30/ ウォルトン新聞社の乱入 2
刀を構える男は涼やかな表情で、汗の一つも落とす様子はない。サーシャは右腕の操作バンドで、バードボックスの駆動系を確認する。問題なし。失った一本の脚部を補うプログラムは実行されている。
「何で探偵さんに協力してるんです?」
「協力? いえいえ。そんな大層なものではありません。拙者はただ――珍しいものを斬ってみたいだけです」
咄嗟にサーシャは身を後ろに逸らした。何の理屈もない、ただの直感だった。ヒュン、と軽い音が記者の首の数ミリ前を掻いた。それは白刃だ。一瞬の出来事だった。話し終えた次の瞬間に、ムソウの姿は地上からゆうに三メートルはあるバードボックスの上へと跳び上がったのだ。
「おや」
避けるとは、といった素朴な表情を浮かべ、ムソウは刀を振るった勢いのまま体勢を翻し、第二撃を振り下ろす。
バードボックスの
数秒遅れて汗が噴き出した。今の攻撃を避けられたのは幾つもの危機を経験してきた故の勘だ。そしてこの幸運は一度きりだ。次の一撃はサーシャの反応速度に対応してくる。
「やばいやばいこいつ!」
あくまで今回の仕事は情報源の確保の予定だった。今のバードボックスの装備で敵う相手ではないのは明白だ。サーシャは素早くギャレットへと通信機を繋げた。
「部長、無理無理予定変更! マッカイだけ連れて離脱します!」
『え、本気かい? 君が?』
「仕事に死ぬ気はないんで――チィッ!」
連絡をとっている間に、次の斬撃。一瞬の判断で、バードボックスの脚部の一本を犠牲に差し出す。テムシティの中でも最上位品質の金属機械はけしてやわではない。それがいとも容易く宙に舞う。
だが、機械の優れたところは人体とは異なる動きを持つことだ。殊更、歩く籠めいた異様を誇るバードボックスは体勢を立て直すのに時間がかからない。体の四方に伸びる足がそれをすぐさま支えるのだ。残る六本の脚部でバードボックスは空へと一際高く跳び上がり、その場を離脱する。
「ふむ。拙者でもあれに追いつくのは難しい」
遠く離れる籠型機械の姿。ムソウは二本の脚部を破壊した刀を鞘に納める。
「申し訳ありません、探偵殿。いやはや本体を始末すれば良いかと思いましたが、新聞記者風情があのように勘が働くとは思わず。高価な絡繰りを扱うだけあって、それなりに修羅場は踏んでいる様子」
ウォルトンの記者は辛くも逃れた。エイデン・マッカイは未だバードボックスと共に居る。グリフィンは
「悪いグリフィン、
「シャノン……これは、我々を連れてきた車か?」
「そ。置いてあったから借りてきた。散々酷い目にあったんだ。このくらいあいつらも怒らないさ」
一度方向転換のため、落としていた速度を再度上げる。駆動機関が低く唸る。グリフィンは上体を起こし、助手席のシートベルトを握った。
「シャノン……、すまない、これは……
「当然。その為に来たんだから!」
「ムソウさん、乗って!」
直線状に向かってくる車にムソウは跳んだ。ボンネットを踏み、そして軽やかに屋根へと飛び乗った。
「やれやれ、手間取りますね。しかし――こんな車であの最新機械に追いつけると?」
シャノは不敵な笑みを浮かべた。
「上層技術だなんだって、変わりない」
ギュン、ギュンギュン! 機関部とタイヤが熱され、独特の匂いが立ち込める。加速。加速。加速! 車の軋みにも構わずアクセルを踏み込む。
「追いついてやるさ。わたしは探偵だからね!」
◆ ◆ ◆
空気の流れの変化を感じ、ギャレットは顔を上げた。サーシャ・ガルシアと<人間保管庫>バードボックスがこちらに近づいている。
「というわけで、僕は彼女の護衛に戻るよ」
「させるかよ!!」
「困ったな。僕は彼女を運搬しないといけないし、君だって仲間を助けに行きたいだろ? 彼らは彼女に対抗する手段がない。君とは違ってね」
「アア? この俺に割り込んできて、自分はホイホイ帰れるとでも思ったのか? 舐めてんじゃねえよ。一度始めたんだ、俺がズタズタにするまで帰れるわけねえだろうが!」
トラックボックスの二本の機械槍がジャック目掛けて交差する。ジャックの服の端を槍が貫く。だがその体は交差した二本の槍の隙間へと潜り込んでいた。
「おらあッ!!」
「ううん、これは良くないな。修理の見積もりを出さないと」
残る砲筒は左肩のひとつ。二本の機械槍は健在とはいえ、主要武装のひとつを破壊されたのは手痛い。
ギャレットが思案した時、地面を削るような独特の足音が響いた。汚い建物の屋上に、鳥籠めいた不気味な銀色の機械が着地する。もう一方との戦闘を打ち切り、合流しに来たバードボックスだ。バードボックスの上で、黒豹のような女が声を上げた。
「部長ぉ、なに手こずってるんですかあ」
「うーん、ごめん。僕ら話が合うみたいでね。先に帰社しててくれ」
「もー!」
巻きあがる小石や土煙にも涼しい顔で、屋根の上のムソウが遠くを見据えた。
「どうやら追いつきそうですよ、探偵殿」
「――見えた!」
シャノの視界は捉える。それはムソウの目よりもさらに先。周囲に在る無数の情報が無意識化で収束し、見えぬ結果を映し出す。故にこそ、灰色の目は赤く輝く。採るべき道筋を、そしてその先に待つ牢獄の機械を見る!
