19/ 燃殻通りの闇市場 1

 充満した下水の悪臭が、歩く者の鼻を刺激する。暗闇の端を太った鼠が走り去った。

 煤けた角灯ランタンの明かりだけを手に、四人はテムシティの下水道を進んでいた。シャノの秘術通話機<フィア・フォン>にはテムシティの投影地図が表示されている。


「やっぱり、燃殻通りなんて名前の通り、この街にはない」

「地図の上じゃあな。だがあるんだよ、意気がった貧乏探偵なんざに嗅ぎつけられない所にな」


 下水には悪臭の元となる汚物や廃材がゆらり、ゆらりと流れている。これらは全て地上の営みの残骸だ。その様はまるで、燃え尽きた塵のように。


「それにしても、こっちとグリフィン、同時に燃殻通りに行くように仕向けられるなんてね。面倒な気配しかしないなあ。でも、『魔女の薬屋』に掛かってきた電話は誰からだったんだろう。あの場にグリフィンが居るって知っていなきゃ、そんなことは出来ない」

「分からん。変声機を使っていてな……だが恐らくは男だ」

「――というと、相手の目星はついているのですか?」


 グリフィンは押し黙った。そして仮面の奥からじろりと質問の主――アール・ムソウ・シアーズに視線を送った。ムソウは東方かぶれの衣服を揺らし、白々しく肩を竦めた。


「おやおや、そう邪険になさらず、グリフィン殿」

「……シャノン、どうあっても彼の同行は断れなかったのか?」

「何を言っても帰らないし、逃げても撒けないんだよね……」


 シャノは申し訳なさそうにしたが、当のムソウは悪びれない。


「ええ、拙者この通り、鍛錬しておりますので。ですが――この先、お役に立つと思いますよ」


 シャノと共に先導していたジャックが足を止めた。角を曲がった先に、二人の男が居る。点検員すら最近通ったかも怪しい汚い下水路で、男たちは何かを見張るように立っていた。彼らの背後にはバルブ式の重厚な扉。見張りの男たちはじろりと四人を睨んだ。


「ぞろぞろと見ない顔が何の用だ? 下水の点検かァ? それともになりに来たか?」

「ウル・コネリーからの用事でね。そこを通りたい」


 澄まし顔で答えるケープ付き外套インバネスコートの若者を、男たちは笑い飛ばした。

 

「ハッハッハ! ウル・コネリーだァ? そんな名前、ここじゃあ誰だって知ってる」


 粗野な笑みを浮かべ、男の一人は顔を近づけた。抜けた歯の間から酒混じりの息が吐き出される。


「誰だって騙れるってことだよ、綺麗なガキがよぉ。通りたきゃあ、合言葉を使えよ」


 男たちはゲラゲラと下卑た顔で笑う。シャノは肩を竦めた。その時ようやく、彼らは生意気な若者の後ろに立つ赤毛の男をよく見た。下水の暗がりが影を落としているが、この男だけは他の三人とは違い、動じない様子を保っている。……男たちは気付いた。


「お、おまえ……」


 門番たちの言葉を、ジャックは遮った。


「『海には、墓場』『森には、野犬』『すべての喜びには、すべての悪徳』。――これで良いだろ?」

「あ、あんた……クソ、通れよ!」

「おう、どーも」

「お兄さんたち、お勤めご苦労さま」

「チッ、でかい面しやがって、ガキが……」


 睨む男たちの間をシャノは涼しい顔で抜ける。その後にグリフィンとムソウも続いた。バルブ式の取っ手が回り、四十センチはあろう分厚い扉が重い音を立てて開いた。暗く長い通路の向こうに、外の光が丸く見えた。歩を進めるごとに、その光はどんどんと大きくなってゆく。


 そして――外に出た。


 声のざわめき。乱雑な足音。行き交う人々。

 排水が反響する音しかなかった下水から一転して、そこには雑踏が広がっていた。忙しなく行き来する人々の風体は品が良いとは言い難い。新たな訪問者の姿を、人相の悪い女が歩きすがらにジロリと睨む。


 往来に並ぶ簡易テントの店にはいかにも違法といった得体の知れぬ品が並び、所々では値段交渉の怒声が飛び交っている。


「ここが――」


 シャノは息を呑んだ。ジャックが楽しげに目を細めた。


「テムシティ地下に隠れた、悪人どもが集まる。それが燃殻通りだ」


 改造武器、薬物、偽造証。密猟動物が檻の中で唸り、皮や牙が無造作に軒先にぶら下がる。あちらの店で扱っているのは盗難美術品だろう。


 ここには――あらゆる悪徳が蔓延っている。

 それは、地上の生命活動の灯火から零れ落ちた燃殻たち。テムシティに蔓延る影なるもの全て集めた場所。それこそが――闇地下市場、燃殻通り。


 昼の光のように届くのは、地下天井の巨大照明だ。陽の届かぬ暗黒の地下空間を機械科学の輝きが明々と照らしている。


 テムシティの歴史は長く、都市は常に作り変わり続けている。その地盤の下にはかつての都市の名残が埋まっており、地下工事の際に掘り起こすのも珍しくはない。だがその一つを利用し、この機科学都市の下に悪が巣食っているなどと誰が知るだろうか。


