36/ 炎の行方は炎が決める 4

「シャノン……!」

「……何か、来る……!」


 ブォン、ブォン、ブォン! 最初に聞こえたのは自動車の内燃機関の音だった。霧に覆われた闇を切り裂き、白肌の高級車のヘッドライトが街を照らし出す!


 疾走する白く眩い高級車の後ろに、ふつり、ふつりと街の明かりを呑み込む闇が迫る。その現象は、闇ではない。人の認識を呑み込み、消失させる怪現象。現実には非ざる、空想の怪物の顕現!


遺変<オルト>――!?」


 地獄の唸りのようないななきが、セントラルエリアに響いた。シャノは叫んだ。


「グリフィン!」

「任せるが良い。フィアは十分に補充した」


 素早く取り出したグリフィンの術杖つえが、フィアを燃焼し輝きはじめた。


「おい、車に乗ってる奴、セジウィークとツレの女だぜ」


 暗闇を走る車の様子をジャックの目が鋭く捉える。それだけではない。車が近づくにつれ、異様な様子が見えてくる。それは、炎だ。霧の中を明々と照らす、不鎮の火。例え嵐の中であろうと、永劫消えはしない。高級車を守るように纏わりつくのは、死色の黄炎。


「「「……首なし騎士!!」」」


 三人はその名を口にした。最初にシャノがそれを見た。次にジャックがそれを見た。そしてグリフィンも今、それを見た。ライダースーツのような黒い服を纏った体の上に首はなく、ただ燃え上がる幻想的な炎だけがある。正真正銘の、人ならざる怪物!


「馬鹿な……あれが首なし騎士だと……? ……!」


 ブリッツKNG1200で走るスラーとアンリエッタもようやく道に立つ三人が通行人ではないことに気付く。


「スラー。あれ、探偵さんよ」

「何? 科学会合で会った彼らか? それは……嗅ぎつけられたか?」

「そうかも知れないけど。このままだと死ぬわよ、あの人たち――」


 背後には鎧を纏った首なし馬の怪物が追ってきている。鎧馬の攻撃を、首のない男が受け止めた。高級車は速度を緩めず交差点へと突っ込む。赤毛の男は背負ったチェロケースの固定金具を外した。


「何で科学野郎といるんだか知らねえが、ハ、丁度良い。もういっぺんり直したかったんだよ」

「ああもう、厄介ごとが続くなあ……」

「だが、やるべきことは決まっている」

「お前ら、しっかり掴まってろよ」


 二十メートル……十五メートル……十二メートル……十メートル!


 スラーたちの車が交差点に入ったのと同時に、二人を抱えてジャックが路面を蹴った。常人ならぬ跳躍力で、三人の体が飛ぶ。シャノとグリフィンの外套コートが風を受けて舞う。三人と三人が交錯した瞬間、高級車の車体にシャノたちを抱えたジャックが着地した。


「なにッ!?」


 車中のスラーは驚嘆し、その大きな目を見開いた。グリフィンはすぐさま秘術<フィア>を展開し、車の周囲にフィアの壁を張る。シャノは車体から身を乗り出す首のない男を押しのけて、屋根から後部座席へと滑り込んだ。


「セジウィークさん、突然お邪魔してすみません。一体何があったんです?」


 手際よく後部座席に収まったケープ付き外套インバネスコートの若者に、スラーは慌てて口を開いた。


「待て、待て君たち――何て無茶苦茶を、それに何故こんな所に?」

「落ち着いてください、驚くのは当然ですが、今は冷静に」


 シャノは後方の窓に目をやった。硝子の向こうには地響きを上げ迫る遺変<オルト>の脚。意味するところを理解し、スラーは小さく深呼吸をし、気持ちを落ち着かせた。


「本当は貴方のお宅に向かっていたんです。こちらも聞きたいことが沢山ありますが――今は先にアレを解決しなければ、全員、夜明けに立ち会えるかも分かりません。何故遺変<オルト>に追われているんですか?」

「アレは――分からない、我々は初めて見た――いや、違う……違うな?」


 そうではない。記憶から抜け落ちていたが、あの怪異を見た時、スラーは思い出した。これは二度目だ。既に彼らはあの恐ろしい存在と出会っている。


「何故忘れていたのか……私たちは、先日あの怪物を見た。科学技術会合の場で……そして、その時にアレを退けたのは君たちだ」


 鎧馬の振るう鞭が秘術<フィア>の防壁を叩いた。繰り返される攻撃に、徐々に秘術<フィア>の壁が消耗してゆく。


「君たちは……あれを退治する為に来たのか」

「そうです。最初はただ、話を聞くだけのつもりだったんですけどね。セジウィークさん、貴方が作っている――フライブレスについて」

「フライブレス――」


 走る窓の外に緑色の燐光が舞った。かつて存在し今は忘れ去られた、わざ。フライブレスと同じ輝きを。


「……秘術<フィア>


 スラーは呟いた。その力の正しき名を。


「君たちは、何者だ……?」



<前進せよ、前進せよ、前進せよ――>


 その声は暗く、呪わしい。

 遺変<オルト>の鞭が、ついに防壁を破壊した。しなり、襲い来る鞭をジャックの動力鎖鋸チェーンソーが迎え撃つ。――ギャルルルル!! 引き攣れた音をあげ、回転する刃が鞭を二つに切り裂いた。ジャックが遺変<オルト>を破壊する間に、グリフィンが次のわざの構えに入った。


