23/ 燃殻通りの闇市場 5

 ――テムシティ、下層。


 上層都市ガーデンが、昼は日の光に、夜はネオンの輝きに満ちているのと同様に、下層都市ダスト・イーストの隅には常に退廃の闇が蠢いている。


 シュガーポット地区の一画にひっそりと静まり返った場所がある。住民も売人も寄り付かず、昼間でも人目をはばかるかのように窓が塞がれている。この場所は登録上では空き家になっているが、その実態は違う。だが今は同じことだ。もはやここを住処とする者はいないのだから。


 汚れた壁に血が飛び散っている。立てかけられた密造銃は使われる間もなく、持ち主たちの血を浴びていた。


「――ウル、動きがありました」


 顔に傷のある大男が携帯電話セルフォンの通話を切った。その袖には返り血の痕がある。端正な顔と派手なスカーフの男は、まだ熱い硝煙が立ち上る銃を血の海に捨てた。


「アンドレアスがスラーに接触したか。さて、オレの関与もバレる頃合かな。ヒヒヒ! 次の手を打たないとなァ!」


 コネリーは目を細めた。その頬に跳ねた血を、バイロンがハンカチで拭った。


「そろそろアンドレアス・バードを殺しましょう。これまでもこれからも、奴を生かしておいて得はありません」

「とはいえ、単に情報で出し抜くのとは違うからな。あの武装新聞社を相手にするのはそれなりに厄介だ」

「しかし、同様に長らく厄介だったこいつらは今日殺しました」

「ヒヒヒ、そりゃ確かにそうだ。まあ、時期じゃあないってことさ」


 銃弾で穴だらけになった扉の奥から、黒眼鏡の老人が現れる。手にした特注の高級杖からはまだ生ぬるい血液がしたたっている。凄惨な恰好とは対照的に、ベイコンはにこやかに笑みを浮かべている。


「ウル、ここの死体はどうするかね? 家族に送るかね? それとも豚の餌か、武器の試し撃ちにでも?」

「幹部連中だけ川に沈めろ。他は放っておいて良い」

「ハハハ、魚たちが顔を啄んでこいつらを美男子に変えてくれるだろうねえ! 見られないのが残念だ」


 機嫌良く、ベイコンは手近な死体の頭を杖で叩き割った。頭蓋の中身が飛び散って床や壁に張り付いた。コネリーは床に散らばった銃から一つを掴み、その中を開いた。弾倉がない奇妙な形状の銃身から――淡く輝く薄黄色の欠片が転がり出た。


「全く、これはオレたち悪党の共有財産だっていうのに、全部自分の所でせしめようだなんて早すぎたんだよ、アンタたち。だからオレもこうして面倒なことをしなくちゃあならなくなった」


 コネリーはわざとらしく肩を竦め、口の端を楽しげに歪めた。


「こういう危ないモノは、このオレ一人が管理するのが一番良い。アンタもそう思うだろう?」


 コネリーの足元には一際恰幅の良い男が憎々しげに目を見開き、息絶えていた。その額には銃口の焦げ跡が一つ、ぽっかりと空洞を作っていた。


「しかし、大丈夫かね? ほら君のお気に入りの使い走りが今、燃殻通りに行っているんだろう?」

「そうだな、今頃丁度――トラブルに巻き込まれてるんじゃないかなァ」

「全く酷いことをするねえ、ウルも」

「ヒヒヒ、とんでもない。オレたちはアイツらに注目を引き付けている間に好きなことができる。アイツらは欲しい情報に辿り着く。正当な取引さ」

「それ、彼らの前で言ってみたまえよ、きっと面白いと思うがね」


 自分の手についた血を拭っていたバイロンがコネリーの方を向いた。


「次はどうします、ウル」

「首なし騎士。フライブレス。スラー・セジウィーク。遺変<オルト>。そしてアイツら。役者は全て舞台に上がった。あとは――客席から見てやるだけさ」


 コネリーの手の平の薄黄色の結晶が力なく瞬き、そして消えた。


  ◆  ◆  ◆

 

 経年劣化の激しい樹脂製ビニールシートの上に並ぶ銃器には弾倉がない。銃器の形を取りながら、金属の弾を備えぬそれらは、代わりにただ一つの機能を持つ。


 ――秘術<フィア>。現代の科学捜査では解析し得ぬ神秘なるわざ。世界から忘れられた筈のその技術が、大機科都市テムシティの地底でずらりと陳列されているとは! 老人はぼそぼそと、しかし不思議と明瞭な声で言った。


「不思議だろう。性能は保証するよ、ただ高いがね。払えるかい」


 秘術<フィア>、と呟きそうになった言葉をシャノは寸でで飲み込んだ。グリフィンは無言。黒いフードと銅色の仮面で表情を隠しているものの、その奥の表情が歪んだのは想像に難くない。冒涜的な秘術武器の群れにもぐっと堪え、グリフィンは低く静かに口を開いた。