 黴臭い外套の下に大量の銃器を吊るした男ががちゃついた金属音を鳴らして通り過ぎる。腐った果実の臭いを纏った女がグリフィンにぶつかり、忌々しそうに睨んだ。酒場から酩酊した老人が店員に蹴り出され、罵声を返しながら去ってゆく。


「むう……何ともいかがわしい連中ばかりだな」

「あんまりキョロキョロするなよ。クズ共に絡まれたって助けに入る奴も居やしないからな」


 燃殻通りの人間たちは小奇麗な身なりの新参者を値踏みするように不躾な視線を送る。ある者は怪しむように。ある者は良い鴨になるかと探るように。善意とは縁遠い空間に、グリフィンは仮面の奥で嘆息した。


 だが――ここは警察の目も政治家の目も掻い潜る純粋な闇市場だ。確かにここでなら、エイデン・マッカイの行方も探せるかも知れなかった。


「成程――どうやら、首なし騎士の姿はありませんね」


 周囲の様子を観察していたムソウは言った。ムソウの常人離れした格好も、混然としたこの闇市場では然程目立っていなかった。


「ムソウさん、今探すのは首なし騎士ではありませんよ」


 溜息を吐くシャノにムソウはわざとらしく長い袖を口元に寄せた。


「おやおや、探偵殿にまで煙たがられるとは寂しく思います。けれどご安心を、拙者も貴殿らが探す御仁に――というよりも、その御仁が持つ情報には興味があります。貴殿らに協力致しますよ――と言っても……プランはおありで?」

「……そうですね、現状はマッカイさんがここに居るという情報だけ」

「ああ。あの手紙の文字は間違いなくエイデンのものだ」


 アパルトメントへ投函された手紙を見せた所、グリフィンもまたエイデン・マッカイの筆跡だと断定した。


「多分、マッカイさんが手紙を渡したかった本当の相手はグリフィンだよ。住所がわたしの家だから、まずはわたし宛に出したんだ。そうすればグリフィンも必ず目を通すと思って。……残念なことに、運び屋はアルコール依存症の浮浪者しか居なかったみたいだけど」

「……まあ、他にアテがあったとしても、だな」


 グリフィンは視線を動かす。どの人間も掘れば前科や余罪が幾らでも出てきそうな面構えだ。落ち窪んだ目の売り子がいかにもな顔つきで手招きした。仮面の奥から再度深い息が漏れた。


「ここでは大差はなさそうだ」

「届いただけ御の字ってトコだね」

「ああ。君が後ろ暗い縁を持っていたおかげだ」

「うえ、やめてよね。わたしだって好きでコネリーの所に顔出ししてる訳じゃあないんだよ。……とは言え、ここからどうやってマッカイさんを探そう? 他に情報ヒント貰ってる人いる?」


 グリフィンとジャックは無言。四人が持つ情報はあの手紙一枚のみだ。

 

「聞き込みしかないかあ」

「ここじゃ、あんまり勧めねえがな」


 ジャックは顎で建物の間にある路地を示した。雑踏の向こうで細い女が男に殴られていた。顔を血で真っ赤に染める女が直ぐ側にいるというのに、これだけ多くの人間が行き交うにも関わらず、それを止める者は居らず、せせら笑う声すら聞こえた。つまり、燃殻通りとはそういう場所だ。法律から逃れ、あらゆる善性を地上に置いてきた場所。ここで弱みを見せれば、瞬く内に腹を好かせた肉食獣の群れが嗅ぎつける。手当たり次第に聞き込みするのは危険だった。


「絡んできた奴、皆殺しにして良いってなら別だけどな」

「はいはい、物騒な話はなし」

「……とは言え、彼らは同意見ではないようだな」


 グリフィンが呟いた。シャノがはっと身構えた。気付けば、周囲には数名の人間がじりじりと距離を近付けてきていた。下卑た男たちは獲物を見る目をシャノたちに向けている。あからさまにこの場所に不慣れな様子の彼らから何か搾り取れないか――そうはなくとも一発でも殴ればスッキリするだろう――そんな下心を持って。


 面倒なことになりそうだな――とシャノが思った時だった。

 チン、と透き通った金属の音がした。男たちの足が止まる。見れば、東方かぶれの目立つ衣装と、その刀が僅かに――しかし威嚇的に揺れていた。奇妙な格好の男からただならぬ空気を感じ取ったのか、包囲を狭めてきていた男たちは舌打ちし、別の方向へと去る。新参者たちがどんな酷い目に合うのかと興味を示していた他の者達の目もそっと逸れた。


 ムソウは微笑んだ。

 

「どうです? 拙者、役に立つでしょう?」


 うぶな子羊をどう食い散らかしてやろうか、という空気はすっかり霧散していた。


「確かに。じゃあムソウさん、このままお願いします。トラブルにならないに越したことはありませんから」

「承知」


 東方かぶれの自称・武人は獣除けの鈴のように一歩踏み出した。

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