「あーもう、あいつら追いついてきた!」
「二回も逃がすか、新聞記者ッ!!」
探偵と記者の視線が交錯する。
「サーシャ、行くんだ。僕が暫く引き受ける」
「ちゃんと足止めしておいて下さいよぉ」
「努力するよ。――トラックボックス、
ギャレットの命令と共に、右の機械槍の先端が飛び出した。ジャックは自分に放たれたそれを辛うじて避ける。槍の先端はそのまま飛び、バードボックスを追う
「チッ……!」
ジャックは体勢を立て直しながら舌打ちした。今の狙いはジャックではなかったのだ。否、当たったならばそれでも良かったのだろう。だが外した時には後ろに走るシャノたちの車に直撃するよう計算していたのだ。
ワイヤーに引っ張られ、車が速度を止める。重い。シャノはアクセルを思いきり踏み込んだ。だがワイヤーの先のトラックボックスはびくともしない。
ワイヤーを切断すべく、車の屋根の上のムソウが刀に手を添える。ジャックも
「テメエッ! させるか!」
「――悪いが、もう終わっているんだ」
ジャックが動いた。その刃が届くより早く、ギャレットは次の命令を起動した。
「<運搬武器庫>トラックボックス、
トラックボックスから電流が迸った。電流が四方の建物や地面にめり込んだ砲弾を撫でた。側面の信号が小さく光り――次の瞬間、爆発した。トラックボックスから射出され、周囲に散らばっていた砲弾の残骸。それらが一斉に爆発を起こした。
「探偵殿!」
ムソウの刃がワイヤーを切断した。車が
土煙が広場を覆った。激しい崩落の後、やがて爆発音が静まった。視界は白く濁り、周囲の様子は見えない。ギャレットは爆風で乱れた髪を撫でつけた。
「……ふむ。死にはしなかったか」
薄まった土煙の向こうに、車両の影が浮かび上がった。
「ゲホッ、なんて無茶苦茶な……!」
運転席のシャノは咳き込み、車の外を見た。周囲は崩壊した建物の瓦礫が散乱している。地面には爆発による大きな穴がぽかりと空いていた。粉塵に耐えかね、ムソウがくしゃみした。
「ンン……良くありませんね、この状況は」
「狙いは、これか……」
助手席のグリフィンが唸った。
「弾を撃てばそれで終わりだと思ったかい? 悪いね、これは特別に発注した起爆弾だ。……一発がそれなりの値段がするんだけれどね。僕も無暗矢鱈と弾を撒き散らしていたわけではない、ということだ」
ギャレットは熱を帯びたトラックボックスの巨体を撫でた。
「僕の仕事は彼女とバードボックスを運搬することだが――赤毛の彼が行かせてくれなかったものだからね。じゃあそういう時はどうするか? そう、君たちを進めなくすれば良い」
数十メートル四方は酷いありさまだ。先程まであった道路は、どこもかしこも崩れた建物で塞がれている。特殊な装備を備えた車両でなければとても進むことは出来ない。
「瓦礫の山に、道路の舗装も滅茶苦茶だ。そして君たちが乗っているのは戦車でもない。ただの違法組織から借りた車だ」
四脚の機械の後部から、ゆっくりと新たな武器が現れる。合計三丁存在するそれは、高出力の電気銃だ。
「これが、<運搬武器庫>トラックボックスだ。君たちはここで足止めさせて貰うよ」
三つの電気銃がエネルギーを充填する。側面の
危険を感じ取り、ジャックが怒鳴った。
「おい仮面野郎、デカいのが来るぞ、防御しろ!」
「駄目だ、フィアは全て使い果たした……!」
グリフィンが握りしめても、術杖は反応しない。シャノが眉をひそめた。
「新聞記者って奴はあんな御大層な装備がないと、外も歩けないのか?」
「燃殻通りは真っ当な法の届かない場所だ。ここでの死は地下に葬られ、罪科に問われることもない。それは我々にとっても同じということさ」
都市下層より更に闇深く、地上から流れ落ちたものの集う地であるのならば。即ちけして正しき世界が指を伸ばすことはない。
ギャレットは眼鏡の向こうで穏やかに微笑んだ。いつもと変わらぬ顔で。 ジャックは舌打ちした。応じるように、
「ハ、つまり……手前を殺してほしいってことか!」
回転する刃の群れが、トラックボックスの槍とぶつかった。しのぎを削る二つの武器が火花を散らす。
「度胸がある。踏み込みも大胆で、頭も回る。そして何より強い。僕が恐怖を感じる程に。フム……君のような人物であれば我が社の耳に入っていても良いようなものだが、僕らの情報にもない」
