35/ 炎の行方は炎が決める 3

 上層都市の景観は夜も眩い。上層のいたる区画へも万全に供給された電気が作り出す、美しいネオンサイン。テムシティ上層セントラルエリア北区に位置する高層アパルトメントの一室で、銀色の髪の女がくつろいでいた。


 科学技術会合では固く襟を締め、理知的な佇まいをしていた女も、今はベッドの上で艶やかな肢体をさらけだしている。風呂上りの体は上気して艶めかしく、銀の髪が頬にかかって揺れている。


「電話を」


 ヘーレー・アレクシス・キングが一言言うと、ベッドサイドから中型の機械が小さなタイヤを走らせ、召使のように近寄った。


『通話先を指定して下さい、ヘーレー様』

「スラー・セジウィークの個人番号へ」

『――接続待機。通話先確認。――拒否。接続解除』

「うん? 位置探知は?」

失敗ロストしました』

「ふむ……そろそろトラブルに巻き込まれているんじゃないかと思ったが」

『如何いたしますか。大規模回線アウトネットを使い、セジウィーク様の捜索を行いますか』

「その様子なら自分でどうにかするつもりだろう。何、彼も有能な男だ。自分の問題くらいは自分で面倒をみる」

『宜しいのですか。セジウィーク様はヘーレー様がこの件を察しているとは気付いておられないと思いますが』

「本当に駄目な時は頼ってくるさ。戻って構わないよ、MID-7ミッドセブン


 命じられると、MID-7と呼ばれた召使代わりの機械は方向を変えると、床を滑るようにして定位置へと戻り、待機状態に移行した。


 ヘーレーは窓の外へと視線を戻した。遠くの方で円環路線サークルラインの無人電車が走っている。セントラルエリアを埋める高いビル群は、上層の完全電化が完了した、この十五年で増えた。この辺りは治安が良く夜も安全で、女一人で出歩く者も少なくない。ヘーレーの瞳が、遠くを見つめる。この都市のどこかにいるスラーを見るように。


「ああ、ここは美しい。かのヘンリー・トラヴァースが空想した通りに」


 ◆  ◆  ◆


 真珠のごとき白い上層高級車がウェストエリアを駆け抜ける。ブリッツKNG1200はの静謐なエンジン音は夜の闇を起こすことはない。街灯の明かりに照らされた車体の塗装はムラひとつなく美しい。運転席のアンリエッタはハンドルを握ったまま、口を開いた。


「スラー。階層連絡駅シティポートの貨物運搬線を使うわ。連絡はつけてあるから」

「大丈夫か? 奴らの息がかかっていたら……」

「問題ないわ。この一週間、作業員は全員うちの者になるようシフトを変えてあるから」


 上着のポケットで、携帯電話セルフォンが鳴った。軽やかなコール音。スラーは携帯電話セルフォンの電源を切った。


「了解した。このまま頼む、エッタ」

『何故、我が身を連れ出した』


 人ならざるくぐもった声。スラーは助手席から振り返った。後部座席には布を被った人影がある。布の隙間からちらちらと炎が揺れる。車内灯みたいで目立つから、と被せられたものだ。


「何故? 君が嫌がらなかったからだ」


 スラーの答えは簡潔だった。


「それに、君を残してどうする。君、住むところがあるのか?」


 頭部の代わりに燃え盛る炎を持つ男にそのようなものがあるはずもない。怪物である彼。死告の代理人であれと望まれた彼は、居るべき場所も、行くべき場所も持たぬ。


 ブリッツKNG1200が角を右に曲がる。聳え立つ上層を支える太い柱の姿がはっきりと見えてくる。索道機関ロープウェイの小さな光が明滅しながら導線をゆっくりと上がる。真夜中の道路には他の車の姿はない。アンリエッタは赤信号を突っ切った。道路を渡ろうとしていた労働者が尻もちをつき、口汚い罵りを上げた。あと十分ほど走れば都市中央駅セントラルステーションだ。


「どう?彼女、追ってきている?」

「いや、その気配はないが――」


 スラーが車の後方を確認した。過ぎ去る街の風景は普段通りで、バーが店じまいを始めていた。店を追い出された酔っ払いたちが機嫌よく肩を組み、下手な歌を歌いながら帰路を歩く。濃い色の霧の中、汚い灰を被った街灯が、チカチカと点滅している。


