20/ 燃殻通りの闇市場 2

 悪徳蔓延る燃殻通りの屋根から、見下ろす者たちがいる。

 一様に高級な黒スーツを纏った集団は、見る者が見れば解るだろう。彼らが、かのウォルトン新聞社に所属する者であると。


「夜の怪物ねえ」


 燃殻通りの人波を眺め、サーシャは疑わしげにギャレットへと呟いた。


「それって、アレでしょう。半年前から出回ってる噂。人殺しの怪物が夜な夜な歩き回って命を奪っている――だけど、朝になれば誰もそいつのことを憶えていない。夜に現れ、夜の間だけその姿を憶えていられる、怪物」


 その噂はどこからともなく囁かれ始めた。丁度、去年の秋に起こった切り裂きジャック事件の頃からだ。新聞社があの事件を連続殺人だと言い始めたと同じか、もしくはそれより早いくらいから、下層の裏路地で密やかに流布しだしたのだ。人ではない何かが、人間を殺して回っている、と――。


 所詮は、犯人不明の猟奇殺人を恐れた市井の心理が生み出した下らない作り話の類に過ぎない。だがその風聞は、切り裂きジャック事件が犯人不明のまま収束した今も尚、人々の口に上る。ああ――夜の怪物が、やってくる。――音もなく姿もなく/音があれど姿があれど――やって来た虚ろに殺されてしまうぞ、と。


「金持ちを殺して回ってるのも――怪物ってわけですか? 信じがたいですね。ウォルトンってお給金良いですけど私たち金持ちにカウントされますかねえ」

「されるというなら、楽な話だね。いずれ向こうの方から会いに来てくれるってことだろ?」

「っていうか、幽霊話は私の担当じゃないしょう?」

「でも君、好きだろう? 謀殺された幼い王子の呪いとか、壁に埋められた女の呻き声がするとか」

「そうですけど、でも幽霊じゃあダメじゃないですか。後ろ暗い人間を暴き立てて、彼らが破滅して無様を晒すのが楽しいんじゃないですかぁ」

「ハハハ、その楽しみは次の機会にとっておくと良いさ」


 軽口に柔和に応じながらも、不満げなサーシャをとりあう様子はない。普段は頼めば苦笑してあれこれと工面してくれるのだが、こういう時、ギャレットは厳しかった。


「副長は信じてるんですか? 怪物だなんて」

「少なくとも、僕たちの記憶の穴に対する説明にはなる。調べれば調べるほど……やはり昨晩の記憶が整合しない。僕たちの記憶ではあの停電は数分程度のことだった。だが外の警備員の話では二十分だという。その上――昨晩、あの一帯に停電の記録はない。会場の電気の復旧作業に当たった人間も、誰一人見つからない」

「記録漏れじゃあないんですかね。電気会社の下っ端が上司に怒られたくなくて隠蔽してるとか。下層ならよくあることじゃないですかぁ」

「ないとは言わないけれどね。時間のことだって、暗闇の中での感覚のずれによるものかも知れない。君も僕も、上層民の交流の場という不慣れな場所での停電に自分で思うよりも緊張を覚えていたのかも知れない。しかし――こうも情報が重なれば、調べてみる価値はある」


 ギャレットはどこか遠くを見て呟く。


「……本物の怪物の実在、か。――良いネタじゃないか、どんな醜聞よりも、アンドレアスは喜ぶだろう」


 もしも、怪物の実在が証明出来たなら。それが白日の下に晒され、人々が知ることになるならば。引き起こされる事態はきっとアンドレアス・バードの好む所だ。


「それで、私たちいつまで待機していれば良いんです?」


 手元の携帯電話セルフォンを操作し、ギャレットは答えた。


「連絡が入った。支援部署の準備が整ったようだよ」

「今日は何を持ってきたんです? 」

ケージさ」


 太陽代わりの地下大照明の光が、ギャレットの眼鏡を白く照らした。


「ははあ、大物ですねえ」


 サーシャはゆっくりと立ち上がった。きちんと纏められた長い黒髪が黒豹の尾のように揺れる。


「それじゃ、探偵さんに会いに行きましょうか」


 ◆  ◆  ◆


「すまない、一つ、尋ねたいのだが――」

「……チッ」


 お上品野郎が、とでも言いたげに男は舌打ちした。こちらに視線をやったにも関わらず、男は声を無視してその場を立ち去る。


「ハ、嫌われてるな」

「む……ぬう……」


 同じような人種の集まる場所は仲間意識などないようにみえて、暗黙の結束が固く、余所者には厳しい。特に、この場所での作法を知らぬ怪しげな新参者には。悪人とはいえ、無暗に騒ぎを起こそうという無鉄砲な者は多くない。しかし、周囲を通り過ぎる者たちも内心では彼らのことを隙があれば殺してやりたいと思っているだろう。


