28/ 地下を照らす光 3
静寂の隙間を輝ける燐光が舞う。円形広場は無数の菱形の光で埋め尽くされている。
誰もが無言だった。当然だ、少しでもこの男が
「全員、その銃を置け」
銅色の仮面の奥から低く、声がした。銃を持つ一人は一瞬、考えた。銃口は仮面の男を向いている。指は引き金に触れている。あとは動かすだけ、動かすだけで――だが、その僅かな動作が出来ない。……否、上手くいったとしても自分の目前にある謎めいた菱形の輝きも同時に己を切り裂くだろう。
「その力を御前たちに使わせるわけにはいかない」
――死だ。フライブレス銃など到底敵わない。圧倒的な死の力がそこにある。彼らは手を震わせ、一人、また一人とフライブレス銃を石畳に落とした。全ての者が動けずにいた、
冷汗が肌を伝う。グリフィンは
「ぐ……グリフィン」
グリフィンの横で、エイデンが引き攣った声を絞り出し、視線だけをちらりと動かす。動いた拍子にフィアの刃が首に触れぬように。
「その、大丈夫なんだろうな?」
「この
グリフィンは強く
一帯をその輝きで染め上げる圧倒的な量のフィアに、男は唸った。
「お、お前も……フライブレスを……! しかも、何だこれは……! この数に、この量の実体化フライブレスを精確に向けるだと……! 何なんだお前は……!?」
「御前たちにも出来たことだ。目先の結果に飛びつかず、一つ一つ着実に研究を進めていればな」
「くそッ、応答しろ! 全員ッ! 全員こっちに来いッ!! 応答しろ! くそ、くそ!」
男は電源の入っていない通信機に向かって叫んだ。答えはない。その声は届く筈もない。
「――そいつらは全員、休暇をとったぜ」
せせら笑う声。彼らの拠点がある建物から二人の男が現れた。
「あん? 目を離した隙に随分と派手なことになってるな。何やってんだ? お前ら」
「いやあ、遅れました。アール・ムソウ・シアーズ、ここに」
「おう、シャノ。生きてたか」
ジャックは悪びれる様子もなく手を振った。シャノはそれをじとりと睨む。
「遅い!」
「おいおい、硬直状態か? 随分間抜けなことになってんな」
異様な空気を纏った二人に、人々がごくりと喉を鳴らした。彼らが善良な市民であれば気付かずに済んだだろう。だが、不幸なことに彼らは悪人だった。悪意と恐怖に敏感であるが故に気付いてしまった。この二人にかかれば自分たちなどたちまちのうちに殺される存在だと……その上、今は宙に浮かぶ菱形の群れによって逃げることすらままならないというのに!
円形広場に踏み入ると、ジャックは宙に浮くフィアの輪郭を指で撫でた。すぐ傍の男は怯えて首を背ける。フィアの刃は男の動きに追従した。術主の指示があるまで絶対にその狙いが違うことはないだろう。
「どうやら、今動けるのは俺たちだけみたいだな。それとも、
「……貴様と一緒にするな」
「何だよ、ツレないこと言うなよ、仲間だろ?」
「もう少し早く来ていれば、貴様にもこの刃を突き付けてやれたのだがな」
グリフィンの苛立たし気に仮面の奥から眼光を向けた。ジャックは機嫌よく笑い、物騒な
「ま、何にしろ。俺たちの勝ちだ、小悪党ども」
「ぐ、ぐう……ッ、銃を拾えっ! 誰でも良いからこいつらをッ!! 殺せ!!」
男は叫んだ。無力なまま、ただ声だけを張り上げた。
――故に、それは現れる。
「良いねえ、じゃあその祈り、聞き届けましょう?」
瞬間、轟音を伴った物体が凄まじい勢いで飛来した。それは無数のフィアの輝きの間を切り裂き、円形広場で爆発が起こった。爆風が人々を襲い、薙ぎ払う。
「……ッ!?」
「――第二撃、情報収集網<キャッチ>」
女の黒い髪と黒いスーツが風に棚引いた。傍には大きな銀色の箱がそびえており、その表面には細かなモールドが刻まれている。女が箱の側面を叩くと次の弾が飛び出した。
弾は飛来しながら展開し、先端から網を射出した。細い金属で編まれた捕縛網が向かう先は、グリフィンとエイデンだ。
「……ッ、
先程の
あわやという時、
バラバラと千切れる金属網の欠片の中に、長い赤毛が靡く。ジャックは緑色の目でその相手を鋭く睨み、笑った。
「おうテメエ! やりやがるじゃねえか」
スーツの女は――肩を竦めた。その顔は見覚えのあるものだ。薄笑いを浮かべながら値踏みするように周囲を見下ろすその様は、獲物を吟味する黒豹のようだ。一つに括った長い黒髪が揺れる。
「あらら、ベストタイミングの不意打ちだったと思うんだけどなぁ。随分おっかないねえ、お兄さん」
「――ウォルトン新聞社!」
シャノは目を見開いた。サーシャ・ガルシア。その顔を見るのは三度目だ。ウォルトン新聞社の記者の姿がそこにある。そしてもう一人、ギャレット・デファーの姿も。
「やあ、科学技術会合では挨拶しか出来なかったね。改めて自己紹介しよう」
言うとギャレットとサーシャは白い紙片をシャノに向かって投げた。風を切る音と共に飛来したそれをシャノは指で受け止める。それは二枚の名刺だった。洒落たエンボス加工が施された名刺の表面にはそれぞれ、サーシャとギャレットの名が高級黒インクで印字されていた。
「僕はウォルトン新聞社のギャレット・デファーだ」
「しがない下っ端のサーシャ・ガルシアですよ~? 他にも後方支援部隊がいるんだけど、そっちは省略で」
