22/ 燃殻通りの闇市場 4

 ――つまり、とスラー・セジウィークは言った。


「問題なのは、燃える頭だ。うむ、数多の商品企画を押し通してきた私の天才的な弁舌を駆使しても、その頭を人間のものと言い張るのは難しい。だが逆に言えば、それさえ隠してさえしまえば――うむ、完璧だ!」


 舞台役者を紹介する司会者のごとく、スラーは大仰に腕を振った。ばさり、と上質な白布が揺れ、美しい布襞ドレープを描く。


 スラーの後ろには、布を洒落た風に被り、頭部を覆い隠した首なし騎士が居た。布は分厚く、しっかりした作りで、彼のいかにも人ならざぬ者といった黄色の炎を人目から隠していた。


 今や見えているのは、二輪用ツナギレーシングスーツに似た黒い服を纏った人間の体だけだ。スラーは胸を張った。


「どこからどうみても彼を怪物だと思う者はいるまい!」

「無理があるわねえ……」


 スラーと対照的に、アンリエッタは悩ましげに首を傾げた。


『汝ら、本当に問題はないのか』


 布で頭の炎を覆った首のない男は、もし人であるならば不安げに見える様子で言った。セジウィーク家の前の通りを、髪と顔を布で覆った異国風の女が通りがかり、布を被った男をちらりとを見ては、怪訝な表情で歩き去った。


「この通り、ここは大都市テムシティ。この世のありとあらゆるモノが集まる街だ。それは人間も同じこと。東の果てから、北の果てから、数多の人間がこの街には集まる。故に、布を被った男一人、誰も気に留めはしないとも!」

「まあ、それは言い過ぎでしょうけど」


 アンリエッタはスラーの発言を受け流し、洒落た風に布を被せられた首なし騎士に向き合った。


「……そうねえ、結局、肝心なのは態度よ。怖気ず、堂々としていれば良いの。そうすれば、大抵の人は疑ったりはしないわ」


 アンリエッタは微笑み、人が行き交う通りへと一歩踏み出した。凛としたその歩みを咎める者など居ようはずもない。首のない男もその立ち振る舞いを見て、その後に続いた。


 一歩。二歩。最初は躊躇いがちだった歩調が、徐々に自然な歩みに変わってゆく。布をはためかせた変わった服装の男に視線を送る者は多かった。だが人々は『そういう文化圏の人間なのだろう』『顔に傷でもあるのだろう』『今年の流行のファッションかしら』と各々の理解を示し、すぐに興味を失ってゆく。


 誰もが真実を知らぬとは言え、首なし騎士は受け入れられていた。人の都市を歩むことを。人々の間に立つことを。スラーやアンリエッタ、その他大勢の者と同様に。

 いかにも上流層といった風体の――即ち、社会的信用の高そうな男女がその男を連れていたのも理由の一つだろう。それでも、事実として、彼はここに居るのだ。 


 命ある者たちの中に。まだ死に至らぬ者たちの中に。


「心配かしら?」


 押し黙ったままスラーに続く首のない男を、アンリエッタは見上げた。


『我が身は、ただ死を告げる者である。だが……知りはしている。人は死を恐れる……そして、我が身は死を、恐怖を告げるのだと』


 導かれるままに、首なし騎士は夜に現れる。おお、見よ。その黄々と燃え上がる死色の炎を。あるべき所に首はなく、あるべきではない不気味な炎が揺れている。人々は恐怖の悲鳴を上げる。訪れる逃れられぬ運命に、魂だけでも抗うように。


 幾夜も、幾夜も。それを繰り返した。人々は皆、彼を見て恐怖した。


『汝らは恐れぬ。そればかりか、恐怖たる我が身を連れ出す』

「恐怖、成程! 確かに死は恐ろしい。我が頭脳が志半ばで斃れることや、アンリエッタを失うこと……私にも恐れる死は多くある。だが! だがね、よく考えてみたまえ。例え君が事実恐怖の顕現だとしても、真夜中に一人倒れていたなら、うむ、まるで恐ろしさなどない。むしろ同情すらする! 良いかね? これは助言だが……自らが恐ろしい死だと喧伝するつもりなら、もっと強そうに見せたまえ!」