 ざわ、と泡立つような感覚があった。窓の縁に触れるスラーの手に汗が滲んだ。いいや。いいや。何かが、来ている。


 ――点滅していた街灯が、消えた。


 音もなく、それは暗がりを連れてくる。

 闇に呑まれるように。霧に包まれるように。

 ふつり。ふつり。ブリッツKNG1200のはるか後方から暗い闇が押し寄せていた。それは周囲の光を一つ、また一つと覆いつくしてゆく。その先にいる彼らを目指して。


 ――夜が来る。夜が来る。


 人工の光を呑み込んで、セントラルエリアの大通りに闇が迫る。

 深夜二時を回るその刻に、玄関の戸を叩くがごとく来たるモノ。人々のいのりの形。


 闇の中、立ち込める濃霧から――巨いなる姿が顔を出した。


 蹄を持つ四本の脚が、石畳を蹴った。鈍色の鎧で覆われた馬の上半身には、二本の腕。その体に頭部はなく、空っぽの空間だけがある。


 ――踏み荒らすモノが、いなないた。


「……!? 何? あれは……!」


 バックミラーごしにこの世ならざる怪物を見たアンリエッタが目を見開いた。スラーもまた顕現した恐怖の形から目を逸らせずにいた。


「何だ……? あの怪物は。ネクロクロウからの追手か……?」


 初めて見るモノ。しかし、何か。妙だった。スラーは額を抑えた。


「いや……私はあれを、どこかで……」


 後部座席に収まるもう一人の怪物は――静かだった。同じ人ならざる身だからではない。否、両者は同じものではない。故にこそ、蹄が踏み荒らす振動を感じながら、黄炎の首なし騎士は何をすべきか解っていた。


『アンリエッタ・アダムスよ。扉を開けよ』

「――分かったわ」


 アンリエッタは、首のない男の言葉に我に返った。彼女は素早く右手でドアロックを解除した。同乗する人間たちの動作を思い出しながら、首のない男は後部座席の扉を開け放った。屋根とドアを掴み、車外に体を出すとごうごうと吹き荒れる風が首のない男に吹き付けた。風を受け、男の頭部の黄炎が夜の闇に火の粉を散らす。


前進せたかめよ、前進せたかめよ、前進せたかめよ――>


 呪いの言葉を吐いて、鎧人馬は十数メートルまで迫ってきていた。

 二つの首のない怪物の視線が交錯した。

 敵を見つけ、一方は嘶いた。もう一方は、静かに呟く。


『汝もまた、死か』


 理解をする。それが何のために存在するのか。何故なら彼もまた、望まれて存在するモノだからだ。


『――祈れ、人間よ』


 首のない男は言った。スラーは彼を見た。


『我が身は人の声を聞き届ける。故に、汝らが願うなら、我が身はこの死に、終わりを与えよう』

「私は――」


 スラーは迷った。この人ならざるモノに告げるべき言葉を。だが、今にもそこに死の使いは迫っていた。スラーは拳を握りしめた。


「ああ。私も、エッタも。ここで終わるつもりはない」

『その声――聞き届けた』


 確かに聞いた。進もうとする人の意思を。

 命を刈り取る形をした剣を、死を背負うモノが握った。


 ◆  ◆  ◆


 夜も更け、人の少ない大通りを三人は足早に歩いていた。第二時計塔前の広場には、新聞紙や政治運動の旗が捨てられている。第二時計塔から議会の機能が失われても、昼間には今なお活動家たちが声高に何かを喋る様子が見られる。三人の足音に道で眠る浮浪者が煩そうに彼らをじろりと見る。


「はあ。運送車ハックニー、見当たらないね」

「この時間ともなれば難しいか。ウェストエリアまでこのまま歩いていくしかあるまいな」


 グリフィンは仮面の奥から答えた。歩きながら、シャノはちらりとグリフィンの様子を見た。帰宅してからというものどことなく陰があったが、今は落ち着いた様子だった。バードボックスの上で、何があったかは聞けずにいた。


 最初はエイデン・マッカイを救い出せなかったことに気落ちしているのだろうと思った。だがエイデンを取り戻してからも、グリフィンの様子は変わらなかった。ジャックが捨てられたビール瓶を蹴った。瓶は弧を描き、見事に路上のゴミ箱に入った。


「で、あのギョロ目科学者の家に行くとしても、自宅に居るのか?」

「スラー・セジウィークは普段は上層暮らしだけど、今は下層のセジウィーク家に戻ってるらしい。科学技術会合の後からね」

「都合が良いな」

「まだ居てくれると良いけどね」


 シャノ、グリフィン、ジャックの三人は会話を交わしながら歩く。第二時計塔を越え、宮殿跡地公園を抜ければ、セントラルエリア。そこから西に進めばウェストエリアだ。エイデンはまだ動ける様子ではなく、アパルトメントで眠っている。