 言葉をかける相手を失ったグリフィンをジャックが鼻で笑った。


「話を聞くことすらロクに出来ないんじゃお前、来た意味あったか? こういう所のやり方は決まってんだろ。金、暴力、ツテ。この三つだ」

「フン、相手の顎に術杖つえを突きつけて、言わねば口が吹き飛ぶぞ、とでも脅せば満足か?」


 グリフィンが術杖つえの先をジャックの顎に押し付けた。ジャックは動じる様子もなく小馬鹿にした目線を返す。ムソウが思案気に口を挟む。


「しかし確かに、とても協力的とは言い難い人間ばかりの様子。そこらへんの人間を、刀の先でちょいちょいと突いてみましょうか」

「と言っても、こういう所は仲間意識も強いから、なるべく暴力は控えて穏便に――」


 『暴力』という不穏な言葉に、ジロリと周囲の何人かが彼らを睨みつけた。一気に剣呑な空気が彼らを取り囲む。シャノは肩を竦めた。


「……まあ、最終的には必要そうだけど」


 ともあれ穏便に行くにしろ多少融通を利かせるにしろ、手当たり次第に情報を集めていては何日かかるか解らない。『燃殻通り』という名であるが、この闇市場の広さは通りという範囲には収まらない。中央の大通りから何本も道が伸び、四方へと広がっている。


「ジャック、機械を扱ってる店に心当たりは? なるべくツテが広そうな店主のね」

「ははん、成程な。マッカイは機械屋だもんな。手当たり次第締め上げるよりは、まずはそこからだろうな」

「……エイデン。見つかると良いが……」


 ふと、グリフィンの胸に不安が浮かび上がる。

 もしエイデン・マッカイが見つからなかったら? そもそも彼を見つけることは正しいのか。今や死体漁りのブラックドッグとウォルトン新聞社が彼を追っている。二つの勢力が狙うのは恐らく、エイデンが持つ秘術<フィア>の知識。エイデンと再会しても、まだ追手の件は解決していない。


 それとは別の問題もある。エイデンとは別のルートで闇社会に秘術<フィア>が出回っていることだ。誰が、一体どうやって? 今もどこかで、何者かの手によって秘術<フィア>製の……それもエイデンが売っていたものより遥かに複雑な術式データを組み込んだものが出回っている。ウル・コネリーからその情報を聞き出すためにも、今は甘んじてあの男の張った計略の蜘蛛糸の上を動くほかはない。



 一行はジャックの案内によって、武器を扱う店が多く集まる市場へと辿り着いた。道すがら、時折ジャックの知人らしき人間が声を掛けてくることがあった。『最近名前を聞かないが、どうしてる?』『良い仕事あったら紹介しろよ』『今度呑みに行こうぜ』など、彼らは親し気な言葉を交わしていった。燃殻通りに馴染まぬシャノたちの姿を見ると怪訝な表情を浮かべたものの、皆一様に『また変な仕事やってんな』と笑って去っていった。


 場に詳しいジャックとムソウの静かな威嚇により、道中は大きなトラブルもなかった。


「ジャックってもしかして、顔が広い?」

「俺は個人で仕事してたからな。一人でやっていくには必要だろ」


 この武器市場でも同様で、足を踏み入れた途端、近くの店の主が珍しいものを見た顔でジャックを手招いた。


「おう、赤毛の――今は何て名乗ってるんだ? まあどうでも良いな、テメエがここらに来るなんて珍しいな。ご自慢の馬鹿げた回転鎖鋸チェーンソーはどうした? 壊れたか? 飽きたか?」