『我が身は、弱そう、か』

「うむ。今は吹けば消えそうだ!」


 誰もが恐れる死告人に対し、あまりの物言いだった。首のない男は考え込むように黙った。


『人間は、破天荒だ』

「まあ、スラーと同じだと思われたら、他の人間は嫌がるでしょうね」


 アンリエッタはくすりと笑った。首のない男には、その意味を理解出来ない。スラーと呼ばれるこの男を悪く言いながら、アンリエッタは微笑んで見せる。


「それにだね、君。君のような今までに報告されていない存在をやすやすと逃せるはずもない。君は一体どうやって存在しているのか? やはりフライブレスと何か関係が? 全く興味がつきない!」

『……我が身を、調べるのか?』

「愚問だな。私はこの街から……否、世界から! 才を望まれている新進気鋭の科学者なのだから、当然、君にも興味がある! 今の科学では全く説明のつかない君という存在にね!」

『科学。人間が扱う知識、ないし道具の、一つ』


 スラーは顔を顰めた。


「その通りだが……いささか簡潔に過ぎるというものだ。もっとこう、夢が欲しいな」

『……夢?』


 スラーは通りの真ん中で両手を大きく広げた。そしてぐるりと周囲を見渡す。広い道には機関エンジンをふかした車が走る。あちらでは携帯電話セルフォンを片手にスーツの男が足早に歩いている。小さな子供がショーウィンドウの前で親の袖を引いて最新の音と光で動く玩具を覗き込み、角では速報が載った機械印刷の新聞を若者が売っている。


 そして、彼らの頭上には今日も、人類の叡智の粋である上層都市がある。索道機関ロープウェイで地上と繋がれた高き都市は、夜になればネオンの輝きを灯す。人の作り出した科学叡智の象徴として。


「そうとも。何故なら――より良く。より幸せに。より美しく。より楽しく。人間は、夢を見続けてここまで辿り着いたのだから」

『夢――』


 ――ああ、知っている。

 今も、人は望み続けている。首なし騎士には、それが聞こえている。

 死を。死を。死を!

 人の夢は、こうしている今も彼に響いている。かくあれと望む声が。


 風が吹いた。首のない男の炎を覆い隠す布がはためいた。彼はゆっくりと言葉を続けた。

 

『我が身は死を告げるのみ。夢を見ることはない。それは我が存在の形ではない。汝らにとって人は、何を夢見る?』

「ふむ。何と答えたものか……そうだな」


 スラーは暫し考え込むと、こじんまりした広場の中央に生えた一本の木に近づいた。年月を感じさせる老木はこの辺りのシンボル的存在で、待ち合わせ場所としても人気だ。


「この木は四十年ほど前に、この地域が再開発された時に植えられたそうでね。地域の象徴として長く親しまれてきたが、植樹された時点でそれなりの樹齢だったこともあり、この通りの老木だ。再開発に携わった老人が世話をしてきたが、彼も数年前に亡くなり、この木はもはや枯れゆくばかりだろう」


 そこでだ、と、スラーはポケットから小さな機械を取り出した。機械の内部には緑色の燃料の残滓。


「これは最近進めている研究なのだがね」

「スラー、その試作品、一度の精製に幾らかかるか覚えているのよね?」

「まあまあ、テスト費用の内だ! 見ていたまえ」


 スラーは機械にぶらさがった管を手に取り、何と自分の腕へと尖った先端を差し込んだ。機械が作動し、やがて硝子シリンダーの中に緑色の小さな結晶が抽出された。次に抜いた管を今度は木の幹へゆっくりと突き刺す。――やがて、不思議なことが起こった。


 古老の顔のごとくくたびれた皺に覆われた幹が、瑞々しさを失って久しい葉が、みるみるうちに力を取り戻し始めたのだ。通行人たちが驚いて足を止め、その光景に見入る。重そうだった枝が頭をもたげ、明るい緑色の葉がピンと上を向いた。