シャノは二枚の名刺を一瞥すると、ポケットに仕舞った。
「で、探偵さんの名刺は?」
「悪いけど、用意してないよ」
「おやあ、それは残念」
「ウォルトンだと……?」「あのゴミ漁り屋どもめ……」
ウォルトン新聞社の名を聞いた燃殻通りのごろつきたちがざわめく。その名は彼らにとって忌々しいものだ。その時、白いフラッシュが光った。
「はいはい、悪人の皆さん? 大人しくしててくださいね。ああ、知ってる顔が幾つもありますねえ。違法薬物売買のカルス・メイディア、娼婦斡旋業のウェリイ・ローン、おや、宝石強盗のババリーまで。良い顔ぶれですねえ。そこの人たち、邪魔をするようなら、うちの社長にチクりますからねえ。そういうの、怖いでしょう? 人生、大事にしてくださいねえ、皆さん」
「評判が悪いね、君たち。ウォルトンは社会規範に則った会社じゃなかったっけ?」
ギャレットは穏やかな口調で話し始めた。
「彼らは後ろめたいことがあるからさ。我々はただの善人には何の力も持たないよ。何せ、暴き立てることがない。我が社は善人の味方だよ」
「それは、罪を犯した者になら何をしても良いという意味かな」
柔和な笑みを浮かべたまま、ギャレットは答えなかった。
「さて。暴力でことを済ませれば良かったんだけどね。こうなっては次の手段をとるしかないな」
「ウォルトン新聞社。御前たちは何が目的だ」
「決まってるでしょ? 我が社は新聞社。欲しいものはただ一つ、情報だけ。とびきり邪悪で、とびきり秘密で――読者がとびきり恐れを抱くネタなら、特にいい! そしてここにはそれがある――フライブレスがね」
「御前たちも、フライブレスを狙っているのか。何故新聞社が?」
「そりゃあそうでしょう。ウォルトンだけじゃあないよ? 今や大勢がその新しい技術に注目している。勿論まだ水面下で、だけどね。他の連中に比べたら私たちなんてよっぽど善良だよ。他の連中はフライブレスを自分たちのものにしようとしているけど、私たちはそんなことするつもりはないからね」
グリフィンは強く、静かに、術杖を握った。
「……ならば、御前たちはこの力に何を望む」
「何にも? 記者は情報を記事にするだけだよ。世に隠されているものを暴き立てて、全ての者に知らしめる。それが我が社のモットーだからね? 探偵さんたちもここに来てるとは意外だったけど。あ、これはそんな調査力があるようには見えなかったって意味ね? 褒めてるんだよ?」
「記者ってのは、賛辞のセンスがないみたいだね」
「我々はフライブレスの情報を追って来た。流通を調べ、関係者を調べ――そして辿り着いた。君にね。エイデン・マッカイ」
「お、オレか……!?」
「だから、奪わせて貰うよ? 君たちの情報」
サーシャの通信機に支援部隊からの連絡が入る。
『<箱>、エネルギー再充電完了です!』
「りょーかい。ターゲット、近いけど?」
「問題ない、サーシャ。二人とも確保しよう。彼が扱ったのは未確認のフライブレス技術――予定外だが、仮面の彼も興味深い。アンドレアスならそう言うだろう」
「確かに、うちの社長なら言うねえ!」
ぞわりと、肌が危険を感じた。シャノの左目が無意識にそれを視る。サーシャが触れた銀色の箱を。
「――逃げろ! 何か来る!」
サーシャは銀色の巨大な箱と共に建物の屋根から――飛び下りた。ガコン、プシュー! 周囲が驚く中、銀色の箱が機械的に開く。外殻が幾つものパーツに分かれ、中から車輪と何本もの細い機械の腕が飛び出す。地響きを立て、銀の箱だったものは細い機械腕で地面に着地した。その上にはサーシャ・ガルシアの姿がある。八本の腕が地面に突き刺さった様子はまるで、鉄格子の檻だった。
「弊社特注、人間強制保管庫バードボックス」
檻形の機械は、その巨大さからは想像出来ぬ初速で飛び出した。狙うはフライブレスに関わる二人!
「急げ、逃げるぞエイデン。奴らは厄介だ」
「お、おう」
グリフィンとエイデンは走り出す。その背後にバードボックスが迫る。――ギャルルルル! 迫りくる檻の腕を受け止めたのはジャックの回転鎖鋸だ。金属の刃が機械の腕と噛み合い、嫌な音を立てる。
「ハ! 面白そうなモン使ってるじゃねえか、記者女! ちょっと俺に遊ばせろよ、それ」
「お兄さん、相当只者じゃないねぇ? 記者として興味はあるけど、残念。今日は真面目に仕事しないといけない日だからさ!」
上から別の腕がジャックを突き殺さんと狙った。ジャックが避けた瞬間、横から別の攻撃が加わった。流れるようにバードボックスにいれる筈だった一撃を返し、攻撃を防ぐ。ジャックは新たに戦闘に加わった一人――ギャレットを見て舌打ちした。
ギャレットも同様に箱型の機械を伴っていた。だがサーシャの扱うものとは形状が違い、四つ足で、先端に鋭い槍斧が伸びている。ジャックに向けられたのはその槍斧だ。土埃の向こうでギャレットは騎士物語のように礼儀正しく頭を下げた。
「君の相手は僕が務めよう」
「チッ、新聞記者にしちゃあ立派な装備だなァ!」
「よく言われるよ。我が社は裏では少々不名誉なあだ名をつけられている――武装新聞社、とね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます