34/ 炎の行方は炎が決める 2

 テムシティ下層、ウエストエリア。裕福層の住まいが立ち並ぶ通り。

 自動薪燃機オートファイヤーが金属の腕で薪を掴み、火に焚べる。暖炉の炎が女の眼鏡に映り込み、揺れている。女が身に着けたものは眼鏡のフレームの一つですら、下層の一般市民からは想像もできない値段だ。


「そう。そう。連絡ありがとう。それじゃあ」

「何かあったか?」


 携帯電話セルフォンを置いたアンリエッタに、スラーが尋ねた。彼は首のない男に貸す本を物色していた所だった。


赤い荷馬車カッロ・ロッソのフィリポ・ヴィバルディが死んだそうよ」

「……驚いたな。……このタイミングで、か」

「誰がやったかはまだわからないって。違法組織同士の抗争の可能性もあるわ。でも、まずいかもね」

「うむ。引き上げ時だな」

「フライブレスの実験は?」

「問題ない。第五段階――緑色精製は既に成功させた。他の設備に移動しても研究を続けられる」

「流石スラーね」


 アンリエッタは微笑み、机の上の鍵束をとった。


「じゃあ私、車を用意するから。……燃える彼もつれていくんでしょう?」

「私はそのつもりだ。だが、彼がそれを望むかだな」

「じゃあ私が戻るまでに話をつけておいて。間に合わなかったら――」

「間に合わなかったら?」

「彼を気絶させて、トランクに放り込むわ」

「そんな無体を働きたくはないな。急いで話をつけるとも」



 首のない男はスラーの私室に居た。夜の中、街灯の明かりだけが差し込む部屋を煌々と照らすのは、彼自身の炎だ。ありえるはずのない超常の炎。触れても熱さぬ死色の炎がベッドや装飾に揺らめく。


 私室と言っても、この部屋は最近ではあまり使われてはいない。アンリエッタと婚約して以来、スラーの生活の中心は上層だ。セジウィーク家でのスラーの部屋は下層に戻って来た時に使われる程度になっていた。


 それでも調度品は以前と大して変わりない。スラーがそう望んだ。本棚には子供向け小説から高度な専門書まで様々な本が並んでいる。首のない男にそれらの区別はつかないが、それでもここが彼個人を収蔵した場所だというのは理解できた。


「君、まだここに居たか」


 首から上に炎を宿した怪異が、ゆっくりと振り返った。そこにはぐりぐりとした目の男――スラー・セジウィークが居た。スラーは首のない男が、使われていない自作機械を置いた棚の前に立っていることに気付いた。首のない男は炎を揺らめかせた。


『汝が作りしものか』

「ああ、昔に。懐かしいものだ、若い頃は父から廃材を融通して貰っては、何かを作っていた」


 趣味の域を出ない手製機械たちは、動機モーターや配線が剥き出しのままだ。雑然と積み上がった機械が何の機能を持っているのか、大抵の人間は一見ではわからないだろう。スラーは記憶を辿るように、自分の作った機械を一つずつ眺める。


「自動読書機。ボタンを押すと本のページを捲ってくれる。珈琲豆判定機。珈琲豆の味の傾向を計測する。一時期、珈琲に凝っていた母の為に作ったものでね。不正取締機……ああこれは酷かった、教諭が悩んでいたのでカンニング対策に作ってみたのだがね、人物の視線から他人の答案を盗み見てるか判定するものだったのだが……まったく正しい判定をしてくれなくてね、あの時は大勢から怒られたものだ。ああ、しかし楽しかったな」

『楽しみ。その為に汝はこれらを作った』

「君にとっては、不思議か?」

『否。我が身は死を与えるものなれば、人の生をも理解している。我が刃が終わりへと導くものであるのだから』


 死を告げる炎であればこそ、首のない男には聞こえている。人々の声が。人々の望みが。けして交わらない存在でありながら、人よりも人の声を知っている。


『科学技術。人に生を与えるもの』


 人は望む。より豊かな生を。より幸福な生を。生に望まれて、科学は育った。死である彼とは対照的に。


『それが、人の群における汝の役割か』


 ゆらゆらと、炎が自作機械を照らす。不便を埋める目的をもって作られたモノを。スラーの顔も不可思議な炎の明かりを受ける。


「役割? いいや、違うとも。何者にも定められたことではない。私がやると決めたことだ」

『汝自身が、定めた』

「そうとも。人に在り方を望まれるのも心地良いがね! だが、うん。ああ、私にはそれでは足りなかった。だから私は私の空想ゆめを実現する。科学はそれを可能にするものだ、いつの時代もね。フフ、私は欲深い。望むものは全て手に入れたいのさ。不可能を可能に。空想を現実に。そして、アンリエッタの傍に」