 木は、すっかり成熟した姿を取り戻していた。通行人が歓声をあげた。


「これは私の中のエネルギーを幾ばくか抽出し、代わりに木へと受け渡したわけだが……まあ今は、仕組みは関係ない。大事なのは、この木が力を取り戻した、ということだ。若木のごとくとまではいかなかったが、少なくともすぐに枯れるということはないだろう」


 明日にも倒れる老人を思わせるような老木は、今や活力に満ちていた。


「明日に希望を持つこと。それが、夢見るということだ」

『汝は、そう志すのか』

「科学とは、そういうものだとも」


 青く茂る木に集まる人々を見るスラーの表情は誇らしげだった。


『我が身とは遠い。死は、汝らから明日の希望を奪うモノなれば』

「君は、人々に死を告げるのが役目だと言っていたが。それは何のために?」

何故なにゆえでもない。ただ、そう在るものだ。告げよ、告げよ、死を告げよと――あるべき形として、我が身は存在する。今も……無為に外を歩くなど……我が身の在るべき形ではない』


 首のない男の言葉に、スラーは笑った。全く、小さなことだとでも言うように。


「何を言う。やるべきことなど、幾らでも増やせば良いだろう?」


 スラーはひとつひとつ指折り数えてゆく。


「私はやりたいことが沢山ある。一つに、偉大な研究。二つに、エッタとの時間を過ごすこと。三つに、美味い食事をとること。美術鑑賞も楽しい。早朝のランニングも気分が良いし、うむ、君とこうして語ることもその一つだな。生きた月日が長くなるほど、興味は広がるのに時間は有限だ。困ったことだよ」


 そう語るスラーはとても楽しげだ。未来への不安など、何一つ目に入らぬように。


「生は積み重なるものだ。新しい目的が増えることもあるし、時には古い目的を捨て去ることもある。だが、それは間違いではない。君の果たすべきことに、散歩が増えたとて良いわけだ。それとも、散歩は好かないかね?」


 首のない男は黙った。風が一際強く吹いた。冬の冷たい風はアンリエッタのスカーフをはためかせ、するりと奪った。あっ、とアンリエッタは小さく声を上げた。宙を舞う紫色のスカーフを首のない男が受け止めた。彼は手にしたスカーフを見つめ、呟いた。


『……解らぬ』


「ありがとう、首なし騎士さん。それとも、名前で呼んだ方が良いのかしら? スラーが勝手にあげた名前だけど」

『馴染まぬ。名そのものではなく、呼ばれる、ということが』

「観念したほうが良いわよ。スラーはすぐ人を呼びつけるから」


 アンリエッタはくすりと笑った。スラーはそんなことはないと言いたげな顔だ。


『だが、好きに呼べ。我が身はそれに興味を持たぬ』

「うむ、そうするとしよう! ……所で、そろそろ昼時だな」


 スラーが足を止めたのは、個人経営のこぢんまりとしたレストランだった。庶民的な価格のその店には多くの客が入っていた。首のない男は店内を覗き込み、そして窓に映る自分の姿を見た。


『汝……正気か』

「当然正気だとも! まあ狂っていなければ偉大な発明など出来ないという説もあるがね!」


 スラーの奇行には慣れっこといった様子で、アンリエッタは彼の後に続く。首のない男も観念して、レストランに足を踏み入れた。


 木製のドアが歪な音を立てた。それは店に客が訪れた合図だ。店主である中年の女はスラーの姿に気付くと、日々の仕事疲れで刻まれた眉間の皺をより深くした。


「スラー坊ちゃん、またですか。うちは庶民向けの安い店なんですよ。坊ちゃんだけならまだしも、上流のお嬢さんを連れてくるのはやめて下さいって何度も言っているじゃあないですか。そんな上等な格好で来られちゃあ、他のお客さんが緊張しちゃうんですから。その上、今日はもう一人多いじゃあないですか」