「まずいな……この遺変<オルト>、以前より段階が進んでいる……!」

「もう人間を殺した後か。どうすんだ」

「まだ第二か……第三段階だろう。問題ない、フィア精製石の用意は十分だ。対処できる」


 グリフィンが術杖つえを振るおうとした時、遺変<オルト>が嘶いた。鎧で覆われた太い前脚を高く上げる。


「避けろ!」


 ジャックが注意した直後、遺変<オルト>の脚部が、開いていた後部座席の扉を粉砕した。扉で体を支えていた首のない男がよろめいたが、内手摺アシストグリップを掴み事なきを得る。ジャックは眉を潜めた。


「こいつ、俺たちよりこいつらの車を狙ってるぜ」

「何故、彼らに執着する? 遺変<オルト>は無差別に人を襲う。例外があるとすれば、彼らの在り方にとって許せない相手。そして――」


 グリフィンの視界に、燃え盛る死色の炎がある。処刑刃にも似た、鉤爪状の剣を持った怪物が。


「………………! それが元型か……!」


 首なし騎士を空想した遺変<オルト>がここに在り。そして――本来であれば、現実であれば、ありえないことだが、事実――テムシティに本物の首なし騎士が具現したならば。それこそ最も、首なし騎士の物語を型取るに相応しい。


 だからこそ、遺変<オルト>はあの夜に現れた。あの時、リバーサイドホテルに居た首なし騎士を追って。


「君は……何者だ。何故、スラー・セジウィークを守っている」


 首から上が存在しない男が答えた。地獄の唸りのような人ならざる声で。


『我が身は、人のいのりと共にあるが故に』


 遺変<オルト>の鞭が横から襲い来る。車体を真っ二つにせんとするそれを、首のない男は鉤爪剣で絡めとった。アンリエッタがハンドルを切り、車を半回転させて車体にかかった力を逃がした。


「スラー。やるわ」

 アンリエッタの視線がサイドミラーに映る遺変<オルト>を捉えた。


「む? 成程……成程? ……緊急事態だ、仕方あるまい」

「彼ら、折角来てくれたんだもの。役立って貰うわ」


 上質なレースの手袋に覆われた美しい指がハンドルを強く握った。スラーは首のない男に呼び掛けた。


「中に! 何があっても振り落とされるな!」


 次の瞬間――アンリエッタはアクセルを踏み込んだ。街中で、時速を示す針がどんどんと大きな数字を指してゆく。車の外ではびゅうびゅうと強い風が吹き荒れ、ジャックの赤毛が激しく揺れる。


「おいクソ女! 少しは速度落とせ!」

「あら、紳士様。助けてくださるのでしょう? ですから、わたくしも全力で逃げることに専念致しますわ。そちらも全力で助けてくださいな。それとも――俗人にはその程度も期待出来なくて?」

「ハ――良い口叩きやがるな、箱入り女!」


 ジャックが笑みを浮かべた時、距離を離されていた遺変<オルト>が、逃がしはせぬとばかりに跳躍した。馬の形をした四脚が大地を蹴り、その巨体が飛び上がる。走る高級車の真上に――それを踏みつぶさんと! 


紡げ、絡め<シュバキ――」


 激しい走風の中、グリフィンは術杖つえを握る。操る腕に迷いはなく、紡ぐ言葉に躊躇いはない。その体を、壊れた窓枠を掴んだジャックがしっかりと抱えている。長外套コートは吹き飛ばんばかりにはためけど、その体は太刀風にも揺るがない。


「来てるぞ、さっさとやれ!」

此なるは結ぶもの、此なるは縛るものセ・ケッソ>!」


 力ある言葉を終えた瞬間、秘術<フィア>が成る。蔦のごとく、縄のごとく伸びたフィアが、頭上に迫った鎧馬の前脚を拘束し、止める!


 遺変<オルト>が怒りの声を上げた。存在しない頭部の代わりに浮遊する六つの骸骨が炎を吐き出した。ジャックはグリフィンから手を放し、動力鎖鋸チェーンソーを振り上げた。人がかざす恐るべき刃は、遺変<オルト>の蹄を真っ二つに切り裂いた。

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