「悪いが、田舎出でな。お前らが嗅ぎつけるような生活はしちゃいねえよ!」
シャノはアクセルを踏み込む。だが窪みにタイヤを取られそうになり、諦めて
「ああくそ、このままじゃどんどんサーシャ・ガルシアに引き離される……! ジャックが戦ってるっていうのに……!」
「ふむ。拙者、瓦礫を斬ることは出来ますが。しかに車両が通れるほどに砕くには時間がかかるでしょう。車は捨てて、徒歩でテクテクと追いますか」
「……いや。方法はある」
「グリフィン?」
爆発により倒壊した周囲を、仮面の奥からじっと見つめていたグリフィンは交戦している二人の方を向いた。
「ジャック! 踏み台だ!!」
「何……?」
ジャックの
「ハ、そういうことか」
グリフィンは手早くシャノに指示を出す。
「シャノン、車を後退させるんだ。あちらには走れる場所が残っている」
「え? わ、分からないけど分かった!」
シャノは
「グリフィン、ここからどうすれば?」
「いや。説明する方が冗長になる。君にはもう分かるはずだ」
シャノは戸惑ったまま、
「――なるほど」
巨大立方体から生えた脚が、爆風で割れた地面をえぐる。自然ではない、人の手によって形作られた美しい幾何学の姿。幾つもの武器を構えるそれはまさに<運搬武器庫>の名に相応しい。その威容、
トラックボックスの上に立ち、ギャレットは彼らを見下ろした。
「興味深い。彼らをどう先へと進ませる? 瓦礫を綺麗に消す芸当でも持っているのかい?」
「バァカ」
「速い……!」
「ハ! 槍が二本とも健在なら、俺を止められたかもなァ!!」
機械槍の根元が
「平らな場所なら、ここにあるだろうが!!」
ギャレットは追尾弾を射出しようとした。だが間に合わない。
――ギャルルルルルル!!!
ついに無数の回転刃は、トラックボックス頭頂部の制御信号装置を打ち砕いた。
トラックボックスがエラー音を吐き、その巨体が傾いだ。四つ足の立方体機械は切り落とされた機械槍の上に重い地響きを上げて倒れた。
「シャノ! 全力で走れ!!」
「シャノン、行けるか」
「大丈夫。全部見えてる」
無数の外部情報が視界に入り、そして後方へ過ぎ去っていく。だが確かに、探偵の灰色の目はそれを捉えた。ならば、進むべき道は見えている。
無数の外部情報が視界に入り、そして後方へ過ぎ去っていく。だが確かに、探偵の灰色の目はそれを捉えた。ならば、進むべき道は見えている。ハンドルを切り、最適な道を選び取る。
大きな石くれが車体に擦れ、塗装を削りとる。だが迷わない――シャノは大きな瓦礫の上へと乗りあげる。車体が跳ね、着地する――斜めに倒れた<運搬武器庫>トラックボックスの上へと。
それはジャックの狙った通りだ。鎮まったトラックボックスは己の機械槍の上に重なるよう倒れた。そうすれば当然、比重とバランスにより一方の縁は下がり、トラックボックスの平らな側面は斜めになる。空へ飛び出す滑走路のように。
「ジャック!」
トラックボックスの側面に車を走らせながら、シャノはジャックを呼んだ。全速力で走る車の上に、ジャックは飛び乗った。屋根の上のムソウが微笑んだ。
「いやあ、ジャック殿。ご苦労様です。拙者と相席になりますがご勘弁を」
「全くだ。おいシャノ、別の特等席を用意しろよ」
「ちゃんと、地面に着いたらね!」
車がトラックボックスの上から飛び出した。瓦礫を超え、残骸を超え、宙を飛んで行く。
その姿を、地面に振り落とされたギャレット・デファーは見上げていた。高級なスーツは土埃ですっかり汚れていた。白くなった眼鏡を拭きながらギャレットは嘆息する。
「やれやれ、上司の面目丸つぶれだな。トラックボックス、停止モード」
トラックボックスの目の光が消え、駆動音が鎮まった。
「さて、僕も彼女の支援に向かいたいところだが……」
ギャレットは瓦礫の向こうへと目をやった。そこには倒壊した建物に居た燃殻通りの住人たちが怒りに目をぎらつかせながらギャレットを睨んでいた。手には当然銃を構えている。ギャレットは体の調子を確かめるよう、ぐるりと肩を回した。
「先に片付けるものがあるようだ」
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