「まあまあ、それよりいつもの席は空いているかね?」

「空いておりますよ、空けておかないと坊ちゃんは上層都市が落ちてきたのかってくらい、悲しそうな顔をしますからね」


 中年の女は文句を言いつつも三人を席へと案内すると、忙しく厨房へと戻っていった。


「サラルさん、相変わらずお元気そうね」

「うむ、この二十年、彼女が病気になった話は聞いたことがない。アーヴィング、君は何を頼むかね?」

『人の食事は解らぬ』

「それもそうか、ではこちらで適当に注文しておこう」


 スラーが店員を呼び、三人分の食事を注文する。十数分後、彼らのテーブルには暖かい食事が並んでいた。大ぶりな肉とスープの香りがゆらゆらと立ち上り、鼻孔をくすぐる。


 スラーとアンリエッタはナイフとフォークを使い、料理を切り分けていく。首のない男も見よう見まねでナイフとフォークを使い、肉を一切れ持ち上げた。肉の断面から肉汁が零れ落ちる。それを被った布の下へと運ぶと、黄炎がたちまちのうちに肉を包み、燃やし尽くした。まるで人が肉を咀嚼するのと同様に。


「おお、どうかね? 美味いかね?」

『解らぬ』

「そうか、不味くないなら良かった!」


 スラーは上機嫌にワインを煽った。首のない男は順序よく、皿に盛られた食事をフォークで刺しては、頭の炎へと運んだ。肉も添えた野菜もスープでさえも、皆不可思議な炎に呑まれると塵一つ残さず焼失していった。その様子は被った布に隠されていて、その様子に気付く者は彼らだけではあったが。


 だが、彼らは気付いていなかった。一人の男が、彼らのテーブルに近づいていることを。


「――失礼」


 その声は静かだった。だがその中に、有無を言わせぬ力を持っていた。スラーの目が男を見上げ、その手がフォークを置いた。


「ああ、ウォルトン新聞社のアンドレアス・バード社長。何か私に用かね?」


 すらりとした背に、高級なスーツ。褐色の肌に銀の髪を持つ若き男は微笑む表情を作った。他の客や店員の中には小さく息をのむ者もいた。それもその筈だ。映像テレビ番組にも顔を出すような有名人が、こんな小さな店の中、すぐ傍にいるのだから。


「インタビュー記事ならつい先日済ませた筈だが? それとも、科学記事の解説の依頼かね?」

「お世話になっております、セジウィークさん。ここであったのは奇遇、というわけではありませんが」


 食事を邪魔したことに悪びれた様子もなく、アンドレアスは続けた。


「たまたま近くを通りがかったところ、貴方の話が聞こえてきまして。また見事なパフォーマンスを行われたようですね。枯れかけた木に活力を与えるとは、それも研究中の技術ですか?」

「いつも言っているが、未発表の技術についてはノー・コメントだ」

「ああ、すみません。それでも会うたびに一度は尋ねてしまうのが記者の性というものでして。今日はお二人ではないのですね。そちらはご友人ですか?」

「ああ、見ての通り、悪いが食事中なんだ。用ならまた後日聞くとも」

「それは残念。仕方がありません、今日は貴方の時間を尊重するとしましょう」


 しっしと手で追い払うスラーに、アンドレアスは肩を竦めて店の出口へと踵を返し――一歩足を止め、振り返った。


「ああ、一つだけ伝えたいことが。例の連続首切殺人のことは――ご存知ですね? 貴方の知人も何人か、被害に」

「……ああ、残念だよ。本当に」

「ええ。セジウィークさん、貴方も身の回りにはお気をつけて」


 それだけ告げると、今度こそアンドレアスは出口へと向かう。彼が扉に手を掛けた時、スラーが一言、声を掛けた。


「バード。直属の部下たちはどうした? いつも一人は連れているだろうに」

「ああ、彼らは今、取材で忙しいのです。殺人事件がますます世間を騒がせていますからね」


 アンドレアスは微笑むと、レストランを後にした。アンドレアスの姿が見えなくなると、張りつめていた店内は緊張を解き、再び他愛ない雑談が飛び交う空間へと戻った。

 だが、店の奥のテーブルだけは違った。いつもなら絶え間なく表情を動かすスラーは、じっと彼の去ったあとを見つめ続けていた。


 首のない男も、銀鷲のごとき男の気配の残滓をまだ感じていた。首のない男がぼそりと口を開いた。


『あれは、汝らの敵か』

「ええ、きっと……そうね」


 アンリエッタもまた同様に、静かに彼が去った扉を見つめていた。

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