29/ ウォルトン新聞社の乱入 1

「我々は少々不名誉な名で呼ばれている――武装新聞社、とね」


 八本脚に姿を展開した機械が聳え立つ。全高、ゆうに五メートルはあるか。長い金属足が次々と地面に突き立った。何本もの鋼鉄の脚部が彼らを捕獲すべく振り下ろされ、グリフィンとエイデンは辛うじてそれを避ける。


「そらそら、いっくよー!」


 バードボックスと呼ばれた機械の重く尖った足先が石畳を割り、石の破片が飛んだ。聳え立つ長い八本の脚は、まるで鳥籠のようにも見える。だがその華奢な印象とは反対に、その脚は恐ろしい力と重量を持っていた。これに捕まればもはや抵抗は出来まい――それどころか場合によっては……つまり操縦者の扱いによっては。


「コイツ、まだ安全装置とかついてないからさ。このながーい脚部で串刺しにならないよう――気を付けてね?」


 サーシャは業務的に微笑んだ。金属の杭めいた脚部が再度襲い来る。グリフィンは真っ直ぐに走り抜けようとした。バードボックスの脚がその背後に落ちる。


「ぐっ……!?」


 足を踏み出そうとしたグリフィンが、前につんのめった。脚の一本がグリフィンの上着の裾を地面に縫い留めたのだ。先を走っていたエイデンが目を見開いた。


「グリフィン!」

「よーしよし、一名確保ーっと」


 目前の石畳が砕けた。逃亡を阻むように、バードボックスの二本の脚部がグリフィンの前に突き立った。全てを閉ざす鉄格子のごとく。


我が炎ここに在りて汝を焦がす<ハ・セ・ネツ・ミト・セ・エン>――」


グリフィンは術杖を取り出し、バードボックスに向けて秘術<フィア>を放った。猛る炎が籠型機械を襲う。だが――そこにバードボックスの姿も新聞記者の姿もない。跳躍したのだ。籠型機械の影は、グリフィンの頭上に。


「その杖が力の源?、でも残念。今日は私に運が回ってるみたいだね。それじゃ、私の報奨金ボーナスになってもらおうかな!」


 跳躍するバードボックスの脚の先端が開き、数本の指に分かれた。それがグリフィンの上体を掴み、地面へと叩きつけた。仮面の奥から苦し気な呻き声が漏れた。機械脚の圧倒的な力がグリフィンの呼吸と骨をミシミシと圧迫する。神秘のわざは鋼鉄の前に霧散する。術杖内の精製フィアは尽きている。


「ぐ、ぅ――」

「弊社企画・発注の情報収集機械インテリジェンスオートシリーズ、<人間保管庫>バードボックス。結構な金をかけててね。どう? 下層じゃあお目にかかれない機動力でしょ。上層の技術力ってとんでもないよね。まあ、お兄さんならもしかしたら知ってるかもねぇ?」


 為すすべないグリフィンにの頭上で、バードボックスの中心に吊るされた金属檻の影が落ちた。何人もの情報源を確保してきた、無情の檻が扉を開く。


「ッ、よせ! やめろ!」


 エイデン・マッカイは――叫んでいた。このまま走り続ければ、この新聞記者から逃れることが出来たかも知れない。一人でも逃げおおせた方が良かったのかも知れない。けれど――エイデン・マッカイは進むことを選べなかった。振り返った視線が、機械に抑え込まれるグリフィンを見た。


 もう迷いはしなかった。エイデンは薄黄色の欠片を掴んだ。――粗製フィア。未完成で、未熟で、劣った力。本物の輝きには遠く及ばぬ粗悪品。それでも、その輝きもまたフィアであるならば。エイデンの手が力強く、粗製フィアを握りしめた。


