-[Another]

コンパスの使い方を教えよう

「3番線に、電車が参ります。黄色い線の外側で―――」

 

 駅のホームに木霊するアナウンスと共に、生暖かく、鉄臭い風を纏いながら赤のラインの入った電車がやってきた。5両目後方の扉が私の目の前にやってきて内に閉じ込めた人々を排出する。ホームになだれ込む人の波に呑まれないように、扉の脇に移動してみたものの、持っていたバッグが押しつぶされそうになっている。


「やっぱり慣れないなー、人混みは・・・」


 大学に進学してからしばらく日が経ったが、都心にあるキャンパスに出向くために電車に乗らなければならないのがいかんせん人の多さに辟易してしまう。といっても今日電車にのるのは大学で講義を受けるわけではなく、バイトの面接のためだが。


「えーっと、たしかこっちだったかな」

 

 迫る人の波を避けつつ道を探す。バイト場所までの道はなんとなく分かっているつもりだったがいざ来てみると道が入り組んでいて迷いそうになる。5分速く、ちょっとでも便利に、を突き詰め組み合わせていった結果、総体でみればより複雑になってしまった典型的な例と言ってもいいんじゃないだろうか、この道。

 スマホでルートを検索して最短経路で目的地まで向かう。さくさくと案内に従って街を歩いていきようやく面接先の塾に辿り着く。大学からも程よく近いので講義が終わった後でもすぐに通える距離だ。


「すいませーん・・・、バイトの面接に来たのですがー・・・」

「ん、あーはいはい。君がこの前連絡くれた子ね。じゃあこっちの部屋で面接しますからちょっと待っててね」

「はい、分かりました」


 バイトは今までもいくつかやったことはあったけどいつも面接は緊張する。通された部屋は仄かに芳香剤の香りがするが気分を落ち着かせるには至らない。壁には各高校の偏差値がずらりと並んでいる。程なくして先程の女性が書類を持って部屋に入ってきた。


「それじゃあ面接を始めます。履歴書はお持ちですかね?」

「はい、こちらに・・・」

「どうも。へぇ大学生かー、入ったばかりは大変だよねぇ」

「あはは、そうですね。でも自分の勉強したいことをやってるので楽しいです」

「うんうん、それは良いことだ。さて、一応塾の講師として働いてもらうわけだからね、簡単なテストをさせてもらうよ。いいかな?」

「はい、大丈夫です」

 テスト用紙が目の前に差し出される。一瞥したところ、特に難しそうな問題は無かった。もしかしたら裏面に難解な問題が並んでいるのかもしれないが。

「よし、準備はいいね?・・・始め」


 それからしばらくして。


「はい、終了―。ペンおいてね」


 30分ほど経ったところでテストは終わった。危惧していた裏面の問題も対して難しいものがあるわけではなかった。これなら大丈夫だろう。


「うんうん、文字も見やすいし大方正解してるね。まぁ、ウチは開室したばっかりだから人手が足りてないからこの面接はお飾りみたいなものなんだけどそこはおいておいてと。うん、じゃあ働いてもらうわけだけど、仕事内容の説明を大まかにするから分からないとことか聞きたいこととかあったらじゃんじゃん質問してきてね」

「は、はい!頑張ります!よろしくお願いします!」


 とは言ったものの。彼女は難問に直面していた。面接から一週間が経過した今、彼女はある中学生男子に社会の歴史科目を教えているのだが、どうにも人の名前や事件の名前が覚えられないらしい。


「んー、何回も集中して読み返すってのが定石だけど・・・」

「それは分かってるんですけど出てくる人多すぎますよぉ・・・」

「うーん・・・」


 確かに歴史はたくさんの人物が出てくるし、名前が似ている人もかなりいる。時代関係も理解しなければここから先、彼はどんどんと名前の海に沈んでいってしまうだろう。

 なら、コンパスの使い方を教えるのが一番だろうか。今自分は何処にいて、何処へ向かうべきなのか、どの方向に進むべきか。何事にも方向というものはある。ここはひとつ、年表を作成させてみよう。自分でひとつひとつ時代を追いながら名前と出来事を整理するにはそれが一番だろう。中身を覚えるのは順番を覚えてからでも大丈夫・・・なはず。


「一応塾長とかには大丈夫か聞いておかなくちゃ・・・」

「先生~、へるぷみー・・・」

「あぁごめんごめん。えっと、君には年表を作ってきてほしいんだ」

「年表?」

「そう、年表。自分で年代順になるように人の名前と年号と起きた事件の名前を書くの。まずはそれを作って名称だけ覚えるの、どう?できそう?」

「名称だけ覚える、かぁ。それなら出来る・・・かなぁ?」


 なんとも頼りのない返事と錆びついた機械のようにぎぎぎぎっとゆっくり縦に振られる首。いや若干斜めに頷いているあたり相当自信がないらしい。一度苦手意識がつくとこうなってしまうのは痛いほど分かる。


「頑張れ!来週の水曜日にテストがあるからそれまで毎日少しずつ書いてきて。OK?」

「は、はい・・・」


 はてさて、彼の錆びついた首が滑らかに縦に駆動する時がくればいいのだが。

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