『……欲』

「そうとも、欲こそ根源。私はその輝きを尊重するとも。当然、君の欲も」

『……我が身は何も欲さぬ。何も望まぬ。何も夢見ぬ。そも、我が身は生命ですらない』

「ふむ、では君は何者だ?」


 スラーが問うた。首のない男にとってその答えは明確だった。己が何者であるかなど、元より定まっている。そうでなければ、彼は首なし騎士デュラハンではない。


『――我が身は、ただ……』


 そこまで言いかけて、突然首のない男は呻き、膝をついた。スラーは慌ててその肩を支えた。


『う、ウウ……!』

「君! 傷が治りきっていなかったのか?」


 死色の炎が猛り、火の粉を噴き上げる。スラーの声は、首のない男には届いていなかった。



 ――聞こえる。聞こえる。/ いつものように。

 地の底より来たりし叫び声。恨み、憎しみ、追い立てる声が縋りつくように。

 殺せ。殺せ。殺せ。殺せ!! 殺せ!! 誰か、奴らに死を!!


 無力を嘆き、力に焦がれ。

 届かぬ夢を人々が叫ぶ。ああ、力ある者よ、どうか奴らに死を。


 ――これこそが首なし騎士の在りようだ。

 人々の空想ゆめの形として、その身は現に存在する。



『――死だ』


 首のない男は、柄を握り、腰に下げた死の刃を引き抜いた。ゆらりと首から上に炎を戴く人ならざる姿が立ち上がる。鉤爪めいた歪な剣が黄炎の輝きを受け、暗い廊下に浮かび上がる。


『我が身は、ただ、死である』


 首なし騎士が一歩踏みだす。スラーは後ずさった。


『故に、告げねばならぬ……そう汝らが望み、そう我が身は告げる』

「君……しっかりするんだ」


 彼の様子がおかしいのは明らかだった。それともこれが彼にとっての正常なのか?

 じとりの背に汗が流れるのを感じた。何にせよ、背中を見せて逃げるのは正しくない。そうすれば、すぐさまあの鉤爪剣が無防備な背を切り裂くだろう。冷静さを保つよう努めながら、スラーは首のない男に向き合い、護身用の銃を構えた。


『汝に――、死を――』


切れ<レポーク>


 首のない男が鉤爪剣を振り上げた時、薄黄色の光の刃が空を裂いた。


『――ッ』


 首のない男の鉤爪剣は狙いを変え、非現実の刃を打ち砕いた。神秘の力が光の欠片となって霧散する。スラーは光が飛来した廊下の奥を凝視した。コツ……コツ……。底の厚いブーツの音が静まり返った場所に響く。上層の流行に乗った、ファーのついた黒いジャケットに、ぴったりとしたズボンを纏った女は冷たい笑みを浮かべながら、姿を現した。


「ほう、妙な客人を連れ込んでいるなセジウィーク」


 ネクロクロウ。小柄な女はスラーにそう名乗った。世の全てに対する憎悪に満ちた目がスラーと首のない男を見る。


「死色の炎を纏う、首のない男。この現代に、本物の首なし騎士とは。ハ、愉快なことだ」


 ネクロクロウはこの世ならざる異形の姿に動じた様子もなく、スラーに近づいた。


「ネクロクロウさん。何故ここに?」

「地下で動きがあってな」


 ……コツリ。スラーの銃口はネクロクロウに向いていた。ネクロクロウも足を止めた。


「貴様の耳にも入っているだろう。赤い荷馬車<カッロ・ロッソ>の奴らが壊滅した。まあそれについてはいずれ潰す予定だった。少し早まっただけだ。だが、予定を繰り上げる必要は出た。セジウィーク。我々は期限を早めることにしたよ。今から、フライブレスの研究成果を提出して貰おう」