「今も調子良く切り刻んでるっての。知りたいことがあって来ただけだ」

「チッ、つまんねえな。新しいの試作品でも押し付けてやろうかと思ったのに。後ろのは……今の仕事の関係か?」

「そんな所だ。胡散臭い探偵と、インチキ科学者と、サムライかぶれだ。良いだろ?」


 ジャックが顎で三人を指し示す。グリフィンはインチキとは何事だと言いたげだったが、ぐっと堪えた。


「ハ、最高だな。じゃ、頑張れよ」

「おい待てよ。少しは手伝ってくれたって良いだろ? 最近変わった武器を扱ってる奴は居ないか?」

「客じゃねえ奴にくれてやるもんは何もねーっつーの」

「チッ、ケチだな」


 店主はしっしと追い払う仕草をした。ジャックが諦めて店を離れようとした時だった。ずい、と一歩前に出たのはムソウだった。


「お待ち下さい。何やら貴殿は試してみたい品があるとか」

「お、おう。それが何だ?」


 ムソウの奇抜な格好に気圧されながらも、武器屋の店主は頷いた。


「その試作品、是非試してはみませんか? その代わりに情報を頂きたい」

「あん? テメエが試し撃ちしてくれるっていうのか?」

「いいえ。拙者、刀以外の武器はとんと。なので、貴殿が拙者に向かって試してみると良いかと」

「な……テメエ、自分に向かって撃てって言ってんのか? 正気か?」


 驚くのも無理はない。ヒラヒラとした服を纏った妙なこの男は、その身一つで武器の掃射を浴びようと言っているのだ。


「ムソウさん、そんなことまでしなくても――」


 止めようとするシャノを、ムソウは制止した。心配せずとも良い、と。ムソウは武器店主に向かって微笑んだ。


「武器ともなれば、人に向かって使ってみたいものでしょう? ええ、ご心配なく。弾はこちらで対処致しますので」

「――面白ぇ、おい、死んだって恨みっこなしだぜ?」

「ええ、承知しました」


 武器店主は木人の並んだ裏のスペースにムソウを案内した。三つの木人はいずれも酷使された様子が目立ち、無数の弾痕でボロボロになっていた。黒く武骨な銃器が重い音を立てて設置された。その銃口はムソウに向かっている。


「こいつが試作品でな。ま、こいつがあれば人体も壁も穴だらけだ。以前の設計より連射速度と発射速度を上げて……つってもわかんねえか! 御託よりも撃ってみろってな。本当に良いんだな?」

「どうぞ、遠慮なく」


 ムソウは刀の柄に手を添えた。店主は口笛を吹き、そして引き金を引いた。

 ――ガガガガガガガガ! 激しい掃射音が鳴り響いた。周囲の木人も巻き添えで砕け、木片と土埃が躍った。銃弾の嵐はムソウの肉体をも肉片に変えるはずだった。だが最初の弾が届く寸前、ムソウは刀を抜いた。一刀。振るった白刃が弾丸を切断した。二つに割れた弾丸の片方が、ムソウの耳元を掠めた。刀を返すのに二ミリ秒。次の弾も、その次の弾も。目に留まらぬ速さで剣閃の残像が鉛の弾を割ってゆく!


 ――土埃が薄くなる。銃の乱射は止まっていた。弾は空になっていた。木屑になった木人の向こうで、ムソウは涼しい顔で刀を収めた。


「試作品の具合は如何いかがです? もう一度撃ってみますか」

「ッハハハ! アンタすげえな! 何だその曲芸! いやもう十分だ、弾が勿体ねえ」


 武器店主は打って変わって上機嫌だった。


「木の的ばっか撃っててもつまらなくてなあ! やっぱ人間に向かって撃つのは最高だな。楽しかったぜアンタ!」

「満足頂けたならこちらとしても幸いです」

「で、珍しい武器を扱ってる商人だったな? そうだな。半月ほど前からこの通りの奥の煙草屋の前に店を出してる爺さんが居る。そこに当たってみちゃどうだ」

「……とのことです」


 ムソウは自慢げに笑みを浮かべた。無残に散らばった木人と焦げ目一つなく立つムソウをシャノは交互に見比べた。


「ムソウさんって……結構目立ちたがりですよね」

「ハハハ、当然です。己が鍛錬の成果を見せるのは気分が良いので」

「貴様と似ているな。武闘派というのは皆そういうものなのか?」

「げ、やめろよ、あんな妙な奴と比べるのは」


 グリフィンの言葉にジャックが渋い顔をした。


◆  ◆  ◆


 武器市場を進むと、店主が言った通り剥げた煙草屋の看板が見えた。その下には端々が破れた灰色の簡易テントがあった。大照明の光がくまなく届き、地上と違って陰ることのない地下空間の中で、そのテントの奥は陰鬱な暗さを保っていた。赤い布を被り、背中を丸めた老人が四人を見上げた。


「……何だね、アンタら。買いに来たのかね?」

「ああ、いや、我々は――……」


 猫背の老人は角灯ランタンに火を入れた。暗闇に包まれていたテントの中に明かりが広がる。グリフィンは息を呑む。


 ――襤褸テント内に並んでいたのは、覚えのある構造の幾つもの武器。

 弾倉の代わりにフィア装填口を備えた、秘術製武器だった。

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