「……エイデン・マッカイという男を知っているか」


 老人はぴくりと眉を上げた。老人の手元の錆び付いた知恵の輪ほどきパズルが小さな音をたて、二つに分かれた。


「御前さん――が礼儀がなっていないんじゃあないかね」


 グリフィンはぎょっとした。


「何故、私が科学者だと」

「見れば解る。御前の師はそう振舞うよう教えたのか?」

「いえ……」


 ジャックが怪訝な顔でグリフィンと老人を見る。


「知り合いかコイツ」

「まさか。ここに来たのも初めてだというのに。……ご老人。先ほどは失礼した。尋ねたいことがある。知っていれば答えて貰えないか」

「フウ、どうやら本当に客じゃあなさそうだ。しかし燃殻通りで対価もなしに手に入るものなんてのは鉛玉だけ。ン? どうするかね」

「対価、とは」

「ンン、そうだな。私はこの通りモノを売っている。じゃあ御前たちはそれを買うしかあるまい? そのおまけに……私は知っていることを添えてやっても良い。御前たちは欲しいものが手に入る。私はモノが売れる。入荷元も金が入って喜ぶ」


 静かに聞いていたシャノがぴくりと眉をあげた。


「入荷元? じゃあ貴方にこれを売らせている人……ないし組織がいるんですね」

「何だ何だ御前たち、それも知らずにここに辿り着いたのか。それは、良くないなぁ」


 老人が二つ目の知恵の輪ほどきパズルを手にした。その時だった。ジャックが顔を上げた。幾つもの足音と共に武器市場の建物から次々と武装した男たちが現れ、彼らを取り囲んだ。


 ジャックは舌打ちした。男たちの包囲は狭い。すぐ傍にはシャノたち三人がいる。得意の回転鎖鋸チェーンソーを使うには向いていない。


「さて、困りましたね」


 落ち着いた表情でムソウは言った。その右手は腰の刀に添えられている。グリフィンも術杖を構えようとするが、それをシャノが止めた。ちらりと視線をやったのは、汚れた樹脂製ビニールシートの上の秘術製武器。


「グリフィン。こいつらの前で秘術それを使うのはまずい」

「ぬ……しかし……」


 見るからに柄の悪いごろつきたちはにやつき、油断ならない目つきで武器を構えている。


「ハ、丁度良いじゃねえか。がめつい爺よりも、こいつらを殴り倒して話を聞こうじゃあねえか」

「ま、お爺さん一人問い詰めるより、気は晴れるか。向こうも見逃してくれそうにないし」

「数だけはいるんだ、一人くらい耳よりな話を持ってんだろ!」


 ジャックは目にも止まらぬ速さで飛び出し、一足飛びに手近な男を地面に叩き伏せた。一瞬の出来事に、ごろつきたちが唖然する。それが開始の合図だった。ごろつきたちも遅れて咆哮を上げた。


「ガハハ、余所者どもめ! 調子に乗りやがって、解ってねえようだなァ? ここは法の支配も届かねえ、悪徳だけが流れ着く燃殻通り! 何人殺したって、罪を問う奴はいやしねえ! テメエらは生きて帰れねえんだよ!」


 リーダー格の男は連射銃を構えた。次の瞬間、その腕が宙を飛んだ。


「――な、あ……!?」


 切り落とされた片腕がくるくると、血をまき散らしながら飛んでいく。男は肩から噴き出す自らの血を浴びながら、呆然と目を見開いた。その耳元に、けたたましく回転する機械音が聞こえた。血しぶきの向こう側で、長い赤毛がすれ違うのが見えた。


「そりゃ良い、俺も気兼ねなくやれる」


 ニヤリと残酷な笑みが浮かぶ様を見たのを最後に、男は倒れた。


「では、拙者もお手伝い致しましょう」


 ムソウも東方かぶれの独特な衣装を翻し、白刃と共に躍り出る。ムソウが走り抜けると風と共に、ごろつきの血が噴きあがる。あざやかな剣閃は、彼らにそれが振るわれたことすら理解させない。風が頬を撫でたかのように自然に、彼らはぱっくりとその身を断ち切られていた。


「撃て、撃て撃て!!」


 号令と共に一斉に銃弾が放たれる! だがそれが何だという? 確かに狙いを定めたはずの銃弾は、空しく空を裂き、切り捨てられ、けして彼ら二人に当たることはない! ごろつきの一人が悲鳴をあげた。


「クソ、馬鹿な、何でだ、何でこいつら銃弾を避けれるんだ!?」

「割に合わねえ! おれは引かせてもらうぜ!」


 たまらず何人かが駆け出し、この場から逃げようとした。だがそう簡単に逃げられるはずもない。ジャックが地面に放置された運搬用のロープをぴんと引くと、彼らは足をとられ、一斉に地面に転がった。倒れたごろつきたちの顎を、ジャックは背負った空のチェロケースで殴った。


