れのようなものをその嗄れた声に乗せて私にこう言い放った。


「あれが原因だ」


 男が指差したのは店の西側の窓。そこから覗く、額縁のように切り取られた風景には誰もがその存在を、どのような場所でも認めるあの巨塔が全てを打ち破らん限りに天へ向けて突き伸びていた。

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