「……断る」


 スラーはネクロクロウに銃を向けたまま、答えた。ネクロクロウは目を細め、笑みを釣り上げた。


「おやあ? 貴様は我々に服従したと思っていたがな。もう十分、恐怖は感じたろうに」

「フライブレスは……秘術<フィア>は、もっと大きな可能性を秘めている。今の段階で貴方たちに渡すつもりはない」

「ハ、なら奪われないよう、死に物狂いで足掻け!」


 ネクロクロウが腕を上げた。その両手には小柄な体躯に不釣り合いとも思える銀色の手甲グローブ。先ほどの不可思議な光の刃を放ったのも、この手甲グローブだ。薄黄色の光がネクロクロウの両手に収束する。


 スラー・セジウィークは知っている。その光の源を。神秘なる力。フライブレス――即ち、秘術<フィア>。遠い昔に世界から失われた筈の力! スラーは銃の引き金を引いた。弾丸は狙い通りにネクロクロウへと飛び――だがしかし、擦れ合う金属音が鳴り、弾は銀色の手甲グローブに弾かれた。


「下層のクズめ! 貴様の銃程度が届くとでも思ったか?」

「く……ッ」


 ネクロクロウの手甲グローブが最大の輝きを宿す。秘術<フィア>がスラーに向けて放たれんとする、その寸前に――昏く眩い、死の光が駆けた。

人の命を刈り取る刃が、銀の手甲を食い止めた。ぶつかり合う金属が火花を散らす。ネクロクロウの前に、死色の炎が噴き上がった。地獄から響くがごとく陰鬱な声が告げる。


『――我が身は、告げる。汝に、死を』

「貴様ッ……!」

「君!」


 銃を構えたままスラーは目を見張る。首のない男は振り返らない。ごうごうと火の粉を散らす怪物は、炎のように立ちふさがる。


『去れ、スラー・セジウィーク』

「しかし――」


 スラーは一瞬迷った。素早く巡らせた思考が、逃げ去るべきだと告げていた。スラーは苦い顔を浮かべ、背を向けて走り出した。


「セジウィーク!」

『死を託されるモノとしてその身、通しはしない。通るならば、魂だけになってからだ』

「チッ……! 切れ<レポーク>!」


 ネクロクロウは手甲から秘術<フィア>を爆発させ、怪物の鉤爪剣を振り払い、後ろに飛び退いた。――貴重なフィアを無駄撃ちした。ネクロクロウは苛立ち、舌打ちした。


「人の想いから生まれた怪物か。――退け、貴様には用がない……といっても無理な話か。形を成した空想――ただ想われるままに行動するしか出来まい」


 それは人の命を刈り取る形をした刃。相手に食らう鉤爪剣を手に、首のない男は立つ。


『故に、汝に死を告げる。人の声がそれを我が身に命ずる』

「ククク……ハハハハハハ!!!!」


 近づく死の具現に――ネクロクロウは笑った。高らかに。


「無数の声が私の死を願う? ハハハハハハハ!! ――下らない」



 その声は冷たく、憎しみに満ちていた。ネクロクロウの眼光が首のない男を睨んだ。否、その背後にある膨大な声を。


「ゴミどもの喚きがなんだ? ウジウジと他人を羨むしかないクズどもが。そんな塵芥の叫びよりも!! そんなクズの嘆きよりもッ!! 私の憎悪の方が上だ!!!!」


 ネクロクロウの拳がフィアを集め、禍々しく輝く。


「見せてみろッ!! クズどもの声の力とやらをな!!」


 銀の手甲グローブから秘術<フィア>の刃が奔った。敵を切り裂かんと飛ぶ二つの刃に、鉤爪剣の湾曲刃が食らいつく。首のない男は剣を振るった勢いのまま、大きく腕を振るい、受け止めた刃を持ち主へと送り返す!


 襲い来る自らの秘術<フィア>が身をかがめたネクロクロウの頭上を掠めた。


『来たれ、憎悪を抱き、憎悪を浴びる人間よ。我が身は、汝に死を与えん』

壊せ<レスァープ>!!」


 紡がれるのは破壊のわざ。纏ったフィアが触れるものの悉くを打ち砕く秘術<フィア>。強化されたネクロクロウの拳と首なし騎士の剣がぶつかった。神秘のわざと人ならざる者の剣。どちらも一歩も引かない。


「死ねえええええ怪物ごときが!!!!」


 ぶつかり合う手甲グローブと鉤爪剣から、金属が割れる音がした。それはどちらからしたものか。ミシリ、ミシリと音は大きくなった。――しかし、それは更に大きな音で打ち消された。


 ガシャアアアアアン!!