「おい、お前らのボスの場所と、エイデン・マッカイって奴の居場所を吐けよ」

「し、知るか……っ! そんなもの……!」

「そーかよ」


 肩を竦めると、ジャックはもう一発彼らの顎をチェロケースでしたたかに打った。血の混じった悲鳴が上がる。歯が砕けた男は涙ながらに口を押え、悶えた。


「さて。俄然、拙者たちが有利ではありますが――」


 ムソウの刀が男の一人の鼻をそぎ落とした。大層な武器こそ揃えているが、この中の一人としてジャックやムソウに及ばぬことは明白だ。だが、一つだけごろつきたちがシャノたちより優れているところがある。――数だ。


「てめえええっ!!」


 ごろつきの一人が叫び、グリフィンへと向かった。振り下ろされる大鉈を術杖つえが受け止める。大鉈と術杖がこすれ、歪な音を立てる!


「グリフィン!」


 シャノは倒した男から奪った銃をグリフィンへと放り投げた。術杖が押し切られる寸でで、グリフィンは銃を受け取り、ごろつきの膝を撃ち抜いた。


「くそっ、てめえ……!」


 ごろつきは真っ赤に染まった膝を抑えて呻く。グリフィンは息を吐いた。


「すまない、助かった、シャノン。秘術<フィア>なしではどうにも役に立てん」

「グリフィン、怪我はない?」

「ああ、お陰でな――」

 

 グリフィンが言いかけた時、連射銃を構えた男が引き金を引いた。激しい銃声の後に土埃が上がる。男は目を細め、土埃の向こうの様子を見ようと一歩前に出た。その時、土埃の中から幾つもの細かな刃を持つ回転鎖鋸チェーンソーがぬっと突き出た。――ギャルルルル!! 回転鎖鋸チェーンソーが男の髭を切り裂き、男はその場にへたりこむ。


 回転鎖鋸チェーンソーを持つ赤毛の男の足元には、切り裂かれた銃弾が砕けて転がっていた。


「ハ、秘術<フィア>がねえと何にもできねーみたいだな?」

「……すまん、私は一旦離れていた方が良さそうだ」

「解った。わたしがグリフィンを退避させるよ」


 シャノは周囲を見渡すと、荷物を運ぶための滑車を見つけた。それは地上から建物の上の階へと大きな荷物を引き上げるために設置されている昇降機だ。野菜の箱や石油などさまざまな物を運ぶため、人を一人二人運ぶのもわけはない代物だ。


「グリフィン、あれを使おう。ジャックは敵の露払いを頼む!」

「ったく、面倒ばっか押し付けやがって。褒美でもねえと割にあわねーな。何かねーか? こいつら生きたまま切り刻んで良いとかさ」

「恨みを買いそうなことはちょっと」

「ケチくせえったらありゃしねえな」


 襲い来るごろつきたちに向かってジャックは飛び出した。一人、二人。瞬く間に殴り倒され、吹っ飛ぶ彼らを背に、シャノはグリフィンを連れて昇降機に乗り込んだ。機械のスイッチを操作すると、ゴウンと音が響き、ゆっくりと足場が上昇していく。昇降機はみるみるうちに地上の喧騒から離れていく。


「少々お待ちを、探偵殿」


 数メートル上昇した昇降機に、とん、と軽い足音がした。ムソウである。重みで二人の乗る足場が軽く揺れた。指先の出た形状の履物で手すりの上に立ち、東洋風の長い袖が風ではためく。どうかしましたか、とシャノが尋ねるより先に、ムソウはにこりと微笑んだ。そして――白刃が地下大照明の光の元で輝いた。


「探偵殿、拙者に――よい考えがあるのです」


 一閃。止める間もなく、鮮やかな剣閃は昇降機を吊るすロープを両断した。


「な――……」

「ムソウさ――、ッ!」

「お気をつけ下さい。高さがありますからね。悪いところを打たないように」


 落ちる、落ちる。十数メートルまで上がった昇降機が重力に囚われ落下していく。落下していく昇降機から、ムソウが軽やかに跳ぶのが見えた。


 ――落下音。昇降機が砕け散る。二人の乗った昇降機は地面に叩きつけられた。


「いっ……たた……」


 シャノは呻いた。地面に放り出されたものの、酷い怪我はないようだった。


「何だ……? 何故、彼は……」


 グリフィンも倒れているが、大きな怪我はない。強かに打った体をさすりながら、シャノは顔を上げた。見上げた先にあったのは――二人を睨みつけるごろつきたちの顔だった。


「何だぁ、仲間割れか? まあ何だっていい。おれたちには関係のないことだからな」


 鼻血を流した男が鼻をかんだ。ティッシュが赤く染まる。男たちは――二人を逃がさぬように彼らを包囲していた。


「テメエら、一緒に来て貰うぜ」

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