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剥がせないレッテル

 電車に揺られながら、入り口脇でスマホを弄る。この時間帯はそれなりに混んでいて、座席にはカップルと思しき金髪の顔が濃い男女や、角ばった顔に鼻が高く、切れ長の鋭い眼をした白髪のおじいさん。その隣にはおじいさんの孫だろうか、小さな女の子が熱心に絵本を見つめている。


 少し赤みがかった髪が座席の青を背景に映える。白く透き通った肌に赤い可愛らしいワンピースを着て足をばたばた。まるで彼女自身が絵本の中の住人かのような雰囲気を醸し出していた。

 

 きっとおじいさんとあの女の子二人で買い物にでも行ったのだろう。おじいさんの頭上の荷物棚にはまるまる膨らんだビニール袋と、もうひとつの紙袋には猫のぬいぐるみであろう尻尾が飛び出していた。

 きっと二人で仲良く選んで買ったのだろう。


「はぁ・・・」


 最近は二人でいることがまるっきりなくなってしまった。私と、もう一人。

 二人。そう二人で。二人で一緒に頑張ってきた友人が私にはいた。


 佳奈と連絡が取れなくなったのはちょうど一ヶ月前のことだ。最初は忙しくて連絡してる暇がないのかなとも思ったが、一週間も音信不通になった時点でさすがに何か合ったのかもしれないと思い、彼女の母親に連絡を取ってみた。返ってきたのは佳奈が帰ってきて突然何も喋らずに部屋にこもり始めたということだけだった。


 五日前、私が直接佳奈のもとに出向いてみたが、部屋を開けてくれず、私の問いに対しても何も答えてくれなかった。私が帰る間際、彼女のドア下から紙片が滑り出してきた。


「ごめんなさい」


 としか書かれていなかった。

 ショックだったのと同時に長年の親友にも、自分の家族にも明かせないような問題が彼女に降り掛かっているとすぐに気づいた。


 何故なら、その紙片に書かれていた文字は普段の佳奈の可愛らしい少し丸みをおびながら読みやすいキレイな文字ではなく、それこそすべてを―――自分を構成する基本的なものを―――失って寄る辺なく今にも力尽きてしまう蝶のような弱々しいものだった。まっすぐとした線ではなく、ゆらゆらと何か迷っているというような感じのふらつき方。どう書こうか迷っていたのだろう。恐らく佳奈の脳内では様々な言葉が行き交っていた。その中で選んだのは謝罪の一言。


「佳奈、大丈夫かな・・・」


 独り言ちたその時、電車のスピードが急激に落ち、体を大きく揺さぶられた。そこで初めて、もう既に降車駅まであと2つというところまで来ていることに気づいた。


 先程のおじいさんが立ち上がる。ここで降りるのだろう・・・と思った矢先思わず小声で「あれっ?」と呟いてしまった。近くにいた浅黒い肌のナイスマッスルなお兄さんにちらっと見られてさっと口元を抑える。聞こえてたか・・・。

 少し恥ずかしい思いをしながらもドアがしまったその先のおじいさんの背中を目で追う。おじいさんの隣には誰もいなかった。


 車内に目を戻すとあの絵本に夢中になっていた女の子はまだそこに座っていて、小さなポーチに絵本をしまっている最中だった。荷物棚の上はすっきり何も無くなっていた。


 「おじいさんと孫」じゃなかったんだ・・・


 てっきりそうだとばかり思っていたもので、おじいさんだけがすたすたホームへ歩いていってしまうのを見てびっくりしてしまった。


 列車後方の席で二人の女性の話し声が聞こえてくる。

 改めて注意すると分かるが、列車というものは広告の文字であれ人の声であれ、様々な言葉が行き交っている。

 その全てが統一されているからこそ、私たちは言葉から意味を摂取出来る。


「私この前入院してさー、なんか食べても気持ち悪くなってすぐ吐いちゃって」

「えー、大丈夫だった?てかそんなの初めて知ったよー」

「うん、あまり心配かけたくなかったから言わなかったけどそんな感じになってて、お医者さんにかかったんだけど、原因は心因的なものって言われたんだよねー」

「ストレス?」

「うーん、でも私全然ストレスとかそんなの感じてなかったし、ただなんか食べると気持ち悪くなるから病気かなとか思って、お薬もらえるかなとか思ったんだけど、何回診てもらっても心因的なものって言われるからなんか腹たってきちゃって。なんであんたが私のココロのことを知ってるのって」