力よ満ちよ、血の流れへと<カクリ・セ・ケイリ・カクリ・セ・ガガミ>――」


 それは力ある言葉だ。

 溢れだすエネルギーを処理する術杖つえも、術銃じゅうもなく。粗製フィアの輝きが手の平を焼き、血管を燃え上がらせる。


「……っ、よせ……エイデン……! 肉体にフィアを環流させるのは……!」

「うるせえ! オレは、何だって、スマートには出来ねえんだよ!」


 必死に記憶を手繰り寄せる。構成知識。術の組み立て方。紡ぐべき言葉。あるべき術具の一つもない。否。ただ一つ、この身だけはある。


対象を拘束<シュバキ・セ・ガガ・ティキ>……ッ!」

「チィッ……!!」


 危険な空気に再びバードボックスごと離脱しようとしたサーシャが焦りを見せた。バードボックスが操作を受け付けない……否、不可視の力によって動きを封じられているのだ。


「バードボックス、機能全開フルエンジン!! あー、くそ! ちょっとやば……」

我が炎ここに在りて汝を焦がす<ハ・セ・ネツ・ミト・セ・エン>ッ!!」


 炎が、渦を巻いて籠型機械の主要部を呑み込んだ。同時に、エイデンの体からも火が噴き出した。秘術<フィア>の制御が未熟だったのだ。フィアの炎が皮膚と血管を焦がし、エイデンは叫んだ。


「ゲホッ、ぐ、エイデン……! だから言ったというのに……!」


 バードボックスの脚部から解放されたグリフィンが息を吐いた。

 

 だが鋼鉄の機械は――健在だった。無傷のままに。


「あっぶなかったぁ……咄嗟に収納状態に移行出来て良かったよ」


 機械が重い音を立てた。箱の形をした金属がゆっくりと展開し、中からスーツの女が姿を現した。


「それか、今の術がもっと強かったら蒸し殺されてたかもねえ? あはは、良くないよ? 殺人とかさ」

「くっ……!」


 術杖を握るグリフィンにサーシャは笑みを浮かべた。


「もう燃料がないんでしょ? 自爆してくれてありがとうねぇ、二人とも纏めて回収させて貰うよ」


 バードボックスが形状を変化させる。八つの脚部で立つ、生きた檻の形に。脚の先端が開き、動けずにいるエイデンを中央の檻に閉じ込めた。


「っ、彼を返せ……!」

「だいじょーぶ、二人とも歓迎してあげるからさ。なるべくね?」


 バードボックスの脚がグリフィンにも迫る。開いた鉄の鉤爪と術杖が組み合った。だが、そんな抵抗は無力なものでしかない。力では機械の檻が勝っているのだ。徐々にグリフィンの体が圧され、捕獲脚が迫る――。


 ――そこに、猛烈に唸りを上げる駆動音が響き渡った。

 弾性樹脂ゴムのタイヤが地面を擦る鼻につく匂い、そして焼ける駆動機関エンジンの匂いが風に乗る!


 ドルルルルルル! けたたましい駆動音と共に、一台の防覗窓スモークフィルム車両が飛び出した。それはごろつきたちの使っていた車だ。ハンドルを握る人間の目は――灰色。探偵は叫んだ。


「させ、るか――!!」


 人間の反応速度を越えた暴走車両の上に、黒い人影が立ち上がった。――見間違いか、と誰もが思った。だが、否。確かにその影はそこにある。長い東方の刀を携えて。


 そして――、一切の速度を緩めず、防覗窓スモークガラス車両は籠型機械へと突っ込んだ。激しい衝突音が地面を大きく揺らした。バードボックスの機体がたまらず体勢を崩す。


「ッ何て無茶苦茶を……! バードボックス! 姿勢制御優先!」

「グリフィン! 手を!!」


 大きくハンドルを切った車の中からシャノが手を伸ばした。だがそれより早く、バードボックスの体勢修正が完了する!