 装飾を施した高級な窓枠が、凄まじい音と共に砕け散った。壁が吹き飛び、ワックス油で磨かれた木板の廊下に粉々に散らばった。壁から突き出した大きなヘッドライトが、ネクロクロウを眩く照らした。


「チッ……!」


 視界を真っ白に染める光に目を細め、ネクロクロウが後退した。セジウィーク邸の壁を突き破った真っ白な高級車から、何者かが身を乗り出し叫んだ。


「君! 早く来い!」


 助手席から立ち上がるのはスラー・セジウィークの姿。


『汝――』

「急げ! その女はすぐに立ち直るぞ!」


 首のない男は、迷った。黄炎が夜闇に揺れ、彼の黒い手袋はスラー・セジウィークの手を握っていた。


「行くわよ! 振り落とされないでね!」


 運転席のアンリエッタが手動変速シフトを引き、アクセルを踏み込んだ。高級車の駆動機関が唸り、タイヤが回転した。……ネクロクロウが眩んだ目を開けた時、高級車は排気を吐き出し、夜闇へと走り去っていた。


 霧けぶる夜を睨めつけ、ネクロクロウは鼻を鳴らした。


「フン……まあ良い、都合が良くなってきた」


 ネクロクロウの狙いは首なし男ではない。所詮はこの世に根差す生物ではない、ただの怪物だ。放っておいたほうが好都合だ。


「なら――必要なのはだな」


 ネクロクロウは破壊された壁から外に出て、物陰に隠れる男たちに近づいた。隠れる――正しくはネクロクロウが縛り上げ、無理やり連れてきた者たちだ。ネクロクロウは彼らの口を塞ぐ布をとった。男たちは息をのむような悲鳴を漏らす。


 ネクロクロウは冷ややかな眼光で、彼らを見下ろした。憐れな男たちは安っぽい服を着け、無精ひげを生やしている。高級住宅街のウェストエリアの住民であるはずもない。


「お前たち。何故こんな目にあっていると思う?」


 黒いジャケットの女が静かに問うた。街灯の明かりが女の蹴りが男の一人を転がす様子を照らし出す。蹴られた男はくぐもった声で倒れ、体を丸めた。男たちは怯えた。


「――分からないだろうな。アイツだ。この裕福な家の息子! 見ろ。隙間風の入らない頑丈な壁に、澄んだ硝子! 安い暖房燃料のあるご時世に昔ながらの暖炉の灯る煙突! 貴様らが一生かかってもこんな家には住めまい。近づくことすらなかったろう。お前たちはそんな所に住む奴を捕まえるために連れて来られたんだ。無関係のお前たちがな」


 ネクロクロウの表情が、悪意に満ちた笑みを浮かべる。


「憎いだろう、腹立たしいだろう。無関係の金持ちの為に――お前たちは死ぬ」


 そんな。嫌だ。助けてくれ。か細い言葉が口々に零れる。だがネクロクロウにそのような情があるはずもない。蹴り、殴り、地面が血で汚れても容赦なく男たちを嬲る。痛みと涙で男たちの視界が闇にぼやけてゆく。


 ああ、どうして。どうしてこんな目に。

 痛い、苦しい、恐ろしい。

 あいつは逃げたのに、何故自分たちはこの女に苦しめられている?

 ずるい、憎い、憎い。憎い――。

 どうか、誰か――あの見知らぬ奴にも、この苦しみを!


 ――


 それに名はなく。人の姿ではなく。命の姿ではなく。在るのはただ、忘れ去られた遺物たち。

 前進せたかめよ。前進せたかめよ。前進せたかめよ。

 それは踏み荒らすものとして存在する。それは進み行くものとして存在する。


 夜に絶叫が上がった。縛られた男たちの頭蓋が踏み潰され、破裂した腹部から内臓が飛び散った。熱い血が手入れのされた庭にかかる。


 ぬう、と伸びるのは鎧を纏った四本の蹄。その上に頭部はなく、空っぽの空間だけがある。


 あり得ざる怪異。人の生み出した空想。

 首のない鎧馬の化け物が、そこに立っていた。


 鎧馬はネクロクロウをも踏みつぶそうと猛った。ネクロクロウは踏み砕かんとする蹄から飛び退った。


「行け、遺変<オルト>。貴様の狙いはあちらだ」


 ネクロクロウの指さす方を見て、遺変<オルト>は嘶いた。地響きを立て、怪異は舗装道路を走り出した。


 鎧馬の背を横目に見ながら、ネクロクロウはセジウィーク邸に火をつけた。

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