「確かにね~。決めつけられるといらっと来ちゃうよね~」


 そして私は、言葉とはそれを「斯くあるもの」と決定づけるものでもあると不意に気付かされるのと同時に、ある少年の事を思い出していた。


 小学生の時、周りから変わった子だと思われている子がいた。

 その男の子曰く、彼は遠くの島から移り住んできたらしく、その島と私たちの文化の差はかなりのもので、その子は初めは同じクラスにいたんだけど、テストの点数があまりよくなくて、しばらくして「ひまわり組」というクラスに移ることになった。

 その子はたまに先生の言うことを聞かないで自分のやりたいことをやってしまうくらいで、絵もとてもうまかったし、笑顔が素敵な男の子だった。

 私がそのことを聞いたら、周りの先生や他の子のお母さんとかお父さんは「しかたがないんだ」としか言ってくれなかった。

 なにか隠し事をされてるみたいでなんとなく嫌だった。


 それから。2年前に成人式でばったりその子と出会った。彼は男の子から立派な男性に成長していた。

 私は彼に気づいていなくて、彼が話しかけてきて名前を名乗ってきたところで初めてその人だと気づいた。

 その子は、リハビリを経て世間一般のいわゆる「健常者」になっていた。今は持ち前の画力を活かして画家として活動しているそうだ。

 

 そんな彼は長い年月を経て、こんな話を私にしてくれた。


「僕は『仕方がない』って言葉が嫌いだったんだ」

 

 それは昔、彼の周囲の大人たちが呟いていた、すべての質問に答える魔法の言葉。


「いろんな人が僕の事を見て『仕方がない』と呟いていく。なんだか、決めつけられてるみたいでとても嫌だったんだ。何が仕方がないんだと内心憤っていたよ。そりゃあ今となれば僕も大人だ。周りの大人の考えていたことは大体の予想がつく。『この子供は何処ともわからない孤島からやってきた未開民族の子供だから、多少頭が悪くても仕方がない』と。病院では心理的な知的障害だとも言われた。それが許せなかった。僕はただ、。だから僕は、そう言われないためにリハビリを頑張って、【普通の人】になったんだ。」


 斯くあるもの、斯くあるべし。

 人はそれを名付けなければモノをモノとして判断できない。

 世界に溶け込んでしまうモノを判別するには輪郭が必要になる。

 人はモノを観察し、理解し、決定づけることで輪郭を形成する。


 素材は?

 作成方法は?

 何のために?

 何が出来る?


 それらのファクターを夜空の星座のように一つ一つ点を打ち、それを繋げて形にする。

 朧げな点と点がつながり、線となる。

 線はより大きくソレを形作りモノになる。


 決めて選ぶのか。


 選んで決めるのか。


 どちらにせよ、それは人の業のようなものなのだろう。


 思考遊泳にふけっていたがどうやら降車駅に辿り着いたようだ。


 女の子を背に、ホームへ一歩踏み出す。背後でドアが閉まる気配がする。融解していた空間が隔てられ、再びふたつに戻っていく。


 今の私と佳奈は同じような状態にあるのだろうか。


 いや、いいや。


 。ひとつだという証拠なんてものは一切なかった。友達は、だ。どんなに仲が良くたって、結局は他人なのだ。

 それでも私は、私自身が佳奈にとって特別な存在であると信じていた。だから佳奈が何も言ってくれなかったあの日、私は彼女に対して勝手に少し失望し、憤った。それから、自分に対しても失望し、憤った。


 人間の関係とはなんと難しいものなのだろうか。


 あなたを見る私がいて、私を見るあなたがいる。


 四つの目が二つの脳に送り出して答えられる、二つの心情。


 それは寄り添うことは出来ても、決してひとつにはなれないと人間わたしたちは知っているはずなのに。


 何故、こうも苦しんでしまうのだろう。


 改札口を通り抜け、階段を上り夕陽に照らされる。


 また、少しだけ雨の匂いがした。

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