「悪いねえ、探偵さん! ここまで来ておめおめと返すってのはちょっとね!」


 車両がグリフィンに近づくより先に、バードボックスが体制を翻し、捕獲脚を伸ばす――筈だった。サーシャは目を見開いた。ギギギ、ギギギギ――。歪な音はどこからか。バードボックスの機体は――動けない。人工太陽光の下で、一刃の剣が白い筋を残す。


 人間の頭上高く聳え立つ檻型機械は、脚部を動かせない。何故なら、その一本の関節に――一本の刀が突き刺さっているからだ。


 ギギギ、ギギイ。金属が擦れる耳障りな音は、刀が突き刺さった、バードボックスの関節の一つからだ。


「全く――探偵殿は人使いが粗い」


 ムソウは溜息を吐いた。油断なく目前の機械を睥睨したまま。


「拙者は高いのですがね」


 馬鹿な。女は思った。たった一本の刃物で関節が、バードボックスの全身が動かせないと? だが事実だ。この男は暴走車両から飛び降り、その上、人の腕一つでバードボックスを止めてみせた。


「これはこれは、どうにも見覚えがあると思ったら、先日助けてくれたサムライさん。今回は通して貰えないのかな?」

「おや、それは拙者への依頼ですか? そうであれば一日五十万リングで承りますが」

「残念、その額は経費じゃあ落とせなさそうだ」


 ムソウが刀を握る肩に力を込める。


「――何故動けない、と思っているでしょう。単純です。人体であれ、その機械であれ、体が向く方向、曲がる方向というものがある。それは全身の動きとも連動している。故に、その機体の体勢。向き。脚部への力。たった一つの関節を止めるだけで全身を動かせなくなるタイミングを精確に捉えた。ただそれだけのことです。ええ、勿論。かかる負荷はこちらの方が大きい。最適な角度に刃をいれたとはいえ、永遠と保つわけではない。――故に」


 一閃。檻型機械の脚の一本が切り捨てられる。一脚を失ったバードボックスが姿勢制御を崩す。


 ――バードボックスの足をこんなに容易く!

 あっさりと脚部を一本持っていかれたことにサーシャは驚愕する。その驚きを心の奥に隠し、彼女は東方かぶれの男に微笑みかけた。


「そういえばサムライさん。名前聞いてなかったよね」

「――我が身は武の極限、技の極致。最果てに立つ者。――即ち、ムソウ無双



 ◆  ◆  ◆


 離れた所からの音に、ギャレット・デファーは目を細めた。どうやらサーシャは手こずっているらしい。<情報収集>において社内随一の腕を持つ彼女にしては珍しいことだ。


 地面を踏む微かな音に、ギャレットは顔を向ける。土埃の向こうに――人影が浮かび上がる。


「僕のトラックボックスはバードボックスと違って運搬用でね。それでも――」


 ギャレットの傍の四つ足の鈍重な生き物のような機械が薬莢を輩出し、次弾を装填した。


「トラックボックスの一斉掃射を受けて、無傷で立たれたのは始めてだな」


 土埃が晴れると、そこに立っていたのは赤毛の男だ。――ドン! トラックボックスの肩から複数の砲弾が飛び出した。ジャックは鮮やかに身を翻し、それを動力鎖鋸で叩き落とす。顔にかかった赤毛を掻き上げ、ジャックは不敵な笑みを浮かべた。


「ハ、喧嘩売ってんのか? 運搬機すらまだぶっ壊せてねえってか」

「そういうつもりじゃないんだけどね」


 ギャレットは口煩い客を前にした時のように苦笑した。


「僕としては肉体的に傷つけあうのは好きじゃない。お互いに勿体ないだろう。僕は手を引こう。君も引いてくれると嬉しいんだけどな」

「バーカ。俺に一度仕掛けておいて逃げられる筈がねえだろうが」


 ジャックは楽し気に笑い、動力鎖鋸チェーンソーを向けた。


「それに、その上層製の機械をぶっ壊してみたいんだよな」

「勘弁してくれ。君の命より高い値段なんだから」

「ハ、じゃあ手前を殺るか?」

「ははは、確かに。僕の値段もトラックボックスより安い。君同様ね」


 トラックボックスと呼ばれた四角い獣型の機械が次の弾を装填する。ジャックもまた動力鎖鋸チェーンソーを回転させる。二つの唸りが鳴り響く。


「安心しろよ。今の俺はアイツに商風を合わせてやってる。手前もクソ機械も苦しめずに殺してやるよ。なるべくな」

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