 ムソウはというと、


『いやあ、やはり鍛錬なき人間との切った張ったは退屈なので』

「……飽きたんですね、ムソウさん」

『科学者を訪問するとなれば益々期待できぬでしょう、よもや科学者の家に首なし騎士がいるわけでもありますまい』

「化け物ですし、何があるかわかりませんよ? もし居たらどうします」

『その時は携帯電話セルフォンにご連絡を。代わりに、拙者はもう一人の生存者、イルフェン・ティービーについて調べておきますよ。何、伝手ならご安心を。蒐集家コレクターには様々な縁があるものです』


 と言って、アパルトメントに留まった。


「……シャノン。セジウィークは昨日の件にも関係していると思うか」

「少なくとも……直接殺してはいないだろうね。死体を見てひっくり返ったの、アレは演技じゃない。でも……それは彼が実行したわけじゃあないだろうってだけだよ。誰かに指示を出したり、ラスケット氏が一人で部屋に戻るように誘導した……そういう可能性は考えられる」

「……そうか、そうだな」

「何いつもに増して陰気なツラしてんだか。アイツが何か厄介ごとに関わってるのは間違いないんだぜ? 殺したか殺してねえかなんざたいした違いねえだろ」


 グリフィンは冷たい視線で仮面の奥からじろりとジャックを睨んだ。


「違いがない訳がなかろう。ろくでなしめ」

「どうかなァ? 自分で殺してねえからって、マシな奴とは限らねえからな。そういう奴の方が色んな計画を張り巡らせてよっぽどデカいことをやってるなんてザラだぜ?」

「……嫌なことを言う奴だ」


 不機嫌な声色で、グリフィンはそっぽを向いた。ジャックは笑った。シャノが首を傾げた。


「スラー・セジウィークのこと、気にしてるね」

「……どうだろうな。そうかも知れない。そうではないかも知れない。ただ……私は恐れている」

「何を?」

「……力というものをだろうな」


 グリフィンは小さく言った。


「燃殻通りで、君も見ただろう。私は秘術<フィア>を使った」


 それが何を指しているか、シャノにもすぐ分かった。一面を覆いつくす緑光の刃。その無数の刃が敵味方問わず向けられた、あの大術おおわざ。シャノもまた、フィアの刃から動くことが出来なかった。操っているのはグリフィンだというのに、彼が自分を傷つけるはずもないのに、それでも動けなかった。


「周囲の全てに牙向くあれは、最初の頃に組み上げた大規模秘術<フィア>だ。どうしようもなくなった時のために用意したわざ。……どういうものかは理解していた。敵を哀れんだわけでもない。ただ……実際にこの術杖つえに、この指の内に、何十もの首の運命を握っていると気付いた時、恐ろしかった。同情でも憐憫でも罪悪感でもなく、ただ恐れを感じた。」


 術杖つえひとつ動かせば、命を絶ち、人の命に先にあるはずの全てを絶つことが出来た。人を、命を、明日を、縁を。何十もの人間が持つモノを一度に、全て! ……良し悪しではなく、ただ自分の手の中にそれほどのモノがあることが恐ろしかった。


「……だから、恐らく私は、スラー・セジウィークに己の恐れを重ねているのだ。彼が秘術<フィア>によって、道を違えてしまうことを。スラー・セジウィークが――いや誰でもあっても。手に余る力によって、間違ったことなどさせたくはない。ただの私の、エゴだが」


 グリフィンは静かに、だが強く言った。



 彼らが宮殿跡地を抜けた頃、時刻は深夜二時を回っていた。


「ここから通りを三つ先進めば、ウエストエリアに入る。セジウィーク邸についたらジャックは後ろで待機。まずは私とグリフィンで玄関を叩く」

「貴様のようないかにも粗暴で大柄な男が夜中に立っていては、相手も警戒するからな」

「ったく、こんな夜中に来る奴、誰だって怪しいだろ」

「そこはわたしの得意なところだからさ。セジウィークとは一度顔も合わせてるし、まあ見てなよ。ジャックはジャックの得意分野の方を宜しく」

「仕方ねえなあ。ま、見てろよ。セジウィークが逃げようとしたって、地獄の門にすら辿り着かせねえよ」


 大通りには人通りはなく、霧に包まれた街灯がぼやけた橙色オレンジの光を揺らしている。塵交じりの白い霧は路上や煉瓦壁を包み、硝子窓を撫でる。シャノは眉をひそめた。


「シャノン……!」

「……何か、来る……!」


 ブォン、ブォン、ブォン! 最初に聞こえたのは自動車の内燃機関の音だった。霧に覆われた闇を切り裂き、白く輝く高級車のヘッドライトが街を照らし出す!


 疾走する白く眩い高級車の後ろに、ふつり、ふつりと街の明かりを呑み込む闇が迫る。その現象は、闇ではない。人の認識を呑み込み、消失させる怪現象。現実には非ざる、空想の怪物の顕現!


遺変<オルト>――!?」


 地獄の唸りのようないななきが、セントラルエリアに響いた。

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